2015年12月25日

わが心のジェニファー 浅田次郎

わが心のジェニファー 浅田次郎 小学館

 131ページまで読んだところで感想を書き始めます。全体で364ページの作品です。
 主人公30歳過ぎアメリカ人男性ラリー(ローレンス・クラーク)は、両親の顔を知りません。離婚後ふたりとも再婚しています。以降交流がありません。ラリーは祖父母に育てられました。そんな彼が結婚するにあたり、日本びいきの彼女であるジェニファーから、日本をひとりで旅してくるよう条件を出されました。その理由はまだ明確ではありません。

 日本・日本人の紹介小説です。成田空港から都内、京都の清水寺、三十三間堂まで来ました。まだ、いまのところ、アメリカ人ラリーが旅をしているというよりは、作家浅田次郎氏が旅をしているような雰囲気です。

 「孤独」があります。両親を知らないラリーです。
 日本人の観察日記のようです。読んでいて、タクシー運転手のふるまい、言葉遣い(英語混じり)には声を出して笑いました。

 わからなかった言葉として、「ソーシャライツ:社交界の名士。ラリーの立場は、祖父が退役海軍少将、アッパーウェストサイドのアパートメントに住み、ウォール街の投資会社に勤めている上流階級」、「トゥミ:かばんの製造メーカー。同社のかばん」、「オン・マイ・マインド:ずっと考えている」、「フェミニスト:女性を大事にする男性」、「パラキートの囀り(囀り):インコのさえずり」、「コペルニクス的な転回:物事の見かたが180度変わること」

 ラリーを育てて、10年前に亡くなった祖母はこう言っていた。人でなしの母親を育てたのは、わたしです。祖母は、再婚したラリーの母親を一族から排除した。
 ラリーは思う。自分には兄弟姉妹もいない。いや、それぞれ再婚した両親に子どもがいるに違いない。
 ラリーは、自分の存在について、不安定な気持ちでいます。

 ラリーの祖父からは、「油断のならない日本民族とか油断のならない日本の町」というフレーズが頻繁に出ます。

(つづく)

 読み終えました。最後は感動的で涙しました。ただ、最後半部にきて、あまりにもつながりが唐突(とうとつ。突然)です。

 ラリーにとっては、自分のルーツをたずねる旅でした。彼は何も知らなかった。

 九州別府温泉あたりの記事は、映画「テルマエロマエ」を思い出させるものでした。あったかい温泉につかっているような気分になりました。
 ラリーは、自分が結婚するにあたり、両親が離婚していることをかなり苦にしている。(自分も離婚するのではないかという不安をかかえているのかもしれない。米国の離婚率は夫婦4組に1組)

 小説の内容は、「日本褒め(ほめ)」です。米国民・米国との比較もあります。作者の個性が反映されているのか、ラリーはうぬぼれ屋です。記述の内容は「昭和時代」のことです。古いのはやむをえません。時代が変わりました。

 気に入った表現として、読書ばかりしていた。テレビは見なかった。結果、人並みの社会性を身につけられなかった。それから、日本人の全体主義のこと。オリジナルよりもスタンダードを優先する。アメリカ人はみんなのしあわせなんて考えていない。成功と失敗があるだけ。

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