2024年01月26日
観劇 斑鳩の王子 戯史聖徳太子伝
『斑鳩の王子(いかるがのおうじ) -戯史(ぎし。おもしろおかしい話) 聖徳太子伝(しょうとくだいしでん。聖徳太子の話)』 IMM THEATER(シアター)のこけら落としに行く。(新しい劇場のお披露目公演 東京ドームそば「水道橋駅」東京ドームホテル南)
(2023年11月初めのこと)
ステージの出演者で自分がわかるのは、明石家さんまさん、山西惇さん(やまにしあつしさん)、温水洋一さん(ぬくみずよういちさん)、松尾貴史さん(まつおたかしさん)ぐらいです。
脚本が、刑事ドラマ『相棒』を書いている輿水泰弘さん(こしみずやすひろさん)なので、舞台を観たくなりました。
入場券の抽選申し込みにチャレンジしましたが、「アクセス集中」でつながらず、ようやく夕方になってつながり申し込みができました。
抽選にはどうせ当たらないだろうと思っていたら当たりました。うれしい。
さっそく劇場からひと駅の距離にあるホテルを予約しました。
想像するに奈良の聖徳太子を明石家さんまさんが演じて、おもしろおかしい、楽しい舞台でしょう。
奈良には、四十代のころに惹かれて(ひかれて)、何度も訪れました。奈良時代の歴史が深い地域です。そのころは、歳をとったら、奈良の老人ホームに入って、毎日のように散歩で、お寺さん参りを楽しもうという夢のようなものがありましたが、今はそう思いません。介護保険制度を活用して、自宅でできるだけ長く在宅介護、できれば、自宅でお昼寝中にそのままあの世へ旅立ちたい。
(2024年1月のとある日の夜に、夫婦で演劇鑑賞をしてきました)
思い出すままに感想を記してみます。
温水洋一さん(ぬくみずよういちさん)の演技が素晴らしかった。ひとりで何役も上手に演じられていました。芸達者です。この劇は、さんまさんを立てる形で、温水さんや山西惇さん(やまにしあつしさん。ドラマ『相棒』で警視庁の課長役)はじめ、ベテランと若手、女優陣が、しっかりと演技と劇の進行を支えておられました。あとでわかりましたが、複数の方が複数の役柄を演じておられました。
ときおり、きれいな女の人を、『年増(としま)』だと言ってからかうのですが、言わなければ若く見える方でした。また、みなさん、きれいなお顔の女優さんばかりでした。
歴史を知らないとわかりにくい内容です。ただ、歴史に忠実なようにも思えませんでした。
ちょっと自分でつくった自分用の歴史年表ノートから項目を拾ってここに落としてみます。
239年 卑弥呼が魏に使いを送る。魏志倭人伝。
4世紀ころから 古墳時代。大和朝廷が国土統一を始める。
538年(あるいは552年) 仏教伝来。
574年 聖徳太子誕生。622年48歳没。厩戸皇子(うまやどのおうじ)。用明天皇の第二皇子。母親は、欽明天皇の皇女(おうじょ。娘)穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)
587年 蘇我馬子(そがのうまこ)が仏教反対派の物部氏(もののべし)を倒す。(今回の劇ではこの部分が強調されます)
592年-710年ころ。飛鳥時代
593年 聖徳太子が、推古天皇の摂政になる。(すいこてんのう554年-628年女帝。摂政(せっしょう):幼帝、女帝に代わって政務を担当した職)
603年 冠位十二階
604年 十七条の憲法
607年 法隆寺建立。小野妹子(おののいもこ。男性です)が遣隋使で派遣された。国書「日出処天子(ひいずるところのてんしうんぬんかんぬん)」を隋に持参した。
645年 大化の改新。中大兄皇子(なかのおおえのおうじ。のちの天智天皇)+中臣鎌足(なかとみのかまたり。飛鳥時代の貴族・政治家。『藤原氏』の始祖(しそ。始めの人) VS 蘇我蝦夷(そがのえみし。蘇我馬子の長男)+蘇我入鹿(そがのいるか。蘇我馬子の孫)
劇では、天智天皇のこども大友皇子と天智天皇の異母弟天武天皇の争いである『672年 壬申の乱(じんしんのらん)』ぐらいまで表現してあるような雰囲気でした。
