2017年06月15日

大きくなる日 佐川光晴

大きくなる日 佐川光晴 集英社

 短編9本の連作で、相互に関連をもちながら、ファミリーのありようを表現した作品のようです。最初の3本を読んだところで、感想を書き始めます。(その後、2本目をとばして3本目を読んでしまったことに気づきました)

 第1話「ぼくのなまえ」は読んでもおもしろくなかったのですが、続けて(第3話)「水筒のなかはコーラ」で、日本人男子のフィリピン人妻とそのこどもたちが登場してから読む興味が増してきました。

一話ごとに一人称でかたられていくようです。1話は、小学校4年生横山太二(たいじ)くんの感想、2話は、フィリピン人妻マリルウさん(息子ロニー小学校3年生、夫は学校事務職)の日本とフィリピンに寄せる思いです。

 読んでいると、じぶんがこどもの頃にも、こういうことがあったと、記憶を呼び起こしてくれる物語です。
 「アイナコー」は、フィリピノ語で、「まったく、もう!」、なんかいい感じ。
 故郷「ネグロス島」も、どこかで聞いたことがあるような島の名前。
 横山太二の看護師母親が、マリルウさんにかけた言葉「こまったことや、わからないことがあったら、遠慮せずに相談にきてくださいね」は、優しい。
 “日本人の男は、子育ても家事も老母の介護も妻にまかせきり”は、耳に痛い。
 “日本人は、よそものに対して、実に冷たい。のけ者にする”対して、フィリピン人は、大家族で明るくにぎやか。(この部分、なんだか、昔の日本人家族の暮らしを読むようでした。)

 夫がいます。夫は、自立できていません。妻への依存心強し。よくある男性像です。

 きょうだいの「いる」、「いない」があります。うーむ。兄弟がいることの肯定と賛同は普通そうなのでしょう。
 
 家族が支えあう。そこのところができない家族は多い。
 衝突しながらでも、最後は、ひとつになるのが「家族」

 年寄りの死の迎え方があります。地域包括ケア、今は、病院で死ぬのではなく、自宅で死ぬ時代です。

 「80歳」は、いまどき、「高齢」ではない。

 「もっと勉強がしたい」は、夢です。理想です。だから、泣けます。

(つづく)

 その後の短編を読み継いでいます。
 1点目としては、どのお話も、「人情話」です。だから読後感がすっきりします。
 こうあったらいいなという理想で、お話が終わります。現実を忘れて、読むのがコツです。でも、現実はうまくいきません。

 答えがないとう答えにいきつくところも感じがいい。

 2点目として、本に書かれていることがらの内容は、自分にとっては、「もう過去のこと」です。
 名残惜しいとは思いません。
 「もう終わったこと」という感想があるのみです。
 しんどい期間は、過ぎてみれば、あっという間でした。
 
(つづく)

 こどもたちの成長時期をとらえた家族像の物語でした。
 人間は、長い人生のうちのどこかで複数回、ひどくつらい思いをしなければならないときがあります。それは、身近な人の死だったりもします。
 つらくても耐えて、つらいことを忘れて、未来を考えるしかありません。

以下、心に響いた文節です。 「ワンボックスカーの輸送力(サッカーチームで、こどもたちや道具を運ぶ。親が運営する)」、「燃え尽き症候群(スポーツに打ち込みすぎて、スポーツがやれなくなる)」、「サッカー(ボールに触れないプレーヤーが出てくる)と野球(だれもがバッターボックスに立てる公平感がある)の比較」、「家庭環境は改善が可能だが、運命を自力で変更することは不可能」、「いつか、あのひとの子どもを産みたい」、「男の子は元気が一番」

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