2024年01月27日
国会議事堂衆議院の見学
国会議事堂衆議院の見学
建物の裏側にある入口から入って、窓口で、午前11時30分からの見学を申し込みました。ほかの見学希望の方たちと並んで記載台で申し込み用紙に住所氏名等を書いて、手荷物検査をして、20人ぐらいの集団で案内の若い男性職員の方についていき説明を聞きました。小学生と幼稚園年長さんぐらいのこどもさんも数人いました。
みなさんけっこう遠方の県から見学に来られているようすでした。ゴロゴロと引っ張る旅行鞄を持ちながら移動されていました。建物の裏の方から建物の中を歩いて見て、最後は正面中央玄関を見渡す位置で解散しました。
帰りは、正面方向にある出口から外に出ました。時間は1時間ぐらいでした。もしかしたら自分は、小学校の修学旅行で見学したことがあるのかもしれませんが、半世紀以上昔のことであり、記憶がまったくありません。
議事堂では高い位置にある木造の傍聴席に座って説明を聞きました。みおろす風景には、茶色の色調と電灯色に味わいがあります。
木造部分が多い。長い時代を経ているので、座る椅子の部分が狭くもあり、古くもありでした。
議員席もそれほど広いとは思えませんでした。
建物内のレイアウトは(配置は)、議場があって、その周囲に関係者の部屋があってと、シンプルでした。
国会議員は男性ばかりなので、女性用トイレが極端に少ないというようなことを思い出しました。
なにかの記事で、議場に一番近いトイレは男性用で、女性議員のために男女共用に区分けをしたというような文章を読んだことがあります。思い起こせば、半世紀ぐらい前は、男女共用のトイレが多かった。いまどきの若い女性には抵抗感があるでしょう。あわせて和式でした。そういえば、この見学が始まる前に待合場所(椅子があります)のそばの女子トイレの一部は和式だったと同行の妻が言っていました。だれも使う人はいなかったそうです。
古い建物なので段差がありバリアフリーにはしにくい部分もあるようです。
障害者の方が議員になって、バリアフリーにリフォームした部分があるようです。
もうかなり年数が経過している建物ですから、本当は、一(いち)から近代的な新しい建物として国会議事堂を建てるのがいいのでしょうが、費用面でそうはいかないのでしょう。
見学して最初に思ったのは、かなり古いなあということでした。
国会議事堂は、1920年(大正9年)~1936年(昭和11年)で建築されています。もう100年ぐらい前です。
つくりは、愛知県でいうと、愛知県庁の本庁舎(1938年 昭和13年完成)とか、名古屋市の本庁舎(1933年 昭和8年完成)に似ています。
廊下を歩きながら思うのは、(雰囲気が)役所だなあということでした。
特徴的なことは、皇室が関係してくることです。
皇室関係者専用の部屋とか、階段がありました。
なにかしら特殊な世界です。自分は皇室関係者として生まれてこなくてよかったとほっとしました。気楽が一番、自由が一番です。移動の自由、職業選択の自由、居住地選択の自由、言論の自由は、気楽に人生を過ごすうえで大切です。
建物の細工(さいく。つくりもの)は美術館のようにきれいです。建築様式も味わいがあります。
上の写真にある階段は、天皇だけが歩く赤じゅうたんが敷いてある階段だそうですが、老齢になられた天皇は利用されなかったそうです。エレベーターで上階へ上がられたそうです。だれでも、歳をとると、ころんでおおごとになりますからね。
外に出て、『都道府県の木』という小道をぞろぞろと歩いて、建物が正面からきれいに見えるところへ移動しました。都道府県の木の道では、手入れされた立派な樹木が並んでいました。
中央広間には、伊藤博文、板垣退助、大隈重信の銅像と銅像はない台座だけがありました。三氏と同様の偉業を成し遂げた人がいないからとか、これから先の夢として、空座があるというような説明でした。
小学生のこどもさんが、『知ってるよ』と話していました。こういった社会科のことに興味が強いマニアのお子さんのようでした。たのもしい。
国会の大理石の柱には化石があるそうで、みんなで柱の化石探しを少ししました。
出口を出て地下鉄の駅に向かうところで、首相官邸が見えるので1枚写真を撮りました。国会議事堂の斜め向かいに道をへだてて建っていました。警察職員による厳重な警備体制で、緊張した雰囲気がただよっていました。
首相官邸は、テレビでよく映像に出る建物です。これから報道番組やニュースを観たときに、ああ、近くまで行ったなあと親しみを感じることでしょう。
(国会議事堂追加記載2024年1月28日日曜日:あとから思い出したこと)
中庭の池で錦鯉が泳いでいました。新潟県からプレゼントされたものと聞きました。
今年に入って、都内にあるお屋敷が火災で燃えてしまった新潟県選出の元総理大臣の方を思い出しました。
建物内の封書類のやりとりに使用している、上の階から下の階に落とす形式の郵便投函筒(メールシューター)を見ました。
1階が最終的な収集ポストになっていました。
収集時刻が決まっていて、きちんと収集されて、郵送ルートにのせるそうです。役所ですから文書担当の係があるのでしょう。
メールシューターを見て、自分が新卒で就職して入居した独身寮を思い出しました。4階建ての独身寮には、郵便物ではなく、ごみを上階から地上階のごみ集積場に落とす投函筒(シューター)が設置されていました。