ぼんやりしていたので、確かではありませんが。なにせ、まじめな歴史の話なのに、ほとんどの時間帯は、お笑いの尺(時間帯)なので、筋立てを気にする必要もないようです。下ネタとか、時事ネタ(某お笑い芸人さんの文春砲さく裂ネタ)とか、俳優さんの奥さんのネタ、しのぶちゃんネタ(大竹しのぶさん)など、話がいくらでも飛んで行って、混乱しながらの爆笑が続きます。
さんまさんは、奥さんやこどもがいる家族持ちの若い男優さんがねたましいらしく、自分は家に帰るとひとりぼっちで、冷蔵庫から冷凍食品をチンして食べているんだと不満のような嘆きのようなことを言って観客を笑わせてくれました。だから、お笑いの舞台に全力をそそいでいるんだと聞き取れました。仕事人間なのです。
さんまさんは、実母を3歳のときに病気で亡くし、自分がまだこどものとき、実父が連れ子のいる女性と再婚して継母を迎えたものの、継母の発言で、自分のこどもは自分の連れ子だけだという話を聞いて、お兄さんとふたりで二段ベッドで泣いたというような文章を、どこかで読んだことがあります。さんまさんは、仕事は充実しているけれど、家族や家庭には恵まれていない面があります。
関西弁の聖徳太子で演技が続きます。まあ、舞台は奈良ですから関西弁でしょう。
鹿のかっこうをした人たちがたくさん出てきます。おもしろい。奈良公園の鹿たちを思い出しました。鹿せんべいの話も出ました。
さんまさんは、お笑い話をしすぎたのか、声が枯れています。劇の途中で、声枯れのことも笑いにつなげる発言をされていました。
仏と神、宗教の対立と争いがあります。蘇我馬子(仏教。そがのうまこ)、物部守屋(神道。もののべのもりや)で、仏教の蘇我馬子が勝利します。誤解があるといけないので、補足すると、その後の時代の流れで、お寺と神社は仲良しの関係となっています。信仰の内容が異なりますから対立はしません。仏教は釈迦(しゃか)の教え。神道は、万物が神です。開祖はいません。
穴穂部皇子(あなほべのみこ):聖徳太子の叔父。欽明天皇の皇子(おうじ)。
さんまさんがらみで、笑いが続く長時間シーンは3か所あったと思います。3時間の公演時間中、以下のシーンで各30分ぐらい。あわせて90分ぐらいあった記憶です。
①3人で、コントを続けます。さんまさん、温水さん(ぬくみずさん)、若手の男性俳優さん(ごめんなさい。わたしにはお名前がわかりません中尾明慶さん(なかおあきよしさん)か一色洋平(いっしきようへいさん)といわれる方ではないかと思います)。たしか、温水さんがザリガニをやって、若い男優さんが、トンビとか、コイとか、カメとかを演じて…… 『昭和の笑い』だと感じました。いじめやいたぶりがあります。それでも、客席は、かなり笑っていました。(客席は年配男女が多い。夜7時から10時までの公演でした。休憩なし。3時間ぶっ続けの演劇です。トイレが心配でしたがだいじょうぶでした。何回かお尻が痛くなりましたが、終わってみればあっという間でした。女性客の大きな笑い声があちらこちらから聞こえていました。不快ではありません。独特なじょうずな笑い方です。演劇関係者の人たちだろうか。声の出し方が俳優さんみたいでした)
②5匹の虫が出てくるお笑いシーン。便所コオロギとか。ダンゴムシとか。ハエとか。かなりおもしろい。笑わせてもらいました。
③ちょっと記憶がさだかではないのですが、さんまさんと若い男性俳優さんのシーンで、若い男性俳優さんが、『死んでやる!』とか、『殺してくれーー』とか、わめいて、さんまさんが、男性の首に長い縄を巻いて引っ張って、『首をしめてころしてやるーー』みたいになるのですが、なんだか、そのあと、犬の散歩みたいになって、そのやりとりが延々とパターンを変えながら25分間ぐらい続くのです。すごいなーー。自分の記憶に間違いがあるのかもしれませんが、『ミーアキャット』のシーンがここか、ほかのコント部分のどこかであったような気がします。
もう、本題の聖徳太子の劇から遠ざかって、若い俳優さんが、『さんまさん(もうやめてください)』みたいに発言するのです。ちゃんと演劇をやりましょうよ!です。さんまさんは、(きみの事務所から頼まれて)今回の舞台に(きみを)採用したのだから、(オレの言うことを聞け!)みたいな態度をとるのです。そうしないと次は仕事で使わないぞ!みたいに若手をおどすのです。まあ、下品な部分も全開な、昭和時代の笑いのつくりかたです。
