2014年07月04日
円卓(えんたく) 西加奈子
円卓(えんたく) 西加奈子 文春文庫
読み始めたきっかけは、映画評がよかったからです。小学生女児の心の成長が映像化されている。奇妙なものが好きという主人公は、他者のことを考えない利己主義的なところがあったが、いろいろ壁にぶちあたるたびに、人の気持ちがわかるようになる。そんな趣旨でした。
映画は今上映中ですが、観に行けそうにありません。書店で原作本を目にしたので、小説を読みました。
以前、同作者の「ふくわらい」を読んだことがあります。本屋大賞候補作でした。なかなかいい出来でした。そのときの感想の一部を記します。
<ふくわらい 朝日新聞出版>
哀愁に満ちた幻想的な物語でした。人はかよわいものであることが、ひしひしとこの身に伝わってきます。主人公である鳴木戸定(なるきどさだ、25歳女性、編集者)の個性設定が成功しています。定は肉親がなくひとりぼっちです。母親は腎臓病でしたが、無理をして定を出産し、定が4歳のときに腎臓病で亡くなっています。父親は紀行作家でしたが、小学生だった定と一緒にアフリカ冒険旅行中、ワニに喰われて亡くなっています。
おとなになった定の感情には、喜怒哀楽がありません。思考回路もふつうではありません。頭脳のなかには、幼児の頃から好きだった「ふくわらい」がぐるぐる回っています。人の顔を見て、その人の顔のパーツの位置を変えたり、形状を変えたりすることが習慣です。友情とか恋愛がなんなのかも理解したり体感したりすることができません。幼少期から思春期の通常ではない体験がフラッシュバック(瞬間的に過去の記憶がよみがえる)します。消してしまいたいけれど、消すことのできない思い出です。口をきかなかった少女時代。闇が好き。異様な匂いに包まれる雰囲気が好き。タオルを巻いて目を隠してじっとしながら頭の中でふくわらいをすることが好き。
さて、円卓の感想です。円卓とはこの小説の場合、中華料理屋にある料理を上にのせた回るテーブルです。主人公の小学校3年2組渦原琴子(うずはらことこ、愛称こっこ)宅の居間にはつぶれた中華料理屋「大陸」からもらってきたとても大きな紅い回る円卓があります。
独特な文章表現です。冒頭のページにある、「ふわりと、席につく」という文章表現はなかなかできません。
登場人物はたくさんです。わたしは、1枚紙に家系図を書き、友人、先生等の関係者を書き加え、説明を付記しました。最初、ここに書こうかと思いましたが、疲れるのでやめておきます。
ちびまるこちゃんパターンだろうか。昭和30年代終わりから同40年代初めを想像しましたが、読み進めると、時代背景は、平成21年頃でした。
たぶん、小説と映画は内容の感触が異なるのではないだろうか。冒頭に書いた映画評と小説の内容がぴったりと一致するようには思えません。
三世代8人の大家族のなかで最も年下として3LDKの共同住宅で暮らすこっこちゃんは、「孤独」になりたい。ひとりになる時間がほしい。凡人が嫌い。平凡がいやでたまらない。彼女が求めるものは個性(唯一のもの)です。
言葉、言葉の響き、言い回しへのこだわりがあります。こっこちゃんの親友ぽっさん(きつおん、同じく団地暮らし)がいい味を出しています。ページをめくると、文字がゴシック体になったり、明朝体になったり、文字の大きさ(ポイント)が大きくなったり小さくなったりします。こっこちゃんは、ジャポニカ学習帳に新たな言葉を書き込むのです。ところどころ、意味不明な部分もあります。これは、作者の自伝だろうかと思う節(ふし)もあります。影の主役は案外ぽっさんです。
宗教の話あり、外国籍の話、お妾さんの話、尋常(じんじょう、ふつう)ではありません。こっこも、14歳の三つ子の姉たちも、3年2組同級生の香田めぐみさんも、全員が美人です。ありえません。好みの異性を選ぶときに、性格ではなく、見た目で選びます。それは、あるのかもしれません。
書き方としては、状況説明が長い。まだ、標準化されていない児童が、渦原琴美ことにわとりのようなニックネームのこっこちゃんです。香田めぐみさんのものもらいを見て、自分もものもらいになりたい。在日韓国人同級生朴圭史くんが不整脈になったのを見て、自分も不整脈になりたい。
善人ばかりが登場する物語でした。悪人は出てきません。平和な世界です。琴子はいい人たちに囲まれてすくすくとすこやかに育っていくのです。いいともわるいとも言えません。それでも記憶に残る作品です。
