2018年06月08日
こんぴら狗(こんぴらいぬ) 今井恭子
こんぴら狗(こんぴらいぬ) 今井恭子(いまい・きょうこ) くもん出版 2018課題図書
「こんぴら」とは、四国香川県にある金毘羅さんという神社で、わたしは19歳のときに行ったことがあります。四国半周野宿の車旅でした。こんぴらさんは、長い階段を登り詰めて、山の頂上に拝むところがありました。足が痛くてへとへとになりました。書中にもありますが、「海の神さま」がまつられています。江戸時代にワンちゃんが江戸から四国まで歩いて、さらにあの延々と続く階段を登ったとは、簡単には信じられません。本の帯では、途中から犬一匹で行って帰ってきたように書いてあります。ほんとかな?
「狗」は、犬です。この物語では、江戸時代の後期、(明治維新が1868年で、この物語の設定が1820年です。明治維新となる48年前に物語はスタートです。
犬が江戸から四国の金毘羅山までお参りすることは、この本を読んで初めて知りました。お伊勢参りは一般的で、たぶん、犬の伊勢参りもあったのでしょう。
この物語では、最初、犬のみが金毘羅参りをしたのかと、そんなことができるわけがないと、そんな気持ちで読み始めました。
捨て犬だった「ムツキ(睦月、1月生まれだからの意味)」オス犬が、病気になった飼い主小杉弥生16歳の病気が治りますようにとお参りして願うため、犬の飼い主の知り合いのご隠居さん(美陶園という瀬戸物問屋の人)とひとりと一匹のふたり旅で四国を目指します。
まだ、106ページを読んでいるところなので、これから感想を継ぎ足していきます。
日本人は心豊かな民族です。ここまで読んでそう思いました。江戸時代の人たちは心が優しい。親切です。それだけ、世の中が安定していたのでしょう。
犬が、江戸から四国のこんぴらさんまで、お参りできるのです。そんな安全な国はなかなかありません。
この本ではありませんが、江戸時代に滞在した外国人の手記を数冊読んだことがあります。世界各地を旅行したけれど、日本が一番いい国だと評価されていました。自然が豊かで海の幸(さち)、山の幸に恵まれている。士農工商という身分制度はあるけれど、人々はそれほどこだわっていない。上下関係の意識は薄い。外国では権力者が豪華絢爛な家に住んでいるが、日本の権力者武士は質素な生活をしている。そんな権力者は世界で見たことがないと感嘆していました。
だれかの代わりにお参りをする犬を「こんぴら狗(いぬ)」といって、周りの人はその犬を大事にしたそうです。
お寺さんは、昔、今でいうところの旅館とかホテルの役割を果たしていました。だから、広い畳の間(ま)があります。旅人はそこで、寝たのでしょう。
山の神がいて、海の神がいる。八百万の神(やおよろずのかみ)といって、いろいろなものに神さまが宿っている。
「かわいい子には旅をさせろ(将来のために苦労させなさい。)」という言葉を思い出しました。
参考になります。江戸時代の人は、1日十里(4km×10)40kmも歩く。日の出2時間前に宿を出て、10時間ぐらい歩く。江戸からこんぴらさんまで、670kmです。17日間かかりますが、途中、大雨が降れば、川を渡れない時もあります。しかも、往復しなければなりません。
57ページ付近、作者が犬のムツキに成り代わります。
「上弦の月:月の形がDの形の半月。反対が下弦の月。弓の弦のあるほうをさす。」、「上がり框:あがりがまち。玄関、靴を脱いであがる部分のふち。」、「四半時:しはんとき。いっときが2時間。半時が1時間、4半時が30分間」
親切で優しい江戸時代の人たちです。
4月8日江戸を出発しました。9日が品川です。
小田原に箱根越えの山駕籠(やまかご)があったそうな。ほうという気持ちになりました。初めて知りました。ただ、かごよりも歩いた方が楽だとあります。かごは揺れがひどいらしい。箱根の関所は観光で何度か行きました。思っていたより小さな建物でした。
街道を歩きながらたくさんの名物食べ物が出てきます。おもち、うなぎ、焼きハマグリ、とろろ汁、富士山の景色もいい。
読んでいると新しい知識が増える本です。へーと思うことがあります。はたごへの連泊は許されなかった。病気で連泊するときは役所に届けが必要だった。朝食後はさっさと出発しなければならなかった。
「無常:むじょう。人の世ははかない。」 118ページ付近は暗い雰囲気です。ご隠居さんがいなくなる。犬一匹になる。
50代での、こんぴらさん参りは酷です。当時の平均寿命は50代ではなかろうか。旅の別れが人生の別れになってしまいました。
4月29日三重県鈴鹿あたりまで来ました。ご隠居さんは病気で亡くなりました。さて、犬一匹となったムツキはどうするのでしょう。
