2019年07月02日
ヒマラヤに学校をつくる 吉岡大祐
ヒマラヤに学校をつくる 吉岡大祐(よしおか・だいすけ) 2019課題図書 旬報社
1回目の本読み。
全体が200ページぐらいです。文字は読まずに1ページずつ全部のページをめくります。こうすると、全部読んだような気分になれて安心します。
著者の人生史のようです。20代から20年間ぐらいのことが書いてあります。
ネパール人が貧しいこと。貧しいから幸福ではないとはいいきれないこと。
写真を見ます。こどもたちの悲しそうな顔がならんでいます。日本でいうところの虐待とはまた違う苦しい境遇があるようようです。かれらの目には、だれかをうらんでいるような強い光が宿っています。母子家庭が多いようです。(本を読み進めていくと、また、こどもたちの写真がでてきます。学校へ通うようになったこどもたちの笑顔はとても輝いています)
病気、そして、教育。教育は、貧困から脱出する手っ取り早い方法です。単純にいうと、テストでいい点がとれれば賃金が安くても安定した仕事につけるのです。
ただし、「教育」には、お金がかかります。
「人は不足の中でこそ育つ」という項目が出てきます。人は不足するとき、みずからの力で不足するものをつくろうとします。
「字を覚える喜び」という項目が出ます。何の苦労もなく字を覚えることができる人にとっては実感が湧かないとおもいますが、字の読み書きができるということは、実は、すごいことなのです。
「お金を貯めることを学ぶ」英語、算数、理科、社会と同じくらいの比重で、「お金のこと」、「整理整とん」のことも授業をしてほしい。それから、「禁煙」と「禁酒」も。あわせて、「セクハラ」、「パワハラ」も。
2回目の本読み。
プロローグに著者の強いメッセージがあります。
ヒマラヤのふもと、ネパールに流れる「時間」の感覚は、日本とはかなり異なる。みな、のんびり暮らしている。時刻の約束は守らなくていい。時間は、ゆるやかに、のんびりと流れている。失うものはもう何もない貧しさの強さがある。人は何度も生き返るとう「輪廻(りんね)」の教えがあり、よって、自分はなんども生きることができると受け止めるようで、だから、急ぐことはなにもないと考えるそうです。
日本では、「忙しくないこと」は、批判の対象にされる。日本人は、いろいろなものに縛られている。
ネパールの夜空に浮かぶ星は大きい。ネパールが大好き。そういう気持ちが伝わってくる文章です。
写真に映し出された写真の上部にあるアルプスの白い山脈は雄大です。
ネパールという国のことをあまり知りません。知っているのは、ヒマラヤぐらいです。本には、北海道2個ぐらいの広さ、3000万人の人口、多民族国家、海抜100メートルから8000メートル。貧しいけれど、たくさんのお金がなくても暮らしていける場所。
著者の両親はちょっと変わっています。とくに父親が放任主義、つきはなしと思えるほどに「冒険」を勧めます。ふつうは、こどもの事故や事件への巻き込まれが心配で、そこまで、冒険を勧めることはしません。8歳のこどもである著者をアメリカ合衆国ロスアンゼルスの店にひとりでやらせています。なんだか、虐待のイメージすらあります。
本の内容は、「人との出会い」を道しるべにしながら、時系列的に進行していきます。人との出会いが人生を豊かに変えていきます。
その後、本の内容は、ネパールの説明に移ります。ネパールの社会、歴史、地理、文化などです。
星占いを優先する部分では、弥生時代の日本を思い浮かべました。卑弥呼とか、占星術、占いでものごとのさきざきを決めていたころです。日本という国はなく、倭国(わこく)だった頃です。
ネパールのひとたちのルーズ(きちょうめんではない)さについて読んでいたら、とても自分はネパールでは暮らせないという気持ちになりました。
カーストという身分制度が出てきます。上層部にいる人間は、組織を統治していくために身分制度をつくることが好きです。日本でも、士農工商がありました。文句があるなら下をみて暮らせ。もっとひどい生活をしている人間がいるぞ。そして、いじめ社会です。職業、結婚相手、住む地域に制限を加えます。不条理(ふじょうり。良識や理性の法則に反する)です。
(つづく)
100ページ、第4章「学校をつくりたい」から読み継ぎます。
(つづく)
読み終えました。
今年読んで良かった1冊になりました。
広域通信制の高等学校として、「クラーク記念国際高校」当時の生徒数1万人以上。これがきっかけで、ヒマラヤに学校をつくることになりました。少年よ、大志をいだけのクラーク博士から名前がきています。校長は、プロスキーヤーの三浦雄一郎氏。
