2016年11月30日

さくら 西加奈子

さくら 西加奈子 小学館文庫

 さくらというのは、犬の名前で、作品の中では、節の区切り目の最後に、ほんの少し、さくらがこう言ったというふうで、コメントがつきます。前面的に犬が登場するわけではありまません。購入した時は、さくらが犬の名前だとは思っていなかったので、意表をつかれました(不意打ちをくらう。驚き)。さくらがいわゆる子はかすがい(ちょうつがい、つなぐもの)という設定かと思って読み始めてみます。どうもサラバ同様に家庭が崩壊していくようです。そのなかで、親子、きょうだい、夫婦を犬のサクラがつないでいくパターンかと平凡ながらの発想です。犬にまつわるなんともいえない幸福感はただよっています。犬の名前がカタカナの「サクラ」、本のタイトルがひらがなの「さくら」という相違には何か意味が含められていると思いますが、あと100ページを残した今、その理由は、まだわかりません。わからずに読み終えてしまいそうです。(あえていうなら、そもそもサクラという犬はこの物語の中に存在しないという作者の仕掛けが隠れているとしか言いようがありません。読み終えてそう思ったのです。)
 同作者の直木賞受賞作品「サラバ!」と類似の家族構成、ストーリーの流れで、登場人物は美男子、美女、才女、学力優秀なれど、奇異な言動をするファミリーを奇抜に紹介するというところが、同作者さんの持ち味なのでしょう。転校、引っ越し、同性愛などの素材が毎回あります。
 主人公長谷川薫(かおる男子)はじめ数名の幼児期から中学生、高校生のところまで読みました。若いから「性やその行為」へのこだわり、興味、挑戦があります。歳をとってみると思うに、性へのわくわく感はもう遠い昔のことです。人生のすべてではありません。老いると枯れるのです。性別もなくなって、なんだかみんな性別なしの老体になるのです。若いころ悩んだことが、ふりかえれば、不可解にすら思えます。若い頃秘密だと思っていたことは案外だれでも知っていたのだとご老体の今になってお互いにわいわい話ができるのです。
 あわせて、若い頃は、「人間はなんのために生きているのだろう」という答えのない疑問に悩みます。歳をとってみると、「自分はどうしてまだ死なないのだろうか」と悩み始めます。人間はいつもそのときにないものをねだって悩む生き物です。

わからなかった言葉、「ペディキュア:足の爪のマニキュア」、「コケティッシュ:女性のしぐさが男を誘う」、「カオス:混沌、無秩序、さまざまなものが混じって濁る(にごる)」

よかったフレーズの趣旨として、「(80歳の老人が)この世の全部のものが、わしのもので、この世の全部のものがわしのものではないということが80年生きてわかった」、「人目を気にせず、マイペースで生活している登場人物たちの個性設定」、「日本人は目立つことを嫌う人たち(陰で悪口を言う人たち。仲間はずれにして、いじめる人たち)」、「ミキは、どんどん、こどもに戻っていくようだった」

 主人公薫のにいちゃん「一(はじめ)」の話はけっこう辛い(つらい)。そして、読み手の気持ちが暗くなる。しんどい。

 教訓として、「安全のために投資をして安心する」、「記憶を消せないと辛い」

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