2014年09月30日

なぜ子供のままの大人が増えたのか 曽野綾子

なぜ子供のままの大人が増えたのか 曽野綾子 だいわ文庫

 エッセイ集です。10年ほど前の記述なので、過去のその時期をたずねる読書です。タイトルにある趣旨の記述は本の後半にあります。時代が流れているので、タイトルのような表現を今はしなくなりました。時代は変化して定着していきます。
 SARSサーズ(病気)の単語はなつかしい。
 著者は、第二次世界大戦の戦争体験者であることから、苦しい戦争体験のない戦後に生まれた他者依存世代を甘やかさない視点をもっています。ことに日教組に対して厳しい。教師が、こどもに、権利とは、要求することとして教え込んだと批判しています。ただ、読み手は日教組を詳しくは知らないし、日教組を構成する教師の個性が昔とは違います。
 次に、世界は広い。固定観念を打破しようという教示があります。世界の人々は、日本人のように正・悪でものごとを判断しない。外人から見ると、日本人は非人間的で異様なところがあるそうです。浮世離れした平和主義者は世界では珍獣のようなものと結ばれています。
 日本の慣習で世界に認められたものとして、マスクとお辞儀と室内では靴を脱ぐとありました。「そうか」とうなずきました。
 季節を重んじるのは日本人の特性。四季のない外国で暮らす人に季節のこだわりなし。 
 第三章「意見の不一致は楽しい」から、タイトル趣旨、こどものまま大人になったという記述が始まります。日本人の幼児化です。原因は、大人が子どもに教育をしなくなった。甘やかして機嫌とりをした。その結果、こどもは、あいさつはしない、後片付けをしない、テレビばかり見ていて、本を読まない。本を読む大人も、肉筆で文章を書く大人も減りました。
 教育に関する記述が多いのは、著者が何か、教育関係機関に所属しているからかもしれません。仕事の現場で働くものとしては、40年前と比較して大卒者が増えた、いやほとんど大卒者という高学歴社会を迎えました。昔は、高卒者の職場だったのが、おそらく就職先がないから、あるいは、だれでも大学に行くようになったから ということで、入社して来るのでしょう。とまどうのは、だれでもできる単純労務作業を指示すると、大卒者は、「どうして(大学を出た優秀な頭脳をもつ)自分が、こんな仕事をしなければならないのですか。」と質問してくることです。あるいは、言葉にしなくても意識はもっているのでしょう。18歳高卒男女はそんなことは言いませんし、考えません。言われたことをやるだけです。高卒職場に大卒者はいらないとさえ思うことがあります。
 著者は、最終部分でこう説きます。「したいことだけをするのは幼児。したくないことをするのが大人。」
 以下、いくつかの記憶に残った記述です。
・やり直しがきかないこととして「殺人」と「自殺」、子どもの頃のニュースで殺人事件はめったに流れなかった記憶があります。今は日常茶飯事です。
・日本人のいいところは、身分が高くても「質素」であること。
・学校で道徳を教えることをためらう必要はないというご意見には賛同します。ただ、教師自身の信用が失落しました。教師が盗撮で逮捕されたというたびたびのニュースを聞くとがっかりします。

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