2016年06月14日
大村智ものがたり 2016課題図書
大村智ものがたり(おおむらさとしものがたり) 馬場錬成(ばば・れんせい) 毎日新聞出版 2016課題図書
休憩を入れて、90分間ほどあれば読める文章量ですが、感想文を書くにあたっては、最初に戻り、再び1ページずつめくりながら文章をつくっていきます。
昨年薬で功績があったということでノーベル賞を受賞された方の人生記録です。書中にはたくさんの研究者の方が出てきます。それらの方々への感謝の書です。お世話になりました。おかげで受賞できましたというお礼です。
本人が書いたものではなく、作者が本人から情報提供、聞き取りなどして書いた作品となっています。
神奈川県伊東市川奈のゴルフ場近くの土から見つけた微生物の力を借りて創薬(新薬をつくる)をする。そのおかげで、アフリカでたくさんの人たちが困っていた失明する病気(オンコセルカ症という感染症。河川盲目症)に効く薬ができて、多大なる社会貢献をされたとあります。熱帯地方に住む2億人以上を救ったとあります。日本人の人口を超えています。すごい。本からは、個人として救ったのではなく、チームとして、お世話になった方々も含めて救ったというメッセージが伝わってきます。
もう80歳になられる方です。読み始めた最初からの読書の経過です。
正直知らない方でした。ノーベル賞受賞と聞いても、その研究内容はむずかしく、一般人にとっては、受賞内容の説明を読んでも、聞いても理解しがたいものがあります。直接的に関係がないと自然と興味がなくなります。その点、今回の場合は、病気がまん延していたアフリカの人たちには朗報でしょう。
大勢の人たちが登場します。自然と本人の人生年表になります。
東京北里大学薬学部:大村智さん。ご本人
大村智さんの母:文子さん(戦前は小学校の教員)。戦後は養蚕農家(ようさん。かいこ。生糸きいと)養蚕日誌をつけていた。カイコの成長記録は、まるで「研究ノート」だった。
山梨県神山村神山中学校:鈴木勝枝先生
大変なので、以下敬称を省略させていただきます。
山梨県韮崎スキークラブ:山梨県スキー連盟役員山寺巌(いわお)。大学1年のときに伝説のスキーヤー横山隆策に入門した。その先生から人まね禁止を学んだ。鼻水をふく力が残っているなら前へ進め、レベルの低い人のまねをしても上達しないなどを学んだ。このへん、エリート教育(指導者育成)のようです。
山梨大学自然科学科マイスター(担当教授):丸田銓二朗(せんじろう)脂肪に関する基礎的学問を学んだ。
地学の教授、山梨地学会会長:田中元之進。社会に出てから5年間が勝負と教えてくださった。
山梨大学学長:安達禎(あだち・ただし)。旅順(りょじゅん。ちゅうごく)工科大学学長
東京御茶ノ水の湯島聖堂で開かれていた塾でドイツ語を学ぶ。そのときの先生:紅露文平(こうろ・ぶんぺい)
東京教育大学教授:小原鉄次郎(おはら・てつじろう)食品の科学実験の本を書く。
化学の専門家先生:中西香爾(なかにし・こうじ)。最新の分析技法
東京理科大学有機化学教授:都築洋次郎
東京理科大学学長:真島正市
都築研究室の講師:森信雄。大村智の兄貴分
山梨大学工学部発酵生産学科教授:加賀美元男。ボス(指導者の先生)
北里研究所所長:秦藤樹(はた・とうじゅ)
京都大学教授:吉田善一
アメリカ・プリンストン大学教授:P・フォン・シュライヤー。大村氏の英語論文を読んで興味をもたれた。
ウエスレーヤン大学教授:マックス・ティシュラー(大村氏と出会ったときは65歳)。全米化学学会会長
ハーバード大学教授:コンラッド・ブロック。脂肪酸の研究でノーベル賞受賞
北里研究所研究補助員:高橋洋子。山形県出身。新種の微生物「キタサトスポーラ」発見のきざしをつかんだ人。のちに博士となる。
メルク社の動物薬開発チーム:ウィリアム・キャンベル博士。「OS-3153」を調査。培養液をマウスに飲ませると寄生虫が減った。
たくさんの人たちとの交流がありました。本の最後のほうには、「人との出会いを大切にしましょう」とあります。
お話の流れです。小学校4年生、父親の恵男(よしお)さんと近所の田んぼの水路でウナギ取り。農家の後継ぎになると信じて疑わず。自然現象の知識が身についた。農作業と化学の実験は作業計画・実行(予定変更)・記録と経過が似ている。また、当時の農業は、微生物を利用した有機農業だった。例として「たい肥」づくりがあげられています。微生物で腐らせたたい肥は肥料として高栄養価でした。それから、将来に備えて、山に植林もしていた。
家族、家庭などの環境には恵まれていました。美術に興味をもつ家庭環境で、その後美術館を建てられています。また、きょうだい5人全員が全国的に貧困だったこの時代に大学を卒業されています。養蚕農家だったおかげとあります。父親は戦時中にもかかわらず、敵国の言葉である英語教育までこどもにほどこしています。
