2023年12月11日
線は、僕を描く(せんは、ぼくをえがく) 邦画 2022年
線は、僕を描く(せんは、ぼくをえがく) 邦画 2022年 動画配信サービス
小説は読んだことがあります。
『線は、僕を描く(せんはぼくをえがく) 砥上裕將(とがみ・ひろまさ) 講談社』
(読書メモの一部です)マンガチック(おおげさ)な出だしです。水墨画家のスーパーマンを育成する物語だろうか。主人公は大学法学部の学生で、青山霜介(あおやま・そうすけ)、彼の師匠になるだろう人が篠田湖山(しのだ・こざん)先生、先生の孫娘が水墨画家で千瑛(ちあき)大学生。32ページまで読みました。感想を継ぎ足していきます。大学生のお話だろうか? から入っていきます。大学に入って生まれて初めてアルバイトをする主人公は、お金に苦労がない人と受け取りました。 名人が描いた水墨画は、黒が赤に見えるぐらい迫力があるようです。
今回映画を見てですが、設定が小説とはいろいろ変えてあるようです。
映画のほうの感想です。
水墨画描きにBGM(バックグラウンドミュージック)をかぶせて、ピアノやヴァイオリン音楽で、鑑賞者の心理を引っ張る手法の映画です。
なんというか、見ていて、いろいろ首をかしげました。
平ボディのトラックが、ずいぶん昔の形式の形でした。フェンダーミラーのつくり(サイドミラー)や取り付け位置で、昭和50年代のトラックを思い出しました。いまどきは見かけません。ドアミラー車ばかりです。
あいかわらず喫煙シーンが多い日本映画です。たばこ税徴収のために、国が出す映画製作のための助成金をもらう条件として喫煙シーンを国から強要されているのだろうか。この映画では3回喫煙シーンがありました。
牛肉のパックを写すシーンがあるのですが、一瞬それが、豚肉に見えたのです。よーく見るとオーストラリア産牛肩ロースの切り落としで定価が607円です。そのあと、背景にある牧場の乳牛を写して、その牛がいずれ、さきほどのパック入りの肉になるという表現があるのですが、日本の乳牛がパック肉になることはないし、肉になる和牛の話でもないし不可解でした。さらに続けて、今夜の晩飯は先生を囲んでぜいたくしちゃうぜーーとなるのですが、ワンパック607円の肉をみんなで食べてもぜいたくとは思えませんでした。いろいろとリアルさは不足しています。
主人公が両親を亡くした孤独はまだ披露されない。(37分過ぎあたりから出てきました。小説と違って、妹まで亡くなっています。小説には妹の存在はなかった記憶です)
男は女に恋愛感情をもったように見えましたが、途中でその感情が消えています。
男女は恋人同士には見えません。また、祖父と孫娘は、血縁関係がある祖父と孫には見えません。そういう演技です。
権威主義を主人公の素直な目(感じ方)がたたきつぶす。
水墨画は、薄い色から、濃い色へと変化させていく。渦巻きの動きとか、竜の目に点を入れて、命を吹き込む。
もったいぶった話ではあります。
なかなか真理の部分を見せてくれません。
人の命はあっけなく消えていく。
家をでるときにケンカをするのはやめたほうがいい。それが、お互いにこの世で最後の別れになるかもしれないから。
『いってきます』『いってらっしゃい』と気持ちよく家族を送り出す。
『ただいま』『おかえりなさい』と家族の無事を確認して安心する。
家族をいっぺんにみんな亡くしての主人公の言葉です。『思い出すこともつらいのに、忘れることができなくて、ずっと立ち止まっています』
某アニメ事務所放火大量殺人事件を思い出します。こどもや孫を失うと、親や祖父母は、これから先、何を楽しみに生きていけばいいのかわからなくなります。
喪失感という気持ちを、墨の世界、幻想の世界に変えて表現してあります。
抽象的な世界です。
(先生が主人公に、どうして、弟子にすると声をかけたのか)『真っ白な紙がそこにあったから。(水墨画家として興味をもった)』
失意にある人間が、生きる力を得るために水墨画を描くお話です。
