2014年06月25日

女のいない男たち 村上春樹

女のいない男たち 村上春樹 文芸春秋

 短編6本です。
「ドライブ・マイ・カー」
 男優と女優の結婚。そして、女優は病死。ひとりになった男優と男優のドライバーとして雇われた北海道出身24歳美人ではない女子渡利みさき身長165cmがっちり体型・喫煙者、無表情で感情を表に出さない、とのやりとり。自問自答のようでもあります。
 家福は端役の男優49歳。マイカーのなかでセリフを覚えたいから私設ドライバーを雇う。車は、黄色のサーブ900。コンバーチブル(幌付き)。走行距離10万km。
 病死した妻(生きていれば今47歳)は、3日間だけ生きた子ども(生きていれば、今、渡利みさきと同じ24歳)を亡くしてから、家福が知る複数の男優と浮気をしていた。女性の性(さが)がそうさせたと渡利は言う。制御できない本能。妻の浮気を知りつつ、フツーに暮らす仮面の苦痛。
 カセットテープとか、喫煙とか、アルコールとか、ベートーヴェン弦楽四重奏、古いアメリカンロック、車サーブもそうだが、古いものへのこだわりあり。思い出の中に今だにいる男優家福。彼は生活を演じている。愛妻を失って、気持ちは死んでいる。死にながら生きている。「孤独」がある。「友人」はない。
 自分が相手を友だちだと思っていても、相手は自分を友だちとは思っていない。
 読み手は、亡くなった妻子に手を合わせて、眠るしかないと思う。
「イエスタデイ」
 ビートルズの曲です。
 過去の記述があって、最後に現在の記述がある。
 木樽アキという男がいる。大田区田園調布に住んでいた。20歳だった。早稲田大学正門前にあった喫茶店で働いていた。予備校生だった。彼は、東京生まれの東京育ちなのに阪神ファンゆえ日常的に関西弁を使っていた。
 谷村は、早稲田の文学部2年だった。兵庫県芦屋出身だったが、自宅の車はカローラだった。この短編は谷村の進行で進む。
 ふたりは、女とやったか、やらなかったかという話をした。木樽には幼馴染の恋人もどきがいた。栗原えりかだった。木樽は栗原えりかを谷村にあてがおうとした。栗原えりかは、月の夢を何度もみた。満月は厚さ20cmの氷でできている。月は太陽が昇ると溶けてなくなる。
 16年後、谷村は栗原と再会する。木樽は日本にいない。
 人生は、横線で、通過地点に存在して、通過地点から消滅していく。
「独立器官」
 お気に入りの一編になりました。
 語り部の谷村は、第2作「イエスタデイ」に出てくる谷村と同じです。彼は小説家ですから、村上春樹氏の分身でしょう。
 渡会美容整形外科を営む渡会(とかい)医師が独立器官です。独身を貫く人妻キラーのような書き方がしてある52歳の未婚者で麻布のマンション6階寝室二部屋付きに住んでいます。
 1ページ目から続く数ページの記述は読んでも意味不明ですが、読み終えたあと、最初に戻って、もう一度読むと、意味がよく通じます。
 美人でスタイル抜群、知的水準も高い彼の付き合っている女性たちは、30歳、40歳前になると結婚を契機に彼から離れていくけれど、3年も経つと、そのうちの何割かは、浮気という設定で、彼の元へ戻ってくる。未来へとつながる虚無感がある状況です。
 既婚者、子持ちへの冷徹な観察眼があります。家族をもつことイコールしあわせではない。指摘された側としては、「そういうものだ」、「そればかりではない」、「そうするしかない」という返答しか出てきません。結婚してもしなくてもその生活を送る気持ちには矛盾があります。
 過去形の記述をしてある文脈から、読み手には、主人公、渡会医師がすでに亡くなっていることが推測できます。彼はもうこの世にいない。
 男女の体のもつれあいは、老いてみると、男女関係は妄想で誤解に満ちていることがわかります。人間の体はシンプルで、小説や映画、ドラマや物語のなかにあるようなことは、夢物語です。
 渡会医師は思いどおりの生活を送って、経済的にも困っていません。それでも、満たされないものがある。虚しさはどこからくるのか。事実の説明が続きます。彼の怒り爆発の前兆付近で、彼の消息は途絶えます。怒りのあとには、無限に続く静寂が訪れます。彼は何度も問います。「自分はなにものなのか」と。わたしなら「自分は創造者である」と自信をもって表明します。なにもないところになにかを創り出してあとに残していく。それはときに子どもだったりもする。
「シェエラザード」
