ぼくとテスの秘密の七日間 アンナ・ウォルツ フレーベル館 2015課題図書


 サミュエル10才3か月のひとり語りが続きます。彼が、オランダの有名な観光地テッセル島の砂浜で、おとうさんとサッカー遊びをしているときに、12才の兄、ヨーレが穴に転落して、足のくるぶしを骨折しました。

 兄の受診先診療所で、サミュエルは、11才女子テスと出会いました。彼女は診療所で看護師として働く背高のっぽの女性(名前は後半部で明らかにされますが、「イダ」です)の娘です。
 テスの家族には、父親の存在がありません。テスは父親を知りません。テスの父親はテスの存在を知りません。オランダでは、法律的には18歳になるとテスは自分の父親がだれなのかを知ることができるようです。

 だんだん、この物語は、「家族」とは何かを考える物語だとわかってきました。
 サミュエルとテスはこれから七日間をオランダのテッセル島で過ごしながら家族について、考えたり、感じたりして、心の豊かな人に成長していくのでしょう。
 
 物語は、社交ダンスワルツの練習、89才ヘンドリックおじいさん(妻はおじいさんが82才のときに死去)の死んだペットであるカナリアのお葬式、テスが父親だと思う男性の訪問と続いてきました。その男性には、恋人がいるようです。なかなか、複雑な男女関係、人間関係になってきました。

 島の上を流れるまっ白な雲を見ていた兄さんのヨーレが、それほど深くもない穴に落ちて足を骨折するわけですが、その程度で骨折はしないと思うわたしは、嫌味な大人なのでしょう。

 サミュエルのひとり語りは、キーキーうるさくて、饒舌であり(じょうぜつ、おしゃべりすぎ)、不快です。スタンドバイミーという映画で一人語りをしていた少年の声を思い出しました。
20ページに、サミュエルのことを「教授」と呼ぶようなことが書かれていました。

 サミュエルは、同級生らしきベラという人のお父さんのお葬式を最近体験した。だから、町で出会ったヘンドリックおじいさんがもっていたペットであるレムスという名の黄色い小鳥カナリアの死骸を見て、おじいさんのために、レムスのお葬式をやりましょうと提案したのです。そこで、サミュエルは、周囲にいる人間との関わりを自覚したのです。

 テス母子が経営するバンガローの名称は、「テッセル・ゴールド・バンガロー」で、テスのパパの名前はファーベル様らしいが、それが、本当にパパかはわからない。その後、サミュエルがテスに置き去りにされる展開で、サミュエルファミリーもそのあたりのバンガローに宿泊していることがわかります。

 サミュエルの性格が兄ヨーレの言葉で、19ページに書いてあります。「むずかしいことばかり言う教授様の部分と5歳の女の子みたいな部分が半々なんだ。」

 サミュエルのかあさんの様子がなにか変です。偏頭痛が多いと書いてありますが、本当は、心の病があるのかもしれません。

 サミュエルとテスに「恋」が芽生えたような記述がありますが、それはないとわたしは思います。男よりひとつ年上、男より背が高い女子テス身長161cmに男は、11歳で恋はしないと思います。

 ヨーレ12才とサミュエル10才の兄弟関係がときおり顔を出すのですが、兄弟というものは、仲良しではなく、ライバルです。

 テスは、自分の父親を知らず、ヒューホ・ファーベルという背の高い男性を父親だろうと想定して慕おうとするのですが、子育てをしてくれない男を父親とは呼びません。情に流されず、厳しい気持ちでいないとテスは自分に負けてしまいます。76ページでテスはサミュエルに言います。「家族なんてなんの意味もない。」

(つづく)

