2024年02月29日

アンソーシャル ディスタンス 金原ひとみ

アンソーシャル ディスタンス 金原ひとみ(かねはら・ひとみ) 新潮社

 本の帯に、『ずっとそうだった、コロナは世間に似ている』と書いてあります。文章の意味はわかりませんが、コロナ禍が関係しているから、「アンソーシャル ディスタンス」なのでしょう。「新型コロナウィルス感染症拡大防止対策として、対人距離の確保(をしない)」と読み取れます。アンソーシャルで、否定形ですから。
 いったいコロナ禍(か)ってなんだったのだろう。発生地の中国は何の補償もしてくれない。まわりも補償を求めない…… まるで、そんなことは、なかったかのごとく過ぎ去ってしまっています。

 短編5本です。

『ストロングゼロ』
 飲み物だろうか? ストロングゼロ:調べました。チューハイだそうです。(わたしは飲んだことはありません)

ラ・カンテーヌ:レストランらしい。昼食を食べに行くところ。

セナ:彼氏はSE(システム・エンジニア)

(私)ミナ:桝本美奈。主人公OL(オフィスレディ)。出版社の新書編集部勤務と読みとれます。彼氏はイケメンであればいい。人間の中身にあまりこだわりはなさげです。

行成(ゆきなり。元バンドマン。今はフリーター、ミナのヒモ状態あわせて、うつ状態)。ミナは行成と3年間同棲していますが、ほかの男とも寝ます。イケメンならだれでもOKみたいです。

吉崎:セナとミナの同僚OL。面食い(めんくい)。

裕翔(ゆうと):吉崎の彼氏だが、ミナの彼氏でもある。ふたまたかけていたが、三週間前に吉崎と別れたもよう

松郷(まつごう)

職場でミナの向かいの席に座っているのが、真中(まなか)さん。
販売担当部署の三瀬さん。
奥滋さん(おくしげさん)のトークショー:奥滋美津子×村松勝トークショー

 社食の話から始まりました。(会社の食堂)
 彼氏の話が出ます。なんというか、「カレシ」とか「カノジョ」とか、所有物のような扱い、形だけの付き合い相手、言い方に、そんな軽いイメージがあります。

(読み終えました)
 アルコール依存症になっている若いOLさんのお話でした。
 女性が読む短編集でのようです。女心を表現してある作品群のようです。
 ちょっとわたしは、場違いです。少し、流し読みをするような感じで読みました。
 怯む:ひるむ。
 校了(こうりょう):印刷してもよい状態になる。校正終了の略。
 スマホで、ストラテジーゲーム:戦略。策略。ゲームで与えられたミッションをクリアする。
 
 文章に勢いがあります。すさまじいパワーです。文字数が大量です。
 よきフレーズ(言い回し)として、『(男にとって女であるわたしは)自動販売機のような存在なのかもしれない……』、男にごはんを用意して与えている。男は鳥かごのなかにいる鳥のようなもの。

 読んでいる自分は、相当まじめなのでしょう。読んでいて、主人公女性のミナがだらしなく思えます。
 本人は悩んでいるようなのですが、同情する気持ちにはなれません。ミナは、はっきりしない人です。自分の未来に向かって、自分がどうなりたいのかの志(こころざし)がない人です。アル中の人です。たくさんStrong Zero(ストロングゼロ)というチューハイを飲みます。しょっちゅう飲みます。

 新書:新刊の書物。気楽に読める教養ものや小説。

 仕事のようすが書いてあるのですが、なんでもかんでもメールです。昔はちゃんと相手に会って話したり、電話したりで口頭で会話をしたものです。なんだかなあという気分で読んでいます。無言で接客する人が増えました。人間じゃなくて、AIロボットのようです。(人工知能ロボット人間)。人間が、人間ではない、人間のようなものになっています。

 リマインド:思い起こさせる。

 ミナは、アルコールに依存するけれど、男にも依存する。男から、『まだ飲むの?』と問われてしまいます。とうぜん、まだ飲み続けます。心の病気です。
 複数の男と交渉をもっているので、そのうち、男の名前を言い間違えます。めちゃくちゃですな。

 アルコール依存症ですから、夢と現実が交錯(こうさく。入り混じる)します。
 同僚からは、『…… 酒臭いよ』と言われてしまいます。

 わたしは長いこと生きてきて、アル中の人を何人か見たことがありますが、アル中の人は、体力があるうちは、威勢(いせい。元気。勢い)がいいのですが、体力が落ちてくるとぼろぼろになります。思うに、アル中の人は、内臓がぐちゃぐちゃになって、排尿・排便のコントロールが自分でできなくなって、オムツをつけて、汚物まみれで死んでいくイメージがあります。苦しい死に方です。

 アイラ島のウィスキー:スコットランドの島。ウィスキーが有名。

 得る(える)ものはなく、失うものばかりのアル中の女性の話でした。


『デバッガー(Debugger。コンピュータープログラムの不具合を探し出して、修正する作業をする人)』
 読み終えましたが、自分には、合わない小説です。この本は、まじめさとか、一生懸命さがない女性が主人公になる短編群です。

 35歳のOLが、同じ職場の24歳の男性とカップルになってのあれやこれやです。
 まわりの同世代が、結婚して、出産して、子育てをしての中で、取り残された女性です。自分で自覚があります。自分は、時間が止まっているという表現があります。
 かといって、仕事で大成功しているようすはありません。

 主人公の女性は、理由はあいまいですが、美容整形に多額のお金をつぎ込みだします。
 そして、整形の結果がうまくいきません。あせります。そんな流れのお話でした。

森川愛菜(もりかわ・まな):27歳のときに3年間付き合った男と別れて3年がたった。付き合い始める前、その男は複数の女性と付き合っていた。アイドルとか、元モデルの美人とか、おまえよりレベルが高い女性だったと言われたとあります。(こんなところで、まじめな話で申し訳ないのですが、同時に複数の異性と付き合うような人間とは距離を置いたほうがいいです。誠実な人ではありません。ただ、この話の場合、森川愛菜も同時に複数の男と関係をもつ女性なのです)

