2014年10月15日
さようならドラえもん 中島義道
さようならドラえもん 中島義道 講談社
中学3年生向けの哲学の本です。タイトルを見て、すぐに、ドラえもんに頼らず自力で生きていけるのび太くんになりなさいというメッセージだと気づきました。(本の最後にそう解説もありました。)
休日の午後1時30分から読み始めました。「哲学とは、」という問題提起から始まりました。途中、読み疲れてお昼寝をしたり、台風情報を知るためにテレビを見たり、お菓子を食べたりして、午後5時43分に全部を読み終えました。本の中の様子を頭に思い描く小さな旅でした。
同作者の哲学書「働くことがイヤな人のための本」日経ビジネス文庫を最近読んだことが、今回のドラえもん本を読むきっかけです。ドラえもんの内容は、働くことイヤ同様に、対象者とのやりとりをする構成です。
哲学は、「真理」を求める行為です。「よい」、「悪い」から「なぜ?」の世界へ突入します。文中の記述からは離れるのですが、読んでいる途中で、人を選別する人たちを上層部とかエリートと呼ぶのだろうというフレーズが思い浮かびました。
途中何度か出てくる事ですが、古代より哲学は社会に受け入れられなかった。周囲の人間にとっては迷惑な学問であった。哲学は反社会的なことと受け止められていたので、ソクラテスは死刑になった。本書中でとりあげられる哲学者はカントです。280年前ドイツ(今はロシア領)で生まれずっとそこにいて未婚のまま亡くなった変わりものという説明があります。著者のなりかわりであるカトン先生は、カントは「正しい」とし、圧倒的に支持しています。
カントが考える「よい子」として、自殺しない、ウソをつかない、親切、勉強する子とあります。でも、それらは一見、矛盾(むじゅん)するのです。(つじつまが合わない)。32ページには、こわいイジメパターンが書いてありました。人間は毒です。
真理を知るためには、人生の暗い面をちゃんとみる。ちゃんとみて、どうしてだろうと考える。
他人(ひと)のせいにしない。いじめる子は悪い子だ。いじめをうけて自殺する子も悪い子だ。強くなれというメッセージがあります。
第三章付近「なぜ、人に親切にしなければならないの?」では、人はなぜ生きるのかという問いに答えるのに、50代なかばになって、自分はすでに長く生きたので、そのことを考える必要がないポジションにまで至ってしまったという感想をもちました。
86ページ付近、戦時中の特攻隊の行為を例に出して、真理を導き出す手法は輝やいていました。小説・映画「永遠の0(ゼロ)」を思い出しました。この辺りまで読んで、どうどうめぐりの思考結果は、わからないという返事+何もしないという行為=哲学で導かれる答えになってしまいました。これでは、何もしないひきこもりになってしまいます。
後半近くになって、最初にあったソクラテスの死刑に記憶が戻ります。やはり、哲学は反社会的な学問です。
真実と心理の比較では、亡くなった河島英五氏の歌「てんびんばかり」を思い出しました。殴られた友人の仕返しをしに行ったら殴った人間も友人だった。どうしたらいいのかわからない。だれか教えてください。歌では、そのパターンで人間界にある理屈が合わない事例が列挙されています。
「自己欺瞞(ぎまん)」という言葉が何度も出てきます。自己欺瞞=(わたしの解釈)内面では非を認めているが、外面では、非を肯定しないこと。自分を守るための手段。
このあたりまで読んで、どうしてこんなに「何のために」と考えなければならないのかという壁に当たりました。人間に心があるからという結論に至りました。人間以外の動物は本能で行動します。
後半付近にあるやがて人類は滅亡のときを迎えるという内容はかなり衝撃的です。いつかはそのときがくるわけですが、あまり考えたくない。人は、死がこわい。死を恐れている。
作者は、道徳的によい行為をめざすというメッセージを送ります。だけど、強制してはならない。最後に、自分の道を自分で選びそれを貫くと結ばれています。著者は「哲学」という困難な道を選びました。体力と精神力と勇気がいりました。