(先生からのメッセージとして)『自分としっかり向き合え』
主人公は頼りない。主人公よりも、まわりの人の援助がありがたい。
ラスト付近の映像は、過ぎた過去のふりかえりになっていて、発展性がありませんでした。
主人公男子と先生の孫娘の2本立てのストーリーになっていて、理解することがむずかしかった。
真っ白な紙がある。
無限の可能性がある。
線を描く(えがく)。
線は命を得て、僕を支えてくれる。
小説は読んだことがあります。
『線は、僕を描く(せんはぼくをえがく) 砥上裕將(とがみ・ひろまさ) 講談社』
(読書メモの一部です)マンガチック(おおげさ)な出だしです。水墨画家のスーパーマンを育成する物語だろうか。主人公は大学法学部の学生で、青山霜介(あおやま・そうすけ)、彼の師匠になるだろう人が篠田湖山(しのだ・こざん)先生、先生の孫娘が水墨画家で千瑛(ちあき)大学生。32ページまで読みました。感想を継ぎ足していきます。大学生のお話だろうか? から入っていきます。大学に入って生まれて初めてアルバイトをする主人公は、お金に苦労がない人と受け取りました。 名人が描いた水墨画は、黒が赤に見えるぐらい迫力があるようです。
今回映画を見てですが、設定が小説とはいろいろ変えてあるようです。
映画のほうの感想です。
水墨画描きにBGM(バックグラウンドミュージック)をかぶせて、ピアノやヴァイオリン音楽で、鑑賞者の心理を引っ張る手法の映画です。
なんというか、見ていて、いろいろ首をかしげました。
平ボディのトラックが、ずいぶん昔の形式の形でした。フェンダーミラーのつくり(サイドミラー)や取り付け位置で、昭和50年代のトラックを思い出しました。いまどきは見かけません。ドアミラー車ばかりです。
あいかわらず喫煙シーンが多い日本映画です。たばこ税徴収のために、国が出す映画製作のための助成金をもらう条件として喫煙シーンを国から強要されているのだろうか。この映画では3回喫煙シーンがありました。
牛肉のパックを写すシーンがあるのですが、一瞬それが、豚肉に見えたのです。よーく見るとオーストラリア産牛肩ロースの切り落としで定価が607円です。そのあと、背景にある牧場の乳牛を写して、その牛がいずれ、さきほどのパック入りの肉になるという表現があるのですが、日本の乳牛がパック肉になることはないし、肉になる和牛の話でもないし不可解でした。さらに続けて、今夜の晩飯は先生を囲んでぜいたくしちゃうぜーーとなるのですが、ワンパック607円の肉をみんなで食べてもぜいたくとは思えませんでした。いろいろとリアルさは不足しています。
主人公が両親を亡くした孤独はまだ披露されない。(37分過ぎあたりから出てきました。小説と違って、妹まで亡くなっています。小説には妹の存在はなかった記憶です)
男は女に恋愛感情をもったように見えましたが、途中でその感情が消えています。
男女は恋人同士には見えません。また、祖父と孫娘は、血縁関係がある祖父と孫には見えません。そういう演技です。
権威主義を主人公の素直な目(感じ方)がたたきつぶす。
水墨画は、薄い色から、濃い色へと変化させていく。渦巻きの動きとか、竜の目に点を入れて、命を吹き込む。
もったいぶった話ではあります。
なかなか真理の部分を見せてくれません。
人の命はあっけなく消えていく。
家をでるときにケンカをするのはやめたほうがいい。それが、お互いにこの世で最後の別れになるかもしれないから。
『いってきます』『いってらっしゃい』と気持ちよく家族を送り出す。
『ただいま』『おかえりなさい』と家族の無事を確認して安心する。
家族をいっぺんにみんな亡くしての主人公の言葉です。『思い出すこともつらいのに、忘れることができなくて、ずっと立ち止まっています』
某アニメ事務所放火大量殺人事件を思い出します。こどもや孫を失うと、親や祖父母は、これから先、何を楽しみに生きていけばいいのかわからなくなります。