優花(ゆうか):同僚OL。かなり年上の既婚男性と不倫をしている。不倫相手の男性は、離婚したいができない状況にあるらしい。秘書課で働いている。

大山くん:24歳。森川愛菜よりも8歳年下だが、森川愛菜との結婚を真剣に考えている。森川愛菜とつきあっている。いっぽう、同期の山岡という24歳の女性が、大山に好意をもっている。

 ブリオッシュ:フランスの菓子パン

 失礼かもしれませんが、読み手の自分からみれば、くだらない世界のことが書いてあります。セクハラ、モラハラの会社内のようすです。女性蔑視のようすです。(べっし。女性を下に見る)
 この短編を読んで共感する女性もいるだろうなあ。
 高学歴の人たちが働いている会社に見えます。

 以前考えたことがあります。結婚しない。こどもがいない。孫もいない。そして、高齢の親を亡くして、年寄りのひとり暮らしになるって、どんな感じなんだろうなあと。
 子どものいない夫婦、孫のいない夫婦の友だちがいるので、雑談の中でそんな話をしたことがあります。彼らの返事は、『わからない(子どもや孫がいることの実感が湧かない)』というものでした。
 結論としては、未婚であれば、18歳ぐらいの意識のまま、心身が老いた状態になるというものでした。結婚生活の苦労とか、子育ての苦痛とか、高齢の親や義父母の介護などの苦悩体験がなければ、家族関係のあれやこれやがあったという人生を実感することはないのです。
 こちらの短編の主人公女性のようすと重なります。

 大山くんが言います。
 『ペンギンになりたいなあ』(飼育員にエサをもらって生きていけるのはサイコーなこと。飼育員=8歳年上女性の主人公だろうか。年上女性に養ってもらいたい)

 哀しい(かなしい)話です。
 自分としては、やはり、年齢に応じたポジション(人生の立ち位置)にいたい。(このあとの短編、『コンスキエンティア(Conscientia。意識。共犯関係。良心)』115ページに関連する文章があります。計画的に人生を送る人は、コントロールフリーク(仕切り屋)だと、見くだすように表現されています)(う~む。そうかなあ。若い時にはわからないのです。50年も経つと、顔も体もだれしもが心身ともにヨロヨロになります。健康優良児的なイケメンとか美人ではいられません。労働者としての現役リタイアの時期が近づいてきたら、老後の備えは大事です)
 
 病気でもないのに、美容整形外科という医療機関に行く。
 働いたお金を、『自分の顔』につぎ込む。(結婚しない。こどももいないとなると、働いていれば、たくさんお金が残るからかけられる費用なのでしょう)

 小説に出てくるどの恋愛も、顔とかスタイルとか、見た目だけの愛情です。性格とか、資質とか、気が合うとか、そういった基準がありません。

 ボトックス:シワ対策のために、薬を注射する。(この物語では、主人公が思ったような効果がえられません。失敗して、10歳ぐらい老けて(ふけて)見えるようになります。35歳が45歳に見える。みじめです)

 なんだか、大山くんという男も変な男です。(年上女性のヒモになりたい。結婚が永久就職のようです)

 主人公女性の言葉です。
 『…… 私は一体、誰と恋愛していていたのだろう。そもそもこれは恋愛だったのだろうか……』
(うーむ。35歳ならまだやり直しができますと励ましたいけれど。うーむ。なんともいいがたい)


『コンスキエンティア(Conscientia。意識。共犯関係。良心)』
 主人公 小路茜音(しょうじ・あかね)。30歳。不倫中(相手はひとりとは限らない)。
夫:奏(そう)。31歳。無気力。妻のヒモ状態。(この本では、ヒモみたいな男がよく出てきます)
 
 由梨江:小路茜音の友人。デキ婚。育休中。

 龍太:由梨江の弟。小路茜音の不倫相手のひとり。

 宗岡

 美梨(みり):小路茜音の同僚

 原田悦司(はらだ・えつし):51歳ぐらい。有名服飾デザイナー。小路茜音の新しい不倫相手の男性になるであろう人。

 お化粧をしているようすから話が始まります。
 自分は男なので、男の生活とはあまり縁のないお化粧の内容について、細かい記述が続くのですが、理解できないので、流し読みをします。
 お化粧をする女性が読むとピッタリくるのでしょう。

 表向きだけの仲良し夫婦です。中身はありません。すでに夫婦関係は破たんしています。
 『今考えなければならないのは、離婚のことだ……』(でも離婚しません)
 
 外資系化粧品メーカーのBA:ビューティーアドバイザー

 夫は、朝4時に二十連投で、妻のラインにメッセージを送ります。(異常です。妻は女ともだちの家で普通に寝ていました)

 主人公の母親は、現実を知っています。『あなたの(娘の)結婚生活は続かない。』
 
 娘は、ブルドーザーみたいな勢いで結婚したけれど、今は離婚したいそうです。

 ラインのラリー(連投)が異常です。ラインの着信音が続きます。

 こんなことで、悩まなければならないのだろうか。
 依存しあう夫婦です。
 自立とか自活という言葉がありません。

 ふたりの肉体的な交渉は、『何か人間ではない生き物に犯されたような気分だった。』そうです。
 腐れ縁です。
 
 外連味(けれんみ):はったり、ごまかし。

 なんだか、虚しい(むなしい。中身がない)暮らしぶりです。
 何のために生きているのだろう。
 夢がありません。
 妻も夫も、心を病んでいます。(やんでいます)。
 夫婦は、夫婦になる努力をしないと夫婦にはなれません。
 親子も同様です。
 書き手は何を表現したいのだろうか?
 『虚無(きょむ。なにもない。むなしい)』と『孤立感』。人間のもつ闇(やみ)でしょう。

