2014年11月09日
ささらさや 映画館と小説
ささらさや 映画館と小説
小説家加納朋子作品のファンです。少年少女向けファンタジー推理小説がその分野です。先日コンビニの窓ガラスに映画の告知広告を見つけて、さっそく初日に観てきました。350人ぐらい入る映写室にはお客さんがうちの3人家族を含めても、13人しかいませんでした。宣伝不足の感は否めません。
まず、小説の感想です。あらかたのストーリーがわかります。
(2012年7月12日の感想文)ささらさや 加納朋子 幻冬舎文庫
若くして、赤ちゃんを抱えて、夫を亡くした女性にぜひ読んでいただきたい1冊です。“ささら さや”は、埼玉県佐々良市に住むさやさんの物語であり、交通事故で亡くなった旦那さんからのメッセージ音でもあります。8編の小さな物語が集まって1冊の本になっています。
「トランジット・パッセンジャー」和訳すると乗り換え客です。この世からあの世へ乗り換えるお客さんがさやさんの旦那さんで、彼は霊になって、さやさんと赤ちゃんのユウ坊(ユウスケ)を守ろうとします。素敵な文章です。旦那さんが事故死するも彼の霊魂がこの世に残る。ここまでは書ける。されど、ここからどう書くのか。読んで良かった1冊になる予感がします。女性作家なのに男言葉がうまい。次の展開が判明しました。面白い。
「羅針盤のない船」船はベビーカーを指します。さやさんが押すユウスケ君を乗せたベビーカーはどこへいったらよいのかわからないのです。桂山駅長さんとさやさんのやりとりを見つつ、読者はさやさんがんばれと声援を送るのです。
「笹の宿」125ページ、幽霊、見えないものが見える。真実は見えないところにあるものです。128ページ以下、宿の様子は、以前訪れた四国小豆島にあった二十四の瞳のモデルとなった分教場に居るようでした。
「空っぽの箱」郵便局配達員の森尾さんが登場します。時を超えて手紙が届きます。繊細で優しい文章です。
「ダイヤモンドキッズ」209ページ、エリカさんに対するさやさんのぼけた返答がいい。それから、買い物とか料理とか、日々のささやかな積み重ねが、しあわせな生活へとつながっていく啓示がいい。
「待っている女」自分自身の子育てをしていた頃を思い出します。いいときもあったし、いやなときもありました。ふりかえってみて、選択を誤ったこともあったと反省することもあります。されど、とり戻すことはできません。もうあの瞬間は戻ってきません。そういったことを帳消しにしてくれるいいお話でした。
「ささら さや」親族というものは、当事者でもないのに口出しをしてきます。この物語全体を見渡すと、作者自身の体験もいくつか織り込まれているのだろうと推察します。ヘルパンギーナという病名をわたしも覚えています。高熱が出る風邪のような症状でした。
「トワイライト・メッセンジャー」重松清著「その日の前に」文芸春秋とこの本を合わせて読むと特段の感慨が湧きます。妻を亡くした夫と、夫を亡くした妻の物語となります。
次に、映画の感想です。
小説とは異なる部分が多いものの、小説も映画も底辺に流れる気持ちは同じです。
小説では、大泉洋さんは登場しませんし、亡きパパは落語家でもありません。「ささらさや」と吹く風がパパの存在を表す音なのです。作品の味わいは小説のほうが奥深い。
冒頭から続く大泉さんの説明言葉が長いのは、ちょっとなと思うのですが、監督の意図的なものでしょう。その反対手法として、後半に長時間続く無言シーンがあります。観客は、途中、ひと段落ついたところで、もう終わりという意識をもつのでしょうが、そこからが本番なのです。
小説のさらさんと映画のさらさんとは、イメージが違いました。小説を読んだときには、顔がほっそりとしていて、頼りなげな人物像を思い浮かべました。同様に、ユウスケ君も違いました。映画のユウスケ君は、瞳が大きくてふたえまぶたでした。顔がはっきりしすぎていました。
今年、娘が里帰り出産で、孫(男児)を産みました。抱いたり、おふろに入れてあげたりしてあげていたので、映画と重なって、感慨が深まりました。
祖父役の人を見ていて、彼の仕事は、本州と北海道を結ぶ青函トンネル建設だったのだろうと空想しました。炭鉱ではない。トンネル内に火花が見えました。炭鉱だと爆発してしまいます。
ジオラマのように見える舞台ささら市、市というよりも村、その風景は、実際の映像を撮影して、ジオラマのように加工してあるそうです。ファンタスティック(幻想的、夢の中の風景)です。
さらさんが押す乳母車は骨董品です。良かった。
シーンの切れ目、切れ目にきちんとした決めゼリフが置かれていました。死んではいけない。生きなければいけない。じんときました。山場はやはり、主人公ではないけれど、しゃべらない5歳男児をかかえた母子家庭にまつわるお話でしょう。
撮影地は神奈川県秩父市です。小説では埼玉県ささら市です。著者をはじめ、役者さんたちも福岡県生まれの人が多い。自分もそうなので一体感があります。
