2014年12月22日
(再鑑賞)伊豆の踊子 吉永小百合 DVD
(再鑑賞)伊豆の踊子 吉永小百合 DVD
映画の中では、現代から過去へ、過去から現代へを白黒映像からカラー映像への変化で表しています。単純に考えると色合いは逆な気がします。白黒映像にある車のスタイルがなつかしい。
過去の顔が男優高橋英樹で、現代老いた彼が宇野重吉では顔が変わりすぎなのですが違和感は小さい。宇野重吉の息子はルビーの指輪を歌っただれだっけで、数分後、寺尾聰(あきら、NHK大河ドラマ家康役)と判明しました。
ノーベル文学賞を受賞した作者川端康成氏は自殺されたわけで、それももう40年以上昔のことです。
この時代に生きて、この時代に死んでいった人たちがいた。この映画ができたとき、だれも、伊豆大島の噴火とか、神戸や東北沖で大地震が起こるなんて思っていなかった。
観たのは2回目でした。こんなストーリーだったかなと、前回の記憶はおぼろげです。映画も本も何度も読まないと内容を理解できません。天城峠のトンネルを題材にした推理小説があったと思いますが思いだせません。松本清張作品だったような気がします。あとは、映像を見ていたら、演歌歌手石川さゆりさんの天城峠が頭に浮かびました。なんとかかが燃えるだった。
このところ1発芸で何かやれないかを考えていたので、旅芸人一家がやった「赤城の山も今宵限り」とか、小百合さんが手ぬぐいを両手で伸ばしてやった自転車芸なんかいいかなと考えました。
小百合さんは感情表現がストレートで気持ちがいい。貧富の差、身分の差があるけれど、小百合さんは、上品で高貴な雰囲気です。こだわるつもりはないので、それはそれでいい。
売春話は映画やドラマの中では暗くて顔をそむけたくなるのですが、以前読んだ過去記録の本では、男も女も明るく伸び伸びと性活動を楽しんでいたとありました。映画では温泉混浴ですが、江戸時代の昔から混浴だったそうです。どうも物語の中の様子は創作とか加工されたもののようです。そして男尊女卑ではなく、女性は昔から男性よりも強かったのです。
(前回の感想 2012年1月19日)
伊豆の踊子 吉永小百合 映画 DVD
1963年の映画です。わたしは5才でした。昔の映画をなぜ観るかというと、亡父と老いた母もかつてきっと観た聰からです。当時は映画館全盛期でした。観てどうするのかと問われても答はありません。観たいのです。
吉永さんは美しいとかかわいいとかいう以前におてんばです。劇中では16才、実年齢は18才となっています。大学生との恋は幼いものです。1923年大正時代の設定となっています。大学生はお金もちです。相当お金持ちの子息でなければ大学へ進学できなかった時代です。身分の違いがある恋です。結婚に至ることのないかなわぬ恋愛です。彼女は女性哀史の人生を歩むことになるし、学生さんは国家公務員や学者さんになるのでしょう。
静岡県下田での吉永さんの踊りは鬼気迫るものがあります。このワンシーンへの集中力はすさまじい。
邦画「ALWAS三丁目の夕日」を見なくても、昔の映画には昔の風景があります。なつかしい。何度か伊豆にも行きました。山河の景色は今もそれほど変化はありません。
物語は細くて繊細です。今にも切れそうな糸です。反面ユーモラスな場面もあって、高橋英樹さんと吉永さんとのかけあいは、志村けんさんと石野陽子さんのコントを見ているようです。
映画や物語には「制限」を入れなければなりません。なんでも思いがかなうでは感動は生まれません。ふたりは下田で活動写真(映画)を見に行くことができなかった。現代であれば実現できる夢です。生活様式の変化によって、川端康成氏の日本文学を理解することができない現代人の時代になりました。きっとそれは良いことなのですが、さみしい。ラストシーン、港の別れでハンカチをふるふたりは、もう二度と会うことはないわけですが、山田洋治監督作品「幸福の黄色いハンカチ(しあわせのきいろいハンカチ)」を思い出させてくれました。別れた夫婦の苦境を乗り越えた再会の物語でした。
旅芸人一座を下賤(げせん、いやしい)ものと扱う差別があります。文字が読めない(教育を受けられない)不平等があります。売春があります。男尊女卑もあるのでしょう。ほんのこのあいだのことのことです。