新名神高速道路は何度か車で走ったことがあります。「土山(つちやま)」というサービスエリアで休憩をした覚えがあります。山の中にあるきれいな施設でした。この本は地理の勉強にもなります。ときおり、本の最初にある地図を見ます。こんぴらさんは遠いなー 冒険小説を読むような雰囲気もあります。
ご隠居が亡くなって、ムツキのことをムツキと呼ぶ人がいなくなった。その部分で、犬の大変さが伝わってきます。名無しの犬になってしまいました。
般若心経(はんにゃしんぎょう) 仏教の経典(きょうてん。お釈迦様の教え)
かんじーざいぼさつ、ぎょうじんはんにゃはらみたじ、しょうけんごーおんかいく …… ぎゃちぎゃてい、はらぎゃてい…
ムツキは、托鉢の(たくはつ)のお坊さん玄祐、次に、偽薬売りの孫市についていく。大坂到着です。(昔は、大阪ではなく、大坂だった。)
5月13日、船の旅の始まりです。「こんぴらふねふね… 」の歌は久しぶりに目にしました。なつかしい。
ムツキは芸者さん3人(女将さん(おかみ)さん、オトシ、チエ)についていきます。3人が中心になって、船の上で三味線伴奏で乗船客みんなでの大合唱のシーンが良かった。
「讃岐富士:香川県飯野山いいのやま。標高420mぐらい。」
5月19日、こんぴらさん到着。199ページ、犬のムツキがこんぴらさんの階段をのぼる絵は、まるで、人間がへとへとになって登っている姿に似ていて笑えました。
大工の健太についていくムツキです。健太の速い歩行スピードが素敵です。
6月4日まできました。江戸を出発したのは4月8日でしたから、2か月ぐらいが経過します。
ムツキは、奥川澄枝さんという江戸の女の人(油問屋のおかみさん)のグループと一緒になります。お伊勢参りの戻りの人です。目の見えない息子さん宗郎(むねおさん)と手代(てだい、従業員)善七さんと一緒です。むねおさんは、ムツキを「茶々丸」と名付けます。こどもにとって、犬はともだちです。ムツキは目の見えないむねおさんの心のいやしとなり、やがて、盲導犬のような存在になります。
6月17日、どうやら江戸に到着です。愛知、静岡あたりの地名は身近で物語に親しみが湧きます。おつかれさま。
「姫街道:ひめかいどう。東海道の脇街道。浜名湖の北側を通る。」
江戸時代の観光案内ブックを読むようです。
1825年、ムツキの飼い主亜矢さんは、結婚して妊娠します。ムツキがこんぴらさんに行ってから5年が経過しました。
「こんぴら」とは、四国香川県にある金毘羅さんという神社で、わたしは19歳のときに行ったことがあります。四国半周野宿の車旅でした。こんぴらさんは、長い階段を登り詰めて、山の頂上に拝むところがありました。足が痛くてへとへとになりました。書中にもありますが、「海の神さま」がまつられています。江戸時代にワンちゃんが江戸から四国まで歩いて、さらにあの延々と続く階段を登ったとは、簡単には信じられません。本の帯では、途中から犬一匹で行って帰ってきたように書いてあります。ほんとかな?
「狗」は、犬です。この物語では、江戸時代の後期、(明治維新が1868年で、この物語の設定が1820年です。明治維新となる48年前に物語はスタートです。
犬が江戸から四国の金毘羅山までお参りすることは、この本を読んで初めて知りました。お伊勢参りは一般的で、たぶん、犬の伊勢参りもあったのでしょう。
この物語では、最初、犬のみが金毘羅参りをしたのかと、そんなことができるわけがないと、そんな気持ちで読み始めました。
捨て犬だった「ムツキ(睦月、1月生まれだからの意味)」オス犬が、病気になった飼い主小杉弥生16歳の病気が治りますようにとお参りして願うため、犬の飼い主の知り合いのご隠居さん(美陶園という瀬戸物問屋の人)とひとりと一匹のふたり旅で四国を目指します。
まだ、106ページを読んでいるところなので、これから感想を継ぎ足していきます。
日本人は心豊かな民族です。ここまで読んでそう思いました。江戸時代の人たちは心が優しい。親切です。それだけ、世の中が安定していたのでしょう。
犬が、江戸から四国のこんぴらさんまで、お参りできるのです。そんな安全な国はなかなかありません。
この本ではありませんが、江戸時代に滞在した外国人の手記を数冊読んだことがあります。世界各地を旅行したけれど、日本が一番いい国だと評価されていました。自然が豊かで海の幸(さち)、山の幸に恵まれている。士農工商という身分制度はあるけれど、人々はそれほどこだわっていない。上下関係の意識は薄い。外国では権力者が豪華絢爛な家に住んでいるが、日本の権力者武士は質素な生活をしている。そんな権力者は世界で見たことがないと感嘆していました。
だれかの代わりにお参りをする犬を「こんぴら狗(いぬ)」といって、周りの人はその犬を大事にしたそうです。