建物の裏側にある入口から入って、窓口で、午前11時30分からの見学を申し込みました。ほかの見学希望の方たちと並んで記載台で申し込み用紙に住所氏名等を書いて、手荷物検査をして、20人ぐらいの集団で案内の若い男性職員の方についていき説明を聞きました。小学生と幼稚園年長さんぐらいのこどもさんも数人いました。
みなさんけっこう遠方の県から見学に来られているようすでした。ゴロゴロと引っ張る旅行鞄を持ちながら移動されていました。建物の裏の方から建物の中を歩いて見て、最後は正面中央玄関を見渡す位置で解散しました。
帰りは、正面方向にある出口から外に出ました。時間は1時間ぐらいでした。もしかしたら自分は、小学校の修学旅行で見学したことがあるのかもしれませんが、半世紀以上昔のことであり、記憶がまったくありません。
議事堂では高い位置にある木造の傍聴席に座って説明を聞きました。みおろす風景には、茶色の色調と電灯色に味わいがあります。
木造部分が多い。長い時代を経ているので、座る椅子の部分が狭くもあり、古くもありでした。
議員席もそれほど広いとは思えませんでした。
建物内のレイアウトは(配置は)、議場があって、その周囲に関係者の部屋があってと、シンプルでした。
国会議員は男性ばかりなので、女性用トイレが極端に少ないというようなことを思い出しました。
なにかの記事で、議場に一番近いトイレは男性用で、女性議員のために男女共用に区分けをしたというような文章を読んだことがあります。思い起こせば、半世紀ぐらい前は、男女共用のトイレが多かった。いまどきの若い女性には抵抗感があるでしょう。あわせて和式でした。そういえば、この見学が始まる前に待合場所(椅子があります)のそばの女子トイレの一部は和式だったと同行の妻が言っていました。だれも使う人はいなかったそうです。
古い建物なので段差がありバリアフリーにはしにくい部分もあるようです。
障害者の方が議員になって、バリアフリーにリフォームした部分があるようです。
もうかなり年数が経過している建物ですから、本当は、一(いち)から近代的な新しい建物として国会議事堂を建てるのがいいのでしょうが、費用面でそうはいかないのでしょう。
見学して最初に思ったのは、かなり古いなあということでした。
国会議事堂は、1920年(大正9年)~1936年(昭和11年)で建築されています。もう100年ぐらい前です。
つくりは、愛知県でいうと、愛知県庁の本庁舎(1938年 昭和13年完成)とか、名古屋市の本庁舎(1933年 昭和8年完成)に似ています。
廊下を歩きながら思うのは、(雰囲気が)役所だなあということでした。
特徴的なことは、皇室が関係してくることです。
皇室関係者専用の部屋とか、階段がありました。
なにかしら特殊な世界です。自分は皇室関係者として生まれてこなくてよかったとほっとしました。気楽が一番、自由が一番です。移動の自由、職業選択の自由、居住地選択の自由、言論の自由は、気楽に人生を過ごすうえで大切です。
建物の細工(さいく。つくりもの)は美術館のようにきれいです。建築様式も味わいがあります。
上の写真にある階段は、天皇だけが歩く赤じゅうたんが敷いてある階段だそうですが、老齢になられた天皇は利用されなかったそうです。エレベーターで上階へ上がられたそうです。だれでも、歳をとると、ころんでおおごとになりますからね。
外に出て、『都道府県の木』という小道をぞろぞろと歩いて、建物が正面からきれいに見えるところへ移動しました。都道府県の木の道では、手入れされた立派な樹木が並んでいました。
中央広間には、伊藤博文、板垣退助、大隈重信の銅像と銅像はない台座だけがありました。三氏と同様の偉業を成し遂げた人がいないからとか、これから先の夢として、空座があるというような説明でした。
小学生のこどもさんが、『知ってるよ』と話していました。こういった社会科のことに興味が強いマニアのお子さんのようでした。たのもしい。
国会の大理石の柱には化石があるそうで、みんなで柱の化石探しを少ししました。
出口を出て地下鉄の駅に向かうところで、首相官邸が見えるので1枚写真を撮りました。国会議事堂の斜め向かいに道をへだてて建っていました。警察職員による厳重な警備体制で、緊張した雰囲気がただよっていました。
首相官邸は、テレビでよく映像に出る建物です。これから報道番組やニュースを観たときに、ああ、近くまで行ったなあと親しみを感じることでしょう。
(国会議事堂追加記載2024年1月28日日曜日:あとから思い出したこと)
中庭の池で錦鯉が泳いでいました。新潟県からプレゼントされたものと聞きました。
今年に入って、都内にあるお屋敷が火災で燃えてしまった新潟県選出の元総理大臣の方を思い出しました。
建物内の封書類のやりとりに使用している、上の階から下の階に落とす形式の郵便投函筒(メールシューター)を見ました。
1階が最終的な収集ポストになっていました。
収集時刻が決まっていて、きちんと収集されて、郵送ルートにのせるそうです。役所ですから文書担当の係があるのでしょう。
メールシューターを見て、自分が新卒で就職して入居した独身寮を思い出しました。4階建ての独身寮には、郵便物ではなく、ごみを上階から地上階のごみ集積場に落とす投函筒(シューター)が設置されていました。