2024年01月19日

君の名前で僕を呼んで 洋画

君の名前で僕を呼んで 洋画 2時間11分 動画配信サービス

 昨秋東京でミュージカル『チャーリーとチョコレート工場』を観劇しました。その後(現在公開されている)、洋画『ウォンカとチョコレート工場の始まり』に主演しているティモシー・シャラメという俳優さんを知りました。彼の出演作としてこちらの『君の名前で僕を呼んで』があることを知りました。前知識なしで観ました。男が男を愛する映画でした。『おっさんずラブ』のようでもある。どこまで感想を書けるか自信がありませんがトライしてみます。
 ああこういう世界ってあるのだろうなあ。否定してはいけない時代なのだなあとは理解はできました。

 映像では、建築物の外観が、歴史ある古さと、古風だがデザイン性が優れている(すぐれている)ことで味わいがあります。
 お金持ちのみなさんのひと夏の避暑地でのあれこれという風情(ふぜい)です。場所は北イタリアとなっています。
 色調、デザイン、音楽(ピアノ演奏)、ポピュラーミュージックを楽しむ映画です。それらを背景にして、若い男女の恋と少年と青年の恋を描きます。人生で一度きりであろう同性同士の恋愛です。

 生活に追われていない人たちです。生活費に心配がない。ヒマだからこうやって時間を過ごせる。お金を追いかけて必死の思いで24時間ノルマ(割り当てられた労働目標。いつまでに、どれだけのことを、どんなふうに達成するか)に追われていたらこんなことをする時間はありません。

 17歳の少年が、24歳の男子大学院生に恋をするストーリーです。
 
 嫌悪感をもったこととして、タバコ映画です。喫煙シーンが15回以上はあったと思います。たばこは煙が臭い。近くで吸われると、呼吸が苦しくなります。気分が悪くなります。どうして映画に喫煙シーンが多いのかがわからないのですが、日本も外国もニコチン依存の映画ばかりです。

 古代ギリシャの歴史とか彫像を研究しているらしき大学の先生たちとその生徒です。
 海底に沈んでいた遺跡から彫像を引き上げたりしています。
 ギリシャ神話や古典を素材にした男同士の関係の会話があります。筋肉マンは筋肉マンを好むのか。古代ギリシャの彫刻と男性同士の愛を重ねてあるように読み取れます。筋肉の美を語る。

 草にねっころがっている17歳の男が、隣に寝ている24歳の男に甘えます。『サイコーにいいよ』、『なにが?』、『なにもかも』、『ぼくたちが(こうしていることがいいよ)』、『わるくはない』、(見ていて、なんともまあという気分になります。演じる役者さんは熱演です。役者魂があります。演じるのです。役者はなんにでも化けます(ばけます。まあ、映画は現実ではありません。化けて収入をいただきます))舞台劇のような演劇パターンがあります。
 
 17歳の少年は、なんだか屈折している心持ちをもちながらも、年上男性に恋しています。
 なんというか、男とか女とか、性別は関係ない世の中になりました。
 歳をとるとわかるのですが、歳をとると、全員がおばあさんのようでもあり、おじいさんのようでもあり、性別が『中性』になるのです。
 もうどっちでもいいじゃないか。それよりも体がちゃんと機能しているかのほうに関心がいくのです。目、耳、鼻、口、歯、皮膚、内臓、そして脳みそです。排便・排尿のコントロールもあやしくなります。
 (映画の最後の方で、少年の父親がそのようなことをコメントしたのでびっくりしました。人間は歳を取るにつれていずれ性別がなくなるという話です)

 映画のタイトルの意味です。男性同士で行為をするときの言葉のやりとりです。
 君の名前で僕を呼びあうのです。『一体化』するというような意味があるのでしょう。君は僕なのです。
 エリオ(17歳)が、オリヴァー(24歳)を『エリオ』と呼ぶ。
 オリヴァーが、エリオを『オリヴァー』と呼ぶ。

 なお、エリオには、同世代の女性の恋人がいます。体の関係もあります。なんでもありです。
 エリオは女性の恋人から強く愛されています。

 難点としては、男同士にしても、男と女にしても、どうして相手を好きなのか、理由がわかりません。
 お互いのどういうところがいいのかを出さないのが、映画とかドラマのいつものことです。見た目だけです。イケメンとか美人、可愛い、スタイルがいい。背が高いなどです。現実には、見た目がいいだけでは、衣食住、子育て、介護の生活をきちんと送ることはできません。

 人間のもつさみしさ、悲しさの表現があります。社会規範の標準の位置にいない状態があります。本来、自由であるはずの恋愛が、これまでの歴史とか法令とかで、こうしなければならないという固定観念が社会にあります。標準化できない人は悩みます。本来人間は自由であるべきなのに、社会的制裁がこわい。

 最後はどうオチ(結末)をつけるのだろうと思いながらクライマックス部分へ向かいました。
 少年の父親の力説で、この映画の内容がカチッと決まりました。父親もまた同性が好きだったことがあるのです。がまんしたのです。奥さんはそのことを今も知らないそうです。
 父親の言葉として、『オリヴァーは、オリヴァーだった。なぜなら彼だから。(息子に関して)おまえはおまえだった。彼は善良だ。おまえも善良だ。』、『きみたちは、友情を超えた。それがうらやましい。』、『たいていの親は、立ち直ってほしいと思う。(同性愛をやめさせる)』、『わたしは違う。自分の意思を無視することはあまりに惜しい。とうさんもかつては似たような思いをした。いつでも自分を抑え込んでいた。(おさえこんでいた)』、『おまえの人生はおまえのものだ。押し殺すな。せっかくの喜びが死んでしまう』、『(老いれば(おいれば))見向きもされないときがくる』

 最後付近、雪原のような風景映像が良かった。詩的でした。白と黒の世界で、白い雪が静かにゆっくりと降り積もります。

 少年の恋の相手だったオリヴァーは、女性と結婚することになります。
 人生は不可解です。人は、秘密をかかえながら生活しています。

 オリヴァーの言葉です。『ぼくの父なら(ぼくを)矯正施設(きょうせいしせつ)へ連れていくだろう。君は運がいい。』

 雪と涙で終わる。うまい。少年の目の前には、暖炉の炎があります。