2016年05月22日
拳の先 角田光代
拳の先(こぶしのさき) 角田光代 文藝春秋
作者自身が女性だてらにボクシングを習っている記事をどこかで読んだことがあります。ずいぶん前です。その後、本作品が、新聞に連載されているのを見たことがあります。かわいらしい童顔の彼女がボクシングという血を見る格闘技をすることから人は見かけではわかりません。
2007年1月から始まります。
物語の進行役が、那波田空也(なわた・くうや)33歳轟出版(とどろき)所属で、以前3年間、ボクシング雑誌「ザ・拳(こぶし)」の担当編集部員をしていた。彼の彼女が、源川つた絵(みながわ)、ほかに、アニメ作家として、久須田蒼介(くすだ・そうすけ)1978年生29歳、プロボクサーとして、鉄槌ジム所属ライト級(58.967kg-61.235kg)2004年日本チャンピョン、現在ライト級一位タイガー立花(本名立花望)、彼のトレーナーが萬羽耕太郎(ばんば・こうたろう、古いレコード店経営者)、そして、スーパーフライ級日本4位(50.802kg-52.163kg)坂本秀志路(さかもと・ひでしろ)選手がいます。坂本選手の友人が中上真(なかがみ・まこと。昔は選手、今、ボクシングは趣味)です。そのほか、木暮修造会長(こぐれ・しゅうぞう)、丸尾剣・智子マネージャー夫婦、有田トレーナー、林トレーナー、ヨドバシジムの選手片田光平などがいます。有望株として、岸本修斗(きしもと・しゅうと)選手。高卒後、闘拳ジム(とうけん)に所属予定。
「おかもと・のりや」4年生の男の子でボクシングジムの生徒。岡本理弥。父は大学教育学部の先生。(風貌は夫婦そろってフォーク歌手風)
今、58ページ付近です。できれば、今日中に読み終えたい。
しっかり書き込んである作品です。全体で540ページありますが、700ページぐらいの実感があります。
文学賞新人賞とプロボクシング新人賞の比較記述は、この作家さんにしかできない。
「空也」という名前が、以前読んだ、京都市内にあるお寺さんの空也像と重なってしまい、今、その記憶をふりきっている。
作者は女子、素材はボクシングで、作者は、読者にどんなメッセージを発したいのだろう。
意味が取れなかった単語として、「スコーン:スコットランド料理。パン」、「マッコリ:朝鮮の酒。原料米」、「クッパ:韓国料理。スープとごはんの雑炊」、「憐憫:れんびん。かわいそうに思うこと」、「ヒール:悪役」、「パクチー:韓国野菜(以前、別の小説でも読んで調べましたが、実際にものを見た意識が無いので、今回もわかりませんでした。)」
(つづく)
失礼な作家の久須田蒼介29歳は、タイガー立花選手33歳を「ゾンビ、ゾンビ」と言う。ゾンビとは、死体のままよみがえった人間。久須田蒼介は、めんどくさい人間です。彼によると、彼が手掛けようとしているボクシング小説のテーマは、人は努力でどこまでいけるのか。努力と才能だと、どちらが勝つのか。すると、努力は、「タイガー立花33歳」で、才能は、「岸本修斗(高卒ルーキー)」ということになるのだろう。
印象深かった場面などです。「だれもが物語をほしがっている。」、「殺気が走った。」、「困ったら、すぐに話すんだ。」、「残念会やるから、おいでよ」、「負けたら次は、もっと強くなれる。」、「逃げることは、見つけにいくこと」、「かっこよすぎる。(だから、ファンになれない。)」、「ボクサーをアーティストにする。(読み手は反発する。)」、「防御のために拳を振り回す。」、「極限に至ったときに見える、聴こえる、幻想、音」、「敵は、人じゃない。」、「この先は、ないということがわかる。」、「(恐怖という)化け物につかまっていないように。」
106ページにある男女ふたりの食い逃げは、今後、なにかで呼び起こされる意味があるのだろうか。
(今週ゴールデンウイークは、毎日、ロングランで本読みを続けています。主に東京を舞台として繰り広げられる物語群です。街には、ドラマがあふれている。あっちもこっちも人がいればそこにお話がある。)この感想文は、今月5月初めに書きました。今は5月下旬です。
(つづく)
途中外出して、3時間のドライブを終えて、帰宅後読み続けて、午後7時00分に読み終えました。
ラスト付近は感動で涙がにじみました。タイ人少年がよかった。
ボクシングの魅力をまんべんなく描ききった作品でした。拳の先にあるのは「恐怖心」という化け物である。人は、逃げるために闘う。
練習後、試合後、ボクサー本人以外のひとたちがよくアルコールを呑むのは意外でした。料理や食事の内容が、韓国料理や中華が多いのも意外でした。
小学生少年岡本理弥(おかもと・のりや 登場時は4年生)のいじめ話が場違いのように感じたのですが、途中から違和感がなくなりました。
ボクシングジム日記を読むようでもありました。格闘シーンは迫力に満ちていました。
物語は、2011年で終わっています。夢を抱いて生き続ける。拳の先にある弱音を追い払う。努力を積んで、最後には、勝ち負けにこだわらなくなる。わかったような気になりました。
作者は、両手の手のひらで、ボクシングという世界を包み込もうとした。その世界は、オーラー(人から出る光)を発して、作者の両手の指先からこぼれ出て輝きながら拡散していった。
(翌日)
思い出したいい言葉があります。
「勝とうとすればするほど、遠ざかっていくものがある」