 NTR:寝取られ。パートナーが奪われる。

 厨二病(ちゅうにびょう):『中二病』が、ネット上で、『厨二病』に変化した。思春期のありがちな背伸び行為・言動。

 ナチョス:メキシコ料理。薄いパンに具材をのせて食べる。

 DV:夫婦間の暴力があります。夫から妻に対するものです。まあ、めちゃくちゃですなあ。

 読み終えました。
 なんだろう。主人公の身になってみると、『自分』という人間が、失われていく感覚があります。
 

『アンソーシャル ディスタンス Unsocial Distance 社会的距離がない。非社会的距離』
 読み終えました。これまでの作品を含めて、途中で、もう読むのをやめようかと思う読書が続いています。
 エロい下ネタ記述が続きます。高校生の頃に読んだ村上龍作品『限りなく透明に近いブルー』を思い出しました。
 荒廃した若い男女の関係です。
 なんというか、人間って、そんなものではないのです。内容は、受け止め方にもよりますが、読者を喜ばせようとするためのつくり話です。
 人間の体というのは、だれしもが病気をもっています。健康優良児タイプの体は少ない。夢のような行為の体験なんて、やっぱり夢なのです。それぞれいろいろハンデをかかえていて、お互いに人に見られたくないところをさらけだして、助けあっているのが愛情の現状です。行為そのものについては、人間って、どうしてこんなことをするのだろうかと思うこともあるのです。子孫を継続させるための行為です。愛情の確認だったら抱き合うだけで十分だという人も多いのです。一定の線を超えると異常な性癖になります。

 まあ、物語の流れに沿って、感想を書いてみます。
 女性の指輪のことが書いてあり、なにか意味がありそうでした。
 
小嶺沙南(「こみね・さな」でいいのでしょう):10歳、13歳で自殺企図あり。リストカットあり。16歳で脱法ドラッグを使用して、高校を中退した。大検に合格後大学に進学した。

幸希(こうき):小嶺沙南とカップルの男性。小嶺のゼミの1年先輩。小嶺を妊娠させて、堕胎させた。

 まあ、このふたりに家庭を築けるわけがないというカップルです。

 松永絢斗(まつなが・けんと):小嶺沙南に言い寄る男

 ハンザップ:音楽バンド

 妊娠したこどもを強制的に体の外に出して命を奪います。
 平然とカップルはその行為を医療機関で行います。
 読んでいてイヤな気持ちになってきます。赤ちゃんの命の大切さというものはない。
 目的も目標もない生活です。
 親への隠し事はありです。(堕胎(だたい)のこと)
 中身のない男です。
 命をモノ扱いする男と女です。こんな人はこどもをつくらないでほしい。
 
 なんでもネットで買うのか。(さだまさしさんの歌を思い出しました。『買い物ぐらい体動かせ』です。たしか、『関白失脚』という歌で、歌詞では、テレホンショッピングでした)
 
 ペシミズム:悲観主義。世界は不幸と非合理に満ちている。それ以外にない。
 HILDE:会社名。幸希が内定をもらった。パソコンメーカー。

 スマホ、メール、飲もうよ!(アルコールを)、スマプラ(スマホで楽しむ音楽・映像)、ネット、ゼミ、フラペチーノ(スターバックスの冷たいドリンク)、希死念慮(きしねんりょ。自殺プランづくり)、ライブハウス、メンヘラ、イヤホン、iPhone、ウォーターサーバー……

 読んでいて、しゃらくせぇ、とか、ばかばかしいという気分になります。(案外そういう気分になるのは、作者の術中にはまっているのかもしれません)
 人工的な世界の中にいる若い人たちに見えます。
 心が病んでいます。(やんでいます)
 暗い内容です。
 光が見えない。光を見たい。

 大学まで行って、何を学んだのだろうこの人たちは。
 法学部を出て、法律を守らない政治家みたいなものか。
 脳みその中にある誠実さは、幼児よりも低い。
 
 男女が交互に自分の心理状況を語る形式の文章です。
 
 母親と息子の関係はゆるい。母親も息子と似たようなものか。
 『俺の中でもう母親は関係ない人だから』
 
 重ねて、エロい言葉がたくさん出てくるのですが、生物の生態系の話を読んでいるようでもあります。人間の体は、書いてあるようには動けないのです。現実と夢にはへだたりがあるのです。世の中は誤解と錯覚でできあがっていると、だれかが言っていました。

 なぜ死にたいのだろう。そして、なぜ死なないのだろう。(小説家太宰治(だざい・おさむ)氏を思い出します)。彼は死にたいと言いつつ死にたくなかった。女に導かれて水の中で死んだ。本当は死ぬつもりではなかったとも思えます。
 こちらの作品は、背景とか底辺に太宰治氏の意思が置かれているのだろうか。

 惰性(だせい。これまでの流れ)で生きていく人たちのお話でした。
 

『テクノブレイク(Technobreak。過度な自分の行為による突然死)』
 まあ、過激なタイトルが続きます。
 短編集の最後の作品になりました。がんばって読みます。
 
(読み終えました。この短編部分の感想を書く前に、この本全体の感想を書いてみます)
 いくつもある〇〇文学賞のたぐいにおいて選ばれるためには、文壇で、これまでにない文章の書き方、これまでに見たこともないストーリーの展開があるという『個性』が必要だと思います。
 奇抜さを狙った文章書きです。(なかなか書けないやりかたです)
 著者は、若い頃、そのことに気づいてチャレンジして成功を収めた。(おさめた)。以来、こういう文体と内容で創作活動を続けることを決心した。(2004年(平成16年)芥川賞受賞「蛇にピアス」)
 そんなふうに思いました。

 本を読み終えたあとからのことですが、作者が、翻訳家の金原瑞人(かねはら・みずひと)さんの娘さんだということを知りました。金原瑞人さんは、ていねいで、繊細で、読みやすい翻訳をされる方です。
 これまでに、児童文学作品、『ジョン万次郎 「海を渡ったサムライ魂」 マーギー・プロイス 金原瑞人訳 集英社』と『墓場の少年 ノーボディ・オーエンズの奇妙な生活 ニール・ゲイマン 金原瑞人・訳 角川書店』を読んだことがあります。