募金を集めることによって学校づくりが始まります。外国に学校をつくるという話であり、募金はなかなか集まりません。エベレスト登頂のために高い山を何度も繰り返し登ったり降りたりして訓練をしてから登頂に成功した三浦雄一郎氏を見習って、地道に募金活動を続けます。感心をもって集まってくれた子どもの親の家庭訪問活動が効果的だったようです。
ネパールという国の政情不安があります。2008年、立憲君主制から連邦共和制へ移行したものの、スムーズに世の中のシステムが動いたわけではありません。カーストと呼ばれる身分制度、男尊女卑、多民族ではあるけれど、お金持ちと貧困者の二種類しかいない国、そんなことが、本の中で語られています。全般的に、基本的人権の尊重とか、自由がない国です。母子家庭の子どもは父親の許可がないと海外旅行はできません。公務員には賄賂社会があったようです。(裏金で許認可をする)
また、親世代に教育に関する意識がありません。半世紀以上昔の日本のいなか暮らしをみるような思いで読みました。子どもは、農業の労働力でした。田植え、稲刈りなどです。また、農閑期にはおとなは東京あたりの都会へ土木建築現場での出稼ぎをしていました。日銭をかせぐ、一日いくらで生活していく。サラリーマンになるという意識はいなかの人間にはあまりなかった。この本にあるネパールの状況に似ています。ネパールの人たちは、国に産業がないので、中東や湾岸諸国へ出稼ぎに行くそうです。自国へ企業誘致が必要なのでしょう。
さしあたって、300万円の募金で3階建ての校舎建築が始まります。でも、建てたあとも維持費がいります。とくに先生たちの人件費がかかります。賃金未払いの時期もあり、善意にすがるとはいえ、法的には問題がありました。
生徒は5歳から20歳までと幅広い。それだけ、おとなになっても読み書きができる人がいなかったということです。
こどもの暮らしぶりは悲惨です。親は親ではありません。こどもは親に抱きしめられたことがない。ことに男子は大切にされるが女子はほおっておかれる。こどもはおとなに叱られるばかり。ごみ同然の扱いを受ける。
親は、教育を受けていません。人間は、教育を受けることによって、人間になれる。
読んでいると、日本は恵まれていると思います。世界には、学校に行きたくても行けない子どもがたくさんいるのに、行ける設備が整っているのに行けない子がいる日本です。
罰を与えるべきか、愛情で許すあるいは甘やかすべきか、選択がむずかしいシーンもあります。選択してもうまくいこともあるし、うまくいかないこともあります。むずかしい。総じて、「学校」は人生の一時的な滞在地です。病院にも似ている。ずっと、いる場所ではありません。次につなげていくための一時的な滞在地です。卒業しなければなりません。
日本の住み良さがわかる内容です。
2015年4月25日、ネパール大震災が発生。犠牲者約9000人。寄付でつくった学校では、川へこどもたちは洗濯に行っていたので助かった。川で洗濯をするというのも昔の日本の田舎暮らしと共通します。
本の内容は後半になって意外な方向へと動きます。著者が癌になってしまいました。第一線を退くことになります。人間、さきは、なにが起こるか予想できません。名言として、「プレーヤーからサポーターに変わる」という言葉があります。最終的には、現地のことは現地の人にやってもらう。
人生には何度か大きな困難の時期が訪れます。せっかくつくった学校がなくなってはいけません。
エピローグでは、1冊の本を出すまでのご苦労が伝わってきました。
3回目の本読みです。とくに感銘を受けた部分を読み返してみます。
132ページ付近以降にいい記述があります。
きちんとした言葉づかいをさせる。乱暴な言い方はやめる。自分が乱暴だと相手も乱暴になります。
シラミを退治する。勉強が気持ちよくできる環境をつくります。命を守るために健康でいる。
きれいな制服を整える。汚いかっこうの服装を放置しない。制服を着ることで、人身売買の危険から守るというすごいことまで書いてあります。
文字を覚える。親が字を書けないなか、こどもが字を書けるようになります。読み書きは学習の基本です。絵本を読むところからがスタートです。
こどもに静かに語りかける。こどもに「ありがとう」という。
弱い者をいたわる。
調べた言葉などとして、「鍼灸師:しんきゅうし。はりとお灸でツボを刺激して病気を治癒する。国家資格」、「浄財:慈善事業に寄付するお金」、「蘊奥:うんおう。奥深い部分まで極める」
興味深かった部分として、「ネパールのひとは、『ありがとう』という言葉をほとんど使わない。与える方が幸せだから」、「ヒンドゥ教は、男性優位社会」、「185ページ、タゴールの詩。わたしに自由をください」、「(女性からみて)夫は、神である」、「共産党武装組織マオイスト。内戦。ネパール人同士が憎しみあい、殺し合う」
