2016年06月06日
白いイルカの浜辺 2016課題図書
白いイルカの浜辺 ジル・ルイス作 さくまゆみこ訳 評論社 2016課題図書
全体で289ページのうちの40ページまで読んだところで、読書感想文を書き始めてみます。
舞台は外国ですがどこの国かはまだわかりません。通貨の単位がポンドと出てきますので、イギリス国であるようです。でも、ロンドンではありません。場所は、コーンウォールというところです。港町で、住民の大半は漁業に従事しています。地形を読む限りでは島ではないと思うのですが、イメージは島に近く、わたしが住む愛知県でいうと三河湾に浮かぶ佐久島とか、篠島、日間が島の風景が目に浮かびます。
主人公は女性ですが、年齢はまだわかりません。その名をカラ・ウッドといいます。どうも海洋生物学者で反捕鯨・イルカ漁運動をしている母親ケイが同僚含めて4人で、1年前にソロモン諸島(南太平洋パプアニューギニアの右のほう)にあるホテルにチェックインしたまま行方不明になっていて、今は父親ジム・ウッドの妹べヴ夫婦(カラからみて叔母さん)宅に父子で居候(いそうろう)しています。父親は妻の捜索活動で借金をつくったので、お金がなく困っている様子です。大事な自分の船「モアナ号」を売らねばならぬというところまで追い込まれています。
カラ・ウッドは、気持ちの強いこどもです。いじめっこに負けていません。攻撃されたらやり返して相手を泣かせる勢いです。それから、潜水とか水泳がうまい。気持ちがしっかりしている。お母さんには甘えたい。お母さんが好き。また、両親と自分の3人で暮らしたい。航海したい。
意地悪をする側として、ジェイク・エヴァンズ(同級生男子・このあたりの漁業有力者の息子)、彼の父親が、ダギー・エヴァンズ(漁業で儲けるなら違法行為だってする)がいます。
主人公父子が世話になっているのが、父の妹ベヴおばさん(もうすぐ赤ちゃんが生まれる)、その夫トム、そしてふたりの娘デイジーがいます。
あとは、カラ・ウッドのクラスメートらしく、イーサン(男)、クローイ、エラ、アダム、テッド、そして、カーター先生というような名前が出ていました。
白いイルカは「しるし」とあります。カラ・ウッドにとって、白イルカを目撃することは、行方不明になっている母親が「無事であるしるし」なのです。白イルカと聞くと、水族館で見るジュゴンを思い浮かべます。イルカではありません。人魚と見間違えられると聞いたことがありますが、人魚ほど美しくはありません。
出てくる船用語を集めてみます。「ジブ:船首に張る三角帆」、「主帆:おおきな帆でしょう」、「ブーム:帆の下につける部品」、「スクーナー:縦帆式帆船じゅうはんしきはんせん。2本以上の帆柱に帆を張る。」
わからなかった単語などです。「タカラガイ:丸みあり。光沢あり。陶器のよう。熱帯・亜熱帯地方に生息」、「ハリエニシダ:植物。黄色い花がきれい。この物語の場合、海岸で咲いていて、とげがじゃま」、「ミヤコドリ:45cmほどのカモメみたいな海鳥」、「ツノメドリ:派手な外見、マンガみたいな顔をした海鳥」、「チョコレート・ブラウニー:ひらたく正方形に焼いたチョコレートケーキ」、「カッコウベラ:海の魚」、「チョコフレーク・バー:パラパラチョコで固めた棒状のチョコレート」、「頭につけたティアラ:頭につける装飾品」、「パスティ:肉と野菜を包んで焼いたペストリー(食べ物)」、そのほかたくさん意味のわからない単語がありました。
(つづく)
本の表紙カバーをながめてみる。勘違いしていたことに気づきました。海の中にいるのは、人魚姫だと思っていました。人間でした。女性です。主人公のカラ・ウッドでしょう。その後、カラは、中学1年生であることが本を読んでいてわかりました。時期は、1学期最後の週近くです。同居しているデイジーは、カラのいとこで、まだ小学生、高額年ぐらいです。
障害者みたいな男子中学生が登場します。左に傾いています。顔、首、そして、左腕がぶらぶらです。脳性まひと書いてありました。でも、頭脳は明晰です。パソコン操作ができます。カラ・ウッドとジム・ウッド娘と父の所有するヨットモアナ号を買いたいというアンダーセンさんの息子であるフィリクスがその男子中学生です。障害者らしくなく、泳いだり、潜ったりもできます。
カラ・ウッド自身も障害者のようです。ディスレクシア(難読症)とあります。聞いたことがない病気です。父親のジム・ウッドも同じくディスレクシア(難読症)で、文字の読み書きができないそうです。治療は、学習支援のベイカー先生が多重感覚発達法を用いるそうです。
