2017年05月21日

耳の聞こえないメジャーリーガーウィリアム・ホイ 2017課題図書

耳の聞こえないメジャーリーガーウィリアム・ホイ ナンシー・チャーニン 光村教育図書 2017課題図書

 短い文章の絵本形式伝記だったので、2回読みました。
 100年ぐらい前、アメリカ合衆国に実在した耳の聞こえない(障害者)プロ野球選手のお話でした。野球のサインプレーが始まった理由のひとつに、耳が聞こえない選手、ひいては、観客のために、言葉ではなく、動作で表現をするように工夫がなされ、さらに、その手法が戦略形成に寄与したという流れです。
 
 この本を書いた人は女性です。
 本のカバーを見ると、ニューヨーク州生まれ、野球好き、夫と4人の息子、2匹の猫と暮らしているとあります。
これが日本だと、どこそこ大学卒、なんとかかんとかと自慢が続きます。その点で、好感をもちました。

 1876年に開始されたメジャーリーグに、この本の主人公聴覚障害者(1862年生まれ。3歳で髄膜炎ずいまくえん・脳の病気で耳が聞こえなくなる)ウィリアム・エルワース・ホイは、神さまから与えられた環境の中で、努力を積んで、1888年26歳ぐらいでワシントン・ナショナルズに入団します。その後、イチロー選手のように、盗塁上手、フォアボールの選球眼良し。外野からの遠投が上手なプレー(ロングスローでホームベース上でランナーをアウトにする)を披露したと本の後半に書いてありました。才能に恵まれたことを夢として実現した彼なりの人生を生き通した偉大な人とみました。そして、99歳の長寿で永眠されています。人生とは、終わってみないとわからないものです。病気で障害をもった不幸ではないのです。
 彼はアメリカ人にしては小柄でした。180cm以上はある選手の中で、168cmぐらいしかありませんでした。ただし、どの種目においても、本物の選手にとって、身長が何センチなんて、関係がないようです。

 彼を支えたことのひとつに母親からの愛情があります。
 筆談や手話が出てきます。手話は野球のサインプレーを生むきっかけになったと推測します。
 本のなかでは、いじめにあったウィリアムがおかあさんからの手紙を読んで励まされます。

 絵が、単調なようで、実はそうではなくリアル(現実的、写実的、写真みたい)です。絵が生きています。

言葉の意味です。「メジャーリーガー:米国プロ野球リーグであるメジャーリーグに所属する選手」

 日本においては、昔、甲子園の高校野球大会に出たかった聾学校高校生を描いた邦画を見た覚えがあります。
たしか、「遥かなる甲子園」というタイトルで、漫画が原作で、舞台は沖縄県だったと思います。
聾学校(ろうがっこう)の高校生が、甲子園で高校野球を観戦して自分も参加したいと思い立ったのですが、耳が聞こえないからプレー中の交錯プレーで「危険」だと判断されたのです。
この本の選手のことを思うと、「バリアフリー(意識でも設備でも)」が大切だと思わされるのですが、事故がおきて賠償問題を避けたがるのはいたしかたない面もあります。人というものは、責任を追及される場になると逃げるものです。潔く謝罪する人は少ない。

 そして、人には差別したい習性があります。標準化されていないものを攻撃します。弱い者いじめもします。同じ人間でも、立場がときどき入れ替わることには、そのうち気づきます。人は人を見下してストレスを解消するのです。だから、人は強いものになろうとします。
 勝負事では、勝たねばなりません。勝つ。いいプレーをする。そうするとチームメイトが集まってきて支えてくれます。

 工夫があれば、生き抜ける。ストライクなら右手を大きく真上にあげる。ボールなら左手を横に水平に伸ばす。
 「対立」よりも「協調」を選択して目指す。
 学校時代は野球選手になれなかったメジャーリーグ選手のウィリアム・ホイは、同じくスポーツ選手を目指した障害者の人たちの目標になったことでしょう。心の中に存在する英雄的存在であったことでしょう。

 そして、「愛情」です。スポーツに対する愛情、選手に対する愛情、球団に対する愛情が相互にからみあって、優勝にたどり着けます。
 ウィリアム・ホイは、同じく耳が聞こえないという障害をもつ聾学校の先生と結婚しています。そして、こどもさんたちを育てています。これらが、実話であることがすごい。野球界を引退したあとは、聴覚障害のある労働者で野球チームを結成しています。表彰に値する偉大な人です。

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