喪失感という気持ちを、墨の世界、幻想の世界に変えて表現してあります。
抽象的な世界です。
(先生が主人公に、どうして、弟子にすると声をかけたのか)『真っ白な紙がそこにあったから。(水墨画家として興味をもった)』
失意にある人間が、生きる力を得るために水墨画を描くお話です。
(先生からのメッセージとして)『自分としっかり向き合え』
主人公は頼りない。主人公よりも、まわりの人の援助がありがたい。
ラスト付近の映像は、過ぎた過去のふりかえりになっていて、発展性がありませんでした。
主人公男子と先生の孫娘の2本立てのストーリーになっていて、理解することがむずかしかった。
真っ白な紙がある。
無限の可能性がある。
線を描く(えがく)。
線は命を得て、僕を支えてくれる。
2023年12月07日
しごとへの道 パン職人 新幹線運転士 研究者 鈴木のりたけ
しごとへの道 パン職人 新幹線運転士 研究者 鈴木のりたけ ブロンズ新社
評判がいい本です。こどもさん向けのマンガ形式の本です。このあともう1冊発行されています。
まず、ざーっと最後まで1ページずつめくり終えました。3人の方の職業体験記です。全体で200ページぐらいあります。『パン職人』『新幹線運転士』『研究者』です。
読み始める前にわたし自身の考えをいくつか記します。
・給料をもらって生活していくために働く。
・苦痛の代償が、給料というお金です。どの苦痛だったら自分は耐えられるかを基準にして仕事を選びます。
・どんな仕事でも世のため人のためになっています。
・仕事は楽で、給料が良くて、休みが多いほうがいいという気持ちだけでは、仕事は長続きしません。
・人に雇われるのではなく、人を雇ってする仕事もあります。儲け(もうけ)は大きくなりますが、リスク(金銭や気持ちが壊れる危険性)も大きくなります。
では、読み始めます。
『第1話 パン職人』
読み終えて、紆余曲折を経て(うよきょくせつをへて:いろいろな体験をされて)、念願のパン職人として自分のお店を千葉市内にもたれた女性のことがマンガで書いてありました。34歳のときに夢がかなっています。驚いたのは、お店の場所が自分の土地勘がある場所だったことです。熊太郎は用事があって、たまに千葉市内へ行きます。
ご本人が6歳のところから始まります。
おかあさんが、本人の誕生日に手づくりレーズンパンを焼いてくれました。それが、パン職人になりたい動機の始まりです。でもイルカの調教師にもなりたい。
高校を出て、ホテルマンになるための二年制の専門学校へ入学→19歳からイルカの水族館があるホテルで就労開始→客室係からキッチン係へ人事異動→入社三年目でホテルの規模縮小(早期退職)→北海道の牧場にあるレストランで修行→ブラジルの農場に2か月滞在して就労体験→フランスでパンづくりの修行→34歳で千葉市内に自分のパン屋を開店(なかなか波乱万丈(はらんばんじょう)です)
ここからは、マンガを読んでいる自分の考えです。
好きなことを仕事にすることは、幸せかそうでないかです。
基本的には、好きなことは、趣味でとっておいたほうがいいです。
これしかできないから(好きなこと以外のことはできないから)という理由で、好きなことを仕事にするということはあります。アーチストタイプ(芸術とか勝負事(しょうぶごと。スポーツ、将棋など))の人です。
一般的な会社に入って、事務や営業、経理や労務管理、建物管理、接客接遇、社用車の運転、技術職などの業務ができない人は、自分のずばぬけた得意分野で稼ぎます(かせぎます)。
あんがい、ひととおりのことを、平均点でできるという能力をもつ人は、組織にとっては貴重な人材です。
働くために目的をもって教育を受けたり、研修を受けたり、資格を取得することはあります。
ただなんとなく大学に行っても安定した仕事には結びつかないでしょう。大学を出ても仕事を短期間ですぐ辞めてしまう人もいます。
今よりもいいという「よその会社」は、なかなかありません。
