2014年09月11日

白蓮れんれん 林真理子

白蓮れんれん 林真理子 中公文庫

 福岡県筑豊地方(ちくほう)の山々を包む靄(もや)の風景から始まります。いつだったか、福岡県飯塚市のホテルの部屋から見えた風景です。幸袋(こおぶくろ)、嘉穂(かほ)、小竹(こたけ)、修猷館(しゅうゆうかん)、天神、直方(のおがた)、知っているし、滞在したこともある地名が次々と出てきます。自分自身の生誕地であり、記憶のない3年間と中学・高校の記憶がある5年間を過ごした地域でもあります。ただ、記憶のある5年間で、この小説にある伊藤家の話を聞いたことがありません。今は、草ぼうぼうとなっている土地に、このように隠された物語があることを40年近くたって知りました。書中、397ページに伊藤伝右衛門の言葉があります。「永久に燁子(あきこ)の名前を出してはいかん」。そうだったのかと首を縦に振りました。
 時は大正時代です。途中、関東大震災の記事が出てきます。昔、福岡県に住む祖母と話をしていたときに、祖母が関東大震災が起きたときに、自分は東京に居たと言ったのでたいそう驚かされました。青春時代、若いとき、地方に住む男でも女でも東京に行きたがった。この小説は、今は亡きわたしの祖父母の青春時代のお話でした。
 内容は女性向きでした。NHK連続朝ドラマの影響を受けて掘り起こされた大昔の出来事です。
 大正天皇と従妹(いとこ)にあたる、ただし、お妾さんの産んだ子どもである柳原燁子(あきこ)、短歌をつくるときの名前は白蓮(びゃくれん)、小説の前半は、彼女の孤独な生活が描かれていました。
炭鉱であった地元の雰囲気を記憶する人間として、華族の娘が産炭地で暮らすことは無理なことです。彼女の行動はからまわりでした。柳原家から伊藤家へお金で売られた娘さんです。当時の女性史の哀しい物語でした。選ばれた人間は、現地の人間にとっては、よそ者でした。「矜持(きょうじ)」という言葉が出てきます。矜持は、自分は他よりも優れているんだというプライドです。プライドが高ければ高いほど、現地の人間の気持ちは彼女から離れていきます。彼女は、自分の人生を自分で決めることができない立場にある人でした。食べさせてもらっていたのです。でも、彼女はそのことに気づけていない。気づいていたのかもしれないけれど、順応する姿勢はなかった。
 作者の文章運びはうまいに尽きます。戦前の戸主制度に関する記事があります。戸主がいて、彼の戸籍には、正妻も妾もその子の記載もあります。血統を継いでいく、武士の世界の名残があります。
 燁子は最終的に自分が好きになった若者と一緒になります。似た者同士の結婚が最善という考えがあります。華族の一員と社会労働運動家とでは、似た者同士とはいえませんが、正妻の子どもではない燁子と宮崎龍介とでは、共通点があったのでしょう。
 燁子が宮崎龍介に恋した理由は、自分より年下の若さ、見た目、背が高いであり心ではない。宮崎も同様に燁子の美貌だったと思うのです。外見ではない、別のものに関する記述がほしい。
 1994年、20年前に書かれた小説です。読んでいると寂しくなってくる小説でした。最後は、好きなもの同士が結婚するという、あたりまえのことができなかった時代、妾をもつということが公(おおやけ)に許されていた時代、血統社会、そんなこんなについて、考えました。


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