2019年05月20日
マンザナの風にのせて 2019課題図書
マンザナの風にのせて ロイス・セパバーン 2019課題図書 文研出版
「マンザナ」とは土地の名称で、アメリカ合衆国カリフォルニア州にあります。(2ページ目に地図があります)。
物語の舞台は、主人公の日系人一家が、第二次世界大戦中にそれまで住んでいたアメリカ合衆国ワシントン州シアトル・ベインブリッジ島から、カリフォルニア州内のマンザナに連れていかれて入れられた日系アメリカ人マンザナ強制収容所です。
周囲を有刺鉄線で囲われています。日系人は、アメリカ合衆国の敵国日本の関係者とされアメリカ人社会から隔離されたのです。
作者自身が観た風景からヒントを得て創作された物語です。文章はおもに一行書き流しで、詩集を読むようです。抽象的な記述で、事象がいまいち明瞭でない部分もあります。
主人公は、タナカマナミで、小学校高学年ぐらい。日本から来た移民の子孫で日系二世です。日本人ですが実質アメリカ人です。
おじいちゃんがいて、パパ、ママ、そして、飼い犬のトモがいますが、収容所に収容されるとき、犬のトモとはつらいお別れをします。ほかに、インディニア州のアラーム大学で学ぶ姉ケイコと兄ロンがいます。この物語は、愛犬トモとタナカマナミの絆が強調されている作品です。
タナカマナミの同級生たちが、出しゃばりのリョウ、それから、イシイキミです。
物語は、収容所に収容される前のベイブリッジ島で、農業を営む生活から始まりました。
読む前の知識として、アメリカ合衆国の戦時中の日系人収容所は、ドイツ軍によるユダヤ人の収容所とは異なって、日系人が他の人種から攻撃されないように保護が目的で収容したということもあるというものです。あと、日系人たちは、アメリカ人としての誇りをもっていて、米軍軍人として志願してヨーロッパ戦地でドイツ軍と戦ったと讃える記録があります。
「ワシントン州」は、首都ワシントンがある州ではなく、ワシントン州はアメリカ合衆国西海岸の北にある区域で、首都ワシントンは、東海岸の北にある都市で、別の場所です。
明治元年が1968年ですが、19世紀後半から日本からアメリカへの移民が始まり、書中ではハワイに20万人、アメリカ本土に18万人とあります。
1941年12月7日、第二次世界大戦で日本の宣戦布告が遅れた有名なハワイの真珠湾攻撃の日です。日本は卑怯者扱いされますが、事実としては、米国政府上層部の人間は、日本の米国に対する宣戦布告を事前に知っていて知らぬふりをして、国民の戦意高揚を図ったとほかの本で読んだことがあります。戦争ってむなしいものです。
物語は、3月から始まり、12月で終わる構成です。まだいまは、最後まで読み切っていません。
登場人物が増えてきたので、大きな紙にメモを始めました。
強制収容所内の様子が記述されます。区画、居住棟、人として、サトウさん一家。
主人公のタナカマナミは、愛犬トモを強制収容所へ一緒に連れてくることができなかった精神的なショックが原因で、言葉を発することができなくなりました。口がきけなくなりました。
日系人家族たちは、強制収容所のなかで、体を動かしながら、「暮らし」をつくり始めました。
「マンザナの風にのせて」は、タナカマナミが遠くインディアナ州の大学に通う兄ロンと姉ケイコへ、強い風にのせて運んでもらった手紙のこと。兄と姉に、強制収容所へ「来てください」、「助けてください」という願いのこと。
タナカマナミは、だんだん自分を責め始めます。
ロザリー先生が、タナカマナミにくれたもの。それは、紙と鉛筆。人間は、鉛筆で紙に文字を書いたり、絵を描いたりすることで、生き続けることができることがあります。
姉ケイコは、兄ロンに軍隊への入隊を勧めます。
タナカマナは島に戻りたい。シアトルのベインブリッジ島の暮らしに戻りたい。笑うおじいちゃんと犬のトモが居た頃に戻りたい。トモは、「ともだち」の「とも」が名づけの由来。物語の根底に、著者の気持ちとして、戦争は嫌だの意思があります。
次は、章として、「7月」ですが、本のうしろにとんで、著者のあとがき、翻訳者のあとがきを読みました。
