2014年07月08日

さよなら渓谷 吉田修一

さよなら渓谷 吉田修一 新潮文庫

 映画があることは知っていましたが、内容は知りませんでした。タイトルから想像した物語は、外国(東南アジア)にある渓谷での出来事だろう。主人公は少年であろうというイメージでした。まるっきり違っていました。暗くて、おぞましい中身です。舞台は日本です。
 読み始めてしばらくして思い浮かんだのは、とある県で起こった毒入りカレー事件でした。次に思い浮かんだのは、大学運動クラブ員たちの電車内での集団による計画的痴漢行為でした。どちらも実話です。この本の場合は、大学運動部員による集団レイプ事件です。
 物語の構造が変わっています。二重構造です。表向きは、幼児殺人事件です。裏側は、レイプ事件で、小説の根幹をなしているのはレイプ事件のほうです。
 以下、読書の経過です。
 母子家庭である立花里美の息子4歳萌(めぐむ)の遺体が、東京近郊にある桂川渓谷(かつらがわけいこく)で発見されます。加害者として疑われているのが、母親という設定です。立花里美の隣宅で暮らしているのが、尾崎俊介・かなこ夫妻です。このふたりがこの物語の筋立てに深く関与してきます。その3人の回りで動き回るのが、中堅出版社の記者渡辺一彦です。唐突ですが、彼の夫婦関係は破たんしています。その破たんが、尾崎夫婦の関係とも重なります。
 題材が集団レイプであることから、読んでいて気持ちのよいものではありません。おぞましい。先日から報道されているセクハラヤジ議員のことが頭に浮かびました。この物語では、被害者なのに被害者に非があるというようなことで、被害者女性は責められます。世間とは怖いものです。被害者は死ぬまで被害者なのです。温情のかけらもありません。だから被害者は復讐を考えるのです。
 加害者男性も悩みます。加害者たちは基本、転落していきます。犯罪者のなれの果てです。されど、成功者となる者もいます。
 読み手は、途中で、物語のからくりに気づきます。されど、4歳男児萌(めぐむ)を殺した犯人がわかりません。
 「幸福」とは何かを考える作品です。男女の「愛」を考える作品でもあります。さつばつとした風景が続くのですが、読み手は、そのことに背を向けたくなります。ここに書いてあるほど、人間は冷たくないと思います。
 読んでいたら、フラッシュバック(過去の嫌な体験が脳裏によみがえる)が起きました。とうに記憶から消えていた遠い過去のことです。スラム(人心が荒廃した居住地)だ。作品では、人は不幸になるために生きているのではないというメッセージで結ばれています。少し救われました。

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