カラ・ウッドの母親の活動が、クジラとイルカを守る慈善団体とあり、クジラを食する文化がある日本人としては複雑な心境に至りました。捕鯨やイルカ漁に対して攻撃的な活動をするシー・シェパードを思い出しました。
「プリマス」という地名が出てきました。どこにあるのかを調べました。イングランド南西部の港湾都市。地図を見ました。ずいぶん南にあります。
比較があります。
娘が、カラ・ウッド、父親が、ジム・ウッド、ふたりの障害が、ディスレクシア(難読症)
息子が、フィリックス、父親が、アンダーセン、息子の障害が脳性まひ
息子が、ジェイク・エヴァンズ、父親が、ダギー・エヴァンズ。ふたりとも悪党
毎年8月の最後の日に行われるレースがあるそうです。
気にいった表現などです。「底引き網漁で、さっき見た世界がごっそりこそげとられてしまう」、「『正しい決断』に至る」、「何度も神さまに祈ったけれど、祈りはかなわなかった。神さまは、いないというような表現」、「パラリンピック用の小型ヨット(パラリンピックは障害者選手のオリンピック)」、「野生動物と愛玩動物(ペット)は違う。野生のイルカと触れ合わないほうがいいというような、魔女と呼ばれる鳥おばさんペンルーナの言葉」、「お金がいるんだよ」
ダギー・エヴァンズの長男アローンは17歳のときに、ダギーのトロール船に乗っていて、波にさらわれた。それは、カラ・ウッドの母親のせいらしい。サンゴ礁を守るためにサンゴ礁を調査するために底引き網漁を10年間禁止してもらったからだという。ずいぶん強引な理屈です。
(つづく)
読み終えました。
課題図書としてふさわしくないのではないかという批判的な立場に立つことになりました。
1番目は、意味の解らない単語が多すぎました。ヨットを中心とした海洋用語、魚、鳥、虫らしきもの、そして、食べ物などです。
2番目は、かたよりがみられます。資本家は悪で、雇用される側は善、解消資源を捕る者が悪で、自然保護団体の人間が善、お金を持っている者は悪で、お金に困っている者は善、どちらか一方だけが悪者ということは、この社会ではありません。感化されやすい(だまされやすい、素直、信じやすい。感情移入しやすい。)年頃の中学生が読んで、かたよった思想を身につけないように注意したい。話ははずれますが、百田尚樹(ひゃくたなおき)作品に「カエルの楽園」があります。きれいごとを追い続けていった結果、国は滅びたのです。
社会はグレーゾーン(灰色の帯の中)にあります。対立するもの同士の話し合いで妥協点を見つけて互いに利益を得て共存していきます。バランス感覚を身につけなければなりません。
また、同一人物でも、悪の面と善の面を併せもっています。そのへんを表現するのが小説の役割です。
3番目は、「インスタント性」です。途中、ありえないようなことが起こっています。パスワードが解読されて、事前練習もなく、映像が放映されています。インスタントラーメンとかインターネットが普及したせいか、考えの浅い人は、なんでも簡単にできると錯覚をしています。なんでもすぐには、できません。
上質なものをつくるためには、気の遠くなるような時間がかかります。瞬間的にできるものは、本物ではなくて、本物に似たものです。
4番目は、障害者の扱いが中途半端でした。提起だけして、その後の展開がありませんでした。
5番目は、野生動物の事故は、自然のままにそっとしておく。人間の手は触れないが原則です。いつもそばに人間がいられるわけではない。命は宿命を背負っている。つらいけれど耐える。泣いて忘れる。動物は動物であって、心をもった人間とは異なる。野生のイルカに所有者はいない。安楽死は悪ではない。
6番目は、ボランティアは、英雄的存在ではない。
7番目は、SNSというのがどういうシステムか知りませんが、無責任な立場の人たちの圧力。文句を言うためには、相手に対する金銭・労働等の提供が前提です。
8番目は、野生動物に名前をつけないほうがいい。映画、「ブタがいた教室」でも劇中で話題になりました。名前を付けると食用ブタでも食べることができない心理に追い込まれるのです。海で暮らすイルカはイルカです。イルカの母子がまるで人間の母子のように書いてありますが、本当とは思えません。
以下、読書の経過です。
あきらめることは、いけないことではない。あきらめなければならないときもある。
この物語は、正解が見えないことを目標にしてしまった。ホタテ貝が守られて繁殖できても、漁業者たちが失業して生活できなくなれば、本末転倒です。底引き網漁という漁法を変えるなどの修正を出していますが、そこは強調されていません。漁業者が絶対悪のような書き方です。法制度によるしばりが登場してきました。
読んでいると、悲しくなってくる物語でした。
