2024年01月05日

永遠の門 ゴッホの見た未来 洋画 2018年

永遠の門 ゴッホの見た未来 洋画 2018年 動画配信サービス

 認知症のドクター長谷川和夫さんの本を読んでこの映画を観ました。
 『ボクはやっと認知症のことがわかった 医師 長谷川和夫 読売新聞編集委員 猪熊律子(いのくま・りつこ) KADOKAWA』のなかで、長谷川さんが、いい映画でしたと紹介されていました。
 長谷川さんの本では、認知症の医療や介護にかかわってきた自分自身が認知症になりましたと書かれています。2017年(平成29年)88歳のときに公表されています。長谷川さんは、2021年(令和3年)に老衰により92歳で亡くなられています。

 フィンセント・ファン・ゴッホ:オランダ印象派の画家。1853年(日本は江戸時代末期。明治維新が1868年)-1890年(日本は明治23年)。37歳没。

 テオ:ゴッホの弟。1857年-1891年。33歳没。画商

 ポール・ゴーギャン:ゴッホと2か月間共同生活を送った。1848年-1903年。54歳没

 ゴッホの油絵の特徴です。
 強力な色調です。力のこめすぎにすら思えます。
 表面は粘土みたいで、彫刻のようです。
 
 枯れたヒマワリの映像が長い時間放映されました。何か意味があるのでしょう。ゴッホの精神が枯れていくということなのか。

 全般的には、美しい風景の映像が何度も流れます。
 緑の葉っぱが繁った(しげった)樹木の並木がきれいです。
 広々とした草原での夕映えが美しい。
 BGM(バックグラウンドミュージック)のピアノ曲が映像によくマッチしていました。
 青空に浮かぶ白い雲の映像がきれいです。(これらがゴッホに見えていた世界なのでしょう)
 
 映像にゴッホのきれいな絵が次々と出てきます。
 後年、価値が出る有名な絵ばかりです。
 白い石の岩場と緑の田園の映像がきれいでした。
 糸杉は燃え盛るような葉っぱでした。

 ゴッホの言葉があります。『平らな風景を見ると「未来」しか見えない。ぼくだけに見える世界なのか』(言葉の意味はわかりません)

 されど、当時の画壇(がだん。画家の社会)にいた人たちは、ゴッホの絵を変な絵だとばかにします。当時は、宗教画みたいな絵が多い。
 ゴッホは当時、排除される人間だった。
 ゴッホは、精神科の病棟にいます。
 ゴッホは、見た目はおとなだけれど、心はこどものようです。
 ゴッホは、心が弱い。死にたいという願望がある。社会が受け入れてくれない人格です。
 ゴッホには、時々、『幻(まぼろし)』が見える。花だったり、天使だったり、人間だったりの幻が見える。
 
 ゴッホが、カミソリで自分の左耳を切って、謝罪としてその耳を人に渡しました。
 ゴッホに対して、君はよそ者だ。酒を飲みすぎるという批判があります。
 ゴッホの心理です。
 僕の中に何かがいる。
 誰も見えないものが、僕には見える。
 僕の絵は僕自身だ。
 僕が見ているものを、ほかの人と分かち合いたい。
 僕のまわりには、危険な霊がいる。
 (ゴッホは、脳内が狂っています)
 絵を描かないと死ぬ。
 (ゴッホは、頭がおかしい。白とブルーの世界が見えます)

 芸人のジミー大西さんを思い出しました。
 草間彌生さん(くさま・やよいさん)も似たような絵を描かれます。
 拘束衣(こうそくい)を着せられた(腕を自由に動かせない)ゴッホがいます。
 
 自分にできることは、絵を描くことだけ。
 『神』の話ばかりです。
 『神』はいないと思う。わたしは、長いこと生きてきましたが、神を見たことはありません。見たことがないものを信じることはわたしにはできません。
 ゴッホの父は牧師で、ゴッホも神につかえようと思っていたそうです。誤解と錯覚の世界です。一歩間違えれば錯乱します。もともとつじつまが合わないものをあわせようとすると、混乱が生まれて破滅への道が開かれます。ゴッホは、気持ちに折り合いをつけることができなかった。まっすぐな人だった。
 