 男女が求め合うものを藻の陰に隠れて鱒(ます)の体に付着してその身を奪う“やつめうなぎ”の生態にからめて表現してあります。人間のごく狭い習性・本能に触れています。だからどうしたということもありませんが、17歳高校生の女性がもつ秘密の行為が35歳になった彼女の昔話として語られます。愛情を超えて独占欲に満ちた一種の病気です。読み手は謎解きをしているようで、彼女の思い出話に惹(ひ)かれます。
 登場人物は、「千夜一夜物語」に出てくる姫シェエラザードと名付けた既婚専業主婦看護師の資格あり小学生のこどもふたり、汚れたマツダの青い小型車に乗る女性と、羽原伸行(はばら)31歳未婚のふたりです。
 途中、羽原の生活ぶりが紹介されていて、それは、自分の退職後望む生活に似ていました。新聞はとらないし読まない(知りたくないあるいは知っても仕方がない情報が満載だから)、アルコールはとらない。ニコチンもとらない。テレビは見ない。DVDでの映画鑑賞と読書はする。羽原のしている行為で望まないものとして、電話しない、インターネットしない、外出しない。
「木野」
 こちらも好みの一編です。作者の頭脳のなかにあるものと自分の頭の中にあるものが一致します。同作者作「海辺のカフカ」ナカタさんを思い出しました。ときにはそれに、嫌悪感をもよおす読者もいるのでしょう。
 怪談です。詩的です。ファンタジーです。
 バー「木野」木野さんが店主、を訪れたのは、蛇の化身である男性です。長身、坊主頭、眼光鋭い、頬骨が前にあり、額広し。年齢は30代前半です。丈の長い灰色のレインコートを着ていました。彼の名前は神田(かみた)です。
 木野さんは、体育大学を卒業して、小さなスポーツ用品メーカーで真面目に働いていた。頻繁な全国出張をしている間に、同僚に妻を奪われた。自分が39歳、妻が35歳のときだった。子どもはいなかった。
 木野さんは、妻に離婚を申し出て、女房の浮気相手がいる会社を退職して、叔母を頼って、東京青山にバーを開いた。木野さんは、妻を責めなかった。同様に、同僚も責めなかった。自ら身を引いた。後述として、夫婦のスタート時にボタンのかけちがいがあったとあります。木野さんは妻を愛していなかった。愛していたなら激しく相手を責めた。
 仕事に打ち込むと、家族関係を失うのはサラリーマンの常です。味わいのある文章です。小説らしい小説です。好感を抱きました。
 プロの喧嘩の記述があります。プロは喧嘩するときに、余計な口はきかない。素早く叩きのめして、とどめを刺す。心地よい。
 ジャズの曲名が何曲も出てきます。わたしはその曲を聴きません。聴いても仕方ありません。
 蛇が5匹、木野さんを取り囲んだ。柳の木が中心にあった。蛇は人を導くという言い伝えがある。カミタは言う。この場所が欠けた。木野さん旅に出よ。月曜日と木曜日に叔母へ所在を知らせる通知を出せ。木野はカミタの言いつけを守れなかった。蛇は木野に深く傷つくことを求めた。
「女のいない男たち」
 このタイトルがないと、なかなか説明がつかない作品群でした。本短編の場合、タイトルは「エム」でもよかった。
 エムという元カノが、先週の水曜日に自殺したと、彼女と一緒に暮らしていた男性から電話連絡があった。電話を受けた人間がだれなのかは明記されていない。この短編集をふりかえってみると、前話に登場するバー木野の店主である木野さんかもしれない。
 なにはともあれ彼女は死の地へ旅立ったとあります。3人目の自殺者とあることから、男性は木野さんではないことがわかります。木野さんでもなければ、作者の分身である谷村さんでもない。それしてもすごい文章力です。エムと付き合っていた君は死に神なのか。
 7歳のときの記憶にしても、14歳のときの記憶にしても、60歳近くになった今ふりかえってみると、幼い。人間としての駆け出しの時期であった。いまさら気にやむこともない。
 作者は自らを否定しながら、彷徨(ほうこう、さまよい)し続けている。車の記述が多いのは、移動願望が強いからだろう。
 14歳のときに1個の消しゴムを半分に切って分けてくれたと仮定するエムの存在が脳裏から消えない。
  「メタファー」って何だろう。比喩とある。
  哀しみ文学群でした。
  女がいた頃の過去に生きていて、今は鬱で、微動だにしない男がいる。


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