お寺さんは、昔、今でいうところの旅館とかホテルの役割を果たしていました。だから、広い畳の間(ま)があります。旅人はそこで、寝たのでしょう。
山の神がいて、海の神がいる。八百万の神(やおよろずのかみ)といって、いろいろなものに神さまが宿っている。
「かわいい子には旅をさせろ(将来のために苦労させなさい。)」という言葉を思い出しました。
参考になります。江戸時代の人は、1日十里(4km×10)40kmも歩く。日の出2時間前に宿を出て、10時間ぐらい歩く。江戸からこんぴらさんまで、670kmです。17日間かかりますが、途中、大雨が降れば、川を渡れない時もあります。しかも、往復しなければなりません。
57ページ付近、作者が犬のムツキに成り代わります。
「上弦の月:月の形がDの形の半月。反対が下弦の月。弓の弦のあるほうをさす。」、「上がり框:あがりがまち。玄関、靴を脱いであがる部分のふち。」、「四半時:しはんとき。いっときが2時間。半時が1時間、4半時が30分間」
親切で優しい江戸時代の人たちです。
4月8日江戸を出発しました。9日が品川です。
小田原に箱根越えの山駕籠(やまかご)があったそうな。ほうという気持ちになりました。初めて知りました。ただ、かごよりも歩いた方が楽だとあります。かごは揺れがひどいらしい。箱根の関所は観光で何度か行きました。思っていたより小さな建物でした。
街道を歩きながらたくさんの名物食べ物が出てきます。おもち、うなぎ、焼きハマグリ、とろろ汁、富士山の景色もいい。
読んでいると新しい知識が増える本です。へーと思うことがあります。はたごへの連泊は許されなかった。病気で連泊するときは役所に届けが必要だった。朝食後はさっさと出発しなければならなかった。
「無常:むじょう。人の世ははかない。」 118ページ付近は暗い雰囲気です。ご隠居さんがいなくなる。犬一匹になる。
50代での、こんぴらさん参りは酷です。当時の平均寿命は50代ではなかろうか。旅の別れが人生の別れになってしまいました。
4月29日三重県鈴鹿あたりまで来ました。ご隠居さんは病気で亡くなりました。さて、犬一匹となったムツキはどうするのでしょう。
新名神高速道路は何度か車で走ったことがあります。「土山(つちやま)」というサービスエリアで休憩をした覚えがあります。山の中にあるきれいな施設でした。この本は地理の勉強にもなります。ときおり、本の最初にある地図を見ます。こんぴらさんは遠いなー 冒険小説を読むような雰囲気もあります。
ご隠居が亡くなって、ムツキのことをムツキと呼ぶ人がいなくなった。その部分で、犬の大変さが伝わってきます。名無しの犬になってしまいました。
般若心経(はんにゃしんぎょう) 仏教の経典(きょうてん。お釈迦様の教え)
かんじーざいぼさつ、ぎょうじんはんにゃはらみたじ、しょうけんごーおんかいく …… ぎゃちぎゃてい、はらぎゃてい…
ムツキは、托鉢の(たくはつ)のお坊さん玄祐、次に、偽薬売りの孫市についていく。大坂到着です。(昔は、大阪ではなく、大坂だった。)
5月13日、船の旅の始まりです。「こんぴらふねふね… 」の歌は久しぶりに目にしました。なつかしい。
ムツキは芸者さん3人(女将さん(おかみ)さん、オトシ、チエ)についていきます。3人が中心になって、船の上で三味線伴奏で乗船客みんなでの大合唱のシーンが良かった。
「讃岐富士:香川県飯野山いいのやま。標高420mぐらい。」
5月19日、こんぴらさん到着。199ページ、犬のムツキがこんぴらさんの階段をのぼる絵は、まるで、人間がへとへとになって登っている姿に似ていて笑えました。
大工の健太についていくムツキです。健太の速い歩行スピードが素敵です。
6月4日まできました。江戸を出発したのは4月8日でしたから、2か月ぐらいが経過します。
ムツキは、奥川澄枝さんという江戸の女の人(油問屋のおかみさん)のグループと一緒になります。お伊勢参りの戻りの人です。目の見えない息子さん宗郎(むねおさん)と手代(てだい、従業員)善七さんと一緒です。むねおさんは、ムツキを「茶々丸」と名付けます。こどもにとって、犬はともだちです。ムツキは目の見えないむねおさんの心のいやしとなり、やがて、盲導犬のような存在になります。
6月17日、どうやら江戸に到着です。愛知、静岡あたりの地名は身近で物語に親しみが湧きます。おつかれさま。
「姫街道:ひめかいどう。東海道の脇街道。浜名湖の北側を通る。」
江戸時代の観光案内ブックを読むようです。
1825年、ムツキの飼い主亜矢さんは、結婚して妊娠します。ムツキがこんぴらさんに行ってから5年が経過しました。
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