2015年12月17日
武道館 朝井リョウ
武道館 朝井リョウ 文藝春秋
先日読んだ吉本ばなな作「ふなふな船橋」同様に、両親の離婚話から始まる。現代を生きる子どもたちにとって、両親の離婚は身近だ。ひとり親家庭で育つこどもが多くなった。両親は離婚するだけでなくて、再婚したりもする。
40ページぐらいまで、登場人物の紹介が続きます。
6人の女子によるアイドルグループNEXT YOUです。メンバーのひとり、尾見谷杏佳(きょうか)が卒業します。残った5人で、全国ツアーとか、握手会とか、水着撮影でがんばるのです。14歳中2の鶴井るりか、15歳高1の安達真由、19歳ひとり暮らしの坂本波奈(はな)、堂垣内碧(あおい)は美人です。そして、本編の主人公愛子は17歳で、両親は離婚して、父親と二人暮らし、母親は再婚してどっかいっちゃったみたいです。マンションの上の部屋には、幼馴染の同級生大也がいます。彼は、剣道の達人です。
アイドルグループのなりわいが書いてあります。彼女たちは「商品」です。歌は売れない時代です。無料で手に入る時代です。なんでもネットで、無料で手に入る。作者は、お金を払って手にいれる「価値」にこだわります。
作者には、もうひとつ、こだわりがあります。自分の手元(スマホ)にしか集中できない人たち。彼らを一つの目標(おそらく人類の目標)に集中させることができるのか。
親が離婚した主人公像がはやる(流行する)のは、現代の家族関係を象徴していると感じました。
(まだ、読みかけなので、つづく)
作者は、両親の職業である父の印刷会社、母の美容師、そして、愛子がアイドルで目指す武道館、大也が剣道で目指す武道館、リンクするものを置いていきます。作品の後半で、それらは強いつながりをもってくるのでしょう。
作者は観察したことの事実を文章で積み上げていきます。さすが、他の作家の作品と比較すると質が高い。
アイドルグループの追っかけ評論家みたいなポジションにいる「サムライ」という男性のコメントには、鬼気迫るものがあります。
小説の舞台となる名古屋の地名が身近です。
アイドルたちがくつろぐ温泉付きのパーキングエリアは、湾岸自動車道にあるハイウェイオアシス刈谷をイメージしました。
青春時代がせつなく表現された良策です。今(この瞬間)に生きる。未来は想定できない。授業参観(コンサート)と席替え(握手会)と呼ばれるお仕事に精を出す。
パーキングエリアで座って話す碧と愛子。その形で、別の場所でも話す。その姿が時が経って思い出されるとせつなくなる。
思い出があるから、武道館に立ちたい。その頃、家族がそろっていた。
家族とか家庭の幸せを求める少女の気持ちが根底にある作品です。
(いったん読み終えて)
どうしたのだろう。
尻すぼみのように終わってしまった。
コンサートの日、4月1日までに、何かハプニングが起こると思っていた。
起こらない。
どうしたことか。
フォーカスのような盗撮写真の話になる。
人間って何だろうとか、恋愛制限まで職業に条件を付けられるのだろうかとか、疑問は広がる。
アイドル考が続く。アイドルだって人間だ。アイドルだって恋はする。そんなことを考えだすと、なかなかアイドルにはなれない。
(再度、後半部を読みなおす)
会場が、武道館と東京武道館とふたつあって、予約ミスで、東京武道館を予約してしまったことによるハプニングが発生すると予想しましたが、そうはなりませんでした。
あわせて、予約日4月1日は、じつは、コンサートを開催する日付ではなかったというハプニングを予想しましたが、それもはずれました。
2期生4人を迎えて、メンバーは9人にふくらんだ。候補生を入れると13人。次にまたひとり卒業するから12人に減る。グループが単体で人格をもつ。法人みたい。そして、グループの人生として生きる。会社には会社の人生がある。
アイドルだけが、人の道とは思えない。
「変わる」という作者からのメッセージをつかんだ。
辞めるなら辞めてもらっていいけれど、責任を果たしてから辞めてほしい。
ふーっ。そういうことか。時は流れた。せつなくも、女子は強い。
(さらに考察する)
作者の構想が、最後半部に差し掛かった時に破綻した。そうとしか思えない。終わり方が平凡すぎる。何があったのだろう。文字化されなかった物語が空間に浮いている。