宝塚出身の女優さんがおられるようで、ところどころ宝塚の演劇シーンを見ているようでした。
馬女を演じておられた方が宝塚がらみの方かもしれません。(音月桂おとづきかつらさんでしょう)
『富士山』の話が出ました。ちょうど、その日、東京へ来るときに新幹線の車窓からきれいな富士山が見えたので、気持ちがぴったりきました。
わたしは、アドリブが多いのではないかと思っています。何回も演じる演劇ですが、観客も演者みたいなところがあって、そのたびごとに雰囲気や、やりかたが違うような気がします。正確には、同じ劇を複数回観ないとわかりませんが。そういう観劇のしかたをされる方(かた)もおられるのでしょう。
最後はどうオチをつけるのだろうと(結末はどうなるのか)観ていました。
さんまさんは、舞台から階段を下りてきて、観客席の間を歩いて回られました。『もうすぐ終わりますんで。』と、観客に声をかけられて笑いにつながりました。そうか、あれがオチだったのか。間近でさんまさんの顔を観ることができました。テレビで見るのとおんなじでした。ありがとう。
最後、ステージ上に演者の皆さんが集まって、終わりのあいさつをされました。
どなたのお顔にも、やりとげたという達成感が満ちていて、こちらも見ていてすがすがしい気持ちになれました。楽しいお笑いをありがとう。
演劇の主題にあったものとして、『昭和時代のガッツ(闘志)』がありました。
不合理、不条理、理不尽な職場・社会でも、根性と努力、忍耐と柔軟性で乗り切ってきた年配世代の人生を讃える演劇でした。
次の写真では、右奥の聖徳太子のポスターが、今回見学した劇でした。斑鳩の王子(いかるがのおうじ)と書いてあります。
都営三田線水道橋の駅を出て、出口をちょっと間違えて道に迷ってしまいました。開演時間が近かったのであせりました。地図があっても道に迷う方向音痴な熊太郎じいさんです。
次の写真は劇場前で、写真の下のほうは入場者で黒山の人だかりです。写さないようにカットしてあります。
『IMM THEATER』のロゴ(ブランドイメージを図案化したもの)は、お笑い芸人ジミー大西さんの作です。
劇場うしろの背が高い建物が、『東京ドームホテル』です。むかし、若いころ二度ほど泊まったことがあります。東京ドームでプロ野球観戦後に泊まりました。
熊太郎じいさんは、小学6年生のときの修学旅行が東京で、後楽園遊園地のジェットコースターに同級生たちと乗って遊んだことを覚えています。とても楽しかった。あれからもう半世紀以上がたちました。12歳のときにいた場所あたりに今もまた立つことができて感無量な気持ちもあります。(胸がいっぱいになり、深く感じるところがあります。いつだってがんばってきました。長かった自分の人生もだんだん終わりに近づいてきました)
IMMシアターのIMMは、『生きてるだけでまるもうけ』です。限りある残りの人生の時間を楽しみたいものです。
明石家さんまさんは、1985年(昭和60年)夏、御巣鷹山に墜落した日航ジャンボ機に搭乗する予定だったそうです。仕事が早く終わったので、別の飛行機で大阪へ帰って命拾いしたそうです。その出来事から、『生きてるだけでまるもうけ』の発想が生まれたそうです。
(2024年(令和6年)2月3日土曜日に追加記載)
最近金曜日午後10時にTBSで始まったテレビドラマ『不適切にもほどがある!』を観ていて気付いたことがあります。
今回見た聖徳太子の劇のはじまり付近で、なんだったか具体的に思い出せないのですが、生き物に名前をたしか、『リイサ』だったか、『リーサ』という名前を付けるのです。そのとき、客席から笑いがさざなみのように湧きおこったのですが、自分には笑える理由がわかりませんでした。さらに、たしか、さんまさんが、気が強いからリイサだというように言って、やっぱりまた笑いが起こったのです。
『不適切にもほどがある!』に出演されている仲里依紗(なか・りいさ)さんという女優さんが、あのとき舞台上にいた中尾明慶(なかお・あきよし)さんの奥さんだったのかと、ようやく今頃気づいた次第です。
