2016年05月29日
ABC!曙第二中学校放送部 市川朔久子 2016課題図書
ABC! 曙第二中学校放送部 市川朔久子(いちかわ・さくこ) 講談社 2016課題図書
放送コンクール参加の様子を伝える中学生の青春もの小説だろうか。将来の夢の実現は、ここから始まる。
ABC!は、「Akebono Broadcasting Club 曙第二中学校放送部」です。
当初は、部員が2名しかいません。3年生部長古場和人(こば・かずと)ひょろり黒縁メガネ、機材担当と同じく3年生本庄みさと(ほんじょう・みさと)去年中途入部した副部長です。人数的に、クラブ活動として成立していませんが、顧問の先生として、みさとのお隣にいる飼い犬ポメラニアンのハルと見た目が似た須貝友春(すがい・ともはる。ハルと春が重なる)新任男性先生がいます。
部員は少しずつ増えていきます。1年生の小島珠子(こじま・たまこ)、3年生転校生の真野葉月(まの・はずき)女優・アイドル系の美人だが性格はストレスを抱えて言動に乱暴な面あり。それから、けがをして一時野球部を離れることになった3年生新納基(にいの・もとき。身長180cmぐらい)です。
そこへ、社会科担当・生活指導担当の古権沢正造(こござわ・しょうぞう)とか、澤村亜美と仲間たち(鈴木理沙と田中綾香)、野球部長三田村(3年生の生徒)などがからんできます。ちょっと、氏名の読み方が難しいことが難点です。とくに、「こござわ先生」と「にいの」の読み方が漢字とかけ離れていて読みにくい。
転校生の真野葉月(まの・はずき)は、澤村亜美と仲間たちにからかわれて、「ブス」という言葉を放ちます。彼女は、美形とは正反対の凶暴な面をもっています。
彼女には、朗読部門で放送コンクール全国大会参加という輝かしい栄光があるようですが、彼女はその過去を自己否定しています。そこになにか秘密とか葛藤が感じられます。私立三苑(みその)女学園中学校2年生当時のことです。
部活は、お昼の放送が始まり、部活紹介、好きな教科・そうじゃない教科、ラジオ番組朗読のところまできました。
まだ、読んでいる途中です。全体270ページのうちの148ページまできました。つぎ足しで、感想文を完成させてみます。
教室の中の生活は窮屈ですが、お話の展開は、おもしろそうです。三角関係みたいな、背の高い新入部員(兼野球部員)新納基(にいの・もとき)と主人公本庄みさと、美形の真野葉月の恋話が芽を出しています。
放送文を読み間違えないように注意を払うシーンがあります。そうです。仕事は、速さよりも間違えないことが優先です。間違えると、取り戻すことによけい時間や労力がかかります。
緊張しすぎると間違えます。何度も練習を繰り返して体で覚えます。何も考えなくても体が勝手に動いてくれるようになるまで練習を繰り返します。
アナウンス面で、本庄みさとを教える真野葉月の教え方は厳しい。職場でも仕事に厳しい人はいます。されど、それは、完成度の高い仕事を実現するためです。相手の厳しさにめげてはいけません。教える方は、攻撃的すぎてはいけません。
校庭にある大きな樹木の根上がり(太い根が地上に出ている)に関する記述があります。この部分が伏線となって、後半になにか関連記述が出てきそうです。118ページ付近です。メタセコイア(曙中学校にあるので、愛称は曙杉)
新任の須貝智春先生(犬に似ている)ですが、放送部員である生徒のためにチャンスをつくって、育成する仕事をしています。それは、半分は楽しみでもあります。生きがいに発展することもあります。
真野葉月は相当の美形として語られていますが、美人だから、頭がいいわけではないし、性格がいいわけでもありません。なのに、人は人を外見で判断します。見た目ではなく、目には見えない心をみなければなりません。葉月は、誤解を生む自分の美しい見た目を嫌っています。
わからなかった・わかりにくかった言葉として、「反故紙:ほごがみ。書きそこなって不要になった紙」、「人をだしに使う:利用する」、「オオシマザクラ:野生の桜。伊豆諸島に多い」、「水馬:あめんぼ。昆虫。漢字表記を初めて見ました」、「ペンネ・アラビアータ:料理。短い筒状のパスタに唐辛子をきかせたトマトソースをからませる」、「アンチョビ:カタクチイワシの塩製品」、「サリンジャー:アメリカの小説家。代表作としてライ麦畑で捕まえて」、「禅の公案:ぜんのこうあん。お寺さんの宗教。禅問答。有名な公案として、隻手の声:せきしゅのこえ。両手を打ち合わせると音がする。では片手ではどんな音がしたのか、それを報告しなさい。(なんだか、むずかしくてわからない)」、「面目ない:めんぼくない。失態して恥ずかしくて顔向けできない」、「間遠:まどお。時間的・空間的に離れている」
