2015年04月26日
マララ マララ・ユスフザイ 2015課題図書
マララ マララ・ユスフザイ 岩崎書店 2015課題図書
巻頭にある写真集から見入りました。生誕から、美しき自然の景色があるパキスタンスワート渓谷での親きょうだい・友だちとの暮らし、生き生きとした学校生活の様子と続きます。
2012年10月9日第2火曜日マララ15歳、クシャル学校からの下校中、ぼろいワンボックスの車である「ダイナ」と呼ばれるスクールバスに乗り込んできたテロ組織タリバンの兵隊が3発の銃弾を放ち、3人の少女たちがそれぞれ1発ずつ弾(たま)を受けました。
マララは、額(ひたい)の左側を1発撃たれました。マララの自伝は、その後の3人の治療、心身の回復と英国バーミンガムへの移住と続きます。やがてパシュトゥン人(パキスタン人ととらえました)マララは、教育と男女同権のために再び立ち上がります。
2013年7月12日マララは16歳の誕生日に、米国ニューヨークにある国連本部で、「世界のすべての子どもたちが教育を受けられるように」と力強く演説で訴えました。
2014年10月10日、マララはノーベル平和賞を受賞しました。
世界平和と男女同権をアピールするための広告塔の役割を果たしている感がありますが、悪いことではありません。だれにでもできることでもありません。彼女はそういう役割を果たすために、この世に生まれてきました。
反対の立場(無差別大量殺人を企図するテロ組織アルカイダ)からみると、マララは、自分たちの組織を脅かす存在です。そんなことから、アルカイダは、マララの命を狙います。マララがしていることは、命がけのことです。勇気がいる行動です。
彼女を支えているのは「怒り」です。彼女は、死を覚悟してでも、「自由」と「平等」を獲得するために、タリバンと戦う勇気をもった人です。
41ページまで読んだところで、そこまでの感想をまとめてみます。
イスラム過激派組織アルカイダが目指しているイスラム教の教えに従った暮らしとは、次のようなものをイメージしました。
男尊女卑の世界です。女子は、年頃になったら、スカーフやベールをかぶって、肌を人に見せない。女子に教育はいらない。従って、女子には職業選択の自由はない。男子の誕生は歓喜だが、女子の誕生は落胆。イスラムの教えは、宗教による集団統治の指南書です。一部の幹部の生活を守るために多数、ことに女子が犠牲になるととれます。
それらが本当にイスラムの教えなのかわかりませんが、イスラムの伝統を維持していくか、あるいは、近代化を進めていくか、そこで、グループが分かれます。どちらも自分たちの利益優先でものを考え実行します。
60年ぐらい前の日本人の田舎暮らしと似ている部分が多い。自然と共生していた。親族間の交流が濃厚であった。貧しかったけれど、こどもにとっては幸せな空間がそこにあった。
女子は平均的に15歳で結婚するとありました。平均寿命は日本のように長寿ではなく50代ぐらいで終わるのかもしれません。インターネットで調べてみました。67歳でした。参考までにアフガニスタン人が、47歳、アフリカの国々が、40歳なかばでした。
(つづく)
イスラム教の儀式、ラマダーンの記事があります。以前別の本で読んだことがあります。断食といっても、数日間まったく食べないわけではなく、日没後はOKでした。食事と神さまに感謝するための儀式でしょう。
ごみを拾って売って、家族の生計を助けるこどもたちの記事が出てきます。マララの父親がその子どもたちを見て泣きます。
日本も昔、炭鉱地帯、ことに福岡県で、似たような風景がありました。ボタ拾いです。土門拳さんという写真家の作品で「筑豊の子どもたち」があります。
家族の人数が多いと「分け合う」という意識が生まれる。衣食住、すべてにわたってわかちあう、共有する、でも、本当のところは、あきらめるのだろう。
2005年10月8日にパキスタンで大地震が発生して7万人以上が死亡して、1万1千人の孤児が生まれたとあります。保守的イスラム組織「預言者ムハンマドのイスラム法施行運動(TNSM)」のスフィ・ムハンマド、その義理の息子であるマウラーナー・ファズルッラーが率いるグループ、彼らが、地震は神の警告、イスラム法シャーリアを導入しないと神の罰が下るとします。パキスタンの人たちは彼らにだまされました。