(では、この短編「テクノブレイク」のほうの感想です)
 大学生たちがいます。そのうち卒業して就職します。
 ナナちゃん
 ミナミン
 人間の位置がわかる位置情報アプリケーション「ゼンリー」(誰かと繋がって(つながって)いたい欲望を満たすためのアプリです)

 芽衣(めい):主人公若い女性。

 遼(りょう):ポジティブな男(積極的)。芽衣と付き合っていましたが、もともと性格が合わないのに付き合っていたことが災いして別れます。大手商社に勤務しています。

 蓮二(れんじ):遼と別れたあとの芽衣の新しい彼氏。まあ、体の相性がいいらしい。そのうち、コロナ禍が始まります。体を重ねるよりも、マスクが最優先の生活です。ふたりの関係が崩れ始めます。体の関係が中心の付き合い(愛情)は、コロナ禍で、ダメになりそうです。移る(感染する)病気の扱いはむずかしい。

 安岡(やすおか)
 谷原:蓮二の会社の同僚。

 まあ、エロい話が続きます。男も女もサル(えてこう)状態です。壊れます。
 あからさまな表現ばかりで、読むことが苦痛なので、流し読みです。
 
 濃厚接触者、自宅待機、消毒作業、感染発覚…… (そんな言葉が街中にあふれた時期がありました)

 芽衣は、心の病気です。
 ネットとか、LINE(ライン)とか、ウーバーイーツとか、スマホ、DVDプレーヤー、グーグルフォトに同期とか、ゴースト機能とか、シェルターとか、デジタルの言葉が満ちる世界での生活は、本来の人間の生活からは距離があります。
 でかいゴキブリが出てきました。ゴキブリは、なにかをゴキブリにたとえてあるのかもしれません。
 チャーハンとか、フライパンも出てきました。なんだか、不潔そうです。
 この女性は(芽衣は)、人間なのか?
 疑問が浮かびます。こういう人っているのかなあ?
 
 読み終えて思うのは、こういう小説を必要とする人は、いるのだろうなあ。


(2024年3月8日金曜日追加記載)
 後日たまたま読んだ本が、金原ひとみさんのお父さんの翻訳本でした。
 とても良かった。
 心が温まりました。(あたたまりました)
 以下は感想の一部です。
『青空のむこう アレックス・シアラー 金原瑞人(かねはら・みずひと)・訳 求龍堂(きゅうりゅうどう)』
 死んでしまった少年の話です。少年はゆうれいになります。
 イギリスの小説家の児童文学作品です。
 日本語訳者は、先日読んだ、『アンソーシャルディスタンス』の作者金原ひとみさん(「蛇にピアス」で芥川賞を受賞された)のお父さんです。
 これから読む本が家のダンボール箱に入れてあるのですが、たまたま偶然、こちらのお父さんの本にあたりました。

ハリー・デクランド:交通事故死した少年。サッカーが好き。11歳ぐらい。交通事故で死ぬ前に、姉のエギーとけんかをしていたことを、死んでから後悔している。とても後悔している。捨てゼリフを姉にぶつけて家を出て、そのあと交通事故で死んでしまった。
 自転車に乗っていて、10トントラックにひかれた。
 『…… お姉ちゃんなんか大嫌い! …… 帰ってくるもんか。もう二度と会いたくない』、姉のエギーが、『じゃあ帰ってこないで』と言い返したのが、この世の姉との最後のやりとりだった。(つらい話です。現実でも起きることです。家から出かける時は、ケンカはしないほうがいい。本当に、それが最後になることがあります)。  

Posted by 熊太郎 at 07:58Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2024年02月28日

シャイロックの子供たち 邦画 2023年

シャイロックの子供たち 邦画 2023年(令和5年) 2時間2分 動画配信サービス

 阿部サダヲさんの出ているタイムトラベルドラマ、『不適切にもほどがある』を毎週金曜日の夜に楽しみに観ていますが、今回は、阿部サダヲさんが主演されているこの映画を観てみました。なかなかいい。おもしろかった。いい映画です。今年観て良かった1本になりました。

 シェークスピアの舞台劇、『ベニスの商人』のシーンから始まります。
 アントーニオ:お金を借りて、返せないほうの人。
 シャイロック:お金を貸して、返してもらえないほうの人。タイトルはこちらの人たちです。こどもたちはというのは、銀行マンの人たちのことです。ご苦労があります。

 お金を返さない人が悪い。
 お金を返せばいいということでもない。
 いろいろあります。

 銀行ATMにお札を詰める仕事をする銀行員が、お札をネコババ(自分のポケットに入れる)します。(ふつう、現金を扱うそういう仕事は、複数でやるのではないか? たとえば、ふたりでやる。人間は信用できませんから)
 競馬ほかのギャンブルが好きな銀行員っているんだろうなあ。(映画の中だけかもしれませんが……)
 
 余談になりますが、シーンを観ていてふと思い出したことがあるので書いてみます。
 わたしが就職したころの半世紀ぐらい昔は、給料は現金払いでした。銀行への口座振替という手法は、ずいぶんあとになってから実施されました。
 給料日の朝になると、複数の経理事務担当者で銀行に行き、給料分のお札や硬貨を受け取って、(前もって、銀行に金種票(きんしゅひょう。お札、硬貨の種類の枚数を書いたもの)を出しておいて)、仕事場にもちかえった現金のかたまりを出して、中身を確認しながら複数の人数で給料袋に入れる作業をしていました。
 バブル経済の好景気で盛り上がっていたボーナスのときには、多額の紙幣中心の現金でボーナスが支給されて、ボーナス袋が、紙幣が横に寝るのではなく、お札を縦にして、給料袋が、机の上に立った時代がありました。今、日経平均の株価がバブル期のように上がっていますが、給料等の支払いは口座振替なので、給料袋がテーブルに立つようなシーンは見られません。帰宅したパパが家の食卓テーブルの上に、ボーナスの入った袋を立てると、家族が大喜びして、家庭円満になるのに…… 便利になるってなんなんだろう。効率が良くなった代わりに、人間同士の心がふれあうシーンが減り、気持ちのあったかみが薄れました。
 (ゆえに、日経平均株価が記録的に上がっても、市中では盛り上がりに欠けています。儲かった人(もうかった人)は密かに(ひそかに)儲かって、物価高ばかりが表面に目立つ現在の世の中のありようです)

