2016年11月27日

(再再読)徒然草つれづれぐさ

(再再読)徒然草(つれづれぐさ) 吉田兼好

 ひとり語りの文章を読みたくなって読みました。縛り(しばり)からの離脱。義務からの解放。そんな時期が、自分自身にも近づいてきたことがその理由です。作者は、世捨て人で、なんでも言える立場です。それはいいようで、されど実は終わる人です。
 鎌倉時代の京都です。年齢的に「何もしない」が求められる時期がきます。相手によかれと思ってやることが、本当は相手にとっては迷惑です。
 
 執筆当時は、京都が日本のすべてだった。創作の基本は、毎日日記を書くことということがわかります。

 友にしてはよくないタイプが七つ。①身分が高すぎる人 ②自分よりずっと若い人 ③健康な人 ④酒飲み ⑤勇敢な武士 ⑥うそつき ⑦欲深
 友にすべきタイプが三つ。①ものをくれる人 ②医者 ③知恵のある人
 歴史を考える。同じことの繰り返しが、メンバーを変えて行われるのが歴史と悟る。自然災害が必ず起こることが歴史の鉄則と前提をとる。
 周囲の目を気にしないで、自分の責任でふんぎりをつけるのがいい。



2013年7月28日記事 (再読) 徒然草 吉田兼好 汐文社

 再読であり、子どもさん向けの本ですので、読みながら感想文を同時進行で仕上げていきます。
 はじまりにある「ごあいさつ」が光っています。鎌倉時代後期のお話です。京都吉田神社は行ったことがあります。京都大学のそばにありました。
 自身を「隠者」と表現しています。なんというか、読んでいて、自分もこうありたい、こうなりたいと思うのです。「世の中に隠れ住んでいる者」、貧しいけれど、だれかと比較して偉いとかいう窮屈な人間関係に苦しまずに済む。
 武士の都は関東の鎌倉で、京都の貴族は武士の監視下で行政をつかさどることはできない。監視する武士と監視される貴族と貧しき庶民が住むところが京都と定義されています。
 あいさつの最後には、気楽なひまつぶしのつもりで読んでくれと作者からのメッセージがおくられています。
 教訓話です。「木登り名人」油断大敵、「双六名人(すごろく)」勝とうと思わず、負けないようにと思う。
 仁和寺(にんなじ)の僧侶が岩清水八幡宮を参拝するくだりでは、当時の京都の自然風景が目に浮かびます。
 「無意識のなまけ心」に登場する「深層心理」がいい。だれしも、深層心理にしばられて苦しんでいます。自分で自分をコントロールできないわけがそこにあります。
 この当時の武士には戦(いくさ)がありません。剣術や弓の練習に身が入らなかったのではなかろうか。それともスポーツ競争的なものがあったのだろうか。
 古典を現代日本語に訳してあるわけで、とても上手に訳してあります。笑ってしまいます。「賞品をゲット(手に入れる)」なんて、鎌倉時代の言葉ではありませんが、気持ちがよく伝わってきます。
 京都御所の周辺は貴族の立派なお屋敷が建ち並んでいる。兼好法師が住んでいるのは、粗末な家々が集まった地域、都のはずれは人がほとんど住んでいない。
 典型的な現代サラリーマンは、心にゆとりがなく、頭の中は、仕事をどうするかばかり。仕事を離れると利害関係のない他者との会話の素材がない。冒頭にあった兼好法師の窮屈な組織人たちという言葉に説得される。仕事量が少なければ収入も少なくなる。収入と時間、現代人にとって両者のバランスをとることはむずかしい。
 京都の町に人間鬼が出るといううわさが広まる。鬼は女子である。だけど見つからない。「群集心理」のこわさをちょっぴり感じました。
 「土地」こそが財産。土地の所有権をめぐる裁判が毎日のように起こっている。証明書はけっこういいかげん。人間というのは、利口なのか愚かなのかわからないとあります。
 兼好法師のお父上はやさしい人でした。神さまは、この世をつくった方々だった。では、仏さまはなんだろうという兼好法師の質問に対して、父親は、人間が仏さまになると答えておられます。そこから難題の質問へとつながっていくのですが、とどのつまり、この世には答を出すことができない疑問があるのです。
 「友は絶対に必要じゃ」。されど、だれかれかまわず友とすることはできない。次の七つは友を選択するときの対象外とする。身分がとても高い人(こちらが疲れる)、自分よりずっと若い人(同じ時代を共有していないからけんかになる)、健康そのものの人(体の弱い人、病気の人の気持ちがわからないからやさしさや思いやりがうすい)、酒を好む人(まわりにとって迷惑行為がある)、強くて勇敢な武士(無知でわがままな悪ガキと同じ)、うそをつく人、欲の深い人。対して、友とするのによい人は、物をくれる人(困ったときに助けてくれる人)、医者(体の不安を相談できる人)、知恵のある人(物知りではなく、人生の悩みや苦しみに適切なアドバイスができる人)
 武士の支配でこの国は現在安定している。これはこれでよい。庶民は平和を望んでいる。平和を実現してくれるのであれば、支配者は武士でも貴族でもかまわない。以下続く文章は、700年ほど前のものとは思えず、「いい時代でしたなぁ」と700年前の人がさらに昔をふりかえって、残念そうに、あるいは、くやしそうに、つぶやくのです。
 「雑念」心のなかに主人(人生の目的)をもつ。心のなかはもともからっぽ。雑念がどんどん入り込んでくる。自分はこう生きるという人生の信念をしっかりもつ。
 隠者が嫌っているのは、人間ではなく、人の世のしくみです。兼好法師は人と話すことが好きな人でした。