1954年、山梨大学学芸学部自然科学科入学です。このあたりから農家の後継ぎの話が消えていきます。大学までの15kmを走って通学した。
23歳、都立墨田高校夜間部で理科教師、体育教師として働く。卓球部の顧問も務める。
働きながら夜勉強する夜間高校の生徒たちの姿に心を打たれる。自分は、裕福な農家のこどもとして育ち、経済的に何不自由なく暮らしてきた。いっぽう、夜間高校の生徒たちは、昼間の作業で油の染みた服を着ている。(実際、昭和20年代後半から30年代は、こういう人たちが社会を支えていました。)
東京理科大学大学院入学。
1963年春、山梨大学工学部発酵生産学科助手。1965年、東京北里研究所化学の研究員。
化学物質を自分で見つける。1971年9月、アメリカ・ウエスレーヤン大学へ、客員教授(一定期間の非常勤教員)として留学。
帰国後、北里研究所に復帰
1974年、伊東市のゴルフ場近くの土から何かいい物質を作っているかもしれないデータが出てきた。(いつもビニール袋を持ち歩いている)整理番号「OS-3153」OSは大村智という意味。この培養液をマウスに飲ませると寄生虫が減少した。
寄生虫を撃退する化学物質名付けて「エバーメクチン」を発見。その化学物質をつくっている放線菌(ほうせんきん)の名を「ストレプト・ミセス・アベルメクチニウス」として高橋研究員と共同論文を発表した。
1979年に、大村研究室とメルク社の研究員が、国際学会でエバーメクチンの共同発表をした。
人間に投与する薬は、「イベルメクチン」。メルク社の商品名が「メクチザン」。アフリカガーナのこどもたちは、「メクチザン」という言葉を知っている。
むずかしい単語などです。「マイスター制度:64ページ。山梨大学で入学と同時に担当の教授が決まる。」、「ロイヤリティ:特許の使用料」
創薬に必要なものとして、研究者の根気、研究費(お金)があります。研究費の面では、「大村方式」が書かれていました。研究者の発見に対して、その特許権利を企業がとる。薬として売り出したら、売り上げの中から研究費をください。さらに今回の受賞の理由となった新薬については、通常、動物実験をしてから人間なのですが、それでは時間がかかるので、まず、動物用として使用する。次に人間に試すという手法が成功しています。「人と違うことをしよう」という項目に書かれています。
休憩を入れて、90分間ほどあれば読める文章量ですが、感想文を書くにあたっては、最初に戻り、再び1ページずつめくりながら文章をつくっていきます。
昨年薬で功績があったということでノーベル賞を受賞された方の人生記録です。書中にはたくさんの研究者の方が出てきます。それらの方々への感謝の書です。お世話になりました。おかげで受賞できましたというお礼です。
本人が書いたものではなく、作者が本人から情報提供、聞き取りなどして書いた作品となっています。
神奈川県伊東市川奈のゴルフ場近くの土から見つけた微生物の力を借りて創薬(新薬をつくる)をする。そのおかげで、アフリカでたくさんの人たちが困っていた失明する病気(オンコセルカ症という感染症。河川盲目症)に効く薬ができて、多大なる社会貢献をされたとあります。熱帯地方に住む2億人以上を救ったとあります。日本人の人口を超えています。すごい。本からは、個人として救ったのではなく、チームとして、お世話になった方々も含めて救ったというメッセージが伝わってきます。
もう80歳になられる方です。読み始めた最初からの読書の経過です。
正直知らない方でした。ノーベル賞受賞と聞いても、その研究内容はむずかしく、一般人にとっては、受賞内容の説明を読んでも、聞いても理解しがたいものがあります。直接的に関係がないと自然と興味がなくなります。その点、今回の場合は、病気がまん延していたアフリカの人たちには朗報でしょう。
大勢の人たちが登場します。自然と本人の人生年表になります。
東京北里大学薬学部:大村智さん。ご本人
大村智さんの母:文子さん(戦前は小学校の教員)。戦後は養蚕農家(ようさん。かいこ。生糸きいと)養蚕日誌をつけていた。カイコの成長記録は、まるで「研究ノート」だった。
山梨県神山村神山中学校:鈴木勝枝先生
大変なので、以下敬称を省略させていただきます。
山梨県韮崎スキークラブ:山梨県スキー連盟役員山寺巌(いわお)。大学1年のときに伝説のスキーヤー横山隆策に入門した。その先生から人まね禁止を学んだ。鼻水をふく力が残っているなら前へ進め、レベルの低い人のまねをしても上達しないなどを学んだ。このへん、エリート教育(指導者育成)のようです。
山梨大学自然科学科マイスター(担当教授):丸田銓二朗(せんじろう)脂肪に関する基礎的学問を学んだ。