中学3年生向けの哲学の本です。タイトルを見て、すぐに、ドラえもんに頼らず自力で生きていけるのび太くんになりなさいというメッセージだと気づきました。(本の最後にそう解説もありました。)
休日の午後1時30分から読み始めました。「哲学とは、」という問題提起から始まりました。途中、読み疲れてお昼寝をしたり、台風情報を知るためにテレビを見たり、お菓子を食べたりして、午後5時43分に全部を読み終えました。本の中の様子を頭に思い描く小さな旅でした。
同作者の哲学書「働くことがイヤな人のための本」日経ビジネス文庫を最近読んだことが、今回のドラえもん本を読むきっかけです。ドラえもんの内容は、働くことイヤ同様に、対象者とのやりとりをする構成です。
哲学は、「真理」を求める行為です。「よい」、「悪い」から「なぜ?」の世界へ突入します。文中の記述からは離れるのですが、読んでいる途中で、人を選別する人たちを上層部とかエリートと呼ぶのだろうというフレーズが思い浮かびました。
途中何度か出てくる事ですが、古代より哲学は社会に受け入れられなかった。周囲の人間にとっては迷惑な学問であった。哲学は反社会的なことと受け止められていたので、ソクラテスは死刑になった。本書中でとりあげられる哲学者はカントです。280年前ドイツ(今はロシア領)で生まれずっとそこにいて未婚のまま亡くなった変わりものという説明があります。著者のなりかわりであるカトン先生は、カントは「正しい」とし、圧倒的に支持しています。
カントが考える「よい子」として、自殺しない、ウソをつかない、親切、勉強する子とあります。でも、それらは一見、矛盾(むじゅん)するのです。(つじつまが合わない)。32ページには、こわいイジメパターンが書いてありました。人間は毒です。
真理を知るためには、人生の暗い面をちゃんとみる。ちゃんとみて、どうしてだろうと考える。
他人(ひと)のせいにしない。いじめる子は悪い子だ。いじめをうけて自殺する子も悪い子だ。強くなれというメッセージがあります。
第三章付近「なぜ、人に親切にしなければならないの?」では、人はなぜ生きるのかという問いに答えるのに、50代なかばになって、自分はすでに長く生きたので、そのことを考える必要がないポジションにまで至ってしまったという感想をもちました。
86ページ付近、戦時中の特攻隊の行為を例に出して、真理を導き出す手法は輝やいていました。小説・映画「永遠の0(ゼロ)」を思い出しました。この辺りまで読んで、どうどうめぐりの思考結果は、わからないという返事+何もしないという行為=哲学で導かれる答えになってしまいました。これでは、何もしないひきこもりになってしまいます。
後半近くになって、最初にあったソクラテスの死刑に記憶が戻ります。やはり、哲学は反社会的な学問です。
真実と心理の比較では、亡くなった河島英五氏の歌「てんびんばかり」を思い出しました。殴られた友人の仕返しをしに行ったら殴った人間も友人だった。どうしたらいいのかわからない。だれか教えてください。歌では、そのパターンで人間界にある理屈が合わない事例が列挙されています。
「自己欺瞞(ぎまん)」という言葉が何度も出てきます。自己欺瞞=(わたしの解釈)内面では非を認めているが、外面では、非を肯定しないこと。自分を守るための手段。
このあたりまで読んで、どうしてこんなに「何のために」と考えなければならないのかという壁に当たりました。人間に心があるからという結論に至りました。人間以外の動物は本能で行動します。
後半付近にあるやがて人類は滅亡のときを迎えるという内容はかなり衝撃的です。いつかはそのときがくるわけですが、あまり考えたくない。人は、死がこわい。死を恐れている。
作者は、道徳的によい行為をめざすというメッセージを送ります。だけど、強制してはならない。最後に、自分の道を自分で選びそれを貫くと結ばれています。著者は「哲学」という困難な道を選びました。体力と精神力と勇気がいりました。
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