(以下は前回の感想です。2012年6月10日記事)

徒然草(つれづれぐさ) 吉田兼好 長尾剛(たけし)訳 汐文社(ちょうぶんしゃ)

 傑作です。日本の古典はすばらしい。日本人は、タイトルを知っていても内容は知らない。50歳すぎのこの年齢(とし)になって初めて読みました。古典に興味をもたせない学校教育とか出版広告が少しうらめしい。もっと早く読みたかった。兼好の言葉として、「月」の呼び方は、1月、2月ではなく、「睦月(むつき)」「如月(きさらぎ)」のほうが、風情があるというものがあります。現代は、効率ばかりを優先して、ひとつひとつをゆっくりと味わう機微(表面には表れない趣(おもむき))に欠けています。
 時代背景は、鎌倉時代ができてから110年ぐらいが経過しています。戦乱の世を迎える室町時代・戦国時代はまだ先のようで、世の中は平和です。舞台は京都です。吉田神社に仕える人の息子さんが兼好で、名前の呼び方は「けんこう」ではなくて、「かねよし」さんと書中にあります。ペンネームであり、苗字は吉田神社からとってあります。同神社は、「鴨川ホルモー」とか「有頂天家族」という作品にも登場していた気がします。(その後吉田神社を訪れました。)
 人生の教訓が語られています。吉田兼好は神社の家に生まれていますが、法師(僧侶)です。本人は、神社とお寺は仲良しで、珍しいことではないと説明しています。随筆のところどころに「身分」に関する記述があります。豪華な家屋敷を建てて贅沢三昧(ぜいたくざんまい)の暮らしを送る「貴族」、同様に鎌倉時代の初めは質素だったけれど、今は貴族と同様に遊んでばかりいる「武士」、そしてたくさんの貧しき人々となっています。
 この作品は、心の救いになる良書です。「双六名人の言葉」では、成功しか考えていない人間の落とし穴について書いてあります。「妖怪猫また」では、ととろの猫バスを思い浮かべました。京都の様子が書いてあり、当時の風俗書の様子もあります。みかんの話では、人々は責任者に責任を求めるけれど、本当に悪いのは「行為者」と責めたくなります。
 「今出川」という地名は知っていましたが、本当に「川」だったことは知りませんでした。「群集心理」について書いてある部分があり、新型インフルエンザを思い浮かべました。何百年経っても人心(じんしん)は変わらないし、変われないことがわかりました。土地の所有権に固執(こしつ、こだわる)する様子は現代も同じです

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