2014年10月17日

氷川清話(ひかわせいわ) 勝海舟

氷川清話(ひかわせいわ) 勝海舟 角川文庫

 勝海舟(1823江戸時代-1899明治32年77歳没)、明治30年~31年にかけて、東京の赤坂氷川町(ひかわちょう)で暮らしていた勝海舟氏にインタビューをした結果をまとめたものです。
 冒頭、氏は子どもの頃は貧しかったから始まります。乳幼児期から青年期にかけて貧乏暮らしを体験した偉人が多い。だから、現代社会で、貧しい暮らしをしている子どもたちは悲観することはない。夢をもってほしい。
 最初は、自分のことを「おれ」と呼ぶがらっぱちな人(粗野な人)、思っていることを正直に口に出す人という印象をもちました。次に、ご自身が自らを評価して、ずるい人(策略家だと思うのです。)。続けて、度胸が座った人、豪放快活、学問が好き、だけど、学問に縛られない。外国・外国人を取り入れる時勢を理解していた人でした。最後は、生死に関して運がよかった人という印象をもちました。なにせ、運がいい。こどもの頃に聞いたアラビアの昔話を読むようでした。不思議な気分です。過去から彼の語る声が聞こえてくるようです。彼はなぜ死ななかった(殺されなかった)のか。神さまが死なせなかったとしか思えません。
 17ページあたりで登場するオランダの書物にまつわる売買、貸し借りのお話で登場してきた渋田利右衛門さんは立派な人です。人が勝氏を育てた側面をうかがえます。その他、交遊録・過去の人物評では、知らない名前の人が多く、興味がのりませんでした。
 1860年38歳のときに咸臨丸で渡米していますが、以前、航海中は船酔いでふらふらだったとテレビで聞いたことがありました。しかし、本書では、そのようなことはうかがえません。本人は熱病にかかっていたと話してますが、解説部分では、気に入らないことがあって、へそを曲げて、船室にこもっていたとも書いてあります。いずれにしても、船に乗ることが多かった彼が船酔いをしていたとは思えません。
 技術が日本よりも上であった外国人に学ぼうとする姿勢をかいます。海の男としては、命知らずではなく、若さにまかせた「無知」と解します。
 江戸城無血開城が、1868年46歳のときです。見事な和平交渉です。本を読んでいると彼が高等な交渉能力を身に着けていることがよくわかります。高等であるけれどシンプルです。政治は「誠心誠意」に尽きると説きます。凡人は大木(物事)の枝葉末節にこだわりますが、彼は幹を見ています。彼の口から人物が大きいという表現が幾度か語られます。敵とも思える西郷隆盛氏を讃えています。
 山階宮(やましなのみや)という方が、開国を支持していたという部分では、宮方にあっても新しい時代の流れに順応していこうという悟りが見えて意外でした。
 財政に明るい方です。収入に見合った支出を守る。経済が政治の土台と説く外交家でした。
理屈よりも体験優先です。体験のない人物は上に立たないでほしい。差別視される中国人をほめておられます。ことに外交に関する記述部分は有益です。
 会ったこともない遠い過去の人物を評するときには、老いが感じられる部分もあります。
 後半は精神論です。気合を重視する。気持ちに余裕をもつ。小さいことを心配しない。無我の境地イコール流れ(時勢)にのることと理解しました。このあたりの部分を読むと気持ちが落ち着きます。昔、ビッグコミックで読んでいたマンガ「浮浪雲(はぐれぐも)」に出てくる主人公を思い出しました。
 最後に江戸城無血開城時の西郷隆盛氏とのやりとりが出てくるのですが、この部分を読んで、上野公園に西郷さんの銅像があるわけがわかりました。
 そのほか、読んでいて考えたことです。
 戦争は、始まる前から明らかに勝敗が決しているときは、戦いを避けて、無益な血を流さないようにしなければならない。
 書中にロシア軍が日本の離島に勝手に乗り込んでくるのですが、島やそれを管轄する組織はロシア軍を追い払う力がありません。勝海舟氏は、英国の幹部を使ってロシア軍を追い払います。戦争を避けるために軍事力をもっておくという考えは、国際的な常識なのでしょう。
 徳川幕府の崩壊によって、それまで幕府の恩恵で暮らしが成り立っていた東京の人たちの東京からの離散が予測されていました。大久保利通氏の発案で、遷都がなされたとありました。明治維新とともに首都は東京となったと勘違いしていました。


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