2017年01月29日
みかづき 森絵都
みかづき 森絵都(もり・えと) 集英社
昨年秋にこの本を目にしましたが、本の帯にある「太陽が学校教育、月が塾」というのは、いまとなっては反対のポジションだという思い込みがあって手にしませんでした。
本屋大賞候補作になったので読み始めました。なかなかいい。きれいな文章の流れです。ユーモアもあります。
千葉県には用事があって、年に何回か行きます。なので、物語に登場する地名が身近に感じられます。
時は、昭和36年です。登場人物は、大島吾郎22歳、赤坂千明27歳、赤坂頼子40代、赤坂蕗子(ふきこ)小学1年生ほかです。
それから茶々丸とかブラウニとかいう愛犬が出てきます。
この時代に、学習塾をつくろう! とするようです。
26ページ付近はとてもおもしろい。愉快です。Goodです。ここになぜかは書きません。本を買ってください。
(つづく)
昭和39年2月。大島吾郎と赤坂千明(ふたりは結婚。蕗子は千明の連れ子でいじめられあだなが塾子)が「八千代塾」を開塾して2年が経過しました。文章はなんだか脚本みたいになってきました。塾への世間の反対があります。大手塾の進出もあります。
勝見正明という勝見塾経営者との共同経営話がもちあがりました。
硬くて真面目で、ちょっと偏りすぎな雰囲気が続きます。千明は強引な女性です。
読んでいて不快感があるのは、読み手に対して、ふんぞり返った雰囲気があるからです。自分たちは違うんですというエリート意識がかもしでています。教える側の教える相手へのスタンスです。(なぜなのか。今後の展開のなか、あとで判明します。歳を経て夫婦の対立が明瞭になります。)
昭和46年まできました。千明は2女「蘭」の子育てで悩みます。自我が強い。これまで読んだこの本の印象と一致します。
塾の歴史をふりかえる物語です。復習よりも予習優先。他の塾と競争。学力不足のこどもは置いてきぼり。私立中学進学者優先。世の中も夫婦関係も親子の思いも変わっていき、互いの気持ちが離れていきます。名言として、これまでの全力を尽くしたことはなんだったのかという趣旨の言葉がありました。
正直、だんだんつまらなくなってきました。女性向けの味わいある進行と文脈ですが、男性の私には不向きです。また、教育行政を巡る政治的、政策的な話になってきました。興味がしぼみました。
昭和59年60年と続きます。もうすぐ、昭和とはお別れです。
学歴偏重社会でした。いまはそれもうすらぎました。
ストライキとか、対決も昔のこととなりました。
(つづく)
千明が我をとおした結果、親子、夫婦がばらばらになって、何年間も会わない状況になりました。意思をとおすって、なんだろう。
平成5年から平成12年です。ガリ版世代がウィンドウズ95への変化についていくのは大変とあるように、その時代に生活した世代は便利なようで能力開発、学習に追われた集団でした。
モンスターペアレントのことが書いてありますが、事実なのかどうかはわかりません。
読者はどのへんの層を意識して書いてあるのだろうか。塾関係者、学校関係者、範囲はそれほど広そうではない。
夢のない物語になってきました。
伏線として、「表むきの無関心」
離散した親族が再集合するわけですが、作者の理想は、家長がいる大家族かと思わせる内容です。束縛と強制がみられます。なにかしら年寄りにとって都合のよい社会です。
読みながら、夜間中学、ディズニーランド、検見川、そんな単語が脳裏を走っていく。後半は、さまざまな社会現象が浮いては沈んでいきます。
ものごとを徹底的に考える人は本当に幸せなのか。
会社の歴史、社史を読むようでもあります。作者にとっては、渾身(体全体、全力投球)の一作です。読み手にとってはあまりにも長くて読むのがつらい。
あとがきが長かった。
「這う這うの体:ほうほうのてい。慌ててその場を逃げ出そうとする様子」、「詮のない言い訳:かいがない。報いられない」、「慧眼:けいがん。本質を鋭く見抜く力」、「豆腐に鎹:とうふにかすがい。効き目がない」、「谷津遊園:千葉県習志野市にあった遊園地」、「黙然:もくねん。口をつぐんでいる様子」、「スホムリンスキーの思想:ソビエト人の教育論」、「揺籃期:ようらんき。物語が発展する初期段階。幼少時」、「家庭内で諍い:あらそい」、「糟糠の夫:貧しいときをともにした夫」、「憧憬:しょうけい。あこがれること」、「無下:むげ。捨ててかえりみない」、「好々爺:こうこうや。善意にあふれたおじいさん」
印象深い表現として、「人を裁いて許さないような人は幸福になれないというような表現」、「祖母は昭和55年、64歳で死亡(昔は短命だった)」、「気づまりな空気」、「いい子でいなくてもよかった」、「顧客はこどもではなくて保護者」、「おとうさんのほんとのこども」、「あの人、お金の計算ができない」、「血がつながっていない親子でも顔が似てくる(夫婦によくある)」、「過保護な母親、過干渉なばあさん」、「熱量」