 166ページまで読みました。感想文をつぎ足します。
 ノートパソコンの話が出ます。テスはノートパソコンで、「ワルツ」を調べて、ワルツの音楽を流して、サミュエルとワルツを踊る練習をしました。それは、テスの父親と思われるヒューホ・ファーベルさんが社交ダンスでワルツを踊るからです。娘であるテスは父親であろうファーベルさんとワルツを踊りたいのです。
 また、テスは、母親の思い出帳から父親の名前を偶然見つけ出し、ノートパソコンを使って、インターネットで父親を探し出し、さらに、テッセル島まで誘い出しています。パソコンの力はすごい。わたしも、インターネットで、テッセル島を調べました。オランダの観光地です。そこに、日本人もいました。羊が青色に塗られて、なにかの理由で区別されていたそうです。また、レンタサイクルの話も写真付きで出ていました。
 
 テスのセリフで好きな部分です。101ページにあります。
「あたしは、ごめんって、いわないわよ」
 物語を離れて現実でも、女子は、なかなかごめんと言ってくれません。
 女は、ごめんなさいと言いすぎだと、テスの母親の言葉が付け足してあります。
 その部分からしばらくいくと、また、いいセリフがあります。126ページ付近です。
「ママに男はいらない。だけど、あたしは、たぶんパパがほしい」

 テスは、自分の父親と思われるヒューホとその恋人と思われるエリーゼのためにピクニックで探しっこゲームを企画します。信じられません。テスの母親の立場はどうなるのでしょうか。よく読むと、ピクニックの間に、ヒューホとエリーゼを離ればなれにして、父と娘の会話の時間帯をつくるようです。合点(がてん)しました。パパは、七日間だけ島にいるとあります。そして、父親と話をしたあと、テスは、パパのいる人生かパパのいない人生か、どちらかを自分で選ぶつもりです。

 いつ教えるのか。父であり娘であることを作者は読者にいつ教えるのか。

 物語を読み進めているうちに、兄弟喧嘩とか夫婦喧嘩とか親子喧嘩とか、大昔に体験したどうしょうもなかった生活が突然脳裏からよみがえってきました。あまり思い出したくもないことですが、歳をとってきて、自然と忘れていきます。

 サミュエルの頭の中は「お葬式」のことでいっぱいです。砂浜の穴に(墓穴のつもり)自分が寝かせられている夢をみたり、実際にそこへ行って寝そべってみたりしました。そして、彼は気づいたのです。死んでしまっていたら、自分は何も感じない。残った人たちがなにかを感じる。サミュエルは残った人たちの気持ちを考え始めます。

 10才のサミュエルは独り立ちに取り組み始めます。両親や兄と過ごす時間を短くしていきます。自分だけでいる時間を長くしていきます。
 
 探しっこゲームの最中にテスが父親ヒューホの手を丸のみでさして出血させる展開になっていますが、それは無理があります。お話は急展開で進行していきます。テスが妊娠している話には笑いました。

(つづく)

 読み終えましたので、最後の感想を書きます。
 最後は、人類みなきょうだいみたいな終わり方でした。少なくとも日本においては、こんな結末はありえません。ヨーロッパ文化的でした。愛するもの同士がつながって、面になる感じ方、考え方でした。

 テスがサミュエルに言います。
 「きょう、あたしがだれで(娘で)、ヒューホがだれか(テスの父)」をヒューホに言う。
 でも、結局言えませんでした。
 だから、サミュエルの気持ちに火がついたのです。

 こどもは手がかかる。こどもは勝手に動きまわったり、しゃべったりする。だからこどもはいないほうがいいという言葉をテスとサミュエルは聞きました。だから、テスとサミュエルは、ネコのプスの出産にこじつけて、ヒューホとエリーゼの前から姿を消したのです。
 泣かないテスが大泣きしました。
 
 ヨーレとサミュエルの兄弟間比較があります。比較してもしかたがないことですが、小さいころはよく比較します。そして、おとなになると、離ればなれで暮らすようになって、比較は意味がなくなります。

 サミュエルにとって大切な人は、おかあさん、おとうさん、おにいさん、そして、テス。それは同時にサミュエルのお葬式に来てほしい人でもある。そのあたりが神秘的でもありました。

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この記事へのコメント
自分の感想も書いていてイイと思いまーす!
Posted by めー at 2015年08月26日 19:15
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