2015年05月31日

希望の海へ 2015課題図書

希望の海へ マイケル・モーパーゴ 評論社 2015課題図書


 過去のオーストラリアが舞台です。80年ぐらい前、本の中の主人公にとっては、70年ぐらい前のことです。
 第二次世界大戦終戦後にあった、政策としての移民孤児問題を扱っています。ロンドンの孤児、あるいは、孤児もどきの平均年齢8歳ぐらいの子どもたちが、強制的にオーストラリアに船で搬送され、農場で奴隷のように働かされています。

 オーストラリアには、以前2度行ったことがあります。
 シドニー、ゴールドコースト、ケアンズ、なんとか島、忘れてしまいました。
 21ページ付近に書いてあるバスの車窓から見た風景は、明け方、ケアンズからシドニーに向けて、低空飛行をする航空機の窓からながめた眼下の景色を思い出させてくれました。
 だから、本に書いてあるオーストラリアのことが少しわかります。原住民のアボリジニのこと(本のなかでは、民族名ではなく、黒い人とか黒い連中、黒い肌の人たちと表記されています。彼らの行動は神秘的です。)、イギリス国が囚人を送る場所であったこと。カンガルーとかの有袋動物(ゆうたいどうぶつ)、そして、この本に書いてあるのは、イギリス国ロンドンから孤児たちを労働者として使いながら、将来の白人系人口を伸ばすための奴隷として、オーストラリアに船で連れていったことです。まだ、読み始めて、50ページあたりですが、感想文は書き始めてみます。

 ふたつの感じ方があります。
 本は、児童虐待風に書いてあります。クーパー牧場の経営者であるベーコン夫妻が加害者扱いです。キリスト教の布教活動、援助活動にも見えます。外観は児童虐待あっても、内実の活動はそうではありません。
 主人公であるアーサー・ボブ・ハウスは、姉キティをもち、孤児として、イギリス国ロンドンにあるバーモンジー通りで1940年に生まれています。そして今は65歳です。
 6歳のときに孤児ばかりが集められ、おそらくキリスト教教会の仕組みで、オーストラリアの農場で働かせられてというか、わたしから言わせれば、食べていくために住居と食事を提供されて働いています。知識ある読者なら、オーストラリア国は、イギリス国民がつくったあるいは、支配した地域で、今に至っていることを知っているでしょう。(最後まで読んで、この活動は、宗教だけでなく、国策だったということがわかりました。)
 6才のアーサー・ホブハウスは、雇い主である、ある意味養父母であるキリスト教信者・経営者ベーコン夫婦を憎みます。殺意さえもっていました。それだけひどい目にあったのです。
複数の孤児を食べさせていく。宗教活動なのでしょう。教会から補助金が出ていたのかもしれませんが、それだけで食べていけるとは思えません。当然、農業・畜産業で、自給自足が基本になります。過酷な生活です。
不幸な環境があります。殺される人間には殺されるだけの理由があるし、殺されてもしかたがなかった「時あるいは瞬間」があるとさえ思わせてくれる記述内容です。人は皆、寿命でいつかは死ぬのにという思いに至りました。

 クーパー牧場にいた馬、ビッグ・ブラック・ジャックに乗って、楽園に旅立ったかに思えた反逆児ウェス・スナーキーは、遺体となって、アボリジニの人たちとともに、クーパー牧場に戻ってきました。
 牧場主は、暴力と恫喝(どうかつ、大声で脅す(おどす))で孤児たちを支配しようとしますが、集団を力で制御するには限界があります。

 なんて、暗いお話なのでしょう。途中で、もう読みたくなくなりました。66ページ付近のことでした。
 読んでいると「死」を考える時間帯があります。哲学的ですが、考えなくてもいいことです。
 本のタイトル「希望の海」とは、イギリスへの帰国をさすのだろうか。

 100ページ付近から雰囲気が明るくなります。主人公のアーサー・ボブスと彼の親友のマーティ(アーサーより4歳年上)は、アボリジニの人たちの導きもあって、クーパー牧場から逃げ出すことに成功しました。

 神話、「ノアの方舟(はこぶね)」のような世界、ふたりはそこで7年間を過ごしたと記してあります。そこの状況は、ごたまぜ動物園です。捨てられていた動物たちが、やがては野生に戻っていくための一時的な滞在地という場所になっています。

 ロバのバーナビー(ヒーホーとなく)とコワガリ-、運営者の女性の名前はメグズ・モロイで55歳ぐらいです。彼女の仕事は、農場経営、詩人、模型船づくりです。夫のミックは、戦死しています。
 ウォンバットのヘンリーというのもいます。