全体で289ページのうちの40ページまで読んだところで、読書感想文を書き始めてみます。
舞台は外国ですがどこの国かはまだわかりません。通貨の単位がポンドと出てきますので、イギリス国であるようです。でも、ロンドンではありません。場所は、コーンウォールというところです。港町で、住民の大半は漁業に従事しています。地形を読む限りでは島ではないと思うのですが、イメージは島に近く、わたしが住む愛知県でいうと三河湾に浮かぶ佐久島とか、篠島、日間が島の風景が目に浮かびます。
主人公は女性ですが、年齢はまだわかりません。その名をカラ・ウッドといいます。どうも海洋生物学者で反捕鯨・イルカ漁運動をしている母親ケイが同僚含めて4人で、1年前にソロモン諸島(南太平洋パプアニューギニアの右のほう)にあるホテルにチェックインしたまま行方不明になっていて、今は父親ジム・ウッドの妹べヴ夫婦(カラからみて叔母さん)宅に父子で居候(いそうろう)しています。父親は妻の捜索活動で借金をつくったので、お金がなく困っている様子です。大事な自分の船「モアナ号」を売らねばならぬというところまで追い込まれています。
カラ・ウッドは、気持ちの強いこどもです。いじめっこに負けていません。攻撃されたらやり返して相手を泣かせる勢いです。それから、潜水とか水泳がうまい。気持ちがしっかりしている。お母さんには甘えたい。お母さんが好き。また、両親と自分の3人で暮らしたい。航海したい。
意地悪をする側として、ジェイク・エヴァンズ(同級生男子・このあたりの漁業有力者の息子)、彼の父親が、ダギー・エヴァンズ(漁業で儲けるなら違法行為だってする)がいます。
主人公父子が世話になっているのが、父の妹ベヴおばさん(もうすぐ赤ちゃんが生まれる)、その夫トム、そしてふたりの娘デイジーがいます。
あとは、カラ・ウッドのクラスメートらしく、イーサン(男)、クローイ、エラ、アダム、テッド、そして、カーター先生というような名前が出ていました。
白いイルカは「しるし」とあります。カラ・ウッドにとって、白イルカを目撃することは、行方不明になっている母親が「無事であるしるし」なのです。白イルカと聞くと、水族館で見るジュゴンを思い浮かべます。イルカではありません。人魚と見間違えられると聞いたことがありますが、人魚ほど美しくはありません。
出てくる船用語を集めてみます。「ジブ:船首に張る三角帆」、「主帆:おおきな帆でしょう」、「ブーム:帆の下につける部品」、「スクーナー:縦帆式帆船じゅうはんしきはんせん。2本以上の帆柱に帆を張る。」
わからなかった単語などです。「タカラガイ:丸みあり。光沢あり。陶器のよう。熱帯・亜熱帯地方に生息」、「ハリエニシダ:植物。黄色い花がきれい。この物語の場合、海岸で咲いていて、とげがじゃま」、「ミヤコドリ:45cmほどのカモメみたいな海鳥」、「ツノメドリ:派手な外見、マンガみたいな顔をした海鳥」、「チョコレート・ブラウニー:ひらたく正方形に焼いたチョコレートケーキ」、「カッコウベラ:海の魚」、「チョコフレーク・バー:パラパラチョコで固めた棒状のチョコレート」、「頭につけたティアラ:頭につける装飾品」、「パスティ:肉と野菜を包んで焼いたペストリー(食べ物)」、そのほかたくさん意味のわからない単語がありました。
(つづく)
本の表紙カバーをながめてみる。勘違いしていたことに気づきました。海の中にいるのは、人魚姫だと思っていました。人間でした。女性です。主人公のカラ・ウッドでしょう。その後、カラは、中学1年生であることが本を読んでいてわかりました。時期は、1学期最後の週近くです。同居しているデイジーは、カラのいとこで、まだ小学生、高額年ぐらいです。
障害者みたいな男子中学生が登場します。左に傾いています。顔、首、そして、左腕がぶらぶらです。脳性まひと書いてありました。でも、頭脳は明晰です。パソコン操作ができます。カラ・ウッドとジム・ウッド娘と父の所有するヨットモアナ号を買いたいというアンダーセンさんの息子であるフィリクスがその男子中学生です。障害者らしくなく、泳いだり、潜ったりもできます。
カラ・ウッド自身も障害者のようです。ディスレクシア(難読症)とあります。聞いたことがない病気です。父親のジム・ウッドも同じくディスレクシア(難読症)で、文字の読み書きができないそうです。治療は、学習支援のベイカー先生が多重感覚発達法を用いるそうです。
カラ・ウッドの母親の活動が、クジラとイルカを守る慈善団体とあり、クジラを食する文化がある日本人としては複雑な心境に至りました。捕鯨やイルカ漁に対して攻撃的な活動をするシー・シェパードを思い出しました。