 映画では、いろいろ、伏線が落とし込まれていきます。(のちのち回収されます。伏線:仕掛け。あとで感動やスリルを生む種)

 阿部サダヲさんが演じる西木課長代理は元気がいい。『さあて、今日も一日、がんばるぞーー』のかけ声があります。

 上戸彩さんの銀行員もいい感じです。

 みなさん芸達者です。柄本明さん、柳葉敏郎さん、杉本哲太さん、佐藤隆太さん、佐々木蔵之介さん、橋爪功さん、重厚な雰囲気が続きます。

 サラリーマンの勤務状況がリアルです。重苦しい。ノルマを達成できないとパワハラシーンも現実にあります。
 お金がからむ世界は、どろどろです。お金持ちが善人とは限りません。
 詐欺、だまし、着服、恐喝、脅迫、共犯、複雑な出来事がたくさん起こります。

 ささやかな家族の幸せを守るために男は仕事をします。
 若い奥さんが、若い旦那(だんな)さんのコップに缶ビールをつぐシーンがあります。(なかなかそういうシーンは、現実にはありません)いい奥さんです。小学校高学年のこどもさんがいます。男の子です。お父さんを尊敬しているいい息子です。涙が出そうです。

 八方ふさがりの銀行業です。(現実社会では、最近銀行の株価が上がってきました。近いうちに爆上げになると思います。日銀の金融緩和がきっかけになると予想しています)

 だましの芝居がうまい。すばらしい。上手です。(ウソの芝居ですけど)。だれもがだまされます。役者たちのバイトでしょう。ほんとうの会社みたいです。

 柄本明さんと阿部サダヲさんがからんでのコメディです。
 映画だから安心して見ていられます。現実だったら恐ろしい(おそろしい)状況です。
 
 「あねは」という人だった記憶です。ビルの耐震設計の偽造をした設計士がモデルになった人物が出てきます。役者さんは、引っ越し屋のコマーシャルに出ていた人です。

 詐欺行為ではありますが、おもしろい会話が続きます。

 予想通り、銀行が貸したお金は返ってきません。貸した相手は行方不明になります。億単位のお金が持ち逃げされました。

 いっぽう銀行内では、小さな嫌がらせ事件が起きます。女子行員間のいやがらせです。醜い。(みにくい)です。
 完全に純白な人間はいません。家族や親族をからめながら、多少でも汚れた行為はあるのが現実のありようです。

 阿部サダヲさんは、上司としていい人です。
 上戸彩さんの、『わたしはやっていません』というセリフに気持ちが救われました。
 阿部サダヲさんが、上戸彩さんをかばいます。
 そんな、阿部サダヲさんにも人には知られたくない影があります。

 ややこしい話が次々と提示されます。
 
 サラリーマンは、薄給(はっきゅう。給料は見た目ほど多くない)です。税金や保険料や住宅ローンを引かれていたりもします。大企業で勤めていて、もらいは多く見えても、引かれるものも多いです。収入(税金・諸経費込み)と所得(手取り)の違いがあります。

 世の中は、理不尽でできている。

 だんだん真実が明らかになっていきます。
 おもしろい。ユーモアがあります。

 外資系の銀行へ転職するという若い人がいます。(彼の夢はかないません。現実は厳しいのです。こんな会社は、自分には合わないと思っても、そんなあなたを欲しがる会社は、たいてい、ないのです)

 関係者全員が処分対象ですが、そうはならないのが、映画であり、現実でもそうでしょう。
 まあ、お金で済む話なら、いいほうかも。
 生きるか死ぬかの命がかかると、話は深刻になります。

 カネは、返せばいいってもんじゃないんです。
 どこかの政治家のパーティ券収入みたいです。

 いろいろな取引があります。
 みんなが、自分の地位と身分を守りたい。

 印鑑証明書の偽物(にせもの。コピーすると、「複写」というような文字が浮かび上がることは知っています。本物の印鑑証明書なら、コピーすると「複写」の文字が浮かび出るから、原本は本物です)
 けっこう、印鑑証明書とか実印の重要さを自覚していない人は多い。財産やお金が、右から左へと動きます。

 悪人がいます。
 大きな組織の上層部にいる幹部に、いい人はいません。
 ライバルグループを踏んづけて、上に上がってきた人です。
 国会における政治家の派閥の話がありますが、政治家だけではなくて、日本中どこでもみられる組織のありようです。
 ボスがいて子分がいて、人事権やお金の権利を巡ってポスト争い(あらそい。役職争奪戦(そうだつせん))があります。いいとも悪いとも言えません。集団の中にいる人間は、自然とそうなるものなのです。

 こういうつくりの話なのか。
 組織が異なっていても、上層部の人間同士は、グル(仲間)ということはあるでしょう。(見た目では、敵対する組織にいても、当人同士は案外大学の同窓生だったりもします。また、親族関係があったりもします)
 それが、行政と立法と司法だと、権力を行使する人たちなので、怖いもの(こわいもの)なしになるでしょう。独裁政権が生まれてしまいます。

 『自分のことは、自分で決めるんだ。(人に相談して決めるものじゃないこともある)』

 『基本は、性善説。やられたら、倍返しだ。』

 モノというものは、相場(適正価格)で買うものです。
 相場よりも安いということは、何かあるということです。

 不動産売買契約シーンがあります。長いこと生きてきたので、自分も何度か売主・買い主の立場で、体験したことがあります。銀行の小部屋を借ります。司法書士が進行役をします。映像では、リアルなシーンで、研修ビデオでも見ているような感じがしました。
 売主・買い主のお互いが契約書に署名・押印(実印)をして、通帳への入金を確認して、お疲れさまでした、で終了です。