ほんとかどうかわかりませんが、昔は、仕事と恋人は変えるたびに質が落ちていくと言われたものです。
お金で苦労しないためには、無職の期間をできるだけ短くすることです。
関東地方から見て、北海道は遠いというような話が出てくるのですが、日本は小さな島国です。24時間あれば、たいていのところへ到着できます。
『…… 人生って、どうにでもなるなって。……』(そうです。悲観することはないのです)
ご本人はそうはいっても慎重です。これからいっしょに働く人の資質や性格を冷静に注視します。これから働くところで、いっしょに働く人が、だれでもいいということではありません。人には相性があります。就職すると、たいてい人間関係で悩みます。
人を知り、土地を知る。見聞(けんぶん。見たり聞いたり)を広めます。体験を積みます。
いろんな暮らし方があります。日本人はとかく金(かね)、金、金で、お金が最優先という意識で生活しています。損か得かが物事を決めるときの、ものさし(基準)です。それが基本ではありますが、それがすべてではないでしょう。
自分がやりたことをやるために必要な学力があります。
ご本人はとても努力されています。フランス語の習得です。かなり苦労されています。
この本のつくり方を推測します。
当事者ご本人にインタビューをする。(聞き取り)
話の種になる項目をつくる。
項目を並べていく。
『パン生地に、子守唄を歌って聞かせる』おいしくなーれ。
気持ちが大事(だいじ)です。
34歳で自分の店をもった。自分でつくるパンを売る。
34年間ですが、長い道のりでした。ベース(基本)は、努力と忍耐とまじめさです。
『第2話 新幹線運転士』
東京・大阪間、515kmを、2時間半で結ぶ新幹線。約1300人の乗客を乗せて、時速285kmで走るとあります。
新幹線運転士になった人のお話です。
東京都足立区の出身です。
小学三年生のとき、ひとりで新幹線に乗って、岡山の母方祖父母宅へ行った体験があります。新幹線の車掌が優しくしてくれた。始まりの動機はそこにあります。(そして遠い未来に、小学三年生だった彼は、新幹線の車掌になり、ひとり旅をしている小学三年生の少年に声をかけるのです。伝承(でんしょう。受け継いで伝えていく)というドラマがあります)
第一話も含めて、81ページまで読んできて、この本は、道徳の本のようでもあります。(道徳どうとく:善行を行い、悪いことをしない)
ご本人の正直な話として、勉強は嫌いなので、大学進学はしない。高校を出て就職する。
学力はあるけれど、大学へ行くよりも、働いてもらった給料で、自分の好きな服を買って、おいしいものを食べたいと思っていたという高卒で就職した同僚がいました。母子家庭で経済的に苦労された人でした。
こちらの本の主人公高校生男子は、進路指導の先生から鉄道会社JRを勧められて試験に挑戦しました。
JRの試験に合格して、名古屋の研修センターに泊まり込んで学ぶ。
鉄道法規、ダイヤの見方(ダイヤ:運行図表)、発券方法など、こまやかなところまで学びます。
学んだあと、配属先の発表があって、若者たちの集合記念写真の絵が93ページにあります。その絵を見ながら思ったことです。いい写真の絵です。若々しい。これからスタートする人生の未来があります。
歳をとってみるとわかるのですが、いつかは、働きたくても働けない立場になる時がきます。しみじみします。あのときは、よくがんばったと思えるのです。
接客商売はたいへんです。へんな相手もいます。とくに電車にはいろんな人が乗ってきます。
みんなでお金(乗車券等の代金)を出し合って、共同出資で乗車するというやり方の鉄道の継続を考えるなら、いわゆる社会的弱者の乗車を優先するという姿勢が大事になってくるでしょう。こどもや、お年寄り、障害者にとって利用しやすい鉄道は、健常者にとっては、より利用しやすい鉄道システムです。
そんなこともあって、この本に、小学三年生のひとり旅のエピソードが入れられているのかもしれないと考えました。