1回目の本読み。
全体が200ページぐらいです。文字は読まずに1ページずつ全部のページをめくります。こうすると、全部読んだような気分になれて安心します。
著者の人生史のようです。20代から20年間ぐらいのことが書いてあります。
ネパール人が貧しいこと。貧しいから幸福ではないとはいいきれないこと。
写真を見ます。こどもたちの悲しそうな顔がならんでいます。日本でいうところの虐待とはまた違う苦しい境遇があるようようです。かれらの目には、だれかをうらんでいるような強い光が宿っています。母子家庭が多いようです。(本を読み進めていくと、また、こどもたちの写真がでてきます。学校へ通うようになったこどもたちの笑顔はとても輝いています)
病気、そして、教育。教育は、貧困から脱出する手っ取り早い方法です。単純にいうと、テストでいい点がとれれば賃金が安くても安定した仕事につけるのです。
ただし、「教育」には、お金がかかります。
「人は不足の中でこそ育つ」という項目が出てきます。人は不足するとき、みずからの力で不足するものをつくろうとします。
「字を覚える喜び」という項目が出ます。何の苦労もなく字を覚えることができる人にとっては実感が湧かないとおもいますが、字の読み書きができるということは、実は、すごいことなのです。
「お金を貯めることを学ぶ」英語、算数、理科、社会と同じくらいの比重で、「お金のこと」、「整理整とん」のことも授業をしてほしい。それから、「禁煙」と「禁酒」も。あわせて、「セクハラ」、「パワハラ」も。
2回目の本読み。
プロローグに著者の強いメッセージがあります。
ヒマラヤのふもと、ネパールに流れる「時間」の感覚は、日本とはかなり異なる。みな、のんびり暮らしている。時刻の約束は守らなくていい。時間は、ゆるやかに、のんびりと流れている。失うものはもう何もない貧しさの強さがある。人は何度も生き返るとう「輪廻(りんね)」の教えがあり、よって、自分はなんども生きることができると受け止めるようで、だから、急ぐことはなにもないと考えるそうです。
日本では、「忙しくないこと」は、批判の対象にされる。日本人は、いろいろなものに縛られている。
ネパールの夜空に浮かぶ星は大きい。ネパールが大好き。そういう気持ちが伝わってくる文章です。
写真に映し出された写真の上部にあるアルプスの白い山脈は雄大です。
ネパールという国のことをあまり知りません。知っているのは、ヒマラヤぐらいです。本には、北海道2個ぐらいの広さ、3000万人の人口、多民族国家、海抜100メートルから8000メートル。貧しいけれど、たくさんのお金がなくても暮らしていける場所。
著者の両親はちょっと変わっています。とくに父親が放任主義、つきはなしと思えるほどに「冒険」を勧めます。ふつうは、こどもの事故や事件への巻き込まれが心配で、そこまで、冒険を勧めることはしません。8歳のこどもである著者をアメリカ合衆国ロスアンゼルスの店にひとりでやらせています。なんだか、虐待のイメージすらあります。
本の内容は、「人との出会い」を道しるべにしながら、時系列的に進行していきます。人との出会いが人生を豊かに変えていきます。
その後、本の内容は、ネパールの説明に移ります。ネパールの社会、歴史、地理、文化などです。
星占いを優先する部分では、弥生時代の日本を思い浮かべました。卑弥呼とか、占星術、占いでものごとのさきざきを決めていたころです。日本という国はなく、倭国(わこく)だった頃です。
ネパールのひとたちのルーズ(きちょうめんではない)さについて読んでいたら、とても自分はネパールでは暮らせないという気持ちになりました。
カーストという身分制度が出てきます。上層部にいる人間は、組織を統治していくために身分制度をつくることが好きです。日本でも、士農工商がありました。文句があるなら下をみて暮らせ。もっとひどい生活をしている人間がいるぞ。そして、いじめ社会です。職業、結婚相手、住む地域に制限を加えます。不条理(ふじょうり。良識や理性の法則に反する)です。
(つづく)
100ページ、第4章「学校をつくりたい」から読み継ぎます。
(つづく)
読み終えました。
今年読んで良かった1冊になりました。
広域通信制の高等学校として、「クラーク記念国際高校」当時の生徒数1万人以上。これがきっかけで、ヒマラヤに学校をつくることになりました。少年よ、大志をいだけのクラーク博士から名前がきています。校長は、プロスキーヤーの三浦雄一郎氏。
募金を集めることによって学校づくりが始まります。外国に学校をつくるという話であり、募金はなかなか集まりません。エベレスト登頂のために高い山を何度も繰り返し登ったり降りたりして訓練をしてから登頂に成功した三浦雄一郎氏を見習って、地道に募金活動を続けます。感心をもって集まってくれた子どもの親の家庭訪問活動が効果的だったようです。
