2014年09月17日

余計な一言 斎藤孝

余計な一言 斎藤孝 新潮新書

 余計な一言は、自分を窮地に追い込むから始まります。窮地に追い込まれるくらいなら、何も言わない方がいい。「癖」とか「性格」とかで口に出てしまうのでしょう。
 書中では、言葉遣いが無神経、嫌味ったらしい、押しつけがましいと指摘しています。しゃべっている本人に自覚はないのでしょう。
 逆接言葉である「だって」、「でも」、「ただ」、加えて「しかし」は、人間関係を悪化させる。それは、よく言われていることです。その発語は、自己防衛、自己顕示欲が要因でしょう。発語者に対して、他人はそれほど、あなたに関心があるわけではないという考えもあります。この辺は、研修に際して紹介できるネタです。言い換える。「別の視点で言えば」、「角度を変えて見れば」。
 昨年秋、半沢直樹ブームがありました。著者は半沢直樹をこの本では肯定していません。共感します。ドラマと現実は違います。
 相手に答えられない質問をする人がいます。しかも、連続的に質問をすることが多い。知らないから答えられないこともあるし、立場上、あるいは私生活上、答えられない。質問者に、悪意はないけれど、相手は恥をかかされているようでやがて怒ります。
 優柔不断、自分で答えを考えない人がいます。「どっちでもいい」。相手に考えさせる。相手に結果責任を押し付ける。嫌われます。
 長すぎる挨拶。本人は自己満足。著者は、簡潔でわかりやすい話し方を示しています。過剰な説明も不要です。
 実際にはむずかしい指示が多い。言われるとおりにすると、日本中、優等生ばかりになってつまらない。芸能界の記事が多い。個人の狭い範囲での世界であることから、有益な情報ばかりではありません。
 いけないこととして、人の気持ちに土足で入ってくるような物の言い方をする。相手方個人や法人に被害を与える結果を予測しないで出てくる発言。「私、私、私」ばかりの発言。あわせて、他者の話題を自分のことにすり替える盗み行為。
 あいまいな表現は日本人特性のものであるので、無理して、明確意思表示方式に固定しない方がいいと思う。
 「木を見て森を見ない」。子細なことは気にしない。大勢に影響のない細かなことはおまかせする。書中では、細かいチェックや否定的な視点は知性ではないとあります。
 返事は1回でよい。「はい、はい」は、気持ちがこもっていないし、ときには、相手から、ばかにしているのかと怒られる。
 「雑談」は大切という考えには共感します。雑談での否定的な物言いは、雰囲気を暗くする。相手から「学ぶ」姿勢を忘れない。「頑張る」という言葉を使わない。業務の場ではため口を使わない。敬語で防御する。「精神の森」と「心の避難場所」をつくる。ふだんの生活の中でトラブルに巻き込まれないようにするための指南書でした。


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