作者自身が女性だてらにボクシングを習っている記事をどこかで読んだことがあります。ずいぶん前です。その後、本作品が、新聞に連載されているのを見たことがあります。かわいらしい童顔の彼女がボクシングという血を見る格闘技をすることから人は見かけではわかりません。
2007年1月から始まります。
物語の進行役が、那波田空也(なわた・くうや)33歳轟出版(とどろき)所属で、以前3年間、ボクシング雑誌「ザ・拳(こぶし)」の担当編集部員をしていた。彼の彼女が、源川つた絵(みながわ)、ほかに、アニメ作家として、久須田蒼介(くすだ・そうすけ)1978年生29歳、プロボクサーとして、鉄槌ジム所属ライト級(58.967kg-61.235kg)2004年日本チャンピョン、現在ライト級一位タイガー立花(本名立花望)、彼のトレーナーが萬羽耕太郎(ばんば・こうたろう、古いレコード店経営者)、そして、スーパーフライ級日本4位(50.802kg-52.163kg)坂本秀志路(さかもと・ひでしろ)選手がいます。坂本選手の友人が中上真(なかがみ・まこと。昔は選手、今、ボクシングは趣味)です。そのほか、木暮修造会長(こぐれ・しゅうぞう)、丸尾剣・智子マネージャー夫婦、有田トレーナー、林トレーナー、ヨドバシジムの選手片田光平などがいます。有望株として、岸本修斗(きしもと・しゅうと)選手。高卒後、闘拳ジム(とうけん)に所属予定。
「おかもと・のりや」4年生の男の子でボクシングジムの生徒。岡本理弥。父は大学教育学部の先生。(風貌は夫婦そろってフォーク歌手風)
今、58ページ付近です。できれば、今日中に読み終えたい。
しっかり書き込んである作品です。全体で540ページありますが、700ページぐらいの実感があります。
文学賞新人賞とプロボクシング新人賞の比較記述は、この作家さんにしかできない。
「空也」という名前が、以前読んだ、京都市内にあるお寺さんの空也像と重なってしまい、今、その記憶をふりきっている。
作者は女子、素材はボクシングで、作者は、読者にどんなメッセージを発したいのだろう。
意味が取れなかった単語として、「スコーン:スコットランド料理。パン」、「マッコリ:朝鮮の酒。原料米」、「クッパ:韓国料理。スープとごはんの雑炊」、「憐憫:れんびん。かわいそうに思うこと」、「ヒール:悪役」、「パクチー:韓国野菜(以前、別の小説でも読んで調べましたが、実際にものを見た意識が無いので、今回もわかりませんでした。)」
(つづく)
失礼な作家の久須田蒼介29歳は、タイガー立花選手33歳を「ゾンビ、ゾンビ」と言う。ゾンビとは、死体のままよみがえった人間。久須田蒼介は、めんどくさい人間です。彼によると、彼が手掛けようとしているボクシング小説のテーマは、人は努力でどこまでいけるのか。努力と才能だと、どちらが勝つのか。すると、努力は、「タイガー立花33歳」で、才能は、「岸本修斗(高卒ルーキー)」ということになるのだろう。
印象深かった場面などです。「だれもが物語をほしがっている。」、「殺気が走った。」、「困ったら、すぐに話すんだ。」、「残念会やるから、おいでよ」、「負けたら次は、もっと強くなれる。」、「逃げることは、見つけにいくこと」、「かっこよすぎる。(だから、ファンになれない。)」、「ボクサーをアーティストにする。(読み手は反発する。)」、「防御のために拳を振り回す。」、「極限に至ったときに見える、聴こえる、幻想、音」、「敵は、人じゃない。」、「この先は、ないということがわかる。」、「(恐怖という)化け物につかまっていないように。」
106ページにある男女ふたりの食い逃げは、今後、なにかで呼び起こされる意味があるのだろうか。
(今週ゴールデンウイークは、毎日、ロングランで本読みを続けています。主に東京を舞台として繰り広げられる物語群です。街には、ドラマがあふれている。あっちもこっちも人がいればそこにお話がある。)この感想文は、今月5月初めに書きました。今は5月下旬です。
(つづく)
途中外出して、3時間のドライブを終えて、帰宅後読み続けて、午後7時00分に読み終えました。
ラスト付近は感動で涙がにじみました。タイ人少年がよかった。
ボクシングの魅力をまんべんなく描ききった作品でした。拳の先にあるのは「恐怖心」という化け物である。人は、逃げるために闘う。
練習後、試合後、ボクサー本人以外のひとたちがよくアルコールを呑むのは意外でした。料理や食事の内容が、韓国料理や中華が多いのも意外でした。
小学生少年岡本理弥(おかもと・のりや 登場時は4年生)のいじめ話が場違いのように感じたのですが、途中から違和感がなくなりました。
ボクシングジム日記を読むようでもありました。格闘シーンは迫力に満ちていました。
物語は、2011年で終わっています。夢を抱いて生き続ける。拳の先にある弱音を追い払う。努力を積んで、最後には、勝ち負けにこだわらなくなる。わかったような気になりました。
作者は、両手の手のひらで、ボクシングという世界を包み込もうとした。その世界は、オーラー(人から出る光)を発して、作者の両手の指先からこぼれ出て輝きながら拡散していった。
(翌日)
思い出したいい言葉があります。
「勝とうとすればするほど、遠ざかっていくものがある」
この記事へのトラックバックURL
http://kumataro.mediacat-blog.jp/t116558
※このエントリーではブログ管理者の設定により、ブログ管理者に承認されるまでコメントは反映されません