2016年05月28日

筑豊ララバイ 中島晶子

筑豊ララバイ(ちくほうららばい) 中島晶子(なかじま・しょうこ) エネルギー・フォーラム


 書店で見かけて、何度か迷って、手にしました。ララバイは子守唄です。
 筑豊は、福岡県の産炭地でした。炭鉱町です。
 
 エネルギー・フォーラム賞受賞作とありますが、なんのことかはわかりません。エネルギーですから、石炭が素材の小説でしょう。

 半分ほど読んだところで、感想を書き始めてみます。
 長屋、ボタ山、共同浴場、共同トイレ、七輪、豆炭、3交代制勤務、映画館、行商の魚売り、さらに、アル中と貧困、暴力がありました。方言が心に響いてきます。

 個人の思い出をどう広げていくのか。民族史です。
 家族、近所づきあい、他人との関係、いまとは、ずいぶん違います。べたべたしたプライバシーのない人間関係は、その頃、炭鉱町に限らず、日本各地にあったものです。よかった点もありますし、よくなかった点もありました。自然淘汰されて、現在の生活があります。

 流れ者と呼ばれた母子家庭4人の暮らしぶりには、悲しみが深まりました。それでも、その後、がんばって、人並み以上の暮らしに到達できた人たちはたくさんいると思います。ただし、思い出したくない過去ですから、口は開かないでしょう。

 暮らしに荒れた部分はありましたが、音楽とか文学とか、絵画とか、芸術面では優れた人材も輩出されています。創造するエネルギーが盛んな地域でした。そういった面では、目に見える石炭のエネルギーと相乗効果があったように思います。

 最初、活字の印字が薄く感じましたが、読み進めるうちになんとも思わなくなりました。

印象に残った表現として、「炭鉱はのうなるとですか」、「大人の社会にはきまりごとがある」、「俺は、いっぱい本を読んどるからわかる」、「醤油(しょうゆ)、かしちゃらん(依頼の意味。通常、貸しても返ってこない)」、「終戦時、(アジア系外国人から)日本人は憎まれていた」、「炭鉱へ行くと聞いたとき最初は失望した。けれど、行ってみたら心配いらない地域だった」、「助け合うことが当たり前の生活をしていた」

「おきゅうと:福岡県名産品。海藻を加工した食品」、「ビックリ水:差し水。吹きこぼれ防止とか麺を芯までゆでるため」、「香具師:てきや。縁日の大道芸人」

 けっこう読みでがある文章量です。長期間かけて、コツコツと続けられたことがわかります。

(つづく)

 小児麻痺が流行したお話が出てきます。
 みんな、病気やケガが多い生活や労働を続けて生きていきます。
 なんだろう、読みながら、炭鉱町版の日本映画「三丁目の夕日」だと思いました。

 子どもの数が減っていくことで町がさびれていく。今の、日本、地方の状況です。地方どころか都会も高齢者ばかりです。

 炭鉱労働者に対する差別がありますが、いまでは、炭鉱自体がなくなりました。

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