 お金って、なんだろうなあ……

 社会の舞台裏は、どろどろとしているものです。

 少年の言葉、『ヒーローの一日』が、とても良かった。パパを讃える(たたえる)言葉です。

 いいなあ。
 良心があります。
 『人間に戻るチャンスをもらった。』
 『後悔はしない。』
 奥さんとこどもたちが、待っていてくれました。
 パパは、ヒーローです。
 今年観て良かった映画でした。「思い切り(あきらめること)」がいい内容でした。  

2024年02月27日

沈黙のパレード 邦画 2022年

沈黙のパレード 邦画 2022年(令和4年) 2時間9分 動画配信サービス

 出川哲朗さんの充電バイクの番組に、ずん飯尾和樹さんが出ていて、その後、飯尾さんがこの映画に出演されているのを知って、さっそく映画を観てみました。
 付け加えると、家にこれから読む本を入れてあるダンボール箱があって、何冊も入れてあるのですが、そのなかにこの原作本がありました。『沈黙のパレード 東野圭吾 文春文庫』です。自分なりに読む本の順番がなんとはなしに決めてあって、映像のほうが先になってしまいましたが、本を読んだら、また感想を書いてみます。
 飯尾和樹さんの演技はなかなか良かったです。犯罪被害者になった娘さん19歳の父親役でした。娘さんは殺害されています。飯尾和樹さんは親心をじょうずに表情や言動で表現されていました。

 湯川学:天才物理学者。犯罪を推理で説いて、真実を明らかにします。福山雅治さんです。
 内海薫(うつみ・かおる):女性です。柴崎コウさんでした。警視庁捜査一課の刑事
 草薙俊平(くさなぎ・しゅんぺい):内海薫の先輩刑事。湯川学の相棒。親友。北村一輝さんです。

 へんな見方(みかた)ですが、ずん飯尾和樹さんの娘さんは、ずん飯尾和樹さんの娘には見えませんでした。なんだか、親子には見えない見た目の組み合わせなのです。あわせて、娘さんが歌手を目指しておられる役なのですが、歌声は普通で、歌手になるというのは、どうかなあという気分で見ていました。(話の最後で、やっぱり娘さんは歌手になる気はなかったことがわかりました。変な感想ですが、やっぱりなと思いました)

 時をへだててのふたつの殺人事件が並べられています。
 殺されたのは、12歳の少女と19歳の女性です。
 
 タイトルの『沈黙』について、何度も語られます。容疑者の黙秘権(もくひけん)ということもあるし、まわりの人たちが事件の内容や真相を知っているけれど、言えないとか言わないという意味あいがこめられていました。
 新たに起きた事件について、秘密を守るのです。関係者多数です。それぞれの意思があって、だれかを、あるいは、なにものかを守るために沈黙を貫くのです。(つらぬく)。

 商店街のパレードがあります。
 民舞のようなものがあります。
 仮装大会です。
 変な雰囲気のパレードです。
 それを見ていいての感想ですが、機械的なのです。
 劇団のステージを観ているようです。
 パレードの時間帯が、けっこう長い。
 海賊。少年少女向けの物語『宝島』にちなんでいます。
 音楽とダンス。ラップミュージックもあるようです。
 (推理はなかなか動き出さない。音楽はにぎやかに流れていますが、事件の進行は静かです。この中で、犯罪行為が見えないところで進行しています。殺人の企て(くわだて)です)
 
(創作者の立場に立って観察してみます)
 『怨み(うらみ)』という種を植えて、芽生えさせて、育てていく。(どう回収していくのかが楽しみです)

 ポイントとして、まず、『ハスヌマ(蓮沼寛一)が、本当に犯人なのか?』という疑問が自分に湧きました。(観終えて、それは、なかなかいい視点でした)

 パトカー集合です。
 睡眠薬。絞殺のように見える。閉所恐怖症ではない。物置。外から鍵をかけることができる。
 推理、推理、推理が続きます。
 密室内の酸素を外に出す方法を考える。
 (みんなにとっての憎悪の対象になる相手が死んでしまいました)

 どうして、被害者家族を犯人扱いするのだろうか。
 液体窒素。(自分は、皮膚科で、これを使って、小さなイボをいくつか焼いてもらったことが何度かあります。熱くて痛い。皮膚がはがれます。何回か通います(かよいます))

 視点を変えてみる。

 警察に対する糾弾があります。(きゅうだん。非難。責める)
 わたしが長いこと生きてきて思うのは、警察というのは、警察職員と警察組織のために働いているということです。それが現実です。
 映画の中では、警察は市民を守ってくれなかったじゃないかというメッセージがあります。
 矛盾を突く作品です。(むじゅん。理屈に合わない)

 なにがあろうと(殺人事件の被害者家族になっても)、淡々と毎日を過ごしていくことが大事です。
 
 『わたしには何も言えません(沈黙を続けてくれている人たちに顔向けできないから)』
 ずん飯尾和樹さんは好演されています。あたりまえの演技がいい。静かな演技です。

 市民からの抗議があります。『おまえら警察は何をやっていたんだ』
 入り組んだ誤りがある冤罪事件(えんざいじけん)です。
 そういえば、最近も夜に、NHKの報道番組で冤罪事件を扱った報道番組の放送がありました。ひどいものです。途中で、まわりにいる役所の人間たちからこれは違うんじゃないかという発想(無実)と意見が出ているのに、検察庁の担当者は、自分たちを守るためなのか、手柄をあげて昇進したいためなのか、犯人をでっちあげることのために、形式を整えることに熱心でした。
 内容は、中国に輸出後、軍事転用できるのではないかという機械のことでした。(実際は、機械は、軍事転用はできない構造になっていた)検察庁に在籍する職員個人の強引な犯罪立証への誘導がありました。

 『これしかないと……』
 『もうしゃべるな!』
 (このままでは終われないでしょ。映画鑑賞者であるわたしの意見です)
 『事件は解決した。あとは裁判にまかせる』
 (そんなことはないでしょ。まだ、真相は明らかになっていない)
 『疑わないのか?』
 (やっぱり)
 まだまだ奥行きがある事件です。
 『沈黙するかもしれない』(ややこしい)
 