育てるとか、教育する、チームワークで仕事に取り組むというようなことが書いてあります。
人の乗降客数が多い『駅』というところは、ホテルのようなものだろうと思っています。
従事者が仮眠する部屋があって、食事をとる部屋があって、入浴とかシャワーができる施設もあるでしょう。会議室や研修室もあるでしょう。まあ、テレビが置いてある娯楽室もあるかもしれません。
従事者はみんなで共同生活です。
鉄道会社の労働についての特徴として、同じひとつのポスト(役割)を複数の人間で担当するという交代制勤務です。24時間交代制勤務が勤務の基本です。勤務に穴が開かないように、勤務予定表がつくられていて、調整がなされています。
不規則勤務ですから、自分で自分の心身の健康管理をする気持ちが大事です。鉄道ですから、時間厳守に厳しい職場でもあります。
鉄道会社はまた、制服職場です。制服職場というのは、上下関係がきついところでもあります。上司の命令に部下は従います。ただ、電車が好きだということだけでできる仕事ではありません。お互いに、協調性と思いやりが必要です。
そんなこんなを、本を読みながら思いました。
じょうずにまとめてある本です。
順風満帆(じゅんぷうまんぱん)の流れです。努力があるので、願いが素直にかなっていきます。
終身雇用制の安定感がありました。年功序列もあるでしょう。そのような形態の職場は減ってきているとはいいますが、職種によっては、これからも維持継続されていく職場もあります。制服職場の特典でしょう。
仕事選択の世界には、大学に行かずに、高卒で大企業の技術畑に入って、終身雇用で定年退職まで生活していくということが安定した生活を送る手段のひとつになります。定年後の再就職とか年金受給でも安定しているでしょう。
『第3話 研究者』
異質な内容です。
単純な職業紹介物語ではありません。
中学生の時に登校拒否になった女子が、最終的には東京大学に入学して、研究者として働いておられます。事実の出来事です。
以前、テレビ番組『家、ついて行ってイイですか?』で、東京大学の女子大生が、ある部分ではすごく学力が高いのに、それ以外のことは何もできない。彼女が暮らす部屋は汚部屋(おべや)というものがありました。
一芸に秀でた人は(ひいでたひとは)、一芸以外のことはできなかったりもします。
ご本人は、(自分が専攻している分野について)ほかの人にとっては難解な問題でも、自分にとっては、たやすい問題ですと答えられていました。
人間の頭脳は多種多様です。天才の脳みそをもつ人がごくまれにいます。そのかわり、言動が奇異だったりもします。フォロー(めんどうをみる)をする人がまわりに必要です。
さて、こちらの本の女性です。
大学院の研究室で、『人の意識』を研究する研究者です。
『匂い(におい)の記憶が運動の学習を助けている。これはリハビリなどに役立つかも!』(独特な研究です。凡人には、発想できません)
マンガは、女性のこども時代にさかのぼります。
『数字』に異常なほどの強い興味を示す女性です。
以前読んだ『正欲(せいよく) 朝井リョウ 新潮社』を思い出しました。
扱うのは『特殊性癖』です。世の中には、ほかの人から見れば、不思議なことに気持ちが集中する人たちがいます。この物語に出てくるその人たちは、水道から強い勢いで出てくる水を見ることが快感なのです。男性も女性も性的な快感があるそうです。でも、ただ見るだけです。そのような同じことを好む、人類としては希少(きしょう。まれな。数少ない)な人たちが集まります。かれらは、地球以外のところ、自分たちが正常と思われる生活ができる世界(星のようなもの)に行きたいという希望をもちながら、ここに(地球に)いてもしかたがない。死んでしまいたいというような気持ちをもっています。
こちらのマンガの内容に戻ります。この物語の協力者女性は、いわゆる勉強ができる子、勉強することが好きなこどもです。
学校で、だんだんひとりぼっちになっていきます。さみしいときは、図書館で、図鑑を見ながら植物のスケッチをします。
