2014年06月30日

わたしはマララ マララ・ユスフザイ

わたしはマララ マララ・ユスフザイ クリスティーナ・ラム Gakken

 まずは、訳者金原瑞人(かねはらみずひと)に目がいきました。以前同訳者の「墓場の少年」を読んだことがあります。
 マララさんは、以前テレビで見たことがあります。ノーベル平和賞候補者でした。だけど、詳しい背景は知りませんでした。パキスタン人の彼女は、15歳のときにタリバンに銃で撃たれた。以降、平和を訴えている。そんな印象でした。
 読んでみると、銃で撃たれる前、11歳のころから、英国マスコミの支えもあって、ブログでパキスタンでの暮らしについてレポート活動をされていました。タリバンから狙われる要因のひとつになっています。
 日本人であるわたしにとってイスラム教はわかりにくのですが、書中で、タリバンはイスラム教徒ではないというくだりがあります。イスラム教徒をかたっている。
 彼らは、破壊するグループである。自らなにかを創造することはない。物を壊す、人を殺す。殺戮(さつりく)を繰り返す。
 マララ自身は、タリバン撲滅運動の広告塔にさせられているのではないか、彼女が銃撃された責任を英国マスコミがとろうとしているのではないか、そんな鬱屈(うっくつ)した気持ちで読み始めました。
 以降、読書の経過です。
 10代なかばの女性が、400ページを超える記事を書けたとは思えません。共著者のジャーナリスト、クリスティーナ・ラムさんの聞き取り記事も混じっているのでしょう。
 中学生の頃、確か、東パキスタンと、西パキスタンがありました。その後、東パキスタンは、バングラディッシュに国名が変わりました。もめた原因は、インドがヒンズー教で、パキスタンがイスラム教だったからだと思います。無信仰あるいは多神教の日本人にはピンときません。タリバンは極端なイスラム教で男尊女卑という認識があります。タリバンは、アフガニスタンだけにいると誤解していました。この本を読んで、パキスタンにもいることがわかりました。また、パキスタンは英国と親交があることもわかりました。
 女子は教育を受けてはいけない、あるいは、受けなくてもいいという考えは、昔の日本にもありました。現在でも高齢者の一部はそう思っています。先日読んだ「進化」の本には、遠い将来は、男性がいなくなって、女性だけの社会、世界ができると予測していました。皮肉なものです。
 マララさんの一族はお金持ちだと勘違いしていました。父親が学校建設に力を入れていたからです。でも、本を読むと父親ほかの人たちは、とても貧乏でした。貧乏だけれど、美しい自然があるスワート渓谷で暮らしておられました。マララさんが銃撃されたあとは、英国のバーミンガム暮しです。一族は、ふるさとスワートへの帰還を希望しています。いつの日にか、かなってほしいものです。
 日本の小説と違ってとても長い。以前読んだ北朝鮮拉致被害者のジェンキンスさんの手記も長かった。外国文学と日本文学は表現手法が違います。ただ、長いと、読むのは疲れます。
 パシュトゥン人という民族が彼女の起源です。パキスタン人なのでしょう。このほか、スワート人というのも出てきます。冒頭付近からしばらくはマルコ・ポーロの東方見聞録を読んでいるようでした。シルクロードの道です。金銀宝石がキラキラ光る、多民族のお話でした。
 王の国が出てきます。文字の読み書きができない人たちが多い。どうしても、君主(統治者)に頼る社会になってしまいます。日本もほんの60年ぐらい前は、読み書きができない高齢者がいました。戦後の義務教育はありがたい。
 マララの父親は吃音(きつおん。どもってしまう)だそうです。それでもスピーチ好きです。勇気を讃(たた)えたい。
 タリバンのジハードはたしか、「聖戦」という意味だった。自爆テロというのは、日本のゼロ戦特攻隊だけかと思ってしましたが、タリバンの自爆テロもありました。日本の過去を真似たものであってはほしくない。自死を伴う戦争は聖戦ではありません。西洋・米国では、生還することを前提とした科学的な戦いが戦争の手法とされていると思います。
 パキスタンの役人の信用度は低い。役人はわいろを求めてくる。お金を渡すと規則を曲げてくれる。悲しいことです。権力をお金に換えてはいけない。どこもかしこも道徳がありません。
 パシュトゥン人はプライドが高いとあります。仇討が掟(おきて)で認められています。だけど、仇討の繰り返しで、殺し合いがやむことがありません。そのあたりが、タリバンの思想に影響を与えていると思う。復讐する民族です。
 なんだか、パシュトゥン人の悪いところばかりが続きます。パキスタン人政治家は盗むことをなんとも思わない。税金は払わない。借金は返さない。ロンドンに高級マンションをもっている。良心がない。
 こどもたちはごみの山で働いている。
 イスラム教徒には、多数派のスンニ派と少数派のシーア派があるとあります。されど、いずれも違いはないというような説明です。イスラム教の教祖はモハメットと習いました。この本ではムハンマドです。彼の死後、彼が指名した後継者が親友のアブー・バクルで、これがスンニ派、それに納得せず、血縁にこだわって後継者としたのが、アリーで、こちらがシーア派。よくわからないまま、多数派であるスンニ派もまた枝分かれしているとあります。経典は、コーラン、こちらの内容も知りません。
 2005年10月8日に大地震があった。死者7万3000人以上。
 読んでいると、どうすることもできない国と思ってしまいます。外国へ脱出したほうがいい。パキスタンは、だめ・だめ・だめの制限ばかりです。「自由」がありません。タリバンは、民衆から音楽を取り上げ、仏像をとりあげ、遺跡を爆破して破壊します。マララは言う。「タリバンはイスラム教を利用している」
 この国は「武器」をなくさないと正常化しないと考えました。
 知事でさえ、ボディガードに撃ち殺されています。
 なぜ、マララは死ななかったのか。左のこめかみを撃たれ、弾は、肩に残っています。死ななかったことが信じられない。わずか15歳で、色々な体験をした女性です。
 父親の言葉として、マララのパスポートができたときに、外国へのパスポートなのか、天国へのパスポートなのか、わからない。
 女性解放というよりも、学校教育の充実を訴える気持ちのほうが強いと感じました。男にしろ女にしろ、学校で学べるようにしようという、父親から娘へと伝承される意志の強さが伝わってきます。

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