応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱 呉座勇一

2017年05月13日

Posted by 熊太郎 at 17:11│Comments(0)TrackBack(0)読書感想文
応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱 呉座勇一 中公新書

 よく売れている本です。
 冒頭付近から100ページまで読んだところで、感想を書き始めます。
 40代の頃、たびたび訪れた、奈良、京都、大阪河内地方が舞台で、権力闘争のための争いが続きます。詳しい対立構図を把握できるまでの精読は、今はできないので、ゆっくり流し読みをしています。
 時は、1467年から1477年ぐらいの10年間が応仁の乱とあります。以降100年間戦国時代が続く。学者のひとりは、その効果として、最下級の者が古来の秩序を破壊してのしあがることができた時代としています。下剋上(げこくじょう)です。
京都を二分して西軍山名宗全と東軍細川隆元の対立。8代将軍没後の足利義政の弟義視と義政の妻の子義尚との対立。一条院と大乗院の対立。奈良興福寺(北朝方、武家方)がからみます。
京都相国寺(しょうこくじ)も出てきます。
僧呂「経覚きょうかく、実家は九条家。西軍寄り」と「尋尊じんそん、父は一条兼良」の日記がこの本の根拠になっているとあります。
 僧侶は武装集団の兵隊で、仏の道を説くイメージとはかけはなれています。
 出自とか血筋、系図が重要視される時代です。(下剋上とは食い違います。)
 人(人事権)、物(領地)、金(年貢)をめぐる激しく厳しい権力闘争があります。だれかを象徴として立てて盛り上げていく手法です。

(つづく)

 越前の朝倉(この頃からあったのか)

 「身分秩序の維持強化が社会の安定、平和につながる」、そのために無駄に見える公共事業を実施する。その尋尊(じんそん)の考えには一理あります。

 「厭戦気分:えんせん気分。もう戦いはいやだと思う。だれしもそうです。」

 西暦1400年代のことです。虚偽の情報が流れたりもします。現在のように、ネットワークシステムはありませんし、テレビもラジオも新聞もありません。
 この人がだれなのかを特定したり証明したりすることも難しかったのではないかと察します。
 読みながら「組織の寿命」について考えました。

意味不明だった言葉として、「別当:別にそのことを担当する。書中では、興福寺別当」、「調略:ちょうりゃく。政治的攻略」


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