著者は、女性でした。読んでいるこれまで、男性だと思っていました。子ども時代をマンザナ強制収容所のすぐそばで過ごしたそうです。
翻訳者の話では、マンザナは、砂漠地帯で夏は気温40℃、冬は氷点下、マンザナとはスペイン語で「リンゴ園」だそうです。日本人家族の白黒写真が掲載されています。収容所の建物はコンクリートのビルではなく、木造平屋建てです。
収容所の収容人数は1万1000人ぐらい、ヨーロッパ戦線で敵国ドイツと戦って活躍した日系人部隊442連隊戦闘団というのは、別の課題図書「ある晴れた夏の朝」でも紹介されていました。
(つづく)
7月4日は、アメリカ合衆国の独立記念日です。
「忠誠の誓い:アメリカ合衆国への忠誠心を誓う。自由と正義」
飼い犬「トモ」へのこだわりが強い。
タナカマナミはなぜ置き去りにした愛犬トモに謝罪するのか。展開として、この物語は、最後にふたりは再会するのではないか。(再会はありませんでした)
タナカマナミが描いた絵手紙がマンザナの風にのって、兄や姉、愛犬トモに届くのです。ただ、それは幻想です。現実ではありません。
主人公の気持ちは高ぶって、せつなくなるのですが、それでも、失った声はもどりません。
お母さんと茶道の時間を過ごす。
正しい姿勢で静かにお茶をいただく。
声が出ますように。
ちびすけ犬の登場です。
犬は欲しいけれど、トモでないといけない。別の犬ではだめ。
収容所の中が、「町」へと変化、発展していきます。
記述は情緒不安定、感情的で、読んでいて、気持ちが沈んでくる内容です。しかし、戦争シーンとしての殺し合いはありません。
強制収容所への収容について考えると、日本国憲法の「居住の自由、移動の自由」がありがたい。憲法第22条に定めがあります。
収容所の中のタナカマナミの暮らしは、祖父、両親に囲まれて、健全です。
はっきりしないこととして、大学生の兄ロンは、強制収容所内で、子どもたちに勉強を教える役割を果たすのですが、日系人とはいえ、移動の自由があるようです。大学に戻ろうと思えば戻れる。しかし、戻らない。なぜかというと、女教師ロザリー先生と恋愛関係になったから。「恋愛禁止」のルールがあるようですが、ルールがあったとしても、恋愛を止めることはなかなかできません。
現実の事実として、マンザナ強制収容所内で収容者の暴動が起こるのですが、物語のなかで、ロンと不良中学生たちの関係が不明瞭です。不良中学生たちがなにか行為をしている。それをロンが注意をしている。
米国では7年生・8年生・9年生は、日本の中学1年生、2年生、3年生です。おとなからみればまだまだこどもです。強制収容所内の反体制派(都市部から来た日系人たち)の情報をメモでだれかに伝える伝令役(情報屋)をしているようです。米国組織に情報漏えいをしているとも思えないのですが、はっきりしません。米国に忠誠を誓わない違反行動があります。
ロンは、逮捕されたのではなく、保護されたと思いたい。
迷って敷地内に入ってきた三毛猫はアナベル・リーと名付けられる。ロザリー先生の飼い猫。
ユダヤ人狩りから逃れるために閉じこもったアンネ・フランクを思い出します。強制収容所という狭い空間の中の閉鎖的な世界とその悲劇です。
言葉を発することができなくなったタナカマナミのメンタルは落ち込みます。
それでも、登校拒否から脱出したようです。「学校に来られてほんとによかった」とタナカマナミは自分で思います。
あたりまえのふつうの生活ができなくなるのが「戦争」です。
たまねぎやニンニクを冬の寒さにさらす必要がある。人間も同じ。
見た目は日本人だけど、誓いの言葉どおりに、アメリカ人として誓うし、掲揚される国旗は、日の丸ではなく、星条旗です。
言論の自由がありません。
ロンが逮捕されて、強制収容所のなかで、秩序を乱す者の家族として、タナカマナミ一家は収容者から攻撃される対象になりました。一家のメンバーは、危害を加えられる可能性があります。ただ、ロンが逮捕された理由と罪名が明瞭ではありません。暴動の企画者なのか。逆に、密告者(スパイ)なのか。(自分なりに結局、無実の罪をかぶせられたという解釈にしました。だから、罪はないのです。ロンは、無罪です)
