2019年11月07日

まく子 邦画DVD

まく子 邦画DVD 2019年公開

 小説は読んだことがあります。
 純文学の映画化のような雰囲気です。理解することがむずかしい。沈黙、無言のシーンがつらい。考える映画です。
 小学生男子11歳小学6年生の主人公が、おとなになりたくないわけで、いまは、おとなになる途中で、きのう、きょう、あしたが、ずっと同じであってほしいと祈るのに、おちんちんがかたくなったり、おそらくおケケが生えてきたりして、未知の世界であるがゆえに、不安定、不安感に包まれているのです。
 あわせて、「再生」の話があって、「死」を考える時間帯もとってあります。せっかくつくったお祭りのおみこしを破壊して燃やすシーンがそのことを語っています。

 ロケ地の風景は、昔懐かしい田舎風景です。ああ、昔は、あんなふうだったと思い出にひたれました。群馬県の四万温泉(しまおんせん)というところだそうです。

 最後付近の花火のような映像がきれいでした。

 良かったセリフとして、おとなになりたくない理由を強調するもので、「このまちにはあこがれのおとながいない。あんな人になりたいというおとながいない。最悪だ。うちのお父ちゃんは、隣町の女と浮気をしている。おとなになりたくないのに、からだは(おとなへと)変わっていく」

 あとは、コズエが、落ち葉を集めて空中に投げて、「全部落ちるからきれい。落ちなかったらきれいじゃない」
 死んでなくなるからいいものがある。


 以下は、2016年4月のときの読書感想文です。「まく子」 西加奈子 福音館書店
 カバーの絵は猿の顔です。作者が描きました。独特です。少し、怖い。
 山奥の温泉街、主人公南雲彗(なぐも・さとし)の家は、中規模な旅館「あかつき館」です。同じ敷地内に従業員寮「いろは荘」があります。
 ある日、いろは荘に、小学校4年生である慧と同級生の美人・モデル体形のコズエ母子が引っ越してきます。コズエこそが、「まく子」であり、いろいろなものを撒く(まく)習性があります。砂とか、土とか、そういうものをまわりにまくのです。
 第2次成長期だったっけ。性的に体が変化する時期があります。男子に毛が生え、女子は生理が始まります。そんな体の変化についていけない本人の意識があります。本人は、驚きと不安といらだちをかかえます。そういったところを描いた作品です。
 二重人格的女子の気持ち(だからサルみたいな顔が真実))、父の浮気相手との出会い、身近にいるおとなになった登校拒否児(ミライ)とか不良中学生の良という名前の男子、最後にせっかく造ったみこしを破壊するサイセ祭り、個性豊かな人々と行事の登場が続きます。
 
 西加奈子作品です。物語を読んでいるという気分にひたれて気分がいい。文章の調子に安心できます。以下、気に入った表現です。「透明になって、ひとりになっていたい」、「みんなが変わっていくのがこわい」、「にっこりと音がつきそうな笑顔」、「1年前のときは、夜がこんなに好きではなかった」、

 わからなかった単語です。「ソーサー:カップの下におく受け皿」、「シンクロする:憑依する(ひょういする。肉体とは別の魂がその肉体に宿る。)」、「リード:飼い犬をつなぐひもとか綱、ロープでいいような。うまく犬をリード(誘導)するためのもの。」、「インスパイア:霊感を受ける?」

(つづく)

 読み終えました。最後はむずかしかった。理解できません。
 
 おとなになりたくないこどもがいる。
 なりたくなくても、こどもの体はおとなになっていく。
 そのことに、順応できる人格と順応できない人格に分かれて(登校拒否児)、成長はしていく。

 「神輿(みこし)」は、人生そのもので、最後は破壊されて、焼かれて、この世から消滅する。サイセ祭りの語源は「再生」。

 コズエが石粒をまく。コズエは、人間の体は粒でできていると言う。彼女は実は宇宙人で、地球上に光の粒をまいている。彼女は霊感でできていて、コズエという女子の体を借りている。
 最近読んだ、他の小説にも同じ設定の世界が複数ありました。今のはやりだろうか。

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