昨年秋にこの本を目にしましたが、本の帯にある「太陽が学校教育、月が塾」というのは、いまとなっては反対のポジションだという思い込みがあって手にしませんでした。
本屋大賞候補作になったので読み始めました。なかなかいい。きれいな文章の流れです。ユーモアもあります。
千葉県には用事があって、年に何回か行きます。なので、物語に登場する地名が身近に感じられます。
時は、昭和36年です。登場人物は、大島吾郎22歳、赤坂千明27歳、赤坂頼子40代、赤坂蕗子(ふきこ)小学1年生ほかです。
それから茶々丸とかブラウニとかいう愛犬が出てきます。
この時代に、学習塾をつくろう! とするようです。
26ページ付近はとてもおもしろい。愉快です。Goodです。ここになぜかは書きません。本を買ってください。
(つづく)
昭和39年2月。大島吾郎と赤坂千明(ふたりは結婚。蕗子は千明の連れ子でいじめられあだなが塾子)が「八千代塾」を開塾して2年が経過しました。文章はなんだか脚本みたいになってきました。塾への世間の反対があります。大手塾の進出もあります。
勝見正明という勝見塾経営者との共同経営話がもちあがりました。
硬くて真面目で、ちょっと偏りすぎな雰囲気が続きます。千明は強引な女性です。
読んでいて不快感があるのは、読み手に対して、ふんぞり返った雰囲気があるからです。自分たちは違うんですというエリート意識がかもしでています。教える側の教える相手へのスタンスです。(なぜなのか。今後の展開のなか、あとで判明します。歳を経て夫婦の対立が明瞭になります。)
昭和46年まできました。千明は2女「蘭」の子育てで悩みます。自我が強い。これまで読んだこの本の印象と一致します。
塾の歴史をふりかえる物語です。復習よりも予習優先。他の塾と競争。学力不足のこどもは置いてきぼり。私立中学進学者優先。世の中も夫婦関係も親子の思いも変わっていき、互いの気持ちが離れていきます。名言として、これまでの全力を尽くしたことはなんだったのかという趣旨の言葉がありました。
正直、だんだんつまらなくなってきました。女性向けの味わいある進行と文脈ですが、男性の私には不向きです。また、教育行政を巡る政治的、政策的な話になってきました。興味がしぼみました。
昭和59年60年と続きます。もうすぐ、昭和とはお別れです。
学歴偏重社会でした。いまはそれもうすらぎました。
ストライキとか、対決も昔のこととなりました。
(つづく)
千明が我をとおした結果、親子、夫婦がばらばらになって、何年間も会わない状況になりました。意思をとおすって、なんだろう。
平成5年から平成12年です。ガリ版世代がウィンドウズ95への変化についていくのは大変とあるように、その時代に生活した世代は便利なようで能力開発、学習に追われた集団でした。
モンスターペアレントのことが書いてありますが、事実なのかどうかはわかりません。
読者はどのへんの層を意識して書いてあるのだろうか。塾関係者、学校関係者、範囲はそれほど広そうではない。
夢のない物語になってきました。
伏線として、「表むきの無関心」
離散した親族が再集合するわけですが、作者の理想は、家長がいる大家族かと思わせる内容です。束縛と強制がみられます。なにかしら年寄りにとって都合のよい社会です。
読みながら、夜間中学、ディズニーランド、検見川、そんな単語が脳裏を走っていく。後半は、さまざまな社会現象が浮いては沈んでいきます。
ものごとを徹底的に考える人は本当に幸せなのか。
会社の歴史、社史を読むようでもあります。作者にとっては、渾身(体全体、全力投球)の一作です。読み手にとってはあまりにも長くて読むのがつらい。
あとがきが長かった。
「這う這うの体:ほうほうのてい。慌ててその場を逃げ出そうとする様子」、「詮のない言い訳:かいがない。報いられない」、「慧眼:けいがん。本質を鋭く見抜く力」、「豆腐に鎹:とうふにかすがい。効き目がない」、「谷津遊園:千葉県習志野市にあった遊園地」、「黙然:もくねん。口をつぐんでいる様子」、「スホムリンスキーの思想:ソビエト人の教育論」、「揺籃期:ようらんき。物語が発展する初期段階。幼少時」、「家庭内で諍い:あらそい」、「糟糠の夫:貧しいときをともにした夫」、「憧憬:しょうけい。あこがれること」、「無下:むげ。捨ててかえりみない」、「好々爺:こうこうや。善意にあふれたおじいさん」
印象深い表現として、「人を裁いて許さないような人は幸福になれないというような表現」、「祖母は昭和55年、64歳で死亡(昔は短命だった)」、「気づまりな空気」、「いい子でいなくてもよかった」、「顧客はこどもではなくて保護者」、「おとうさんのほんとのこども」、「あの人、お金の計算ができない」、「血がつながっていない親子でも顔が似てくる(夫婦によくある)」、「過保護な母親、過干渉なばあさん」、「熱量」
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