ネパールという国の政情不安があります。2008年、立憲君主制から連邦共和制へ移行したものの、スムーズに世の中のシステムが動いたわけではありません。カーストと呼ばれる身分制度、男尊女卑、多民族ではあるけれど、お金持ちと貧困者の二種類しかいない国、そんなことが、本の中で語られています。全般的に、基本的人権の尊重とか、自由がない国です。母子家庭の子どもは父親の許可がないと海外旅行はできません。公務員には賄賂社会があったようです。(裏金で許認可をする)
また、親世代に教育に関する意識がありません。半世紀以上昔の日本のいなか暮らしをみるような思いで読みました。子どもは、農業の労働力でした。田植え、稲刈りなどです。また、農閑期にはおとなは東京あたりの都会へ土木建築現場での出稼ぎをしていました。日銭をかせぐ、一日いくらで生活していく。サラリーマンになるという意識はいなかの人間にはあまりなかった。この本にあるネパールの状況に似ています。ネパールの人たちは、国に産業がないので、中東や湾岸諸国へ出稼ぎに行くそうです。自国へ企業誘致が必要なのでしょう。
さしあたって、300万円の募金で3階建ての校舎建築が始まります。でも、建てたあとも維持費がいります。とくに先生たちの人件費がかかります。賃金未払いの時期もあり、善意にすがるとはいえ、法的には問題がありました。
生徒は5歳から20歳までと幅広い。それだけ、おとなになっても読み書きができる人がいなかったということです。
こどもの暮らしぶりは悲惨です。親は親ではありません。こどもは親に抱きしめられたことがない。ことに男子は大切にされるが女子はほおっておかれる。こどもはおとなに叱られるばかり。ごみ同然の扱いを受ける。
親は、教育を受けていません。人間は、教育を受けることによって、人間になれる。
読んでいると、日本は恵まれていると思います。世界には、学校に行きたくても行けない子どもがたくさんいるのに、行ける設備が整っているのに行けない子がいる日本です。
罰を与えるべきか、愛情で許すあるいは甘やかすべきか、選択がむずかしいシーンもあります。選択してもうまくいこともあるし、うまくいかないこともあります。むずかしい。総じて、「学校」は人生の一時的な滞在地です。病院にも似ている。ずっと、いる場所ではありません。次につなげていくための一時的な滞在地です。卒業しなければなりません。
日本の住み良さがわかる内容です。
2015年4月25日、ネパール大震災が発生。犠牲者約9000人。寄付でつくった学校では、川へこどもたちは洗濯に行っていたので助かった。川で洗濯をするというのも昔の日本の田舎暮らしと共通します。
本の内容は後半になって意外な方向へと動きます。著者が癌になってしまいました。第一線を退くことになります。人間、さきは、なにが起こるか予想できません。名言として、「プレーヤーからサポーターに変わる」という言葉があります。最終的には、現地のことは現地の人にやってもらう。
人生には何度か大きな困難の時期が訪れます。せっかくつくった学校がなくなってはいけません。
エピローグでは、1冊の本を出すまでのご苦労が伝わってきました。
3回目の本読みです。とくに感銘を受けた部分を読み返してみます。
132ページ付近以降にいい記述があります。
きちんとした言葉づかいをさせる。乱暴な言い方はやめる。自分が乱暴だと相手も乱暴になります。
シラミを退治する。勉強が気持ちよくできる環境をつくります。命を守るために健康でいる。
きれいな制服を整える。汚いかっこうの服装を放置しない。制服を着ることで、人身売買の危険から守るというすごいことまで書いてあります。
文字を覚える。親が字を書けないなか、こどもが字を書けるようになります。読み書きは学習の基本です。絵本を読むところからがスタートです。
こどもに静かに語りかける。こどもに「ありがとう」という。
弱い者をいたわる。
調べた言葉などとして、「鍼灸師:しんきゅうし。はりとお灸でツボを刺激して病気を治癒する。国家資格」、「浄財:慈善事業に寄付するお金」、「蘊奥:うんおう。奥深い部分まで極める」
興味深かった部分として、「ネパールのひとは、『ありがとう』という言葉をほとんど使わない。与える方が幸せだから」、「ヒンドゥ教は、男性優位社会」、「185ページ、タゴールの詩。わたしに自由をください」、「(女性からみて)夫は、神である」、「共産党武装組織マオイスト。内戦。ネパール人同士が憎しみあい、殺し合う」
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