2017年04月09日

劇場 又吉直樹

劇場 又吉直樹 新潮2017年4月号

 まだ、読みかけたところです。増刷版で手に入れました。
 評判はいい。前作「火花」より充実しているそうです。
 前知識から、舞台は、北海道小樽にあった劇場だと早合点していました。東京都内の劇場です。素材としての小樽でしょう。

 出だしよし。印象に残る「まぶた」の話から導入しました。

 8月、しょぼい底辺の生活です。
 まともに9時-5時の仕事ができない舞台芸術家を目指す貧困な若者たち。金にならない演劇に生活活動を集中させる。おとなからみると、距離をおきたくなる。ただ、こういうタイプの男子は多い。

 男がいて、女がいて、出会いがあった。

 伏線として「靴」がある。「靴」は、見た目が違っていても、はいている人がもっている「個性」が同じ(似ている)ということはある。

(つづく)

 脚本を書いている大阪出身の主人公男子永田と女優を目指している青森出身の沙希です。
手づくり劇団のプロデューサーが、永田の中学時代からの同級生野原です。
沙希には魅力があります。しかし、永田が書く脚本の内容は良くない。そんなアンバランスがあります。物語は落ち着いた雰囲気で淡々と進んでいきます。
昔のフォークソングで、かぐや姫の「神田川」を聴いているようです。

 みんな役者志望者だから、討論しているときも演じているのではないかという懐疑心(信頼できないと思う気持ち)が生まれます。

(つづく)

 エロいシーンがないのはGoodです。(もう村上春樹作品は読まない)
 沙希には、永田に対する愛情がある。しかし、永田には、沙希に対する愛情がない。そこは、Badです。読み手は永田に、「ちゃんと働けよ!」と抗議します。とくに永田の沙希に対する責任追及行動はDV(男女間暴力)に該当します。この本は、恋愛小説ですが、女子から男子への一方的な純愛であり、双方向性のものではありません。アルコール依存になってしまった沙希が可哀想でした。

 劇団「おろか」のメンバーは、中学同級生の野原と永田(脚本家。演出家)しかいない。演じる俳優メンバーとは分裂状態。
 脚本家・演出家である小峰の作品「まだ死んでないよ」は、そのタイトルにメッセージ性が含まれている。

 永田が黙々と脚本を書く姿は良かった。単純なのである。勉強とは、ひとりで黙々とするものである。

 青山と永田のふたりのメールは、実は、自問自答部分であり、にじゅうかぎかっこの連続部分は、読みづらく、作者の雄弁さよりも、身を引く思いのほうが強かった。また、自分だけかもしれないが、女性である青山が男性と思われた。

(つづく)

 永田は、沙希との大切なふたりの時間を無駄にした。
 「哀」がうまく伝わってくる。
 最後は泣けました。
 メッセージは、「謝罪」でした。
 よかった!

響いた部分です。「役者をほめ続けるのが、演出家の仕事ではない」、「演劇が世界に対してできること」、「父親は過酷な肉体労働者」、「かなしかたよ」、「地元で根を張る覚悟を決めた」、「演劇は実験であり、発見である」、「沙希の声はラジオのなかから聞こえてくるようだった」

「蹂躙:じゅうりん。ふみにじる」、「桟敷:さじき。見物席」、「コミット:約束する。誓う」、「ソフィスティケート:趣味、態度が洗練すること」、「蠢く:うごめく」、「オムニバス形式:独立した短編をまとめてひとつの作品に構成して仕上げる」、「劇場近くのヴィレッジヴァンガード:雑貨屋。もとは、ジャズクラブ」、「腫れも、毛も、穢れて:はれも、けも、けがれて」、「お前を弄んだ:おまえを、もてあそんだ」

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