2015年02月12日

宇喜多の捨て嫁 木下昌輝

宇喜多の捨て嫁 木下昌輝 文藝春秋

 戦国時代のはしり、岡山県にあった宇喜多家の四女於葉(およう)の17歳、敵方後藤家への嫁入り(人質)から始まります。織田信長はまだ小さな存在ですが、戦国時代の先鋭です。
 親族間で殺しあう厳しさがあります。捨て嫁が鬼嫁にも見えるし、親が鬼畜にもみえます。力量にあふれた本格派時代小説です。
 父親宇喜多直家にそれぞれ所属する「家」が攻められて、長女は自害、次女は発狂、三女も危うい。四女の於葉(およう)は父親に殺意をもっています。
 緊張した空気が続きます。技巧を駆使した文章さばきが重厚です。
 次章、「無想の抜刀術」では、於葉(およう)の父直家の6歳当時が描かれます。時が以前へとさかのぼります。直家もまた、戦国の世を生き抜くために苦労しています。文章は神が彼に語りかけるようです。身分差別とか、敗者のみじめさとか、うらみとか、仕返しとか、裏切り、人間がもつ悪の部分が浮き彫りにされていきます。乱世を平定するのが英傑、身内をも害するのが梟雄(きょうゆう)、その両者の能力・実力は同じ人物に宿るのです。どちらにころぶのかは、運命でしょう。直家は自分を殺そうとした母親を殺します。母親は、直家を虐待していました。厳しい。
 章は「貝あわせ」に移りました。トランプの神経衰弱のような遊びです。貝に絵が描いてあり、和歌の上の句・下の句に合わせてあるようです。貝をめくって一致した数で競うのでしょう。ただし、物語の内容はさらにむごくなります。
 家来が主君を倒そうとする下剋上(げこくじょう)の戦国時代です。主君は常に転覆(てんぷく)を恐れています。人質は期待するほどの効果がありません。
 今から500年から600年前の日本における武士たちの営みです。事実がどうだったかはだれも知りえませんが、実際には、この小説ほどの残酷さはなかったと思いたい。
 瀬戸内海沿岸地方の小説はあまり見たことがありませんでした。昨年の村上海賊、ずいぶん昔の二十四の瞳、なんとか先生、機関車先生だったか、あと、ノートライ、いや、テニスを素材にした、ワンポイントじゃなくて、オン・ザ・ラインだ。それぐらいしか読んだことがありません。もともとよく知る作品が少ないのかもしれません。
 仕える主人の命令で、妻の親を殺し、次に妻の処刑を強要される。何も知らない娘は、父親を殺そうとする。なんとも、やるせなくなる世界です。途中で、もう読むのをやめようかと思いましたが、せっかく買ったからと読み続けます。でも、もうこの作家さんの小説を読むことはないでしょう。なんだろう、孤高の厳しさはあるけれど、まったくないわけではないけれど、愛がありません。無情で非情な記述が続きます。狂気がただよいます。160ページ付近にある、君主が部下の赤ん坊を両手にのせて、天守閣らしきところから落としそうにしながら、赤子の父親を脅すあたりは、不快でした。仲間を陥(おとしい)れるという、とんでもない人間です。腹心を信じられない戦(いくさ)の不幸です。そして、殺した者は殺されるのです。戦は勝つしかないのですが、勝てない時もあるのです。戦争という手法による問題解決のむなしさがあります。
 次章「ぐひんの鼻」ぐひんの鼻とは、自分なりに想像すると、千葉県房総半島で見た鋸山(のこぎりやま)のように、空中に突出した岩場のような場所です。目もくらむような高いところ、かつ狭い場所に立つ。度胸試しです。「乱世に情は不要だ」というセリフがこの物語の全体を表現しています。
 次章「松之丞の一太刀」捨て嫁の話は薄いが、最初から脈々とストーリーの底を流れています。力作です。
 次章「五逆の鼓」五逆(ごぎゃく)とは、親殺しをさします。322ページ付近は救われる部分です。今の時代にたとえると、家庭・家族は壊れているが、社会に貢献した人物の偉人伝です。君主は、庶民からは慕われています。庶民に負担をかけない。庶民に利益をもたらす社会政策を断行する。
 どんでん返しがあります。ここには書きません。

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