読み始めたきっかけは、映画評がよかったからです。小学生女児の心の成長が映像化されている。奇妙なものが好きという主人公は、他者のことを考えない利己主義的なところがあったが、いろいろ壁にぶちあたるたびに、人の気持ちがわかるようになる。そんな趣旨でした。
映画は今上映中ですが、観に行けそうにありません。書店で原作本を目にしたので、小説を読みました。
以前、同作者の「ふくわらい」を読んだことがあります。本屋大賞候補作でした。なかなかいい出来でした。そのときの感想の一部を記します。
<ふくわらい 朝日新聞出版>
哀愁に満ちた幻想的な物語でした。人はかよわいものであることが、ひしひしとこの身に伝わってきます。主人公である鳴木戸定(なるきどさだ、25歳女性、編集者)の個性設定が成功しています。定は肉親がなくひとりぼっちです。母親は腎臓病でしたが、無理をして定を出産し、定が4歳のときに腎臓病で亡くなっています。父親は紀行作家でしたが、小学生だった定と一緒にアフリカ冒険旅行中、ワニに喰われて亡くなっています。
おとなになった定の感情には、喜怒哀楽がありません。思考回路もふつうではありません。頭脳のなかには、幼児の頃から好きだった「ふくわらい」がぐるぐる回っています。人の顔を見て、その人の顔のパーツの位置を変えたり、形状を変えたりすることが習慣です。友情とか恋愛がなんなのかも理解したり体感したりすることができません。幼少期から思春期の通常ではない体験がフラッシュバック(瞬間的に過去の記憶がよみがえる)します。消してしまいたいけれど、消すことのできない思い出です。口をきかなかった少女時代。闇が好き。異様な匂いに包まれる雰囲気が好き。タオルを巻いて目を隠してじっとしながら頭の中でふくわらいをすることが好き。
さて、円卓の感想です。円卓とはこの小説の場合、中華料理屋にある料理を上にのせた回るテーブルです。主人公の小学校3年2組渦原琴子(うずはらことこ、愛称こっこ)宅の居間にはつぶれた中華料理屋「大陸」からもらってきたとても大きな紅い回る円卓があります。
独特な文章表現です。冒頭のページにある、「ふわりと、席につく」という文章表現はなかなかできません。
登場人物はたくさんです。わたしは、1枚紙に家系図を書き、友人、先生等の関係者を書き加え、説明を付記しました。最初、ここに書こうかと思いましたが、疲れるのでやめておきます。
ちびまるこちゃんパターンだろうか。昭和30年代終わりから同40年代初めを想像しましたが、読み進めると、時代背景は、平成21年頃でした。
たぶん、小説と映画は内容の感触が異なるのではないだろうか。冒頭に書いた映画評と小説の内容がぴったりと一致するようには思えません。
三世代8人の大家族のなかで最も年下として3LDKの共同住宅で暮らすこっこちゃんは、「孤独」になりたい。ひとりになる時間がほしい。凡人が嫌い。平凡がいやでたまらない。彼女が求めるものは個性(唯一のもの)です。
言葉、言葉の響き、言い回しへのこだわりがあります。こっこちゃんの親友ぽっさん(きつおん、同じく団地暮らし)がいい味を出しています。ページをめくると、文字がゴシック体になったり、明朝体になったり、文字の大きさ(ポイント)が大きくなったり小さくなったりします。こっこちゃんは、ジャポニカ学習帳に新たな言葉を書き込むのです。ところどころ、意味不明な部分もあります。これは、作者の自伝だろうかと思う節(ふし)もあります。影の主役は案外ぽっさんです。
宗教の話あり、外国籍の話、お妾さんの話、尋常(じんじょう、ふつう)ではありません。こっこも、14歳の三つ子の姉たちも、3年2組同級生の香田めぐみさんも、全員が美人です。ありえません。好みの異性を選ぶときに、性格ではなく、見た目で選びます。それは、あるのかもしれません。
書き方としては、状況説明が長い。まだ、標準化されていない児童が、渦原琴美ことにわとりのようなニックネームのこっこちゃんです。香田めぐみさんのものもらいを見て、自分もものもらいになりたい。在日韓国人同級生朴圭史くんが不整脈になったのを見て、自分も不整脈になりたい。
善人ばかりが登場する物語でした。悪人は出てきません。平和な世界です。琴子はいい人たちに囲まれてすくすくとすこやかに育っていくのです。いいともわるいとも言えません。それでも記憶に残る作品です。
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