気に入った表現です。「密度を感じさせる体型(古権沢こござわ先生の体格)」、「主人公の本庄みさとが、出来事などをふりかえって、あれは○とか×と評価を出すこと」、「第一回編成会議だ。(なにもないところに、なにかをつくりだす。それは、楽しいことです。)」、「こちらは、ABC、曙第二中学校放送部です。(すがすがしい)」、「腹筋五十回、背筋五十回、足上げと上体倒し各五十秒を三セット(中学生だからできます。太った年配者には無理です。)」、「メタセコイア・タイム(毎週火曜日お昼の放送の愛称)」、「葉月は自分を押し込めている」、「月曜日は朝から霧のような雨が降りつづいていた」、「(須貝先生の)いいニュースですとか、わるいニュースですという前置き」、「腕を組みぬけぬけと言った」、「(メタセコイア・曙杉の木の根に)つぎつぎにつまずいていった」、「歴然とした(脳力・才能の)差」、「ぎらぎらした瞳」、「同じ方角をながめていた」、「(美形の真野葉月が、男子から葉月と隣にいる女子の顔・スタイルが比較されて隣にいる女子のほうがばかにされるから)わたしといてもいいことはない」、「まだ、途中だよ」、「(ブスとか死ねとかいう言葉は実は、)自分に言っている。自分に自信がある奴は言わない」、「(美人の葉月に向かって)さっさと降りてこい、ブス(新納基にいの・もときは、なんていい奴なのでしょう)」、「好きだよ」、「泣かないで」、「わたしはなにも見えていなかった」
(つづく)
放送部員と放送委員の違いがよくわからないのですが、放送部員はクラブ員で、放送委員は生徒会のメンバーなのでしょう。運動会とか文化祭で案内放送をするのが放送委員のようです。
主人公本庄みさとが、バスケット部で仲間外れのいじめを受けてやむをえず退部したことがわかります。退部したからこそ、放送部で活躍できたということもあります。これは、「再起・再生」の物語でもあります。それでも、バスケットを続けたかったという気持ちがせつない。
素材は「あいさつ」です。「こんにちは」は、世界中で使われる。敵意はありません。仲良くしましょうという意味のメッセージです。
禅の公案部分はむずかしかった。お坊さんになるための修行のひとつなのでしょう。問題を出されてそれに答える。
後半にある古権沢正造教師の放送部作品を否定するためのこだわりはそこまでしなくてもと、不自然でしたが、展開としてやむを得ないのでしょう。おとなもこどもも人間関係は同じだという類似性を出すことには成功しています。
なかなかいい作品でした。互いに言いたいことを言えるのが本当の友情で、そこに至るまでには衝突を繰り返しても再び関係を築けていける「縁(えん。結びつき)」がいります。
放送コンクール参加の様子を伝える中学生の青春もの小説だろうか。将来の夢の実現は、ここから始まる。
ABC!は、「Akebono Broadcasting Club 曙第二中学校放送部」です。
当初は、部員が2名しかいません。3年生部長古場和人(こば・かずと)ひょろり黒縁メガネ、機材担当と同じく3年生本庄みさと(ほんじょう・みさと)去年中途入部した副部長です。人数的に、クラブ活動として成立していませんが、顧問の先生として、みさとのお隣にいる飼い犬ポメラニアンのハルと見た目が似た須貝友春(すがい・ともはる。ハルと春が重なる)新任男性先生がいます。
部員は少しずつ増えていきます。1年生の小島珠子(こじま・たまこ)、3年生転校生の真野葉月(まの・はずき)女優・アイドル系の美人だが性格はストレスを抱えて言動に乱暴な面あり。それから、けがをして一時野球部を離れることになった3年生新納基(にいの・もとき。身長180cmぐらい)です。
そこへ、社会科担当・生活指導担当の古権沢正造(こござわ・しょうぞう)とか、澤村亜美と仲間たち(鈴木理沙と田中綾香)、野球部長三田村(3年生の生徒)などがからんできます。ちょっと、氏名の読み方が難しいことが難点です。とくに、「こござわ先生」と「にいの」の読み方が漢字とかけ離れていて読みにくい。
転校生の真野葉月(まの・はずき)は、澤村亜美と仲間たちにからかわれて、「ブス」という言葉を放ちます。彼女は、美形とは正反対の凶暴な面をもっています。
彼女には、朗読部門で放送コンクール全国大会参加という輝かしい栄光があるようですが、彼女はその過去を自己否定しています。そこになにか秘密とか葛藤が感じられます。私立三苑(みその)女学園中学校2年生当時のことです。
部活は、お昼の放送が始まり、部活紹介、好きな教科・そうじゃない教科、ラジオ番組朗読のところまできました。
まだ、読んでいる途中です。全体270ページのうちの148ページまできました。つぎ足しで、感想文を完成させてみます。
教室の中の生活は窮屈ですが、お話の展開は、おもしろそうです。三角関係みたいな、背の高い新入部員(兼野球部員)新納基(にいの・もとき)と主人公本庄みさと、美形の真野葉月の恋話が芽を出しています。
放送文を読み間違えないように注意を払うシーンがあります。そうです。仕事は、速さよりも間違えないことが優先です。間違えると、取り戻すことによけい時間や労力がかかります。