独裁者をつくってはいけないし、独裁者に武器を与えてはいけない。人民の意をくんだ代表者を選挙で選出して、彼らにルールをつくってもらう。ルールによって、社会生活の秩序を保つ。平和な状態をつくり、かつ、維持していく。
印象に残ったマララの父親の言葉の趣旨です。
負けたとき、いさぎよく負けを受け入れる。
短い期間で長い人生の旅が決まってしまった彼女です。
神に選ばれた娘です。
科学と信仰は相反する部分があるけれど、調和していかなければならない。
ファズルッラーなる人物が邪悪の根源になっています。地震で不安な人たちを陥れたと書中ではなっています。そこまでの意識があれば、彼は詐欺師ですが、そうとも言い切れない部分があるから彼を支持する人がいるのでしょう。
彼は、予防接種を拒み、女子への教育を否定しました。西洋的ヘアスタイルを途絶えさせ、音楽を否定しました。彼は爆弾をつくり、戦闘員を養成しました。ミンゴラの町は牢獄と化しました。
2007年10月、パキスタンで初めての女性首相となったベナジール・ブットは、車で演説中に爆弾テロで命を失いました。国民は、希望を失いました。気に入らない者がいたら殺せ!の世界です。
マララによる「テロリズム」の定義があります。テロリズムは戦争とは違う。戦争は兵隊同士の戦い。テロは、身の回りのどこにでも恐怖が潜んでいる。殺す相手は兵隊だけではなく、だれでもいい。
11歳のマララはマスコミ向けに日記を匿名で書き始めます。恐怖感から世界に情報発信できない人々ばかりだったから、マララは、自ら、情報を発信するアンテナ基地局になろうと決心します。やがて、彼女を不幸が襲います。
伏線として、「魔法の鉛筆」があります。アニメの主人公が、鉛筆で絵を描くと、それが現実になるのです。それが、食べ物であったりもします。なんだか、ドラえもんぽい。
(つづく)
女子は人前で顔を出してはいけない。ベールをかぶらなければいけない。マララは顔出しでテレビに出ました。マララの母親が世間のひとたちから責められました。日本では考えられないことです。
どうでもいいことかもしれません。この本は、マララが、パキスタンの言葉(ウルドゥー語)あるいは、英語で書き、または、しゃべり、それをパトリシア・マコーミックという人が英語で書き、さらに、道傳愛子さんという方が日本語に訳しているという理解をして読み進めています。マララの最新の自伝と本の帯にありました。
政府軍対タリバンごっこ。日本も過去にはそういうこどもの遊びがあったのでしょうが、日本対アメリカで、人種が違うものでした。いっぽう、パキスタン、インド、イラン、イラクにおいては、同じ民族同士で戦っている内戦ではなかろうか。
まだ12歳ぐらいの頃から、マララは政治家になることを志し始めます。
マララがタリバンに命を狙われるような兆候が表れ始めます。安全とか危険とか、それらを自覚して理解して自らを守るには、彼女はあまりにもこどもでした。そんなこどもの命を狙うタリバンの大人たちの心はどうなっているのでしょう。
彼女は、学校からの帰路、バスの中で頭部を狙われました。撃たれたときに両手で顔をかばって、銃弾は左目のこめかみ近くをかすめて、左肩で止まっていました。銃撃されたときの様子の記述があります。記憶がありません。記憶がないほうが幸いなのか。後述されているのは、苦痛をやわらげるために、脳が自動的に記憶をなくす機能があるそうです。すべてが真っ暗です。なぜ死に至らなかったのか。撃ち手の技術不足か、銃の機能不足か、マララのほかにも2人の少女が撃たれました。弾は致命傷に至らず助かっています。シャツィアは手のひらと鎖骨を撃たれました。カイナートは、銃弾が腕をかすめました。3人そろって、英国の病院で治療を受けています。
病院集中治療室での治療シーンは、緻密であり、医学の進歩が伝わってきます。貧しいから治療費を払えませんという意思表示をすることは悲しい。
頭蓋骨のてっぺんをのこぎりで切って、腫れた脳みそが頭蓋骨の外に出られる空間をつくりました。切った頭蓋骨は、一時的におなかの皮膚の下に収めたとあります。なんだかすごい医療技術です。両親の気持ちを思うと胸が痛みます。
若いから回復力は早い。