小説家加納朋子作品のファンです。少年少女向けファンタジー推理小説がその分野です。先日コンビニの窓ガラスに映画の告知広告を見つけて、さっそく初日に観てきました。350人ぐらい入る映写室にはお客さんがうちの3人家族を含めても、13人しかいませんでした。宣伝不足の感は否めません。
まず、小説の感想です。あらかたのストーリーがわかります。
(2012年7月12日の感想文)ささらさや 加納朋子 幻冬舎文庫
若くして、赤ちゃんを抱えて、夫を亡くした女性にぜひ読んでいただきたい1冊です。“ささら さや”は、埼玉県佐々良市に住むさやさんの物語であり、交通事故で亡くなった旦那さんからのメッセージ音でもあります。8編の小さな物語が集まって1冊の本になっています。
「トランジット・パッセンジャー」和訳すると乗り換え客です。この世からあの世へ乗り換えるお客さんがさやさんの旦那さんで、彼は霊になって、さやさんと赤ちゃんのユウ坊(ユウスケ)を守ろうとします。素敵な文章です。旦那さんが事故死するも彼の霊魂がこの世に残る。ここまでは書ける。されど、ここからどう書くのか。読んで良かった1冊になる予感がします。女性作家なのに男言葉がうまい。次の展開が判明しました。面白い。
「羅針盤のない船」船はベビーカーを指します。さやさんが押すユウスケ君を乗せたベビーカーはどこへいったらよいのかわからないのです。桂山駅長さんとさやさんのやりとりを見つつ、読者はさやさんがんばれと声援を送るのです。
「笹の宿」125ページ、幽霊、見えないものが見える。真実は見えないところにあるものです。128ページ以下、宿の様子は、以前訪れた四国小豆島にあった二十四の瞳のモデルとなった分教場に居るようでした。
「空っぽの箱」郵便局配達員の森尾さんが登場します。時を超えて手紙が届きます。繊細で優しい文章です。
「ダイヤモンドキッズ」209ページ、エリカさんに対するさやさんのぼけた返答がいい。それから、買い物とか料理とか、日々のささやかな積み重ねが、しあわせな生活へとつながっていく啓示がいい。
「待っている女」自分自身の子育てをしていた頃を思い出します。いいときもあったし、いやなときもありました。ふりかえってみて、選択を誤ったこともあったと反省することもあります。されど、とり戻すことはできません。もうあの瞬間は戻ってきません。そういったことを帳消しにしてくれるいいお話でした。
「ささら さや」親族というものは、当事者でもないのに口出しをしてきます。この物語全体を見渡すと、作者自身の体験もいくつか織り込まれているのだろうと推察します。ヘルパンギーナという病名をわたしも覚えています。高熱が出る風邪のような症状でした。
「トワイライト・メッセンジャー」重松清著「その日の前に」文芸春秋とこの本を合わせて読むと特段の感慨が湧きます。妻を亡くした夫と、夫を亡くした妻の物語となります。
次に、映画の感想です。
小説とは異なる部分が多いものの、小説も映画も底辺に流れる気持ちは同じです。
小説では、大泉洋さんは登場しませんし、亡きパパは落語家でもありません。「ささらさや」と吹く風がパパの存在を表す音なのです。作品の味わいは小説のほうが奥深い。
冒頭から続く大泉さんの説明言葉が長いのは、ちょっとなと思うのですが、監督の意図的なものでしょう。その反対手法として、後半に長時間続く無言シーンがあります。観客は、途中、ひと段落ついたところで、もう終わりという意識をもつのでしょうが、そこからが本番なのです。
小説のさらさんと映画のさらさんとは、イメージが違いました。小説を読んだときには、顔がほっそりとしていて、頼りなげな人物像を思い浮かべました。同様に、ユウスケ君も違いました。映画のユウスケ君は、瞳が大きくてふたえまぶたでした。顔がはっきりしすぎていました。
今年、娘が里帰り出産で、孫(男児)を産みました。抱いたり、おふろに入れてあげたりしてあげていたので、映画と重なって、感慨が深まりました。
祖父役の人を見ていて、彼の仕事は、本州と北海道を結ぶ青函トンネル建設だったのだろうと空想しました。炭鉱ではない。トンネル内に火花が見えました。炭鉱だと爆発してしまいます。
ジオラマのように見える舞台ささら市、市というよりも村、その風景は、実際の映像を撮影して、ジオラマのように加工してあるそうです。ファンタスティック(幻想的、夢の中の風景)です。
さらさんが押す乳母車は骨董品です。良かった。
シーンの切れ目、切れ目にきちんとした決めゼリフが置かれていました。死んではいけない。生きなければいけない。じんときました。山場はやはり、主人公ではないけれど、しゃべらない5歳男児をかかえた母子家庭にまつわるお話でしょう。
撮影地は神奈川県秩父市です。小説では埼玉県ささら市です。著者をはじめ、役者さんたちも福岡県生まれの人が多い。自分もそうなので一体感があります。
この記事へのトラックバックURL
http://kumataro.mediacat-blog.jp/t104367
※このエントリーではブログ管理者の設定により、ブログ管理者に承認されるまでコメントは反映されません