緊張しすぎると間違えます。何度も練習を繰り返して体で覚えます。何も考えなくても体が勝手に動いてくれるようになるまで練習を繰り返します。
アナウンス面で、本庄みさとを教える真野葉月の教え方は厳しい。職場でも仕事に厳しい人はいます。されど、それは、完成度の高い仕事を実現するためです。相手の厳しさにめげてはいけません。教える方は、攻撃的すぎてはいけません。
校庭にある大きな樹木の根上がり(太い根が地上に出ている)に関する記述があります。この部分が伏線となって、後半になにか関連記述が出てきそうです。118ページ付近です。メタセコイア(曙中学校にあるので、愛称は曙杉)
新任の須貝智春先生(犬に似ている)ですが、放送部員である生徒のためにチャンスをつくって、育成する仕事をしています。それは、半分は楽しみでもあります。生きがいに発展することもあります。
真野葉月は相当の美形として語られていますが、美人だから、頭がいいわけではないし、性格がいいわけでもありません。なのに、人は人を外見で判断します。見た目ではなく、目には見えない心をみなければなりません。葉月は、誤解を生む自分の美しい見た目を嫌っています。
わからなかった・わかりにくかった言葉として、「反故紙:ほごがみ。書きそこなって不要になった紙」、「人をだしに使う:利用する」、「オオシマザクラ:野生の桜。伊豆諸島に多い」、「水馬:あめんぼ。昆虫。漢字表記を初めて見ました」、「ペンネ・アラビアータ:料理。短い筒状のパスタに唐辛子をきかせたトマトソースをからませる」、「アンチョビ:カタクチイワシの塩製品」、「サリンジャー:アメリカの小説家。代表作としてライ麦畑で捕まえて」、「禅の公案:ぜんのこうあん。お寺さんの宗教。禅問答。有名な公案として、隻手の声:せきしゅのこえ。両手を打ち合わせると音がする。では片手ではどんな音がしたのか、それを報告しなさい。(なんだか、むずかしくてわからない)」、「面目ない:めんぼくない。失態して恥ずかしくて顔向けできない」、「間遠:まどお。時間的・空間的に離れている」
気に入った表現です。「密度を感じさせる体型(古権沢こござわ先生の体格)」、「主人公の本庄みさとが、出来事などをふりかえって、あれは○とか×と評価を出すこと」、「第一回編成会議だ。(なにもないところに、なにかをつくりだす。それは、楽しいことです。)」、「こちらは、ABC、曙第二中学校放送部です。(すがすがしい)」、「腹筋五十回、背筋五十回、足上げと上体倒し各五十秒を三セット(中学生だからできます。太った年配者には無理です。)」、「メタセコイア・タイム(毎週火曜日お昼の放送の愛称)」、「葉月は自分を押し込めている」、「月曜日は朝から霧のような雨が降りつづいていた」、「(須貝先生の)いいニュースですとか、わるいニュースですという前置き」、「腕を組みぬけぬけと言った」、「(メタセコイア・曙杉の木の根に)つぎつぎにつまずいていった」、「歴然とした(脳力・才能の)差」、「ぎらぎらした瞳」、「同じ方角をながめていた」、「(美形の真野葉月が、男子から葉月と隣にいる女子の顔・スタイルが比較されて隣にいる女子のほうがばかにされるから)わたしといてもいいことはない」、「まだ、途中だよ」、「(ブスとか死ねとかいう言葉は実は、)自分に言っている。自分に自信がある奴は言わない」、「(美人の葉月に向かって)さっさと降りてこい、ブス(新納基にいの・もときは、なんていい奴なのでしょう)」、「好きだよ」、「泣かないで」、「わたしはなにも見えていなかった」
(つづく)
放送部員と放送委員の違いがよくわからないのですが、放送部員はクラブ員で、放送委員は生徒会のメンバーなのでしょう。運動会とか文化祭で案内放送をするのが放送委員のようです。
主人公本庄みさとが、バスケット部で仲間外れのいじめを受けてやむをえず退部したことがわかります。退部したからこそ、放送部で活躍できたということもあります。これは、「再起・再生」の物語でもあります。それでも、バスケットを続けたかったという気持ちがせつない。
素材は「あいさつ」です。「こんにちは」は、世界中で使われる。敵意はありません。仲良くしましょうという意味のメッセージです。
禅の公案部分はむずかしかった。お坊さんになるための修行のひとつなのでしょう。問題を出されてそれに答える。
後半にある古権沢正造教師の放送部作品を否定するためのこだわりはそこまでしなくてもと、不自然でしたが、展開としてやむを得ないのでしょう。おとなもこどもも人間関係は同じだという類似性を出すことには成功しています。
なかなかいい作品でした。互いに言いたいことを言えるのが本当の友情で、そこに至るまでには衝突を繰り返しても再び関係を築けていける「縁(えん。結びつき)」がいります。
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