先日読んだ吉本ばなな作「ふなふな船橋」同様に、両親の離婚話から始まる。現代を生きる子どもたちにとって、両親の離婚は身近だ。ひとり親家庭で育つこどもが多くなった。両親は離婚するだけでなくて、再婚したりもする。
40ページぐらいまで、登場人物の紹介が続きます。
6人の女子によるアイドルグループNEXT YOUです。メンバーのひとり、尾見谷杏佳(きょうか)が卒業します。残った5人で、全国ツアーとか、握手会とか、水着撮影でがんばるのです。14歳中2の鶴井るりか、15歳高1の安達真由、19歳ひとり暮らしの坂本波奈(はな)、堂垣内碧(あおい)は美人です。そして、本編の主人公愛子は17歳で、両親は離婚して、父親と二人暮らし、母親は再婚してどっかいっちゃったみたいです。マンションの上の部屋には、幼馴染の同級生大也がいます。彼は、剣道の達人です。
アイドルグループのなりわいが書いてあります。彼女たちは「商品」です。歌は売れない時代です。無料で手に入る時代です。なんでもネットで、無料で手に入る。作者は、お金を払って手にいれる「価値」にこだわります。
作者には、もうひとつ、こだわりがあります。自分の手元(スマホ)にしか集中できない人たち。彼らを一つの目標(おそらく人類の目標)に集中させることができるのか。
親が離婚した主人公像がはやる(流行する)のは、現代の家族関係を象徴していると感じました。
(まだ、読みかけなので、つづく)
作者は、両親の職業である父の印刷会社、母の美容師、そして、愛子がアイドルで目指す武道館、大也が剣道で目指す武道館、リンクするものを置いていきます。作品の後半で、それらは強いつながりをもってくるのでしょう。
作者は観察したことの事実を文章で積み上げていきます。さすが、他の作家の作品と比較すると質が高い。
アイドルグループの追っかけ評論家みたいなポジションにいる「サムライ」という男性のコメントには、鬼気迫るものがあります。
小説の舞台となる名古屋の地名が身近です。
アイドルたちがくつろぐ温泉付きのパーキングエリアは、湾岸自動車道にあるハイウェイオアシス刈谷をイメージしました。
青春時代がせつなく表現された良策です。今(この瞬間)に生きる。未来は想定できない。授業参観(コンサート)と席替え(握手会)と呼ばれるお仕事に精を出す。
パーキングエリアで座って話す碧と愛子。その形で、別の場所でも話す。その姿が時が経って思い出されるとせつなくなる。
思い出があるから、武道館に立ちたい。その頃、家族がそろっていた。
家族とか家庭の幸せを求める少女の気持ちが根底にある作品です。
(いったん読み終えて)
どうしたのだろう。
尻すぼみのように終わってしまった。
コンサートの日、4月1日までに、何かハプニングが起こると思っていた。
起こらない。
どうしたことか。
フォーカスのような盗撮写真の話になる。
人間って何だろうとか、恋愛制限まで職業に条件を付けられるのだろうかとか、疑問は広がる。
アイドル考が続く。アイドルだって人間だ。アイドルだって恋はする。そんなことを考えだすと、なかなかアイドルにはなれない。
(再度、後半部を読みなおす)
会場が、武道館と東京武道館とふたつあって、予約ミスで、東京武道館を予約してしまったことによるハプニングが発生すると予想しましたが、そうはなりませんでした。
あわせて、予約日4月1日は、じつは、コンサートを開催する日付ではなかったというハプニングを予想しましたが、それもはずれました。
2期生4人を迎えて、メンバーは9人にふくらんだ。候補生を入れると13人。次にまたひとり卒業するから12人に減る。グループが単体で人格をもつ。法人みたい。そして、グループの人生として生きる。会社には会社の人生がある。
アイドルだけが、人の道とは思えない。
「変わる」という作者からのメッセージをつかんだ。
辞めるなら辞めてもらっていいけれど、責任を果たしてから辞めてほしい。
ふーっ。そういうことか。時は流れた。せつなくも、女子は強い。
(さらに考察する)
作者の構想が、最後半部に差し掛かった時に破綻した。そうとしか思えない。終わり方が平凡すぎる。何があったのだろう。文字化されなかった物語が空間に浮いている。
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