2017年02月11日

あひる 今村夏子

あひる 今村夏子 書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)

 書肆しょしが本屋という意味。侃侃が剛直、房は小部屋とか僧が住むところ。

「あひる」
 新聞で、だんだん孤独になっていく様(さま)が、スリリングに描いてあるとあり、関心をもち、読んでみましたが、その風情は伝わってこず、最後は?(クエスチョン。わからない)で終えました。

 「のりたま」というあひるが出てきます。のりたまが、小学生のこどもたちを呼びます。その家には、わたしという女性、彼女の弟(今は結婚して出ている)、両親がいます。3人家族に共通の話題(あひる)ができました。コミュニケーション(心の交流)の始まりです。
 
 毅然とした、スッパリ切れ味良い短文が続きます。このミステリーじみた進行は何だろう。民話を思い出す。あひるが男子小学生になって真夜中にピンポンしたのだろうか。スリルがあります。

 難解です。
 他の書評を読んでみます。(明確なからくり謎解きは見当たりませんでした。)
 主人公のわたし(女性)が、この先、孤独な立場に追い込まれることは予想できます。

「おばあちゃんの家」と「森の兄妹」
 孔雀(くじゃく)は雉(きじ)なのですが、孔雀がつなぐ連作だと思うのです。おばあさんはひいおじいさんの2号さん(お妾さん)であり、今は、認知症なのでしょう。昔、2号さんは、職業として成立していたというのが自分の子どもの頃の記憶です。
 「おばあちゃんの家」は、ユーモアに満ちていました。「森の兄弟」は、貧困を扱っているのですが、最後のお母さんの優しさというよりも「意地」に感動しました。

「イタドリをおやつとして食べる:イタドリとは、食べられる野草」

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