2024年01月18日

87分の1の人生 アメリカ映画 2023年

87分の1の人生 アメリカ映画 2023年 2時間8分 動画配信サービス

 交通事故死がらみの対立と憎しみからの克服というヒューマンドラマ(胸にしみいる物語)でした。交通事故の原因をつくったドライバーの若い女性が悩むのです。彼女は、うつ病のようになって、薬物依存になって、人生を棒にふる(それまでの実績をだいなしにする)ような状態になるのです。死亡した被害者の遺族の怒り(いかり)はすさまじい。それでもそれぞれが、これからも生きていかねばならないのです。

 交通事故の状況設定に疑問をもちましたが、最後のほうで、おじいさんが、ハンドルを握っていたドライバーに、『あなたが、スマホの画面を見ていたからだ!』、と叱責(しっせき)して、半分腑(ふ)に落ちました。(ふにおちる。腹におちる。納得する)
 通常ならありえない交通事故です。工事中のショベルカーのそばには警備員が立っていて、周囲を注視しています。(映画では警備員は出てきませんが、変な設定です)。作業をしている小型クレーンと通行中の乗用車がぶつかることなど、あってはいけないことです。

 薬物依存症の主役を演じる若い女優さんの演技がすばらしい。たいしたものです。

 タイトルは、鉄道模型のジオラマを意味します。87分の1スケール(縮尺)というものです。87分の1の世界には平和で穏やかな人生があるのです。

 たしかに人間のまわりには危険がいっぱいです。病気や事故、自然災害や事件にまきこまれることがあります。生き続けていくためには、『運』が必要です。運があれば、災難を避けることができたり、災難にぶつかっても最悪の事態を避けたりすることができます。タイミングが1分ずれていれば助かった命というのはあります。

 依存症を克服するための自助努力のグループ(サークル、集まり)があります。
 アルコール依存を克服する。アルコールを飲ませない、あるいは飲まないようにするために、毎日集まって、各自がアルコールで家族や周囲に迷惑をかけたことを告白、懺悔する(ざんげする。反省する)。自分が、けしてアルコールを飲まないと発表するというような活動があることを、自分は若い頃に知りました。かなりつらそうです。なんというか、アルコールにしても薬物にしても、必要以上に口に入れることはやめたほうがいい。

 登場人物は、あけっぴろげな人たちです。普通だったら話題にしないことでも話題にします。孫娘がおじいちゃんに、『おじいちゃんとこんな話はしたくない(避妊のしかたの話)』と叫びます。
 互いに攻撃しあって謝って(あやまって)、さてどうする。
 まじめな映画です。人間のもつ影の部分をさらけだします。ありのままの正直な話が次々と出てきて感心しました。
 『やり直す』(生まれたところからやり直すのか。それはできないから、今、この時点からやり直すしかありません)
 だれかが言っていました。『人生でとりかえしがつかないことは、自殺と殺人だ』。

 次のフレーズ(文章)は、自分のこれまでの人生で得た熊太郎語録です。
 『過去を変えることはできない。未来をつくることはできる』
 もうひとつあります。
 『物事は常に、最悪の方向へと向かって矢印が伸びている。矢印を消すことはできないけれど、歯を食いしばって矢印を抱きかかえて全力で動かせば、少しぐらいは方向をずらすことはできる』
 
 登場人物の各自から、ずこんと心に響くセリフが続きます。

 物語のつくりとして、ふつうは、愛し合っていた者同士が憎しみあうことになります。愛が憎しみに変わるのです。こちらの物語は逆に、憎しみが愛に変わります。
 『そうか、今オレは(あなたを)目でハグしている』
 『あのクソガキ殺してやる!(孫娘をたぶらかして男女の行為を迫った若い男に対してのおじいさんの言葉です)』
 『(孫娘をたぶらかした若い男に向かっておじいさんが)おまえを殺していけない理由を言ってみろ!』
 『オレの孫を傷つけたから、今度はおまえを傷つけてやる!!』
 骨太な映画です。
 (オレはいい人間だ。(なのにどうして)こんなひどい目にあわなければならないんだ……)
 『(運転していた)君がスマホを見ていたから、交通事故にあって、(同乗していた自分の)身内がふたり死んだ。責任は君にある。<道路のはじっこで、工事の作業をしていたショベルカーのせいじゃない>』
 
 無理をしない。がまんをしない。
 それぞれが、それぞれの人生を歩んでいく。

 人生に、うっかりミスはつきものです。
 再生とか、再起とかを扱った映画でした。
 映画からのメッセージは、『自分の運命を愛す(しかない。それが人間の生き方なのだ)。』

 映画を観終えて、詩画集を描かれる星野富弘さんの言葉を思い出しました。
 『速さのちがう時計 星野富弘 偕成社』 感想メモの一部です。
 1970年6月(昭和45年)群馬県で、中学校の体育教師をしていて運動中に頚椎(けいつい)を損傷し手足が動かなくなる。口に筆をくわえて絵や文を書き始める。口に絵筆をくわえて描く。おそらく1枚を仕上げるのにひと月ぐらいかかるのではないか。緻密な観察で丁寧に描かれています。
 星野富弘さんの言葉で心に残っているものがあります。自分のおぼろげな記憶ですが『川で泳いでいたら川の水の勢いに巻き込まれて自分の体が下流に流されてしまった。元の岸に戻ろうとあがいていたら溺れて死にそうになった。川の流れにさからうことをやめて、川の流れに身をまかせて流れていたら、体は自分の知らない岸に流れ着いた。自分は、流れ着いた岸で暮らしていくことにした。気持ちが楽になった』というような内容でした。