きのうドラマの第二話を観たのですが、自分なりに最終話は、主人公役を務める阿部サダヲさんが、タイムトラベルをして、病気で亡くなった奥さんと再会できるのではないかと予想し、予想が当たるといいなーーと期待しています。
(2023年11月初めのこと)
ステージの出演者で自分がわかるのは、明石家さんまさん、山西惇さん(やまにしあつしさん)、温水洋一さん(ぬくみずよういちさん)、松尾貴史さん(まつおたかしさん)ぐらいです。
脚本が、刑事ドラマ『相棒』を書いている輿水泰弘さん(こしみずやすひろさん)なので、舞台を観たくなりました。
入場券の抽選申し込みにチャレンジしましたが、「アクセス集中」でつながらず、ようやく夕方になってつながり申し込みができました。
抽選にはどうせ当たらないだろうと思っていたら当たりました。うれしい。
さっそく劇場からひと駅の距離にあるホテルを予約しました。
想像するに奈良の聖徳太子を明石家さんまさんが演じて、おもしろおかしい、楽しい舞台でしょう。
奈良には、四十代のころに惹かれて(ひかれて)、何度も訪れました。奈良時代の歴史が深い地域です。そのころは、歳をとったら、奈良の老人ホームに入って、毎日のように散歩で、お寺さん参りを楽しもうという夢のようなものがありましたが、今はそう思いません。介護保険制度を活用して、自宅でできるだけ長く在宅介護、できれば、自宅でお昼寝中にそのままあの世へ旅立ちたい。
(2024年1月のとある日の夜に、夫婦で演劇鑑賞をしてきました)
思い出すままに感想を記してみます。
温水洋一さん(ぬくみずよういちさん)の演技が素晴らしかった。ひとりで何役も上手に演じられていました。芸達者です。この劇は、さんまさんを立てる形で、温水さんや山西惇さん(やまにしあつしさん。ドラマ『相棒』で警視庁の課長役)はじめ、ベテランと若手、女優陣が、しっかりと演技と劇の進行を支えておられました。あとでわかりましたが、複数の方が複数の役柄を演じておられました。
ときおり、きれいな女の人を、『年増(としま)』だと言ってからかうのですが、言わなければ若く見える方でした。また、みなさん、きれいなお顔の女優さんばかりでした。
歴史を知らないとわかりにくい内容です。ただ、歴史に忠実なようにも思えませんでした。
ちょっと自分でつくった自分用の歴史年表ノートから項目を拾ってここに落としてみます。
239年 卑弥呼が魏に使いを送る。魏志倭人伝。
4世紀ころから 古墳時代。大和朝廷が国土統一を始める。
538年(あるいは552年) 仏教伝来。
574年 聖徳太子誕生。622年48歳没。厩戸皇子(うまやどのおうじ)。用明天皇の第二皇子。母親は、欽明天皇の皇女(おうじょ。娘)穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)
587年 蘇我馬子(そがのうまこ)が仏教反対派の物部氏(もののべし)を倒す。(今回の劇ではこの部分が強調されます)
592年-710年ころ。飛鳥時代
593年 聖徳太子が、推古天皇の摂政になる。(すいこてんのう554年-628年女帝。摂政(せっしょう):幼帝、女帝に代わって政務を担当した職)
603年 冠位十二階
604年 十七条の憲法
607年 法隆寺建立。小野妹子(おののいもこ。男性です)が遣隋使で派遣された。国書「日出処天子(ひいずるところのてんしうんぬんかんぬん)」を隋に持参した。
645年 大化の改新。中大兄皇子(なかのおおえのおうじ。のちの天智天皇)+中臣鎌足(なかとみのかまたり。飛鳥時代の貴族・政治家。『藤原氏』の始祖(しそ。始めの人) VS 蘇我蝦夷(そがのえみし。蘇我馬子の長男)+蘇我入鹿(そがのいるか。蘇我馬子の孫)
劇では、天智天皇のこども大友皇子と天智天皇の異母弟天武天皇の争いである『672年 壬申の乱(じんしんのらん)』ぐらいまで表現してあるような雰囲気でした。
ぼんやりしていたので、確かではありませんが。なにせ、まじめな歴史の話なのに、ほとんどの時間帯は、お笑いの尺(時間帯)なので、筋立てを気にする必要もないようです。下ネタとか、時事ネタ(某お笑い芸人さんの文春砲さく裂ネタ)とか、俳優さんの奥さんのネタ、しのぶちゃんネタ(大竹しのぶさん)など、話がいくらでも飛んで行って、混乱しながらの爆笑が続きます。
