2018年06月27日

じっと手を見る 窪美澄

じっと手を見る 窪美澄 幻冬舎

 お気に入りの作家さんです。以前読んだ「青天の迷いクジラ」が映像化されないかと願っているんですが、どうもその様子はありません。
 これは直木賞候補作品です。できるなら受賞してほしい。短編7本の構成となっています。

「そのなかにある、みずうみ」
 まあ、セクシュアルな文脈がいずれの作品でもみられるのですが味わいがあります。年寄りになると悟るのですが、若いときはみずみずしいけれど、老齢に近づくと枯れて水気がなくなってかさかさで残るのはユーモアだけです。
 幼稚園前に両親を交通事故で亡くして祖父に育てられた園田日奈さん24歳介護士のお話です。さみしさがしくしくと伝わってきます。目的を直接的に表現しない手法の作家さんです。

「森のゼラチン」
 ゼラチンとは、ゼリーのもと。コラーゲン。
 今度は、園田日奈の相方(けして恋人ではない)海斗たぶん26歳の語りです。
印象に残った部分として「朝顔の種」、「結婚なんて人生の墓場」
介護施設入所中の高齢者じいさまにお乳をもまれた介護職高島さんの主張において、畑中さん(胸が大きい女性)を表に出す手法は論点がおかしい。悪いのはじいさま。
「トゥイーティー:アニメに登場する黄色い鳥のキャラクター」
クレイジーだけれどおもしろい。

「水曜の夜のサバラン」
 サバランとは、フランスの焼き菓子。プリンみたいな形状のてっぺんに生クリームがのっている。
 新人介護士畑中さんの語りです。(バツ1、元夫が引き取った子5歳男児あり)
 読んでいると気持ちが暗くなる内容です。本人の素行の悪さは貧困から始まり自分の夢を果たせない家庭環境からきている。あわせてグラマラスな肉体に引き寄せられてくる男たちに幸福を壊される。虐待するほうの母親の気持ちが表現されています。悲惨です。記述はすごいなあ。人は哀しい。
 対して、対照的な人物として、真面目で純真、女性としての魅力が低い高島という若い介護士が立ててあります。彼女は自分は正しい、あなたが間違っているの一点張りをする人です。
 本音があって、それを覆い隠すきれいごとがある。おとなだなぁ。幸せってなんだろう。

「暗れ惑う虹彩(くれまどうこうさい。瞳の薄い膜)」
 富士山のことがたいていの短編に登場します。登場人物たちがいまいるのは、山梨県か静岡県だと思いますが、わかりませんし、わかる必要もあまりないような気がします。
 いじめられて登校拒否中の女子中学生が出てきます。児童虐待とか登校拒否のひきこもりなどいまどきの社会問題がこの本の素材です。
 胸に迫った表現の要旨として、「生の終わりの決定権をだれももっていない。」、「死ぬのにどうして生まれてきたの」
 時間の経過をぐっと感じました。

「柘植のメルクマール(つげのメルクマール:常緑低木。中間地点の目印)」
 宮澤(31歳ぐらいの男性)のひとり語りです。生い立ちから現在までの経過です。良くもあり。悪くもあり。
 別居中の妻との関係、浮気のようでそうではない若い女性との関係、それらをとりまく人間関係。金持ちの家に生まれて、貧困な暮らしに転落していく、いっぽう、生まれてからずっと貧しい暮らしの人もいる。
 ランドマークとして、「富士山」、「東京タワー」、防潮堤の記事が出てくるのですが、静岡県浜岡原発付近の新設防潮堤をさすのではないかと察しています。
 人生のランドマークの時期にあるものとしてのメルクマール。この短編の場合、あまりいいものではない。いい時期でもない。
 雑草の強さが、園田日奈(24歳ぐらい)の強さです。
 
「イベントのフライヤー:一枚刷りのチラシ、ビラ」、「曖昧模糊:あいまいもこ。ぼんやりしてはっきりしない。」

「じっと手を見る」
 「清々とした気持ちになる。」。せいせいしたという言い方をしますが、漢字は知りませんでした。新鮮でした。さっぱりした。すっきりした。
 内容は暗い。底の生活です。
 現在(いま)は、人生の途中経過にある。手に皺が年輪のように刻まれていく。

「よるべのみず」
 最後の短編です。
 ベースに介護士の生活がありました。
 排泄の処理はしたくない。赤ちゃんのものはしたことがありますが(自分のこどもだけ)、年寄りのものはしたくない。ましてや、自分がされる側にはなりたくない。排泄処理が目的で施設には入りたくない。
 気に入った表現の主旨です。「毎月第三金曜日の夜に来れる人だけでやる専門学校の同級生会。ゆるいルールの飲み会」、「触れられたくないことをだれもがかかえている。」、「勉強ができても仕事ができなければむなしい」、「なにかに反対することだけがストレス発散の方法」、「体重はあの頃の二倍」、「立ち退き後に残る庭部分の土地はどうするの。」
 住み慣れた古い家を道路拡張の立ち退きで取り壊す。それまでの人生と古い家の存在を重ねる。この短編は、これまでの6本の短編をまとめる内容です。
 「掃き出し窓:庭、ベランダに出ることができる窓」
 未婚、子どもなし、両親すでに死去、祖父母もいない。ひとりぼっちの女子。自分一人で生きていくために必要なものはとりあえず「お金」。
 介護を受けている村松さんの息子俊太郎君の言い分は甘えに思える。彼はドロップアウト(転落者)。
 園田日奈(短編第一編では24歳、七編目の今は30歳過ぎ)は、漂流中にしがみつく材木を「男」と表現する。「私のからだはよるべない:頼りにできる親類縁者がいない。孤独で不安」、「自分のことをよるべないと思う夜」
 「デイルーム:病院、施設の面会部屋、娯楽室、談話室」、「しろつめ草:多年草」
 場所は富士急ハイランドの近くだろうか。
 「朝顔」、第二編森のゼラチンで登場した朝顔が、伏線として、ここで再登場します。
 いい終わり方です。しみじみとしました。暗い話ですがいい小説でした。物語は6年間かけてできあがっています。

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