 さて、まだ、115ページ付近ですが、1ページに戻って、これまでをふりかえってみます。

 二話構成です。一話が、「アーサー・ホブハウスの物語」、二話が、「キティ4号の航海」です。互いの章の関連の有無はまだわかりません。
 この形式は、日本では、珍しい。
<読み終えてみて>二話は関連があります。一話は、父親の物語、二話は娘の話です。感動しました。一話が小説の「起・承」あるいは、「起・承・転」までにあたり、二話が「結」の部分になっています。

 1947年、第二次世界大戦が1945年終戦ですから、その2年後に、アーサーが航海したときの地図が本に掲載されています。航海の軌跡がありますが、本の内容には、航海の途中での出来事の記述はまったくありません。イギリス国ロンドンからいきなり、オーストラリアの大地が舞台です。

 以前、「ロンドン貧乏物語」という本を読んだことがあります。ヘンリー・メイヒュー著でした。
 英国作家が、ロンドンで、呼び売り商人(行商人、店舗をもたず商品を街頭で売る)から取材した結果をまとめた本です。作家は西暦1812年に弁護士の息子として生まれ、1887年に74歳で亡くなっています。日本の時代におきかえると、江戸時代後期から明治時代初期にあたります。
日本の50年ぐらい前の暮らしと共通する点もあります。その本は、読んでいると、過去へ行っている感覚があり、読んでよかった1冊です。
その本のなかでは、男女は14歳から16歳で結婚するとあります。親は早朝から深夜まで働いている。子どもたちは子ども同士で集団になって育っていく。6歳ぐらいから働き出す。学校へは通わない。文字の読み書きはできない。彼らは無知であり、無教育である。貯金の習慣はない。いろいろデメリットらしきことが書かれてありますが「秩序」はあります。

 オーストラリアに連れていかれたイギリス国ロンドンの孤児アーサー・ホブハウスは、あいまいな記憶に残る姉キティがくれたなにかの鍵を、幸福をもたらしてくれる鍵として大切にします。以降、この鍵が物語の伏線になっていきます。もしかしたら、最後に何の鍵なのか、種明かしがあるかもしれません。
 この小説は、65歳を迎えたアーサーのこどもの頃の回顧録(かいころく)です。

 心に響いた、あるいは、残った、記述表現を書いておきます。
・故郷を離れる瞬間の悲しみは、生涯心から消えないほど大きかった。
・思うようにならないときでも、うまくいくと信じ、しまいには、なにもかもうまくおさまると考えることが大事なのだ。
・死は平静を意味するだけで、こわがるものではない。

 52ページに毒グモの「セアカゴケグモ」に足を刺されたアーサーのことが書いてあります。セアカゴケグモは、日本にもいます。外国から渡ってきたのかもしれません。

 「すてきすてき大好き」という教会の歌らしき歌が幾度か出てきますが、どんな歌なのか、わたしは知りません。

 黒い肌の人たちは、クーパー牧場での奴隷生活から脱走したアーリーとマーティのふたりを、「落し物」、「捨てられた動物」扱いをして、良心的な農場経営者・詩人のメグズ・モロイ(本当はマーガレットという女性)に届けます。彼女は動物の孤児たちのめんどうをみている人です。三人の疑似家族のような生活が7年間続きます。ふたりの子どもはとても幸せそうです。

 メグズおばさんは、孤児ふたりを15歳、19歳ぐらいまで育てたあと、シドニーの小型船造船所を経営する無口で心優しいフレディ・ドッズさんにめんどうをみてもらいます。
 ふたりの住まいは川に浮かぶヨットです。ふたりはヨットに「へいちゃら号」と名付けました。
マーティの身長は180cmまでに伸びていました。
ふたりは、成長時において、いい大人ふたりに巡り合いました。

 しかし、しあわせな日々は続きません。
 造船不景気で、造船所はだめになります。マーティは自暴自棄となり、失意のまま、自分を見失い、命を落とします。
 主人公のアーサーは、メグズおばさんのところへ帰って、彼女が亡くなるまで一緒に暮らしますが、その後は、マグロ漁船に乗ったり、海軍に入隊してベトナム戦争に行ったりしましたが、殺戮行為(さつりく)を苦にして、精神的に参り、自殺企図をしたりして、うつ病になり、鍵のかかる精神病院に入れられてしまいます。それが、アーサーの40代なかばです。