中学1年の終わりから、完全な不登校になって、ずっと家でテレビゲームをして過ごします。
先日読んだ『さみしい夜にはペンを持て 古賀史健(こが・ふみたけ) 絵・ならの ポプラ社』を思い出しました。学校に行きたくない中学生少年の話でした。
母親が寛容です。中学校には行きたくなったら行けばいいとアドバイスします。
中学生だった女性は、父親が買ってくれた科学雑誌に強い興味を示します。(本の力があります)女性は、物理学に目覚めます。
中学校に行けない女性は、『フリースクール』に通い始めます。仲間がいます。10人くらいいます。
高校に行きたいと思い始めます。
不登校でも受験できる学校を探して、個別指導の塾に通って受験勉強を始めて、高校受験に合格します。
(親御さん(おやごさん)のご苦労が、自分も親としてわかります)
女性の宇宙に対する興味が強い。
高校の女教師から、宇宙のことを研究するために東京大学に行きなさいと勧められます。
成績が、学年で下から4番目だった女性は、予備校で猛勉強をしました。一浪して、みごと東京大学に合格されています。
東京大学入学後、女性の志向が変化します。宇宙から、『人工生命の研究』に心が傾きます。
人間の心の中にある感情を科学で解明する研究を行うそうです。
お金がいる話ですから、女性はかなりがんばります。
共感覚(きょうかんかく):数字に色や性格を感じる現象
28歳の春にイギリスへ留学する。
うつ病になる。(小説家夏目漱石みたいです)
帰国して、ひたすら寝る。
波がある人生を送っておられる方です。
重度障害児を支援する技術を開発する研究者として要請を受ける。
東京大学で研究員になる。
読んでいて思ったことは、仕事の選択とは、自分の居場所探しだということです。
3話全部を読んでみて、不思議な成り立ちの本だという感想をもちました。
ただの職業紹介本ではありません。続編が出ているので取り寄せて読んでみるつもりです。
評判がいい本です。こどもさん向けのマンガ形式の本です。このあともう1冊発行されています。
まず、ざーっと最後まで1ページずつめくり終えました。3人の方の職業体験記です。全体で200ページぐらいあります。『パン職人』『新幹線運転士』『研究者』です。
読み始める前にわたし自身の考えをいくつか記します。
・給料をもらって生活していくために働く。
・苦痛の代償が、給料というお金です。どの苦痛だったら自分は耐えられるかを基準にして仕事を選びます。
・どんな仕事でも世のため人のためになっています。
・仕事は楽で、給料が良くて、休みが多いほうがいいという気持ちだけでは、仕事は長続きしません。
・人に雇われるのではなく、人を雇ってする仕事もあります。儲け(もうけ)は大きくなりますが、リスク(金銭や気持ちが壊れる危険性)も大きくなります。
では、読み始めます。
『第1話 パン職人』
読み終えて、紆余曲折を経て(うよきょくせつをへて:いろいろな体験をされて)、念願のパン職人として自分のお店を千葉市内にもたれた女性のことがマンガで書いてありました。34歳のときに夢がかなっています。驚いたのは、お店の場所が自分の土地勘がある場所だったことです。熊太郎は用事があって、たまに千葉市内へ行きます。
ご本人が6歳のところから始まります。
おかあさんが、本人の誕生日に手づくりレーズンパンを焼いてくれました。それが、パン職人になりたい動機の始まりです。でもイルカの調教師にもなりたい。
高校を出て、ホテルマンになるための二年制の専門学校へ入学→19歳からイルカの水族館があるホテルで就労開始→客室係からキッチン係へ人事異動→入社三年目でホテルの規模縮小(早期退職)→北海道の牧場にあるレストランで修行→ブラジルの農場に2か月滞在して就労体験→フランスでパンづくりの修行→34歳で千葉市内に自分のパン屋を開店(なかなか波乱万丈(はらんばんじょう)です)