 あたりまえのことをあたりまえにやるだけです。
 どう決着をつけるのだろう。
 役者さんにとっては、見せ場の演技です。

 いい作品でした。
 
 『(彼は今)仕事してます』
 『親友に感謝していると思います』
 『そうか』

 本当にいい作品でした。  

2024年02月26日

出川哲朗の充電バイクの旅 湘南から横浜アリーナ

出川哲朗の充電バイクの旅 湘南を横断して、横浜アリーナへ 還暦SP! TVer(ティーバー)

哲朗祝還暦SP!思い出の湘南横断!絶景の相模湾沿いから目指すは横浜アリーナ!ずん飯尾と岡田結実(おかだ・ゆい)が祝福走!幸せすぎてヤバイよヤバイよSP


 始まってからしばらくは、いつもの楽しさがみられませんでした。
 周知の場所、周知の人たちです。
 この番組の魅力は、未知の人たちとの遭遇にあります。(そうぐう:偶然の出会い)
 なれあいの雰囲気が続いて、始まってからの長い時間帯がつまらなかった。(辛口(からくち)の感想で始まってしまいました)

 『C』というモニュメント(記念碑)のあたりからおもしろくなりました。
 5歳ぐらいの男の子が、砂浜に設置してある『C』という彫刻のような構築物の中に入るような姿勢でのっかって、前後しながら滑っているシーンが、なかなか良かった。

 その次は、こどもたちによる、『シンドバッド体操』が、にぎやかで良かった。

 ときおり、富士山が、いろいろなパターンで雄大な姿を見せてくれたところが良かった。

 江の島神社で出会った体の大きなフランス人男性との会話がおもしろかった。
 出川さんがラグビーをしているの?とたずねると、『ただのデブです』という日本語の返答に笑いました。ご家族連れてで、外国人のご夫婦、娘さん、ご主人のお母さんで、家族団らんに心がなごみました。みなさんフランス人です。

 バイクに乗りながらの飯尾さんの失恋話が良かった。もう遠い昔、若い頃の話でしょう。
 材木座という海岸で、付き合っていた女性に、『もう待てない』と言われたそうです。
 飯尾さんはそのあと、かなりの長距離を歩いて自宅まで帰って、クタクタになって、疲れ果てることで、失恋のショックを克服できたそうです。そんな話が良かった。

 三浦半島という土地柄なのか、外国人のこどもさんが多い。日本語もペラペラなこどもたちです。
 砂浜でのどんど焼きでわいわいがやがやといい雰囲気でした。(正月飾りを燃やす)

 岡田結実さんが、出川さんのことを、『ボス』と呼ぶのは、岡田さんがこどものころから出川さんにお世話になっているのだろうと思いつつ、詳しいことはわたしにはわかりません。

 横須賀の『ドブ板通り』というところは、異質な日本の景色で、興味をもちました。なかなか、かっこいい。

 横浜アリーナで参加されるファンの皆さんとの出会いがたくさんあります。福岡県からの方もおられました。観覧参加者が、1万2000人ぐらいという人の数にも驚かされます。みなさん、ショーを観覧したあとなどの観光地めぐりも目的のひとつにあるのでしょう。

 先日は、番組、『東野・岡村の旅猿』に、ゲストで出川哲朗さんが出ていたのを観たのですが、出川さんは、悲惨な目にあっていました。ただ、岡村隆史さんはもっとかわいそうでした。
 出川さんは今回のロケで、苦労が報われた(むくわれた)ので、良かったと思います。
 また、『旅猿』には、岡田結実さんのお父さんの岡田圭右さん(おかだ・けいすけさん)もよく出ておられて、プロ野球オリックスの応援をされています。いろいろつながりがあります。

(その後)
 ずん飯尾和樹さんが、映画、『沈黙のパレード』で出ていることを知り、動画配信サービスで観てみました。
 なかなかの好演で、良かったです。また、別の項目で感想などを記してみます。(しるしてみます)  

2024年02月23日

太川&蛭子バス旅の再放送を観ていて思うこと。

太川陽介&蛭子能収(えびす・よしかず)のローカル路線バス乗り継ぎ人情ふれあい旅の再放送を観ていて思うこと。

 毎年、年明けの時期ぐらいから、この番組の再放送が、BSテレ東で火曜日夜7時からあるので、楽しみに観ています。もう15年ぐらい前の平成20年あたりから始まります。
 先日はゲストが藤田朋子さんで、栃木県日光市から宮城県の観光地松島海岸まででした。成功されています。(わたしはこれを観て、その後、松島海岸を訪れるきっかけになりました)
 このシリーズは、もう何回も観ているのですが、観るたびに新鮮な気持ちにさせてくれる良い番組です。

 太川陽介さんもえびすさんも若い。とくにえびすさんが元気です。今では認知症になってぼんやりされていますが、このロケが始まったころは、けっこうてきぱきとされて、びゅんびゅんと動かれています。人間の、あるいは人生の歴史を感じます。だれしも歳をとると、今までできていたことができない心身に衰えて(おとろえて)いきます。体験してみて初めてわかります。若い頃には気づけません。
 太川陽介さんは、昨年秋に東京でミュージカル、『天使にラブ・ソングを』観に行ったときにご本人を拝見しました。太川さんは神父の役で、ステージのまんなかあたりで、ニコニコされていました。テレビと同じ笑顔でした。
 えびすさんは、最近は、テレビの認知症を扱った番組で見かけることがあります。すっかりヨロヨロになられてしまいました。しかたがありません。人間は老いてくると、最後は、だれでも障害者です。

 再放送は、今は、2008年から2009年(平成20年から21年)あたりの映像が流れているのですが、先日、映像を観ていて気づいたことがあります。
 映像に出てくる人で、誰ひとり、スマートフォンをもっていないことです。このころまだスマホは世の中に普及していませんでした。番組では、たまにゲストがガラ系折り畳み式の携帯電話で写真をとったり、えびすさんが、番組制作会社の業務用の携帯で、旅館やホテルの予約を入れたりされています。スマホがまったく出てこない映像はすっきりしていて気持ちがいい。
 ガラ系の携帯電話で、インターネットを見ることはできませんでした。主に、電話として使用されていました。

