2019年11月26日

明日への一歩 津村節子

明日への一歩 津村節子 河出書房新社

 津村節子さん:小説家。1928年(昭和3年)生まれ。1965年(昭和40年)「玩具」で芥川賞受賞。
 吉村昭さん:小説家。1927年(昭和2年)生まれ。2006年(平成18年)79歳没。「星への旅」、「戦艦ムサシ」、「三陸海岸大津波」

 おふたりは、ご夫婦です。
 随筆集です。41作品あります。1作品が4ページぐらいです。
 いくつかについて、感想を記します。

「ひとりごと」
 東京吉祥寺の地理とか、歴史とかのお話です。歳をとってひとりごとが多くなった。知らない人が見たら認知症だと思うのかもしれない。
「飛脚の末裔」
 訪問看護師と押し車を押しながらの散歩です。足を骨折したらしく歩行がむずかしいようです。亡くなったご主人も作家で、ご主人の言葉に触れられています。
「ある訃報」
 手紙に関する記述が多い本書の内容です。親せき筋からの手紙です。夫が生きているうちに書いた死んだときに親族へ渡す手紙を、夫の死後に奥さんが親族へ言葉を添えて送っておられます。不思議な感じがします。存命中の感謝の言葉とこの書面をもって、お別れのあいさつと致しますという文言があります。
「転機・夫・吉村昭の手紙(Ⅰ)」
 戦争体験のこと。小説家として食べていくためのおふたりの苦労。こどもさんふたりをかかえての苦労。転居。ご主人は取材のためにひとりで海外を転々と旅しておられます。南アフリカケープタウンで黒人差別を見ています。同国のラグビーチームのラグビーワールドカップでの優勝シーンをテレビで観たのは先日のことです。文章を読むと実感が湧きます。
 1969年、昭和44年ころのこととあります。
 今年読んで良かった1冊です。
「汽車は枯野を。夫・吉村昭の手紙(Ⅱ)」
 文学で身を立てるまでの苦労話が続きます。最後に登場する室生犀星氏の記事が胸にしみました。「室生犀星氏は本当に心やさしい方だった」
 随筆。自分の日常生活をさらけだして書いて、他者の感情を動かす文学作品。
「物書き同士の旅」
 旅とは人生でしょう。60年前、文学を志していた人たちの当時の様子です。文学賞が少なかった。同人雑誌の活動のことが書いてあります。
 6畳一間、台所とトイレは共用。家賃3000円。月収が1万2000円。たしかにそういう時代がありました。「思い起こせば長い道のりだった」とあります。先駆者による貴重な記事と記録です。
「初めての歴史小説」
 新潟県佐渡金山の取材話です。やむにやまれず6歳のご長男連れです。翌年、翌々年と佐渡島を訪問されています。作品「海鳴」(1965年。昭和40年)とあります。先日テレビで観た出川哲朗充電バイクの旅佐渡島編を思い出しました。
「心に残る一作」
 ふりかえって、「15年間、ひたすら書くことをやめず、ときどき文学賞の候補になる」
「一歩、また一歩」
  書名「浮巣:うきす。鳥カイツブリの巣のこと」
「作家と生地」
 彰義隊:しょうぎたい。徳川慶喜の警護」
 原稿を仕上げるための取材の旅がきつい。
「初詣(はつもうで)」
 1969年、昭和44年の東京近郊は意外に静かです。
「段飾り」
 ひな人形の段飾りです。「いい春が来たな」の文節が良かった。
「延命」
 姉は90歳まで長生きだったから始まります。人生を振り返って、富んでいたころ、貧しかったころ、山あり、坂ありです。最後の「自分の意識があるうちに自分の命の終わりを決めておきたい」
 遺志が胸に響きます。
「片眼の世界」
 右目の視力がないことを書かれています。
「海へのだんだん」
 ヨーガのお話です。
「井の頭池かいぼり」
 かいぼりとは、池の水を抜いて、保護する生き物、しない生き物に分けて、池をきれいにする作業です。
「憩いの町」
 新潟、越後湯沢のお話です。越後湯沢は、川端康成の町とあります。「雪国」を執筆したところ。
 へぎそば:へぎといううつわに盛りつけたそば。そばには、海藻を使用してある。
「夜明けの電話」
 日記を読むようです。夜明けの電話は、近しい人の危篤や死を連絡してくる電話のことです。そんな電話がかかってこなくなった。もう、みんな亡くなった。
「同窓会」
 85歳の小学校卒業同窓会です。すごい。
 70歳のときの、もう夜飲む会は体にこたえるが、実感があります。
「移り征く年月」
 戦時中、人と物にあふれる東京です。ご長命なみなさんに感嘆します。
「幻の街」
 戦時中のお話です。先日読んだ本「なんにもなかった」くらしの手帖社編作品と内容が重なる部分があり、ご苦労にしみじみしました。
「私の宝-室生犀星」
 室生犀星:1889年(明治22年)-1962年(昭和37年)72歳没
「ふるさと」、「年末を迎えて」、「文芸若狭に期待」
 後半は、お生まれになってこどものころ小学4年生11歳になるころまですごされたふるさと福井県のことが書いてあります。文学賞である「ふくい風花随筆文学賞」の審査員をながらくつとめておられたことなどが書いてあります。雑誌「公募ガイド」にからめて、ふるさとの文学の土壌について述べられています。文学への愛着や愛情が伝わってくる文脈です。
 福井県は宣伝が下手な県とあります。よく言えば謙虚、悪く言えば引っ込み思案だそうです。日本人的です。
「二人旅」
 ご主人の取材のための旅の回数の多さに驚かされます。自分も四国宇和島、松山などは、10代のころに行ったことがあるので、文章を読みながら思い出深く思い出されます。
 筆者ご本人はこの部分を書かれたときはもう90歳近いわけで、周囲から付き添い付きの旅行を勧められています。
「3・11を心に刻んで」
 津波のことが書いてあります。知りませんでした。明治以降に三陸を襲った津波として、明治29年1896年6月15日死者2万人、昭和8年1933年3月3日死者3021人不明者43人、昭和35年1960年5月22日チリ地震の影響。平成23年2011年3月11日東日本大震災。人間の予想や知恵を超えた自然の驚異があります。

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