マンザナ日本人強制収容所に吹く風は、タナカマナミが描いた31枚の絵手紙を愛犬トモへ送りましたが、トモは現れてくれませんでした。
トモのことは思い出にして、新世界に一歩踏み出す時期がきました。
新しい飼い犬の名前が、シール(アザラシという意味)
新しい強制収容所アイダホ州のミニドカは寒い。
最後に、言論の自由がない国として、北朝鮮、その他独裁国家。
印象的だった表現の趣旨として、「(海岸で)おじいちゃんについていく。海の始まるところまで」、「今日があなたたちの最後の登校日です」、「「あなたたちが悪いんじゃない」、「あなたたちの登録番号は、104313(名前ではなく、数字で呼ばれるのは人間として屈辱です)」、「日本人でもアメリカ人でもあるけれど、日本人でもアメリカ人でもない」、「戦争とは、別れること」、「(おじいさんが自分は)長生きしすぎた」、「(おじいさんが)目を閉じれば、波の音が聞こえる(目を閉じれば、なんだって想像できる)」「シールはセージと土のにおいがする(飼い犬シールは、サルビア。香料と土のにおいがする)そして、犬は次の収容所へは連れていけない。だけど、連れて行くんだ。同じ過ちを二度は繰り返さない。戦争も同じ。タナカマナミは、ようやく、NO!と発声できました」
調べた言葉などとして、「畝:うね。畑の盛り上げた部分」、「ズッキーニ:きゅうりみたいな野菜」、「コリアンダー:マメみたいな丸い果実。スパイス」、「ドローナイフ:右と左にもつところがあって、その間がナイフになっている」、「灯篭:とうろう。戸外照明用具」、「ハニーローストナッツ:ピーナッツとはちみつの料理」
わかりにくい感想になってしまいました。
日系アメリカ人として生きる。意識はアメリカ人です。
戦争が起こると、複数の国籍のもとに生まれた人は悩みます。周囲も困惑します。いったいどっちの立場に立って戦場に挑むのか。だから、戦争をしてはいけないのです。
国籍は大事です。国籍があるから、その属する国の組織の中で、責任と権利を有するポジションに就くことができるのです。
「マンザナ」とは土地の名称で、アメリカ合衆国カリフォルニア州にあります。(2ページ目に地図があります)。
物語の舞台は、主人公の日系人一家が、第二次世界大戦中にそれまで住んでいたアメリカ合衆国ワシントン州シアトル・ベインブリッジ島から、カリフォルニア州内のマンザナに連れていかれて入れられた日系アメリカ人マンザナ強制収容所です。
周囲を有刺鉄線で囲われています。日系人は、アメリカ合衆国の敵国日本の関係者とされアメリカ人社会から隔離されたのです。
作者自身が観た風景からヒントを得て創作された物語です。文章はおもに一行書き流しで、詩集を読むようです。抽象的な記述で、事象がいまいち明瞭でない部分もあります。
主人公は、タナカマナミで、小学校高学年ぐらい。日本から来た移民の子孫で日系二世です。日本人ですが実質アメリカ人です。
おじいちゃんがいて、パパ、ママ、そして、飼い犬のトモがいますが、収容所に収容されるとき、犬のトモとはつらいお別れをします。ほかに、インディニア州のアラーム大学で学ぶ姉ケイコと兄ロンがいます。この物語は、愛犬トモとタナカマナミの絆が強調されている作品です。
タナカマナミの同級生たちが、出しゃばりのリョウ、それから、イシイキミです。
物語は、収容所に収容される前のベイブリッジ島で、農業を営む生活から始まりました。
読む前の知識として、アメリカ合衆国の戦時中の日系人収容所は、ドイツ軍によるユダヤ人の収容所とは異なって、日系人が他の人種から攻撃されないように保護が目的で収容したということもあるというものです。あと、日系人たちは、アメリカ人としての誇りをもっていて、米軍軍人として志願してヨーロッパ戦地でドイツ軍と戦ったと讃える記録があります。
「ワシントン州」は、首都ワシントンがある州ではなく、ワシントン州はアメリカ合衆国西海岸の北にある区域で、首都ワシントンは、東海岸の北にある都市で、別の場所です。
明治元年が1968年ですが、19世紀後半から日本からアメリカへの移民が始まり、書中ではハワイに20万人、アメリカ本土に18万人とあります。