映画の中では、現代から過去へ、過去から現代へを白黒映像からカラー映像への変化で表しています。単純に考えると色合いは逆な気がします。白黒映像にある車のスタイルがなつかしい。
過去の顔が男優高橋英樹で、現代老いた彼が宇野重吉では顔が変わりすぎなのですが違和感は小さい。宇野重吉の息子はルビーの指輪を歌っただれだっけで、数分後、寺尾聰(あきら、NHK大河ドラマ家康役)と判明しました。
ノーベル文学賞を受賞した作者川端康成氏は自殺されたわけで、それももう40年以上昔のことです。
この時代に生きて、この時代に死んでいった人たちがいた。この映画ができたとき、だれも、伊豆大島の噴火とか、神戸や東北沖で大地震が起こるなんて思っていなかった。
観たのは2回目でした。こんなストーリーだったかなと、前回の記憶はおぼろげです。映画も本も何度も読まないと内容を理解できません。天城峠のトンネルを題材にした推理小説があったと思いますが思いだせません。松本清張作品だったような気がします。あとは、映像を見ていたら、演歌歌手石川さゆりさんの天城峠が頭に浮かびました。なんとかかが燃えるだった。
このところ1発芸で何かやれないかを考えていたので、旅芸人一家がやった「赤城の山も今宵限り」とか、小百合さんが手ぬぐいを両手で伸ばしてやった自転車芸なんかいいかなと考えました。
小百合さんは感情表現がストレートで気持ちがいい。貧富の差、身分の差があるけれど、小百合さんは、上品で高貴な雰囲気です。こだわるつもりはないので、それはそれでいい。
売春話は映画やドラマの中では暗くて顔をそむけたくなるのですが、以前読んだ過去記録の本では、男も女も明るく伸び伸びと性活動を楽しんでいたとありました。映画では温泉混浴ですが、江戸時代の昔から混浴だったそうです。どうも物語の中の様子は創作とか加工されたもののようです。そして男尊女卑ではなく、女性は昔から男性よりも強かったのです。
(前回の感想 2012年1月19日)
伊豆の踊子 吉永小百合 映画 DVD
1963年の映画です。わたしは5才でした。昔の映画をなぜ観るかというと、亡父と老いた母もかつてきっと観た聰からです。当時は映画館全盛期でした。観てどうするのかと問われても答はありません。観たいのです。
吉永さんは美しいとかかわいいとかいう以前におてんばです。劇中では16才、実年齢は18才となっています。大学生との恋は幼いものです。1923年大正時代の設定となっています。大学生はお金もちです。相当お金持ちの子息でなければ大学へ進学できなかった時代です。身分の違いがある恋です。結婚に至ることのないかなわぬ恋愛です。彼女は女性哀史の人生を歩むことになるし、学生さんは国家公務員や学者さんになるのでしょう。
静岡県下田での吉永さんの踊りは鬼気迫るものがあります。このワンシーンへの集中力はすさまじい。
邦画「ALWAS三丁目の夕日」を見なくても、昔の映画には昔の風景があります。なつかしい。何度か伊豆にも行きました。山河の景色は今もそれほど変化はありません。
物語は細くて繊細です。今にも切れそうな糸です。反面ユーモラスな場面もあって、高橋英樹さんと吉永さんとのかけあいは、志村けんさんと石野陽子さんのコントを見ているようです。
映画や物語には「制限」を入れなければなりません。なんでも思いがかなうでは感動は生まれません。ふたりは下田で活動写真(映画)を見に行くことができなかった。現代であれば実現できる夢です。生活様式の変化によって、川端康成氏の日本文学を理解することができない現代人の時代になりました。きっとそれは良いことなのですが、さみしい。ラストシーン、港の別れでハンカチをふるふたりは、もう二度と会うことはないわけですが、山田洋治監督作品「幸福の黄色いハンカチ(しあわせのきいろいハンカチ)」を思い出させてくれました。別れた夫婦の苦境を乗り越えた再会の物語でした。
旅芸人一座を下賤(げせん、いやしい)ものと扱う差別があります。文字が読めない(教育を受けられない)不平等があります。売春があります。男尊女卑もあるのでしょう。ほんのこのあいだのことのことです。
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