2015年11月27日
Masato(まさと) 岩城けい
Masato(まさと) 岩城けい 集英社
海外赴任ファミリーの苦悩が書かれています。いっきに、100ページ付近まで読みました。
赴任先はオーストラリアで、都市名の記載がありませんが、Masatoが通うのはオーチャード・クリーク小学校です。自宅から徒歩5分とあります。
安藤ファミリーの構成は、自動車会社勤務の夫、専業主婦の妻(海外暮らしでコーネンキもあり、イライラがつのっています。)、高校受験の長女(東京の高校へ通うために途中で単身帰国)、そして、今回の物語の主役真人君(小学5年からスタート、でも年齢は6年生の年齢)です。彼は終始「漢字」が苦手で、「安藤真人」という漢字の名前をオーストラリアの学校では書くことがありません。
Masatoは、どこの国でもあろう転校生いじめにあいますが、サッカーを通していじめを克服していきます。
衝突があります。Masatoと母親、夫と妻、異国で暮らすのは大変です。通じない言葉、夫の会社での人間関係を引きずったまま人づきあいをしなければならない社宅みたいな暮らし、学校教育、たとえば、日本のように玄関で靴を脱ぐ習慣がない外国の家、食生活の違いなど、とくに奥さんに、ストレスがたまります。帰国子女だからといって、バイリンガル(多言語を話せる)であるわけもなく、数学の学力が十分であるわけでもない。
読んでいると、「こだわり」を捨てないと幸せになれないという気持ちになりました。見た目で、日本人・外国人の区別をしない。(異国人の顔をしていても日本語しか話せないとか)、安定志向の就職を目指さないとか。何人(国籍、なにじん)ではなく、国際人として生きる。地球人として生きるのです。
Masatoはまだ、小学生です(実はもう中学1年生の年齢だけど)。けんかばかりが続きます。そして、ついにおとうさんとおかあさんは口をきかなくなってしまいました。
(つづく)
午後1時過ぎから読み始めて、午後5時過ぎに読み終えました。
なかなか激しいバトルがありました。家庭が壊れていく様は、作品「サラバ!」を思い浮かべます。一般的ではありませんが、夫婦・親子家族そろっての海外赴任は大変そうです。内容はかなり物悲しい。これを読むとお父さんひとりで、単身赴任でいってらっしゃいとなります。
Masatoのひとり語りが延々と続きます。その筆記手法は、「ライ麦畑で捕まえて」とか、「スタンド・バイ・ミー」です。青春時代の苦悩を主人公が語り続けます。
親離れ、子離れをテーマのひとつにしている物語です。母親のほうが、なかなか息子離れができない。7月18日がMasatoの誕生日ですが、オーストラリアは冬、日本は夏です。季節の対比まで対立しているようです。
子どもの自主性に任せて、親は反対しないのが、基本であり、鉄則です。だけど、それがなかなかできない。親はこどものためと思って、子どもの意思に反対します。母と息子の対立は厳しい。夫も疲れ果てています。途中、Masatoがやつれた父親を見て、九州のおじいちゃんに似てきたと表現するあたりは男としてじんとくるものがありました。
各自がやりたいことをやろうとしたら家族がばらばらになった。Masatoの最後の観察眼がよかった。
海外赴任ファミリーの苦悩が書かれています。いっきに、100ページ付近まで読みました。
赴任先はオーストラリアで、都市名の記載がありませんが、Masatoが通うのはオーチャード・クリーク小学校です。自宅から徒歩5分とあります。
安藤ファミリーの構成は、自動車会社勤務の夫、専業主婦の妻(海外暮らしでコーネンキもあり、イライラがつのっています。)、高校受験の長女(東京の高校へ通うために途中で単身帰国)、そして、今回の物語の主役真人君(小学5年からスタート、でも年齢は6年生の年齢)です。彼は終始「漢字」が苦手で、「安藤真人」という漢字の名前をオーストラリアの学校では書くことがありません。
Masatoは、どこの国でもあろう転校生いじめにあいますが、サッカーを通していじめを克服していきます。
衝突があります。Masatoと母親、夫と妻、異国で暮らすのは大変です。通じない言葉、夫の会社での人間関係を引きずったまま人づきあいをしなければならない社宅みたいな暮らし、学校教育、たとえば、日本のように玄関で靴を脱ぐ習慣がない外国の家、食生活の違いなど、とくに奥さんに、ストレスがたまります。帰国子女だからといって、バイリンガル(多言語を話せる)であるわけもなく、数学の学力が十分であるわけでもない。
読んでいると、「こだわり」を捨てないと幸せになれないという気持ちになりました。見た目で、日本人・外国人の区別をしない。(異国人の顔をしていても日本語しか話せないとか)、安定志向の就職を目指さないとか。何人(国籍、なにじん)ではなく、国際人として生きる。地球人として生きるのです。
Masatoはまだ、小学生です(実はもう中学1年生の年齢だけど)。けんかばかりが続きます。そして、ついにおとうさんとおかあさんは口をきかなくなってしまいました。
(つづく)
午後1時過ぎから読み始めて、午後5時過ぎに読み終えました。
なかなか激しいバトルがありました。家庭が壊れていく様は、作品「サラバ!」を思い浮かべます。一般的ではありませんが、夫婦・親子家族そろっての海外赴任は大変そうです。内容はかなり物悲しい。これを読むとお父さんひとりで、単身赴任でいってらっしゃいとなります。
Masatoのひとり語りが延々と続きます。その筆記手法は、「ライ麦畑で捕まえて」とか、「スタンド・バイ・ミー」です。青春時代の苦悩を主人公が語り続けます。
親離れ、子離れをテーマのひとつにしている物語です。母親のほうが、なかなか息子離れができない。7月18日がMasatoの誕生日ですが、オーストラリアは冬、日本は夏です。季節の対比まで対立しているようです。
子どもの自主性に任せて、親は反対しないのが、基本であり、鉄則です。だけど、それがなかなかできない。親はこどものためと思って、子どもの意思に反対します。母と息子の対立は厳しい。夫も疲れ果てています。途中、Masatoがやつれた父親を見て、九州のおじいちゃんに似てきたと表現するあたりは男としてじんとくるものがありました。
各自がやりたいことをやろうとしたら家族がばらばらになった。Masatoの最後の観察眼がよかった。
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