2015年09月16日

君の膵臓をたべたい 住野よる

君の膵臓をたべたい 住野よる 双葉社

 グロテスクなタイトルで、意味は不明。だけど、よく売れている小説らしい。だけどやっぱり、タイトルは奇抜すぎる。
 読み始めました。今、100ページを過ぎたあたりです。病名は明記されていないけれど、彼女はすい臓がんらしい。助からない。助からないというか、冒頭は、彼女の葬式から始まります。女子高生山内桜良(さくら)17歳。なぜ、膵臓を食べたいかというと、悪い部分を食べると病気が治るという迷信。山内をサポートする主人公男子の名前はまだ明らかにされていない。図書委員、【秘密を知っているクラスメイト】・【地味なクラスメイト】→【仲良し】くん→【親友と不可解な関係のクラスメイト】→【噂されているクラスメイト】→【目立たないクラスメイト】→【許せない相手】→【ひどいクラスメイト】と表記される。この小説は、あれやこれやが明らかにされない。ふたりが新幹線で行ったさきは、福岡県であり、大宰府天満宮であり、博多中洲の屋台街、変わった外観のビルディングであるキャナルシティであろうことはわかるが固有名詞は登場させていない。
 章の区切りが長くて読みにくい。疲れます。
 自問自答のような時系列方式の記述が続きます。苦痛あり。読み手のことを考えてほしい。ときおり、どちらの人物が発したセリフかわかりにくい部分があります。あと、「流石(さすが)」という単語が多用されています。気になります。

 「君の膵臓を食べたい」と言ったのは、山内で、聞き手は男子の【仲良し】です。「カニバリズム」という聞いたことがない単語が男子【仲良し】の口から出ます。調べました。<人間が人間の肉を食べる行動>
 自分の内臓を食べるのではなく、他人の内臓を食べると、自分のその内臓が治るらしい。
 あと、わからない言葉として、うしろのほうで、「ソフビ人形」なる言葉が登場します。ソフトビニール製の人形、特撮もののキャラが多い。
 
 山内桜良がつけている記録が「共病文庫」という名称です。その部分で、高野悦子さんの「二十歳の原点」が思い浮かびました。むかし、京都で鉄道に飛び込み自殺をされた栃木県出身の女子大生の日記です。

 女子にリードしてもらいたい男子がいます。こんなふうになったらいいなという恋にあこがれる年齢です。彼は気弱です。傍観者でありたいと書中で、自分を評しています。

 映像化が意識してあるのかな。小説としての文章の描写力は弱いけれど、脚本としての場面展開はいい。

(つづく)

 もうあと数ページで読み終わりますが、ここで、感想を付け加えてみます。
 タイトルの由来は、「爪のあかをせんじて飲む」ということわざからきています。そうかと、腑に落ちました。
 主人公男子の氏名は最後まで出てこないようです。ほかにもあいまいな部分が多い。それが、この作家さんの持ち味なのでしょう。(最後近くに氏名が出てきたのでびっくり)
 主人公は、内にこもる性格です。なにか、心の障害があるような雰囲気です。周囲にいる人と適応できていない。
 最後のあたりのひっくりかえし(転換)は、読み手としては受け入れることができません。だまされた感があります。それまでの経過を否定しない方が素直でいい。

 「真実と挑戦」というゲームが出てきます。真実と挑戦とどちらかを選択します。「選択」という言葉が、この小説のキーワードでもあります。真実は、どうしても聴きたいことを質問するので嘘をつかずに答える。挑戦は、相手がどうしてもしてほしいことを相手に要求されて自分がする。

 後半近くまで、図書委員男子の心の中の表現ばかりです。肝心の女子の心理描写は薄い。最後半部になって、女子が書いた「共病日記」の記事を読む手法で、女子の気持ちが表面に出ます。女子の心、その部分の表現量が少ないのは不十分。
 なんだろう。病気で死ぬ本人の気持ちは始まりからうしろの部分までの間、ほとんど語られていません。彼女とつきあう男子の視点は傍観者で、彼女の死は自分に罪はないという心もちをしているようにも見えます。ふわーっとした意識があるだけ。読んでいて泣けません。世代とか育ち方の違いを感じます。
 213ページに男子の気持ちが入った文節があります。「ずっと、まわりのだれにも興味をもたないでおこうと思っていた」。なぜ? 要因となった体験があるはずです。

 とある行為を「仲直り」と表現したのはよかった。

 人はかよわい。

(つづく)

 意見はいろいろありますが、映像化されると売れる作品です。

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