2015年07月08日
永い言い訳 西川美和
永い言い訳 西川美和 文藝春秋
妻がバス旅行のバス事故で死ぬ。妻のゴースト(幽霊)が登場する。そんな設定だとして読み始めました。類似設定で東野圭吾作品がありますが、タイトルは忘れました。いろいろな展開があるでしょう。
章が、「ぼく」、「妻(わたし)」、そして「愛人(わたし)」という区切りで、登場人物の語りで交互に進行していく構成です。
作家津村啓(つむらけい、本名衣笠幸夫きぬがささちお、プロ野球広島カープの鉄人衣笠祥雄きぬがささちおにまつわるお話あり)、その妻衣笠夏子、夏子の友人大宮ゆき、その夫大宮洋一、そのふたりのこども真平11才、灯(あかり)女児4才。
夏子とゆきが交通事故死します。津村には愛人らしき女性がいます。大宮洋一は号泣です。
100ページあたりまで読みました。100ページ読むのにだいたい1時間です。休憩を入れてあと3時間ぐらい。読み続けます。
奥さんたちは亡くなりましたが、奥さんの幽霊はまだ出てきていません。日にちがたつにつれて、男ひとりの淋しさが影をさしてきました。
出だしはエロい。このパターンの出だしを数多く見てきました。女性作家さんがこういう書きだしをされることが多い。これほどこのパターンが多いと、書店で立ち読みされて、興味をもたせて購入につなげる作戦と思ってしまいます。なんだか、大昔の文芸作品とは違う意味や目的での出だしに変わりました。時代なのでしょう。
作家津村啓こと本名衣笠幸夫は、妻を愛していない。同様に愛人の福永千尋(ちずる)も愛していない。女性側は、抱かれていても、人間として抱かれていない。ものとして抱かれている。
(つづく)
どうも勘違いしていたようです。妻の幽霊は出てきません。
被害者同士が助け合います。母親を亡くした真平11才と灯(あかり)4才のめんどうを作家津村啓(本名衣笠幸夫40代)がみはじめます。週2回、学業成績が良い真平を塾へ行かせるために、衣笠が灯と留守番をします。こどもたちの父親大宮陽一はトラック運転手を続けます。事故死した妻同士の家族が協力します。
仕事や人生に事件や事故はつきものです。つきものだったらどうしたらいいのか、人間は考え続けます。そこが、文学の始まりでもあると、この小説を読みながら思いました。
エビやカニに対する食物アレルギーというものが、大宮灯4才女児にあります。
結婚する。子どもが必要かどうか夫婦で話をする。子どもはいらないとなる。子どものいない夫婦だけの生活と子どもふたりがいる家族の生活を作家津村啓(本名衣川幸夫40代)は、体験することになりました。
(つづく)
午前3時11分に目が覚めて、再び読み始めた。40分ほど読んで、眠くなったので、また眠りました。
そうか、幽霊は出てこないのか。
150ページ付近、日記形式の記録が続く。
213ページ付近、Good.涙がにじむ。(なんでもない日常生活でのいさかいごとが、あとになって、甘く熱い思い出としてよみがえる。)
この作品もまた、「ツナグ」のように、死者に会いたい。昨日観たDVD「シックス・センス」を思い出しました。
こどもは、こどもではなく、しっかりとした1個の人格をもった「小さいひと」という定義がいい。そして、主人公である登場人物の作家を指して、「未熟な大人」という表現もいい。
バス転落事故死した元看護師大宮ゆきの志として、<育児から手が離れたら、総合病院の最前線に復帰するつもりだった。> という記述が胸に迫りました。
241ページ付近、あと70ページ、どうまとめるのか。
科学館の女性がらみでここまで崩壊するというのは、きっかけとして、弱くないか。また、最後半部で話が変わってしまいました。バス事故被害者の苦しみになってしまいました。バス会社の責任追求はこの小説の目的ではありません。バス事故は付属物であって、主体ではありません。
映像化(映画化)を意識されて書かれている作品でした。
直木賞候補作品はまだこれで2冊しか読んでいませんが、いまのところ、前回読んだナイルパーチのほうがいい。次は、「若冲(じゃくちゅう)」を読み始めます。
