2016年06月11日
茶畑のジャヤ 2016課題図書
茶畑のジャヤ 中川なをみ すずき出版 2016課題図書
日本に住む辻原周(しゅう)11歳が、学校で仲間はずれにされます。健一郎といういじめっ子の策略で、親友洋介が周から離れていきます。そのこともあって、周は、周を気づかって周のことを心配しれくれたおさななじみの加奈を拒否します。周はだんだん孤独になって、登校拒否気味になった2学期最後の週を迎えます。
周には、スリランカ(光輝く島という意味。元イギリス植民地。インドの南にある。)のコタガラ村で発電所を建設している祖父佐藤65歳がいます。祖母は3年前に亡くなっています。祖父は、周をスリランカに誘います。スリランカを訪れた周は、運転手のセナ、セナの娘ジャヤ、コックのカスーンなどと交流を図ります。周は広い世界を知って、精神的に強くなっていきます。日本での自分の行いを恥じ、未来のために、勉強しようと誓うのです。
スリランカは、紅茶の産地です。ですから茶畑です。ジャヤ(父はタミル人、母はシンハラ人)、ジャヤの父で祖父佐藤さんの運転手セナ(運転がうまい・日本語がうまいから差別を受ける民族である肉体労働者しかさせてもらえないタミル人の例外的存在)やコックのカスーン(シンハラ人)たちと会話や知識・体験のやりとりをします。
周の住む町は、文章から察すると、山梨県側から富士山が見える町だと推定します。物語の中盤では、スリランカのすり鉢状の絶景が出てきて、富士山をひっくりかえしたようなという形容が出てきます。
読み始めは、いじめの話かと思いますが、本格的ないじめの記述までには至りません。勉強ができるけれど、スポーツができない。運動おんちです。それが仲間はずれの理由です。変な理由です。学校は勉強するところです。人は、人をいじめたい習性をもっています。いじめるための理由は何でもいい。そしていじめは人が存在する限りなくなりません。この物語では、周と周の周囲にいる人間とのうまくいかなさをスリランカのタミル人とシンハラ人の対立、内戦に重ねてあります。克服の鍵は、多面的に見ること(運転手のセナがコップを素材にして周に教えてくれます。)、違うことを違うと理解して(仏教とヒンドゥー教の違いを素材にしてジャヤが教えてくれます。)、共存の道をさぐることです。
同じ民族、国民同士で戦う内戦というものは終わりがありません。いくら戦い続けても決着はつきません。どちらか一方が滅亡するということはありません。26年間続いた実戦的内戦は2009年に終わっていますが両者の対立の気持ちは永遠に継続します。
また、周は、スリランカにいるサルから「逃げない」ことを学びます。サルは逃げる者を追いかける。追いかけられないために、逃げない。教室から逃げない。
スリランカに行く前でした。
学校にいけなくなるかもしれない。
周はおじいさんにそうメールします。
おじいさんは、周をスリランカに誘います。
なんて、いいおじいさんなんだろう。
成田空港発で、スリランカまでは9時間30分です。
スリランカは楽園ではありません。周は学習します。インド系ヒンドゥー教を信仰するだんご鼻の人は、少数派タミル人(現場で働く人、土を掘る人)と、もとから住んでいた仏教を信仰するきれいな顔の人、多数派シンハラ人の間で、差別とか対立がある。
印象に残ったいい表現です。「大ざっぱな両親でよかった」、「内戦の原因はイギリスの植民地だったから。イギリスは、お茶をつくるインド系タミル人少数派を優遇した。しかし、植民地終了後、選挙で人口が多いシンハラ人が要職につくようになって、立場が逆転した」、「この国にいる間は清潔を求めない」、「ひとりはさびしい」、「ぼくも勉強するよ」、「周、あきらめろ(男はぐずぐず言わず、あきらめるものです。)」、「自由になれる方法を確かめる。(何度も大きな波に飛び込んで)」、素直に怒って、泣いて、笑って、気持ちを相手に伝える。そこにたどりつくまでが苦しい。
興味をもった文節・単語です。「コロンボは首都ではない:スリジャヤワルダナプラコッテ(最大の経済都市コロンボの隣ぐらい)」、「日本語が話せるといい職につける」、「タミル人をひとくくりにして嫌っている」、「ハクル:ココヤシの樹液を煮詰めてつくった砂糖」、「ダスト:砂糖」
事実や事柄を積み上げていく文章構成です。感情的な部分は極力削られています。
後半は、周がフィンランド人3人と交わるなど、国際色が豊かです。
最後に周は、ひとりで、強い気持ちをもって生きていくことにたどりつきます。自立です。