さんまさんは、奥さんやこどもがいる家族持ちの若い男優さんがねたましいらしく、自分は家に帰るとひとりぼっちで、冷蔵庫から冷凍食品をチンして食べているんだと不満のような嘆きのようなことを言って観客を笑わせてくれました。だから、お笑いの舞台に全力をそそいでいるんだと聞き取れました。仕事人間なのです。
さんまさんは、実母を3歳のときに病気で亡くし、自分がまだこどものとき、実父が連れ子のいる女性と再婚して継母を迎えたものの、継母の発言で、自分のこどもは自分の連れ子だけだという話を聞いて、お兄さんとふたりで二段ベッドで泣いたというような文章を、どこかで読んだことがあります。さんまさんは、仕事は充実しているけれど、家族や家庭には恵まれていない面があります。
関西弁の聖徳太子で演技が続きます。まあ、舞台は奈良ですから関西弁でしょう。
鹿のかっこうをした人たちがたくさん出てきます。おもしろい。奈良公園の鹿たちを思い出しました。鹿せんべいの話も出ました。
さんまさんは、お笑い話をしすぎたのか、声が枯れています。劇の途中で、声枯れのことも笑いにつなげる発言をされていました。
仏と神、宗教の対立と争いがあります。蘇我馬子(仏教。そがのうまこ)、物部守屋(神道。もののべのもりや)で、仏教の蘇我馬子が勝利します。誤解があるといけないので、補足すると、その後の時代の流れで、お寺と神社は仲良しの関係となっています。信仰の内容が異なりますから対立はしません。仏教は釈迦(しゃか)の教え。神道は、万物が神です。開祖はいません。
穴穂部皇子(あなほべのみこ):聖徳太子の叔父。欽明天皇の皇子(おうじ)。
さんまさんがらみで、笑いが続く長時間シーンは3か所あったと思います。3時間の公演時間中、以下のシーンで各30分ぐらい。あわせて90分ぐらいあった記憶です。
①3人で、コントを続けます。さんまさん、温水さん(ぬくみずさん)、若手の男性俳優さん(ごめんなさい。わたしにはお名前がわかりません中尾明慶さん(なかおあきよしさん)か一色洋平(いっしきようへいさん)といわれる方ではないかと思います)。たしか、温水さんがザリガニをやって、若い男優さんが、トンビとか、コイとか、カメとかを演じて…… 『昭和の笑い』だと感じました。いじめやいたぶりがあります。それでも、客席は、かなり笑っていました。(客席は年配男女が多い。夜7時から10時までの公演でした。休憩なし。3時間ぶっ続けの演劇です。トイレが心配でしたがだいじょうぶでした。何回かお尻が痛くなりましたが、終わってみればあっという間でした。女性客の大きな笑い声があちらこちらから聞こえていました。不快ではありません。独特なじょうずな笑い方です。演劇関係者の人たちだろうか。声の出し方が俳優さんみたいでした)
②5匹の虫が出てくるお笑いシーン。便所コオロギとか。ダンゴムシとか。ハエとか。かなりおもしろい。笑わせてもらいました。
③ちょっと記憶がさだかではないのですが、さんまさんと若い男性俳優さんのシーンで、若い男性俳優さんが、『死んでやる!』とか、『殺してくれーー』とか、わめいて、さんまさんが、男性の首に長い縄を巻いて引っ張って、『首をしめてころしてやるーー』みたいになるのですが、なんだか、そのあと、犬の散歩みたいになって、そのやりとりが延々とパターンを変えながら25分間ぐらい続くのです。すごいなーー。自分の記憶に間違いがあるのかもしれませんが、『ミーアキャット』のシーンがここか、ほかのコント部分のどこかであったような気がします。
もう、本題の聖徳太子の劇から遠ざかって、若い俳優さんが、『さんまさん(もうやめてください)』みたいに発言するのです。ちゃんと演劇をやりましょうよ!です。さんまさんは、(きみの事務所から頼まれて)今回の舞台に(きみを)採用したのだから、(オレの言うことを聞け!)みたいな態度をとるのです。そうしないと次は仕事で使わないぞ!みたいに若手をおどすのです。まあ、下品な部分も全開な、昭和時代の笑いのつくりかたです。
宝塚出身の女優さんがおられるようで、ところどころ宝塚の演劇シーンを見ているようでした。
