ルビンの壺が割れた 宿野かほる 新潮社

 まず、タイトル「ルビンの壺が割れた」の意味を解せませんでした。「パンドラの箱を開けてしまった。」を最初にイメージしました。読んでみて、似たような内容でした。開けてはいけないものを開けてしまった。秘密が暴露された。

 読み終えて、悲しい読後感がある作品でした。なんだか、だまされたような気もします。どうしても、結末が可視状態で見えてしまうものですから、途中でてんまつに気づけてしまいます。読みこむとさらに話は複雑ですが、大量の書物に目を通してきた者にとっては珍しい内容ではありません。結論ありきで進行していく内容でもあります。

 同じ人間が1人称でふたりの人間を表現していることがわかる文章運びです。文章量が多い部分は病的なものを感じます。登場するのは、フェイスブックをやっている結城美帆子と水谷一馬53歳のふたりです。
 手段はいまどきのメールですが、していることは古臭い文通形式です。
 30年前の出来事。書中にもありますが、いまさらという雰囲気があります。

 以下、読書の経過です。
 思い出話が続きます。
 なんのためにこんなことをしているのだろう。
 女性にとっては迷惑だろうに。
 30年前の好意がいまもあるわけか。あまり気持ちのいいものではありません。
 フェイスブックというものがどんなものか知りませんが、実名を出して再会ができるようです。
 SNSの盲点、落とし穴のような気がします。

 水谷一馬の愚痴めいた話が続きます。
 聞かされてもどうしようもありません。
 「メッセンジャー」というのは、アプリケーションソフトなのだろう。
 
 水谷一馬の言葉からは、「自分はいい人だ。だから、周囲にいる人は、自分が何をしても、何を言っても許してくれる。」という甘えが伝わってきます。「依存」があります。実話がヒントになった作品のような気がします。

 途中、結婚式場に来なかった美帆子の理由が気になります。理由は、なかなか明らかになりません。
 幸福感を味わえる内容ではありません。
 30年前のことが続きますが、その後の30年間が空白です。

 120ページ付近の記述はクエスチョンでした。就職難について書いてあるのですが、今は人手不足の時代です。雇用はあるけれど正規社員に就けないということだろうか。

 作者は50代男性のような気がします。

 自己欺瞞:じこぎまん。自分を正当化する。

 もうひとつ、読みながら気になっていたこととして、美帆子はなぜすぐフェイスブックをやめなかったのか。(あとでわかります。)

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