日本に住む辻原周(しゅう)11歳が、学校で仲間はずれにされます。健一郎といういじめっ子の策略で、親友洋介が周から離れていきます。そのこともあって、周は、周を気づかって周のことを心配しれくれたおさななじみの加奈を拒否します。周はだんだん孤独になって、登校拒否気味になった2学期最後の週を迎えます。
周には、スリランカ(光輝く島という意味。元イギリス植民地。インドの南にある。)のコタガラ村で発電所を建設している祖父佐藤65歳がいます。祖母は3年前に亡くなっています。祖父は、周をスリランカに誘います。スリランカを訪れた周は、運転手のセナ、セナの娘ジャヤ、コックのカスーンなどと交流を図ります。周は広い世界を知って、精神的に強くなっていきます。日本での自分の行いを恥じ、未来のために、勉強しようと誓うのです。
スリランカは、紅茶の産地です。ですから茶畑です。ジャヤ(父はタミル人、母はシンハラ人)、ジャヤの父で祖父佐藤さんの運転手セナ(運転がうまい・日本語がうまいから差別を受ける民族である肉体労働者しかさせてもらえないタミル人の例外的存在)やコックのカスーン(シンハラ人)たちと会話や知識・体験のやりとりをします。
周の住む町は、文章から察すると、山梨県側から富士山が見える町だと推定します。物語の中盤では、スリランカのすり鉢状の絶景が出てきて、富士山をひっくりかえしたようなという形容が出てきます。
読み始めは、いじめの話かと思いますが、本格的ないじめの記述までには至りません。勉強ができるけれど、スポーツができない。運動おんちです。それが仲間はずれの理由です。変な理由です。学校は勉強するところです。人は、人をいじめたい習性をもっています。いじめるための理由は何でもいい。そしていじめは人が存在する限りなくなりません。この物語では、周と周の周囲にいる人間とのうまくいかなさをスリランカのタミル人とシンハラ人の対立、内戦に重ねてあります。克服の鍵は、多面的に見ること(運転手のセナがコップを素材にして周に教えてくれます。)、違うことを違うと理解して(仏教とヒンドゥー教の違いを素材にしてジャヤが教えてくれます。)、共存の道をさぐることです。
同じ民族、国民同士で戦う内戦というものは終わりがありません。いくら戦い続けても決着はつきません。どちらか一方が滅亡するということはありません。26年間続いた実戦的内戦は2009年に終わっていますが両者の対立の気持ちは永遠に継続します。
また、周は、スリランカにいるサルから「逃げない」ことを学びます。サルは逃げる者を追いかける。追いかけられないために、逃げない。教室から逃げない。
スリランカに行く前でした。
学校にいけなくなるかもしれない。
周はおじいさんにそうメールします。
おじいさんは、周をスリランカに誘います。
なんて、いいおじいさんなんだろう。
成田空港発で、スリランカまでは9時間30分です。
スリランカは楽園ではありません。周は学習します。インド系ヒンドゥー教を信仰するだんご鼻の人は、少数派タミル人(現場で働く人、土を掘る人)と、もとから住んでいた仏教を信仰するきれいな顔の人、多数派シンハラ人の間で、差別とか対立がある。
印象に残ったいい表現です。「大ざっぱな両親でよかった」、「内戦の原因はイギリスの植民地だったから。イギリスは、お茶をつくるインド系タミル人少数派を優遇した。しかし、植民地終了後、選挙で人口が多いシンハラ人が要職につくようになって、立場が逆転した」、「この国にいる間は清潔を求めない」、「ひとりはさびしい」、「ぼくも勉強するよ」、「周、あきらめろ(男はぐずぐず言わず、あきらめるものです。)」、「自由になれる方法を確かめる。(何度も大きな波に飛び込んで)」、素直に怒って、泣いて、笑って、気持ちを相手に伝える。そこにたどりつくまでが苦しい。
興味をもった文節・単語です。「コロンボは首都ではない:スリジャヤワルダナプラコッテ(最大の経済都市コロンボの隣ぐらい)」、「日本語が話せるといい職につける」、「タミル人をひとくくりにして嫌っている」、「ハクル:ココヤシの樹液を煮詰めてつくった砂糖」、「ダスト:砂糖」
事実や事柄を積み上げていく文章構成です。感情的な部分は極力削られています。
後半は、周がフィンランド人3人と交わるなど、国際色が豊かです。
最後に周は、ひとりで、強い気持ちをもって生きていくことにたどりつきます。自立です。
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