馬女を演じておられた方が宝塚がらみの方かもしれません。(音月桂おとづきかつらさんでしょう)
『富士山』の話が出ました。ちょうど、その日、東京へ来るときに新幹線の車窓からきれいな富士山が見えたので、気持ちがぴったりきました。
わたしは、アドリブが多いのではないかと思っています。何回も演じる演劇ですが、観客も演者みたいなところがあって、そのたびごとに雰囲気や、やりかたが違うような気がします。正確には、同じ劇を複数回観ないとわかりませんが。そういう観劇のしかたをされる方(かた)もおられるのでしょう。
最後はどうオチをつけるのだろうと(結末はどうなるのか)観ていました。
さんまさんは、舞台から階段を下りてきて、観客席の間を歩いて回られました。『もうすぐ終わりますんで。』と、観客に声をかけられて笑いにつながりました。そうか、あれがオチだったのか。間近でさんまさんの顔を観ることができました。テレビで見るのとおんなじでした。ありがとう。
最後、ステージ上に演者の皆さんが集まって、終わりのあいさつをされました。
どなたのお顔にも、やりとげたという達成感が満ちていて、こちらも見ていてすがすがしい気持ちになれました。楽しいお笑いをありがとう。
演劇の主題にあったものとして、『昭和時代のガッツ(闘志)』がありました。
不合理、不条理、理不尽な職場・社会でも、根性と努力、忍耐と柔軟性で乗り切ってきた年配世代の人生を讃える演劇でした。
次の写真では、右奥の聖徳太子のポスターが、今回見学した劇でした。斑鳩の王子(いかるがのおうじ)と書いてあります。
都営三田線水道橋の駅を出て、出口をちょっと間違えて道に迷ってしまいました。開演時間が近かったのであせりました。地図があっても道に迷う方向音痴な熊太郎じいさんです。
次の写真は劇場前で、写真の下のほうは入場者で黒山の人だかりです。写さないようにカットしてあります。
『IMM THEATER』のロゴ(ブランドイメージを図案化したもの)は、お笑い芸人ジミー大西さんの作です。
劇場うしろの背が高い建物が、『東京ドームホテル』です。むかし、若いころ二度ほど泊まったことがあります。東京ドームでプロ野球観戦後に泊まりました。
熊太郎じいさんは、小学6年生のときの修学旅行が東京で、後楽園遊園地のジェットコースターに同級生たちと乗って遊んだことを覚えています。とても楽しかった。あれからもう半世紀以上がたちました。12歳のときにいた場所あたりに今もまた立つことができて感無量な気持ちもあります。(胸がいっぱいになり、深く感じるところがあります。いつだってがんばってきました。長かった自分の人生もだんだん終わりに近づいてきました)
IMMシアターのIMMは、『生きてるだけでまるもうけ』です。限りある残りの人生の時間を楽しみたいものです。
明石家さんまさんは、1985年(昭和60年)夏、御巣鷹山に墜落した日航ジャンボ機に搭乗する予定だったそうです。仕事が早く終わったので、別の飛行機で大阪へ帰って命拾いしたそうです。その出来事から、『生きてるだけでまるもうけ』の発想が生まれたそうです。
(2024年(令和6年)2月3日土曜日に追加記載)
最近金曜日午後10時にTBSで始まったテレビドラマ『不適切にもほどがある!』を観ていて気付いたことがあります。
今回見た聖徳太子の劇のはじまり付近で、なんだったか具体的に思い出せないのですが、生き物に名前をたしか、『リイサ』だったか、『リーサ』という名前を付けるのです。そのとき、客席から笑いがさざなみのように湧きおこったのですが、自分には笑える理由がわかりませんでした。さらに、たしか、さんまさんが、気が強いからリイサだというように言って、やっぱりまた笑いが起こったのです。
『不適切にもほどがある!』に出演されている仲里依紗(なか・りいさ)さんという女優さんが、あのとき舞台上にいた中尾明慶(なかお・あきよし)さんの奥さんだったのかと、ようやく今頃気づいた次第です。
きのうドラマの第二話を観たのですが、自分なりに最終話は、主人公役を務める阿部サダヲさんが、タイムトラベルをして、病気で亡くなった奥さんと再会できるのではないかと予想し、予想が当たるといいなーーと期待しています。