英国バーミンガムでの暮らしは、パキスタンスワートとはずいぶん違いました。バーミンガムでは、物はあるけれど、仲間や友だち、近所づきあいはない。反対にパキスタンには、そういうものがいっぱいある。どちらがいいのか、なんともいえません。
マララは向上心のかたまりです。本を書いたり、ドキュメンタリーを撮ったり、スピーチしたり、忙しい、忙しい。
彼女は、パキスタンにはいつか戻ると言います。でも、それは、遠い将来でしょう。もしかしたら、もう戻れないかもしれない。命を賭けて戻ることはやめてほしい。
マララは、ふたりの弟、クシャルとアタルとのきょうだいけんか、パキスタンに住む親友モニバとのスカイプというものを使っての交流(わたしには何のことかわかりません)記事は、どこにでもいる15歳、16歳の女子です。ノーベル賞受賞者は、ふつう感覚で生きています。
258ページにいくつかの柱があります。
・ヨルダンのシリア難民に会った。もう3年も学校に通っていない子どもたちが多かった。あの子たちが、食べ物と住む家と教育を手に入れられるようにすることが、わたしたちの使命だ。
・世界はひとつの家族だと思う。だれかが困ったら、だれかが助ける。
・タリバンはわたしを撃った。銃で撃てるのは体だけ。夢は銃では撃てない。信念を殺すこともできない。すべての子どもが学校に通えるようにするための活動をやめさせることはできない。(このあたり、父親からのDNA遺伝子の引き継ぎを強く感じます。)
・神さまが、わたしの命を救ってくださった。生きている理由がある。人生を人のために役立てていく。
その後の彼女の言葉として、「弱さ、おそれ、絶望が消え、強さ、力、勇気が生まれた」
昔、テレビドラマ「金八先生」で、金八先生が言った言葉を思い出しました。
「義務教育」とは何か。義務教育の「義務」は、生徒にあるのではなく、保護者にある。こどもに教育を受けさせる義務がある。そして、生徒には、「教育を受ける権利」がある。
以上、こまぎれのかたまりで、感想を記しました。
感想文を書くときのヒントにしていただければ、幸いです。
本をいっぱい読んで、賢い人になってください。 熊太郎
巻頭にある写真集から見入りました。生誕から、美しき自然の景色があるパキスタンスワート渓谷での親きょうだい・友だちとの暮らし、生き生きとした学校生活の様子と続きます。
2012年10月9日第2火曜日マララ15歳、クシャル学校からの下校中、ぼろいワンボックスの車である「ダイナ」と呼ばれるスクールバスに乗り込んできたテロ組織タリバンの兵隊が3発の銃弾を放ち、3人の少女たちがそれぞれ1発ずつ弾(たま)を受けました。
マララは、額(ひたい)の左側を1発撃たれました。マララの自伝は、その後の3人の治療、心身の回復と英国バーミンガムへの移住と続きます。やがてパシュトゥン人(パキスタン人ととらえました)マララは、教育と男女同権のために再び立ち上がります。
2013年7月12日マララは16歳の誕生日に、米国ニューヨークにある国連本部で、「世界のすべての子どもたちが教育を受けられるように」と力強く演説で訴えました。
2014年10月10日、マララはノーベル平和賞を受賞しました。
世界平和と男女同権をアピールするための広告塔の役割を果たしている感がありますが、悪いことではありません。だれにでもできることでもありません。彼女はそういう役割を果たすために、この世に生まれてきました。
反対の立場(無差別大量殺人を企図するテロ組織アルカイダ)からみると、マララは、自分たちの組織を脅かす存在です。そんなことから、アルカイダは、マララの命を狙います。マララがしていることは、命がけのことです。勇気がいる行動です。
彼女を支えているのは「怒り」です。彼女は、死を覚悟してでも、「自由」と「平等」を獲得するために、タリバンと戦う勇気をもった人です。
41ページまで読んだところで、そこまでの感想をまとめてみます。
イスラム過激派組織アルカイダが目指しているイスラム教の教えに従った暮らしとは、次のようなものをイメージしました。
男尊女卑の世界です。女子は、年頃になったら、スカーフやベールをかぶって、肌を人に見せない。女子に教育はいらない。従って、女子には職業選択の自由はない。男子の誕生は歓喜だが、女子の誕生は落胆。イスラムの教えは、宗教による集団統治の指南書です。一部の幹部の生活を守るために多数、ことに女子が犠牲になるととれます。