「プリマス」という地名が出てきました。どこにあるのかを調べました。イングランド南西部の港湾都市。地図を見ました。ずいぶん南にあります。
比較があります。
娘が、カラ・ウッド、父親が、ジム・ウッド、ふたりの障害が、ディスレクシア(難読症)
息子が、フィリックス、父親が、アンダーセン、息子の障害が脳性まひ
息子が、ジェイク・エヴァンズ、父親が、ダギー・エヴァンズ。ふたりとも悪党
毎年8月の最後の日に行われるレースがあるそうです。
気にいった表現などです。「底引き網漁で、さっき見た世界がごっそりこそげとられてしまう」、「『正しい決断』に至る」、「何度も神さまに祈ったけれど、祈りはかなわなかった。神さまは、いないというような表現」、「パラリンピック用の小型ヨット(パラリンピックは障害者選手のオリンピック)」、「野生動物と愛玩動物(ペット)は違う。野生のイルカと触れ合わないほうがいいというような、魔女と呼ばれる鳥おばさんペンルーナの言葉」、「お金がいるんだよ」
ダギー・エヴァンズの長男アローンは17歳のときに、ダギーのトロール船に乗っていて、波にさらわれた。それは、カラ・ウッドの母親のせいらしい。サンゴ礁を守るためにサンゴ礁を調査するために底引き網漁を10年間禁止してもらったからだという。ずいぶん強引な理屈です。
(つづく)
読み終えました。
課題図書としてふさわしくないのではないかという批判的な立場に立つことになりました。
1番目は、意味の解らない単語が多すぎました。ヨットを中心とした海洋用語、魚、鳥、虫らしきもの、そして、食べ物などです。
2番目は、かたよりがみられます。資本家は悪で、雇用される側は善、解消資源を捕る者が悪で、自然保護団体の人間が善、お金を持っている者は悪で、お金に困っている者は善、どちらか一方だけが悪者ということは、この社会ではありません。感化されやすい(だまされやすい、素直、信じやすい。感情移入しやすい。)年頃の中学生が読んで、かたよった思想を身につけないように注意したい。話ははずれますが、百田尚樹(ひゃくたなおき)作品に「カエルの楽園」があります。きれいごとを追い続けていった結果、国は滅びたのです。
社会はグレーゾーン(灰色の帯の中)にあります。対立するもの同士の話し合いで妥協点を見つけて互いに利益を得て共存していきます。バランス感覚を身につけなければなりません。
また、同一人物でも、悪の面と善の面を併せもっています。そのへんを表現するのが小説の役割です。
3番目は、「インスタント性」です。途中、ありえないようなことが起こっています。パスワードが解読されて、事前練習もなく、映像が放映されています。インスタントラーメンとかインターネットが普及したせいか、考えの浅い人は、なんでも簡単にできると錯覚をしています。なんでもすぐには、できません。
上質なものをつくるためには、気の遠くなるような時間がかかります。瞬間的にできるものは、本物ではなくて、本物に似たものです。
4番目は、障害者の扱いが中途半端でした。提起だけして、その後の展開がありませんでした。
5番目は、野生動物の事故は、自然のままにそっとしておく。人間の手は触れないが原則です。いつもそばに人間がいられるわけではない。命は宿命を背負っている。つらいけれど耐える。泣いて忘れる。動物は動物であって、心をもった人間とは異なる。野生のイルカに所有者はいない。安楽死は悪ではない。
6番目は、ボランティアは、英雄的存在ではない。
7番目は、SNSというのがどういうシステムか知りませんが、無責任な立場の人たちの圧力。文句を言うためには、相手に対する金銭・労働等の提供が前提です。
8番目は、野生動物に名前をつけないほうがいい。映画、「ブタがいた教室」でも劇中で話題になりました。名前を付けると食用ブタでも食べることができない心理に追い込まれるのです。海で暮らすイルカはイルカです。イルカの母子がまるで人間の母子のように書いてありますが、本当とは思えません。
以下、読書の経過です。
あきらめることは、いけないことではない。あきらめなければならないときもある。
この物語は、正解が見えないことを目標にしてしまった。ホタテ貝が守られて繁殖できても、漁業者たちが失業して生活できなくなれば、本末転倒です。底引き網漁という漁法を変えるなどの修正を出していますが、そこは強調されていません。漁業者が絶対悪のような書き方です。法制度によるしばりが登場してきました。
読んでいると、悲しくなってくる物語でした。
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