妻がバス旅行のバス事故で死ぬ。妻のゴースト(幽霊)が登場する。そんな設定だとして読み始めました。類似設定で東野圭吾作品がありますが、タイトルは忘れました。いろいろな展開があるでしょう。
章が、「ぼく」、「妻(わたし)」、そして「愛人(わたし)」という区切りで、登場人物の語りで交互に進行していく構成です。
作家津村啓(つむらけい、本名衣笠幸夫きぬがささちお、プロ野球広島カープの鉄人衣笠祥雄きぬがささちおにまつわるお話あり)、その妻衣笠夏子、夏子の友人大宮ゆき、その夫大宮洋一、そのふたりのこども真平11才、灯(あかり)女児4才。
夏子とゆきが交通事故死します。津村には愛人らしき女性がいます。大宮洋一は号泣です。
100ページあたりまで読みました。100ページ読むのにだいたい1時間です。休憩を入れてあと3時間ぐらい。読み続けます。
奥さんたちは亡くなりましたが、奥さんの幽霊はまだ出てきていません。日にちがたつにつれて、男ひとりの淋しさが影をさしてきました。
出だしはエロい。このパターンの出だしを数多く見てきました。女性作家さんがこういう書きだしをされることが多い。これほどこのパターンが多いと、書店で立ち読みされて、興味をもたせて購入につなげる作戦と思ってしまいます。なんだか、大昔の文芸作品とは違う意味や目的での出だしに変わりました。時代なのでしょう。
作家津村啓こと本名衣笠幸夫は、妻を愛していない。同様に愛人の福永千尋(ちずる)も愛していない。女性側は、抱かれていても、人間として抱かれていない。ものとして抱かれている。
(つづく)
どうも勘違いしていたようです。妻の幽霊は出てきません。
被害者同士が助け合います。母親を亡くした真平11才と灯(あかり)4才のめんどうを作家津村啓(本名衣笠幸夫40代)がみはじめます。週2回、学業成績が良い真平を塾へ行かせるために、衣笠が灯と留守番をします。こどもたちの父親大宮陽一はトラック運転手を続けます。事故死した妻同士の家族が協力します。
仕事や人生に事件や事故はつきものです。つきものだったらどうしたらいいのか、人間は考え続けます。そこが、文学の始まりでもあると、この小説を読みながら思いました。
エビやカニに対する食物アレルギーというものが、大宮灯4才女児にあります。
結婚する。子どもが必要かどうか夫婦で話をする。子どもはいらないとなる。子どものいない夫婦だけの生活と子どもふたりがいる家族の生活を作家津村啓(本名衣川幸夫40代)は、体験することになりました。
(つづく)
午前3時11分に目が覚めて、再び読み始めた。40分ほど読んで、眠くなったので、また眠りました。
そうか、幽霊は出てこないのか。
150ページ付近、日記形式の記録が続く。
213ページ付近、Good.涙がにじむ。(なんでもない日常生活でのいさかいごとが、あとになって、甘く熱い思い出としてよみがえる。)
この作品もまた、「ツナグ」のように、死者に会いたい。昨日観たDVD「シックス・センス」を思い出しました。
こどもは、こどもではなく、しっかりとした1個の人格をもった「小さいひと」という定義がいい。そして、主人公である登場人物の作家を指して、「未熟な大人」という表現もいい。
バス転落事故死した元看護師大宮ゆきの志として、<育児から手が離れたら、総合病院の最前線に復帰するつもりだった。> という記述が胸に迫りました。
241ページ付近、あと70ページ、どうまとめるのか。
科学館の女性がらみでここまで崩壊するというのは、きっかけとして、弱くないか。また、最後半部で話が変わってしまいました。バス事故被害者の苦しみになってしまいました。バス会社の責任追求はこの小説の目的ではありません。バス事故は付属物であって、主体ではありません。
映像化(映画化)を意識されて書かれている作品でした。
直木賞候補作品はまだこれで2冊しか読んでいませんが、いまのところ、前回読んだナイルパーチのほうがいい。次は、「若冲(じゃくちゅう)」を読み始めます。
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