 ゴッホは、拳銃自殺したとされていますが、映画では、若い男二人組が死にからんでいます。他殺かと思いましたが、現実では、自殺であることに間違いはないようです。

 ゴッホは、お金がほしかったから絵を描いていたのではなく、絵を描かないと、自分の心を支えることができなかったから絵を描き続けた。

 ゴッホがデッサンを描いたスケッチブックは、死後126年がたった2016年(平成28年)に発見されたそうです。

 全体を見終えて感じたことです。
 すんなりとした流れで、ゴッホの人生が描かれていました。
 少ない俳優陣で、演劇のような進行でした。
 ゴッホはやっぱり精神的な病気をかかえていた人で、どんな風景が見えていたのか本当のところはだれにもわかりませんが、一般人が見ていた世界とは別の世界でただよっていた人だと感じました。

 東京新宿駅近くの美術館にゴッホの『ひまわり』の絵が展示されていると知りました。いつかじっさいに観てみたい。いつになるかわかりませんが……


(追加記載 2024年(令和6年)1月23日火曜日)
 上記の文章をアップしたあと、先週、東京へ行く用事があったので、用事を済ませたあと、新宿駅の西にあるSOMPO美術館へ行き、『ひまわり』を鑑賞してきました。写真撮影可だったので撮影しました。たいへん混雑していたので驚きました。
 この映画のことを思い出しながら『ひまわり』を観ました。自分にとっては、『ひまわり』は、笑っているように見えました。明るく充実した幸福感を味わいました。


  

2024年01月04日

オットーという男 洋画 2023年公開

オットーという男 洋画 2023年公開 126分 動画配信サービス

 良心的ないい映画でした。
 今年観て良かった一本です。

 主人公のオットーというおじいさんは、見始めの頃は、嫌な人間に思えます。
 細かい人、めんどうくさい人、理屈っぽい。(こういう人っているよなという気分です)。理屈で物事を考える人です。世間という人間界は、グレーゾーン(灰色)でできあがっています。きちんとやると不自由なこともあります。

 ホームセンターでの買い物で、ロープの長さと値段の付け方にこだわるところから始まります。オットー氏は次に、ごみの分別のしかたで怒ります。(おこります)。それから、自転車の置き場所で文句を言います。

 製造業の会社で働いていたけれど、いろいろ不満やトラブルがあって、定年退職のような、高齢になってからの退職がありました。仕事は厳しい人らしい。(こういう人がいないと仕事が進んでいかないということはあります)
 いわゆるクレーマーか。老害と呼ばれてもおかしくないおじいさんです。

 それなのに、オットー氏には、自殺願望があります。じっさいに自殺企図(自殺を計画して実行する)があります。
 なぜ、首を吊ろう(つろう)としているのだろう。あんなに元気いっぱいで不満を周囲にぶちまけているのに。
 このあと、一酸化炭素中毒(車の排気ガス)や鉄道への飛込み自殺、猟銃自殺にも挑戦します。(ことごとく死ねません)あとで、思ったのですが、亡くなった奥さんが霊界から現世に出てきて、毎度毎度(まいどまいど)、オットー氏を救っているのです。奥さんの姿は映像では見えません。

 オットー宅の向かいに幼い女の子がふたりいる若いご夫婦が引っ越してきます。とてもあったかい、いいご家族です。にぎやかです。奥さんは三人目のお子さんを妊娠しています。

 ノラ猫がおもしろい。随時登場して、場を和ませる(なごませる)役割を果たしてくれます。

 さみしいんだ:オットー氏は、愛する人(奥さん)を失った。
 さみしいんだ:オットー氏は、話し相手がいないんだ。
 どうも、妻だけでなく、友人も失ったようです。(友人は、生きているけれど病気のため廃人になっている。パーキンソン病です。脳の病気。思考に障害が発生して認知症になっている)

 地上げ(立ち退き)を求める不動産屋とのもめ事があります。

 ヒューマンムービー(人情あふれる)であり、恋愛映画(ラブロマンス)でもある作品です。

 人は、まずは、生きていることが大事です。

 車の車種にこだわりがあるのですが、見ている自分には理由がわかりませんでした。フォードとか、シボレーとか、トヨタとか、フォルクスワーゲンとかです。オットー氏の好みと、まわりの人たちの車の好みが対立するような描き方でした。ちなみに、オットーは、シボレーが好きなようすでした。

 『あなたは、生きなきゃ!』

 ちゃんと生きて、自然に死んでいく。

 お近づきになった家族が、大きなハートをもつ人たちでした。
 ご主人がトミー、奥さんがマリソル、ちびっこがアビー(2~3歳ぐらい)、ルナ(6歳で幼稚園の年長さんぐらい)
 
 オットー氏の遺言が紹介されます。遺産をこどもたちの学費に使ってくれという内容が良かった。アビーとルナのための学費です。
 オットー氏は、寿命を全うして(まっとうして)、亡くなった奥さんのもとへ旅立たれました。