地学の教授、山梨地学会会長:田中元之進。社会に出てから5年間が勝負と教えてくださった。
山梨大学学長:安達禎(あだち・ただし)。旅順(りょじゅん。ちゅうごく)工科大学学長
東京御茶ノ水の湯島聖堂で開かれていた塾でドイツ語を学ぶ。そのときの先生:紅露文平(こうろ・ぶんぺい)
東京教育大学教授:小原鉄次郎(おはら・てつじろう)食品の科学実験の本を書く。
化学の専門家先生:中西香爾(なかにし・こうじ)。最新の分析技法
東京理科大学有機化学教授:都築洋次郎
東京理科大学学長:真島正市
都築研究室の講師:森信雄。大村智の兄貴分
山梨大学工学部発酵生産学科教授:加賀美元男。ボス(指導者の先生)
北里研究所所長:秦藤樹(はた・とうじゅ)
京都大学教授:吉田善一
アメリカ・プリンストン大学教授:P・フォン・シュライヤー。大村氏の英語論文を読んで興味をもたれた。
ウエスレーヤン大学教授:マックス・ティシュラー(大村氏と出会ったときは65歳)。全米化学学会会長
ハーバード大学教授:コンラッド・ブロック。脂肪酸の研究でノーベル賞受賞
北里研究所研究補助員:高橋洋子。山形県出身。新種の微生物「キタサトスポーラ」発見のきざしをつかんだ人。のちに博士となる。
メルク社の動物薬開発チーム:ウィリアム・キャンベル博士。「OS-3153」を調査。培養液をマウスに飲ませると寄生虫が減った。
たくさんの人たちとの交流がありました。本の最後のほうには、「人との出会いを大切にしましょう」とあります。
お話の流れです。小学校4年生、父親の恵男(よしお)さんと近所の田んぼの水路でウナギ取り。農家の後継ぎになると信じて疑わず。自然現象の知識が身についた。農作業と化学の実験は作業計画・実行(予定変更)・記録と経過が似ている。また、当時の農業は、微生物を利用した有機農業だった。例として「たい肥」づくりがあげられています。微生物で腐らせたたい肥は肥料として高栄養価でした。それから、将来に備えて、山に植林もしていた。
家族、家庭などの環境には恵まれていました。美術に興味をもつ家庭環境で、その後美術館を建てられています。また、きょうだい5人全員が全国的に貧困だったこの時代に大学を卒業されています。養蚕農家だったおかげとあります。父親は戦時中にもかかわらず、敵国の言葉である英語教育までこどもにほどこしています。
1954年、山梨大学学芸学部自然科学科入学です。このあたりから農家の後継ぎの話が消えていきます。大学までの15kmを走って通学した。
23歳、都立墨田高校夜間部で理科教師、体育教師として働く。卓球部の顧問も務める。
働きながら夜勉強する夜間高校の生徒たちの姿に心を打たれる。自分は、裕福な農家のこどもとして育ち、経済的に何不自由なく暮らしてきた。いっぽう、夜間高校の生徒たちは、昼間の作業で油の染みた服を着ている。(実際、昭和20年代後半から30年代は、こういう人たちが社会を支えていました。)
東京理科大学大学院入学。
1963年春、山梨大学工学部発酵生産学科助手。1965年、東京北里研究所化学の研究員。
化学物質を自分で見つける。1971年9月、アメリカ・ウエスレーヤン大学へ、客員教授(一定期間の非常勤教員)として留学。
帰国後、北里研究所に復帰
1974年、伊東市のゴルフ場近くの土から何かいい物質を作っているかもしれないデータが出てきた。(いつもビニール袋を持ち歩いている)整理番号「OS-3153」OSは大村智という意味。この培養液をマウスに飲ませると寄生虫が減少した。
寄生虫を撃退する化学物質名付けて「エバーメクチン」を発見。その化学物質をつくっている放線菌(ほうせんきん)の名を「ストレプト・ミセス・アベルメクチニウス」として高橋研究員と共同論文を発表した。
1979年に、大村研究室とメルク社の研究員が、国際学会でエバーメクチンの共同発表をした。
人間に投与する薬は、「イベルメクチン」。メルク社の商品名が「メクチザン」。アフリカガーナのこどもたちは、「メクチザン」という言葉を知っている。
むずかしい単語などです。「マイスター制度:64ページ。山梨大学で入学と同時に担当の教授が決まる。」、「ロイヤリティ:特許の使用料」
創薬に必要なものとして、研究者の根気、研究費(お金)があります。研究費の面では、「大村方式」が書かれていました。研究者の発見に対して、その特許権利を企業がとる。薬として売り出したら、売り上げの中から研究費をください。さらに今回の受賞の理由となった新薬については、通常、動物実験をしてから人間なのですが、それでは時間がかかるので、まず、動物用として使用する。次に人間に試すという手法が成功しています。「人と違うことをしよう」という項目に書かれています。
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