 時は流れて、今では、おおぜいの人が手にスマホを持って移動しています。異様な光景です。
 スマホは便利な道具ですが、中毒性があって、危険な面もあります。殺人事件を始めとした犯罪被害者になるきっかけになることもあります。(出会わなくてもいい人と出会ってしまうこともあります)。目も悪くなります。脳にも悪影響があるでしょう。
 大きな駅構内では、ながらスマホをしながら歩いている若い女性がいて、危ないです。たくさんの人たちが歩いているのに、自分が周囲に迷惑をかけていると思えないことが心の異常です。
 どうして、歩きながらでもスマホを操作しなければならないのかが、わたしにはわかりません。脳の病気です。もしぶつかってケガをさせられても知らん顔をされて補償もしてもらえなさそうです。いちど立ち止まって考えてもらって、ご自身のためにも、ながらスマホはやめてほしいものです。

 スマホの害を指摘した本で、以前読んだ本があります。
『スマホ脳 アンデシュ・ハンセン 久山葉子・訳 新潮新書』
 書いてあったのは、スマホに頼って、記憶することを怠るようになっている人類の知能指数は下がってきているそうです。記憶に加えて考えることもやめている。スマホに相談して、スマホの指示に従う脳になっている。人間は人間としての大切なものを失いかけているとありました。集中力とか思考力です。もう国語辞典や漢和辞典、英和辞典などを五十音順とか画数、アルファベット順で調べるということもきかなくなりました。

 まずは、各自が自分で、未来の自分をどうするのかを選択するのでしょう。ちゃんとした人間として生活していくために、スマホの使用時間を減らす。やることとしては簡単なことです。スマホの奴隷(どれい)になってはいけません。なんだか、ニコチン(タバコ)の奴隷にも似ています。アルコール(飲酒)の奴隷にも似ています。依存症です。なにかに依存しないで、自分のことは自分でやる。自立するんだ。自活していくんだ、という強い意思をもつ。

 この番組の再放送の映像を観ていて思うのは、年配の人たちがけっこうたくさん映っていて、このころは、演者の芸能人と地元の人たちの会話が盛りだくさんで、観ていてなかなか楽しいシーンがたくさん出てきますが、年月がずいぶんたってしまったので、映っている人で、お亡くなりになった人もおられるのだろうなあと感慨深く、みなさんのやりとりに耳を傾けています。
 また、映像で登場したこどもさんたちは、小中学生・高校生も含めて、成長されて、いまごろどこでどんな生活を送っておられるのだろうかなあと考えながら観るのも楽しみのひとつです。

 先日の2009年の映像では、まだ東日本大震災(2011年3月11日)が起きる前ですが、その後、朝ドラ『あまちゃん』で有名になる岩手県久慈市(くじし)の地名も出てきました。この番組は、ドキュメンタリー(記録映像)であり、ドラマ(人の感情を揺り動かす作品)があります。
 太川さんとえびすさん、そして、ゲストの方たちとスタッフのみなさんがたは、このシリーズで、歴史に残る偉業を成し遂げられたと評価するのです。  

2024年02月22日

いじわるな人

いじわるな人

 もうずいぶん昔のことになりましたが、就職した時に、職場に中年のいじわるな女性がいました。
 二十代だったわたしに、なにかしら、いじわるな言動をするのでした。わたしのことが心の底からキライだったようです。
 わたしが困っているのに、そこまで言わなくてもいいのにと思うことがありました。
 一度は、そばにいた男性の先輩が間に入って、話を穏便に(おんびんに。おとなしく。おだやかに)まとめてくれたことがありました。
 自分が人事異動してからは、いじわるな女性と会うことはありませんでした。

 それから40年ぐらいがたって、リタイアした自分は、年1回開催される職場の同窓会に行きました。
 名簿にいじわるだった女性の名前とコメントがありました。『病気療養中で同窓会には参加できません』と書いてありました。
 ああ、あの人は、40年ぐらいたっても、いじわるな性格は変わっていないのだろうなあと考えました。

 コロナ禍があって、3年間職場の同窓会が中止になりました。
 去年久しぶりに開催された同窓会に行ったら、配布された資料の物故者(ぶっこしゃ。亡くなった人)の紹介の欄に、いじわるだった人のお名前がありました。ああ、結婚されずに亡くなったのだなあと思いました。生まれつきいじわるな人は、一生いじわるな人だったのだろうなあという思いがありました。

 それからしばらくして、自分が二十代だったころの仕事仲間と久しぶりに会い、雀荘で(じゃんそうで)、マージャン卓を囲みました。
 左に座っていた男性の先輩が、『自分は、〇〇さん(わたしが思ういじわるな女性)にとても世話になった。』と、突然話し始めました。あの人がいなかったら、今の自分はないとまで話をされるので、わたしはびっくりしました。(わたしは、そのとき、なにも話しませんでした)

 もう亡くなったあの女性は、いじわるな人ではなかったようだと思いましたが、なにやらすっきりしません。
 ずーっと考えました。そして、結論が出ました。
 『えこひいきをする人だったのだ』
 自分が気に入った人は厚遇して(こうぐう。手厚いフォロー(世話)をする)、自分が気に入らない人には冷遇(れいぐう。冷たくする。冷淡な態度で接する)する人だったのだ。
 
 ひとりの人間でも、二重人格ということはよくあります。自分が気に入った人には親切にして、自分が気に入らない人には冷たくします。相性(あいしょう)があります。気が、合う、合わないです。その区別の具体的な理由がわからないときがあります。
 なんとなく好きで、なんとなく嫌いなのです。
 しかたがありません。しょせん人間なんて、そんなものなのでしょう。  

Posted by 熊太郎 at 08:29Comments(0)TrackBack(0)熊太郎の語り