2014年09月15日

私がひきこもった理由 取材・文 田辺裕

私がひきこもった理由 取材・文 田辺裕 ブックマン社

 深刻な内容でした。悲惨です。期間が長い。4年とか5年、10年以上もあります。克服できても、継続して通院している人もいます。記事の中では、強迫神経症の症状がすさまじかった。ひきこもりが現在進行形の人、過去の人といます。複雑な思いで読みました。
 この世で、心身ともに健康な人は少ないと感じました。だから、補い合って生きていかなければならないと再確認できました。
 男性8人、女性7人、合計15人に対するインタビュー結果です。対象者は、20代初めから30代です。2000年ころの取材なので、当事者たちのほとんどは今頃、40代から50代初めの年齢に達しています。どんな生活を送り、今は何を思っておられるのだろうかと思いを巡らしました。
 インタビュー時の対象者の口調はいろいろだったでしょうが、文章は全員について、同じ調子で筆記されています。意図的に同じ調子、同調させてあると推察しました。
 対象者の多くに共通する項目があります。小学生、中学生の初めぐらいまでは、優等生だった。学級委員をしていたことがある。成績が良くて、おとなしくてまじめ、あるいは、明るくて活発だった。反面、両親のコントロール下におかれて、親の操作に従うロボットだった。自分の意志が希薄だった。いい子を演じていた。自分がやりたいと思っていたことを親に妨害された。いっぽう、親から何の愛情も与えられなかった。とくに、父親は仕事人間で、子どものめんどうをみなかった。無関心だった。だから、母親の干渉がきつかった。子育てにおける両親の責任は重い。
 ひきこもった理由のひとつにいじめに遭ったがあります。いじめた連中も今は、40代から50代です。今、どこで、何をしているのだろう。(ひきこもった人は、今も彼らをうらんでいるのだろう。)
 昼夜逆転の生活、読む本は太宰治、興味をもつのは、音楽(ギター、ロック、バンド)、絵画製作、マンガ製作、テレビゲーム、テレビは長時間見る人とまったく見ない人とに分かれます。高校中退者にとっての大検。

 読み手として感ずるのは、「依存」、「甘え」、いずれも、ひきこもりになる前、幼児期から少年少女期に体験しておくべき項目でした。年齢は重ねたけれど、今だ、未成熟、人生という旅の途中です。
 彼らは、繊細でナイーブ(純真)です。どうということもないことで、心に傷が付きます。

・(両親に対して)ひきこもりには、お金とパソコンが必要(なければ死を選択することもあると読み取れる。パソコンは、インターネットによる仲間との交流が有益。)
・(両親は)子どもに期待してはいけない。(子どもに精神的な負担をかけてはいけない。)
・仕事は、時間をかけて慣れていくように導く。
・ひきこもりを克服できたように見えても、人間関係がわずらわしくて、仕事は長続きしない。
・意思がはっきりしない。(きっと、自分自身でもはっきりしないのでしょう。)
・車の運転移動は治療に効果がある。

自分も共感した助言として、
・他人にどう思われようと、自分のペースでやっていかないと生きていけない。
・人の気持ちは時間とともに変わる。希望はもっていてほしい。

 大学生のひきこもりということには違和感がありました。大学生は成人であり、大学は義務で行く学校ではありません。ひきこもりでなくても大学に行かない学生はいます。人はみな、自分にとって快適な居場所探しをしながらさまよっている。


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