1941年12月7日、第二次世界大戦で日本の宣戦布告が遅れた有名なハワイの真珠湾攻撃の日です。日本は卑怯者扱いされますが、事実としては、米国政府上層部の人間は、日本の米国に対する宣戦布告を事前に知っていて知らぬふりをして、国民の戦意高揚を図ったとほかの本で読んだことがあります。戦争ってむなしいものです。
物語は、3月から始まり、12月で終わる構成です。まだいまは、最後まで読み切っていません。
登場人物が増えてきたので、大きな紙にメモを始めました。
強制収容所内の様子が記述されます。区画、居住棟、人として、サトウさん一家。
主人公のタナカマナミは、愛犬トモを強制収容所へ一緒に連れてくることができなかった精神的なショックが原因で、言葉を発することができなくなりました。口がきけなくなりました。
日系人家族たちは、強制収容所のなかで、体を動かしながら、「暮らし」をつくり始めました。
「マンザナの風にのせて」は、タナカマナミが遠くインディアナ州の大学に通う兄ロンと姉ケイコへ、強い風にのせて運んでもらった手紙のこと。兄と姉に、強制収容所へ「来てください」、「助けてください」という願いのこと。
タナカマナミは、だんだん自分を責め始めます。
ロザリー先生が、タナカマナミにくれたもの。それは、紙と鉛筆。人間は、鉛筆で紙に文字を書いたり、絵を描いたりすることで、生き続けることができることがあります。
姉ケイコは、兄ロンに軍隊への入隊を勧めます。
タナカマナは島に戻りたい。シアトルのベインブリッジ島の暮らしに戻りたい。笑うおじいちゃんと犬のトモが居た頃に戻りたい。トモは、「ともだち」の「とも」が名づけの由来。物語の根底に、著者の気持ちとして、戦争は嫌だの意思があります。
次は、章として、「7月」ですが、本のうしろにとんで、著者のあとがき、翻訳者のあとがきを読みました。
著者は、女性でした。読んでいるこれまで、男性だと思っていました。子ども時代をマンザナ強制収容所のすぐそばで過ごしたそうです。
翻訳者の話では、マンザナは、砂漠地帯で夏は気温40℃、冬は氷点下、マンザナとはスペイン語で「リンゴ園」だそうです。日本人家族の白黒写真が掲載されています。収容所の建物はコンクリートのビルではなく、木造平屋建てです。
収容所の収容人数は1万1000人ぐらい、ヨーロッパ戦線で敵国ドイツと戦って活躍した日系人部隊442連隊戦闘団というのは、別の課題図書「ある晴れた夏の朝」でも紹介されていました。
(つづく)
7月4日は、アメリカ合衆国の独立記念日です。
「忠誠の誓い:アメリカ合衆国への忠誠心を誓う。自由と正義」
飼い犬「トモ」へのこだわりが強い。
タナカマナミはなぜ置き去りにした愛犬トモに謝罪するのか。展開として、この物語は、最後にふたりは再会するのではないか。(再会はありませんでした)
タナカマナミが描いた絵手紙がマンザナの風にのって、兄や姉、愛犬トモに届くのです。ただ、それは幻想です。現実ではありません。
主人公の気持ちは高ぶって、せつなくなるのですが、それでも、失った声はもどりません。
お母さんと茶道の時間を過ごす。
正しい姿勢で静かにお茶をいただく。
声が出ますように。
ちびすけ犬の登場です。
犬は欲しいけれど、トモでないといけない。別の犬ではだめ。
収容所の中が、「町」へと変化、発展していきます。
記述は情緒不安定、感情的で、読んでいて、気持ちが沈んでくる内容です。しかし、戦争シーンとしての殺し合いはありません。
強制収容所への収容について考えると、日本国憲法の「居住の自由、移動の自由」がありがたい。憲法第22条に定めがあります。
収容所の中のタナカマナミの暮らしは、祖父、両親に囲まれて、健全です。
はっきりしないこととして、大学生の兄ロンは、強制収容所内で、子どもたちに勉強を教える役割を果たすのですが、日系人とはいえ、移動の自由があるようです。大学に戻ろうと思えば戻れる。しかし、戻らない。なぜかというと、女教師ロザリー先生と恋愛関係になったから。「恋愛禁止」のルールがあるようですが、ルールがあったとしても、恋愛を止めることはなかなかできません。