それらが本当にイスラムの教えなのかわかりませんが、イスラムの伝統を維持していくか、あるいは、近代化を進めていくか、そこで、グループが分かれます。どちらも自分たちの利益優先でものを考え実行します。
60年ぐらい前の日本人の田舎暮らしと似ている部分が多い。自然と共生していた。親族間の交流が濃厚であった。貧しかったけれど、こどもにとっては幸せな空間がそこにあった。
女子は平均的に15歳で結婚するとありました。平均寿命は日本のように長寿ではなく50代ぐらいで終わるのかもしれません。インターネットで調べてみました。67歳でした。参考までにアフガニスタン人が、47歳、アフリカの国々が、40歳なかばでした。
(つづく)
イスラム教の儀式、ラマダーンの記事があります。以前別の本で読んだことがあります。断食といっても、数日間まったく食べないわけではなく、日没後はOKでした。食事と神さまに感謝するための儀式でしょう。
ごみを拾って売って、家族の生計を助けるこどもたちの記事が出てきます。マララの父親がその子どもたちを見て泣きます。
日本も昔、炭鉱地帯、ことに福岡県で、似たような風景がありました。ボタ拾いです。土門拳さんという写真家の作品で「筑豊の子どもたち」があります。
家族の人数が多いと「分け合う」という意識が生まれる。衣食住、すべてにわたってわかちあう、共有する、でも、本当のところは、あきらめるのだろう。
2005年10月8日にパキスタンで大地震が発生して7万人以上が死亡して、1万1千人の孤児が生まれたとあります。保守的イスラム組織「預言者ムハンマドのイスラム法施行運動(TNSM)」のスフィ・ムハンマド、その義理の息子であるマウラーナー・ファズルッラーが率いるグループ、彼らが、地震は神の警告、イスラム法シャーリアを導入しないと神の罰が下るとします。パキスタンの人たちは彼らにだまされました。
独裁者をつくってはいけないし、独裁者に武器を与えてはいけない。人民の意をくんだ代表者を選挙で選出して、彼らにルールをつくってもらう。ルールによって、社会生活の秩序を保つ。平和な状態をつくり、かつ、維持していく。
印象に残ったマララの父親の言葉の趣旨です。
負けたとき、いさぎよく負けを受け入れる。
短い期間で長い人生の旅が決まってしまった彼女です。
神に選ばれた娘です。
科学と信仰は相反する部分があるけれど、調和していかなければならない。
ファズルッラーなる人物が邪悪の根源になっています。地震で不安な人たちを陥れたと書中ではなっています。そこまでの意識があれば、彼は詐欺師ですが、そうとも言い切れない部分があるから彼を支持する人がいるのでしょう。
彼は、予防接種を拒み、女子への教育を否定しました。西洋的ヘアスタイルを途絶えさせ、音楽を否定しました。彼は爆弾をつくり、戦闘員を養成しました。ミンゴラの町は牢獄と化しました。
2007年10月、パキスタンで初めての女性首相となったベナジール・ブットは、車で演説中に爆弾テロで命を失いました。国民は、希望を失いました。気に入らない者がいたら殺せ!の世界です。
マララによる「テロリズム」の定義があります。テロリズムは戦争とは違う。戦争は兵隊同士の戦い。テロは、身の回りのどこにでも恐怖が潜んでいる。殺す相手は兵隊だけではなく、だれでもいい。
11歳のマララはマスコミ向けに日記を匿名で書き始めます。恐怖感から世界に情報発信できない人々ばかりだったから、マララは、自ら、情報を発信するアンテナ基地局になろうと決心します。やがて、彼女を不幸が襲います。
伏線として、「魔法の鉛筆」があります。アニメの主人公が、鉛筆で絵を描くと、それが現実になるのです。それが、食べ物であったりもします。なんだか、ドラえもんぽい。
(つづく)
女子は人前で顔を出してはいけない。ベールをかぶらなければいけない。マララは顔出しでテレビに出ました。マララの母親が世間のひとたちから責められました。日本では考えられないことです。