 アーサーは、看護師ジータに救われています。ギリシャ国クレタ島生まれの一族に包まれるようにしてアーサーは立ち直っていきます。
 ふたりは結婚して、二話の主人公となる娘アーリーが誕生します。
 10歳のアーリーの言葉です。「父さん、もう少し大きくなったら、やらなきゃいけないことがある。いっしょにヨットでイギリスまで航海して、(父の姉の)キティをさがすの」彼女の首には「幸運の鍵」がかかっています。

 途中、ベトナム戦争時、空襲から逃げる裸の少女の報道写真の記事が出ます。世界的に有名になった写真で、わたしが見たときは、中学生だったと記憶しております。ちょうど新聞配達をしていて、朝方、配達する新聞を受け取ったときに見た覚えがあります。戦争は悲惨です。体験したことがないから、戦争の怖さがわからなかったと、この本の中で、アーサーは訴えています。

(つづく)

 全体を読み終えました。
 若い人に読んでほしい貴重な1冊です。
 この本のポジション(位置)は、世界中の子どもたちへのプレゼントというものです。夢や希望をもって、明日へと旅立ちなさいというものです。あと、家族を大事にしなさいです。

 さて、さらに読書の経過を続けます。
 前半の主人公であるアーサー・ホブハウスは、ふたりの親友とひとりの恩人メグズおばさんを亡くしてまたひとりぼっちの孤児に戻ってしまいますが、失意の中でジータに出会い、結婚してアーリーという娘をもうけます。
 やがて成長した娘アーリーとアーサーは、ヨットでオーストラリアからイギリスを目指して、ロンドンで、アーサーの姉、キティを探そうとします。だから、第二部のタイトルは、「キティ4号」なのです。キティ1号は、まだ、アーサーが幼児の頃につくった、お風呂に浮かべる模型船でした。
だけど、父親アーサーは病気で亡くなってしまい、彼は夢をかなえることができませんでした。
 夢は、夢のままがいいこともある。実現して、がっかりしたこともあった。そんなことを考えましたが、娘のアーリーは、ヨットによるイギリスまでの単独行をひとりで実行して、成し遂げます。

 なかなかの感動作です。
 父親の夢を娘が継いでいきます。世代をつないでの夢の実現です。
 雰囲気は、アメリカ映画「フォレスト・ガンプ」のようでした。
 実話かと思わせる面もありますが、創作です。ドキュメンタリー(記録)を読んでいるようでもありました。
 
 第二話の構成も面白い。物語が回転しています。伊坂幸太郎作品「ゴールデン・スランバー」のようです。

 二話を読んでいると、なんて親思いのいい娘さんだろうかと娘をもつ父親としては、うるうるときます。
 昔、エリカ号というヨットで世界の海を回ったファミリーを思い出しました。遠い昔に、いちど、ご主人の講演を聞いたことがあります。残念ですが、その後、ご家族はばらばらになり、ご本人は、病気で亡くなりました。ヨットの名前となった娘さんは、ヨーロッパにいると思います。ずいぶん前にテレビで見たことがあります。

 二話では、孤児だったアーサーの娘アーリーが、オーストラリアからイギリスまで、ヨットでの単独行に挑みます。
 海の上の記述は単調でもあります。
 アホウドリが、亡き父親の生まれ変わりとして出てくるのですが、この部分が面白い。同じく今夏の課題図書「ペンギンが教えてくれた物理のはなし」と内容が共通する部分が多いのです。アホウドリは、超長距離を飛行で移動することができる。空中で休憩できるから枝のようなものに止まらなくてもいい。両翼を広げると3mぐらいで巨大などです。
 さらに、ウミガメの話も出てくるのです。

 ホットチョコレートというのが、わたしにはわかりませんが、アーリーにとっては、とっても重要な飲み物となっています。

 途中、祖父からのサプライズがあります。
 本当にサプライズで、読んでいて涙がにじみました。
 二話に出てくる人たちは善人ばかりで安心して読めます。冒頭に出てくるシドニー生まれのオーストラリア人、マイケル・マクラスキーとの間には、ほんのり恋心がありこれもいい。

 距離感とか、日にちの感覚が、興味深い。
 読んでいると、とても遠い距離、長い期間なのに、ヨットでずっと移動していると、長さに対する感覚が鷹揚(おうよう、寛大)になっていく。江戸時代の人たちが東海道を歩いていたときも2週間ぐらいかかったのだろうけれど、遠いという感覚はなかったのだろう。

 物語はクライマックスに向かって、素晴らしい展開に向かっていきます。いいお話でした。

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