現実の事実として、マンザナ強制収容所内で収容者の暴動が起こるのですが、物語のなかで、ロンと不良中学生たちの関係が不明瞭です。不良中学生たちがなにか行為をしている。それをロンが注意をしている。
米国では7年生・8年生・9年生は、日本の中学1年生、2年生、3年生です。おとなからみればまだまだこどもです。強制収容所内の反体制派(都市部から来た日系人たち)の情報をメモでだれかに伝える伝令役(情報屋)をしているようです。米国組織に情報漏えいをしているとも思えないのですが、はっきりしません。米国に忠誠を誓わない違反行動があります。
ロンは、逮捕されたのではなく、保護されたと思いたい。
迷って敷地内に入ってきた三毛猫はアナベル・リーと名付けられる。ロザリー先生の飼い猫。
ユダヤ人狩りから逃れるために閉じこもったアンネ・フランクを思い出します。強制収容所という狭い空間の中の閉鎖的な世界とその悲劇です。
言葉を発することができなくなったタナカマナミのメンタルは落ち込みます。
それでも、登校拒否から脱出したようです。「学校に来られてほんとによかった」とタナカマナミは自分で思います。
あたりまえのふつうの生活ができなくなるのが「戦争」です。
たまねぎやニンニクを冬の寒さにさらす必要がある。人間も同じ。
見た目は日本人だけど、誓いの言葉どおりに、アメリカ人として誓うし、掲揚される国旗は、日の丸ではなく、星条旗です。
言論の自由がありません。
ロンが逮捕されて、強制収容所のなかで、秩序を乱す者の家族として、タナカマナミ一家は収容者から攻撃される対象になりました。一家のメンバーは、危害を加えられる可能性があります。ただ、ロンが逮捕された理由と罪名が明瞭ではありません。暴動の企画者なのか。逆に、密告者(スパイ)なのか。(自分なりに結局、無実の罪をかぶせられたという解釈にしました。だから、罪はないのです。ロンは、無罪です)
マンザナ日本人強制収容所に吹く風は、タナカマナミが描いた31枚の絵手紙を愛犬トモへ送りましたが、トモは現れてくれませんでした。
トモのことは思い出にして、新世界に一歩踏み出す時期がきました。
新しい飼い犬の名前が、シール(アザラシという意味)
新しい強制収容所アイダホ州のミニドカは寒い。
最後に、言論の自由がない国として、北朝鮮、その他独裁国家。
印象的だった表現の趣旨として、「(海岸で)おじいちゃんについていく。海の始まるところまで」、「今日があなたたちの最後の登校日です」、「「あなたたちが悪いんじゃない」、「あなたたちの登録番号は、104313(名前ではなく、数字で呼ばれるのは人間として屈辱です)」、「日本人でもアメリカ人でもあるけれど、日本人でもアメリカ人でもない」、「戦争とは、別れること」、「(おじいさんが自分は)長生きしすぎた」、「(おじいさんが)目を閉じれば、波の音が聞こえる(目を閉じれば、なんだって想像できる)」「シールはセージと土のにおいがする(飼い犬シールは、サルビア。香料と土のにおいがする)そして、犬は次の収容所へは連れていけない。だけど、連れて行くんだ。同じ過ちを二度は繰り返さない。戦争も同じ。タナカマナミは、ようやく、NO!と発声できました」
調べた言葉などとして、「畝:うね。畑の盛り上げた部分」、「ズッキーニ:きゅうりみたいな野菜」、「コリアンダー:マメみたいな丸い果実。スパイス」、「ドローナイフ:右と左にもつところがあって、その間がナイフになっている」、「灯篭:とうろう。戸外照明用具」、「ハニーローストナッツ:ピーナッツとはちみつの料理」
わかりにくい感想になってしまいました。
日系アメリカ人として生きる。意識はアメリカ人です。
戦争が起こると、複数の国籍のもとに生まれた人は悩みます。周囲も困惑します。いったいどっちの立場に立って戦場に挑むのか。だから、戦争をしてはいけないのです。
国籍は大事です。国籍があるから、その属する国の組織の中で、責任と権利を有するポジションに就くことができるのです。
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