どうでもいいことかもしれません。この本は、マララが、パキスタンの言葉(ウルドゥー語)あるいは、英語で書き、または、しゃべり、それをパトリシア・マコーミックという人が英語で書き、さらに、道傳愛子さんという方が日本語に訳しているという理解をして読み進めています。マララの最新の自伝と本の帯にありました。
政府軍対タリバンごっこ。日本も過去にはそういうこどもの遊びがあったのでしょうが、日本対アメリカで、人種が違うものでした。いっぽう、パキスタン、インド、イラン、イラクにおいては、同じ民族同士で戦っている内戦ではなかろうか。
まだ12歳ぐらいの頃から、マララは政治家になることを志し始めます。
マララがタリバンに命を狙われるような兆候が表れ始めます。安全とか危険とか、それらを自覚して理解して自らを守るには、彼女はあまりにもこどもでした。そんなこどもの命を狙うタリバンの大人たちの心はどうなっているのでしょう。
彼女は、学校からの帰路、バスの中で頭部を狙われました。撃たれたときに両手で顔をかばって、銃弾は左目のこめかみ近くをかすめて、左肩で止まっていました。銃撃されたときの様子の記述があります。記憶がありません。記憶がないほうが幸いなのか。後述されているのは、苦痛をやわらげるために、脳が自動的に記憶をなくす機能があるそうです。すべてが真っ暗です。なぜ死に至らなかったのか。撃ち手の技術不足か、銃の機能不足か、マララのほかにも2人の少女が撃たれました。弾は致命傷に至らず助かっています。シャツィアは手のひらと鎖骨を撃たれました。カイナートは、銃弾が腕をかすめました。3人そろって、英国の病院で治療を受けています。
病院集中治療室での治療シーンは、緻密であり、医学の進歩が伝わってきます。貧しいから治療費を払えませんという意思表示をすることは悲しい。
頭蓋骨のてっぺんをのこぎりで切って、腫れた脳みそが頭蓋骨の外に出られる空間をつくりました。切った頭蓋骨は、一時的におなかの皮膚の下に収めたとあります。なんだかすごい医療技術です。両親の気持ちを思うと胸が痛みます。
若いから回復力は早い。
英国バーミンガムでの暮らしは、パキスタンスワートとはずいぶん違いました。バーミンガムでは、物はあるけれど、仲間や友だち、近所づきあいはない。反対にパキスタンには、そういうものがいっぱいある。どちらがいいのか、なんともいえません。
マララは向上心のかたまりです。本を書いたり、ドキュメンタリーを撮ったり、スピーチしたり、忙しい、忙しい。
彼女は、パキスタンにはいつか戻ると言います。でも、それは、遠い将来でしょう。もしかしたら、もう戻れないかもしれない。命を賭けて戻ることはやめてほしい。
マララは、ふたりの弟、クシャルとアタルとのきょうだいけんか、パキスタンに住む親友モニバとのスカイプというものを使っての交流(わたしには何のことかわかりません)記事は、どこにでもいる15歳、16歳の女子です。ノーベル賞受賞者は、ふつう感覚で生きています。
258ページにいくつかの柱があります。
・ヨルダンのシリア難民に会った。もう3年も学校に通っていない子どもたちが多かった。あの子たちが、食べ物と住む家と教育を手に入れられるようにすることが、わたしたちの使命だ。
・世界はひとつの家族だと思う。だれかが困ったら、だれかが助ける。
・タリバンはわたしを撃った。銃で撃てるのは体だけ。夢は銃では撃てない。信念を殺すこともできない。すべての子どもが学校に通えるようにするための活動をやめさせることはできない。(このあたり、父親からのDNA遺伝子の引き継ぎを強く感じます。)
・神さまが、わたしの命を救ってくださった。生きている理由がある。人生を人のために役立てていく。
その後の彼女の言葉として、「弱さ、おそれ、絶望が消え、強さ、力、勇気が生まれた」
昔、テレビドラマ「金八先生」で、金八先生が言った言葉を思い出しました。
「義務教育」とは何か。義務教育の「義務」は、生徒にあるのではなく、保護者にある。こどもに教育を受けさせる義務がある。そして、生徒には、「教育を受ける権利」がある。
以上、こまぎれのかたまりで、感想を記しました。
感想文を書くときのヒントにしていただければ、幸いです。
本をいっぱい読んで、賢い人になってください。 熊太郎
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