2017年01月03日

十二人の死にたい子どもたち 冲方 丁

十二人の死にたい子どもたち 冲方 丁(うぶかた・とう) 文藝春秋

 使用済みカレンダーの裏に番号を1から12まで書きました。12人の中学・高校の年齢の子どもたちが集合していちどに自殺するという設定ですから、読みながら、それぞれの名前・性別・特徴などを記録しました。
 90ページ付近、第一章「十二人の集い」を読み終えたところで、感想を書き始めます。
 十二人が集まって自殺しようとしたのですが、集合場所に、だれだかわからない少年の死体があるのです。殺人事件の発生です。
 集合場所は、病院の廃屋です。昔、産婦人科だった4階建てビルです。
 始まりは、ゲーム感覚です。

 この形式は、「バトルロワイヤル」とか、「インシテミル」、「そして、誰もいなくなった」、「カイジ」を思い起こさせてくれます。

ヒントらしき記事があります。
切れている正面玄関自動ドアのスイッチが入っていた。
十二は、時計の文字盤の数字を表す。
全員が賛成するまで(集団自殺は)実行しない。(これは、昔の日本の風習です。昔の地方に住む住民代表の日本人男性たちは、全員一致をみるまで、毎日、毎日、話し合いを続けていました。)。なぜ、全員一致でないと死ねないのか。最終的に、少年少女たちは、「生きること」を選択するのではないか。
個人用の車いす。
エレベーターは4階で全部止められていた。
死体は靴を履いていない。裸足である。女子トイレに片足の靴があった。さらに、靴が移動した。
12人のなかに殺人犯がいる。
帽子とマスク。マスクをはずした顔とつけた顔。

サイト、バーチャル(仮想空間)などの言葉が浮かびます。

(つづく)

読めなかった、意味がとれなかった漢字などです。「宥める:なだめる」、「くるぶし:足首の隆起物の位置」、「イソミタール、ラボナ:自死に使用する薬らしい」、「嵩にかかる:かさにかかる。優勢に乗じて攻勢に出る。威圧的な態度に出る」、「難詰:なんきつ。手厳しく非難する」、「なしつけてやる:もめごとの話をつける」、「おくび:げっぷ」、「些事:さじ。ささいなこと」、「悄然:げんきがない。しょんぼり」、「かまをかける:白状させるために言葉巧みに問いかける」、「目論見:もくろみ。計画、企て」、「ばっくれる:とぼける。逃げる。さぼる」

 いわゆる、天才ではあるけれど、庶民の社会生活の中で標準化できない子どもたち、規格内におさまることができない子どもたち、そういった子どもたちが自死を望んでいる気配があります。

 煙草がらみの記述があるのはお気に召さないのですが、読んでいると必要な記述であると理解しました。昔の病院には、喫煙室があったのです。煙草を吸う人間の数と性別が問題なのです。

 印象深いセリフなどとして、どもりのタカヒロの言葉「辛いことばかりの下界には戻りたくない」、

(つづく)

 読み終わりました。残念な気持ちが心に広がっています。他の書評もこれから読んでみるつもりですが、他の人はどう評価されているのだろう。
 後半部にある、個々の死にたい事情からスタートしたなら、もっと精神的に深みのある位置まで到達できたような気がします。最後の爽快感はあるものの、全体的にゲームシナリオのような雰囲気でした。映像化を意識しながら書かれています。

 なぜ集団で自殺しなければならないのか。その前提条件が明確ではない限り、この物語は成立しません。人は、ひとりで死ねるのです。

各自は、今の状況に耐えられないうつ状態にある。逃避するために「死」を選択する。たとえば、仕事や学校なら「辞める」という選択肢はないのか。終末を迎えるのではなく、「変化」ではだめなのか。

 最後半部の論争、話が理屈っぽくて硬く読みにくかった。ゆきづまっているのではないか。

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