ここからは、マンガを読んでいる自分の考えです。
好きなことを仕事にすることは、幸せかそうでないかです。
基本的には、好きなことは、趣味でとっておいたほうがいいです。
これしかできないから(好きなこと以外のことはできないから)という理由で、好きなことを仕事にするということはあります。アーチストタイプ(芸術とか勝負事(しょうぶごと。スポーツ、将棋など))の人です。
一般的な会社に入って、事務や営業、経理や労務管理、建物管理、接客接遇、社用車の運転、技術職などの業務ができない人は、自分のずばぬけた得意分野で稼ぎます(かせぎます)。
あんがい、ひととおりのことを、平均点でできるという能力をもつ人は、組織にとっては貴重な人材です。
働くために目的をもって教育を受けたり、研修を受けたり、資格を取得することはあります。
ただなんとなく大学に行っても安定した仕事には結びつかないでしょう。大学を出ても仕事を短期間ですぐ辞めてしまう人もいます。
今よりもいいという「よその会社」は、なかなかありません。
ほんとかどうかわかりませんが、昔は、仕事と恋人は変えるたびに質が落ちていくと言われたものです。
お金で苦労しないためには、無職の期間をできるだけ短くすることです。
関東地方から見て、北海道は遠いというような話が出てくるのですが、日本は小さな島国です。24時間あれば、たいていのところへ到着できます。
『…… 人生って、どうにでもなるなって。……』(そうです。悲観することはないのです)
ご本人はそうはいっても慎重です。これからいっしょに働く人の資質や性格を冷静に注視します。これから働くところで、いっしょに働く人が、だれでもいいということではありません。人には相性があります。就職すると、たいてい人間関係で悩みます。
人を知り、土地を知る。見聞(けんぶん。見たり聞いたり)を広めます。体験を積みます。
いろんな暮らし方があります。日本人はとかく金(かね)、金、金で、お金が最優先という意識で生活しています。損か得かが物事を決めるときの、ものさし(基準)です。それが基本ではありますが、それがすべてではないでしょう。
自分がやりたことをやるために必要な学力があります。
ご本人はとても努力されています。フランス語の習得です。かなり苦労されています。
この本のつくり方を推測します。
当事者ご本人にインタビューをする。(聞き取り)
話の種になる項目をつくる。
項目を並べていく。
『パン生地に、子守唄を歌って聞かせる』おいしくなーれ。
気持ちが大事(だいじ)です。
34歳で自分の店をもった。自分でつくるパンを売る。
34年間ですが、長い道のりでした。ベース(基本)は、努力と忍耐とまじめさです。
『第2話 新幹線運転士』
東京・大阪間、515kmを、2時間半で結ぶ新幹線。約1300人の乗客を乗せて、時速285kmで走るとあります。
新幹線運転士になった人のお話です。
東京都足立区の出身です。
小学三年生のとき、ひとりで新幹線に乗って、岡山の母方祖父母宅へ行った体験があります。新幹線の車掌が優しくしてくれた。始まりの動機はそこにあります。(そして遠い未来に、小学三年生だった彼は、新幹線の車掌になり、ひとり旅をしている小学三年生の少年に声をかけるのです。伝承(でんしょう。受け継いで伝えていく)というドラマがあります)
第一話も含めて、81ページまで読んできて、この本は、道徳の本のようでもあります。(道徳どうとく:善行を行い、悪いことをしない)
ご本人の正直な話として、勉強は嫌いなので、大学進学はしない。高校を出て就職する。
学力はあるけれど、大学へ行くよりも、働いてもらった給料で、自分の好きな服を買って、おいしいものを食べたいと思っていたという高卒で就職した同僚がいました。母子家庭で経済的に苦労された人でした。
こちらの本の主人公高校生男子は、進路指導の先生から鉄道会社JRを勧められて試験に挑戦しました。
JRの試験に合格して、名古屋の研修センターに泊まり込んで学ぶ。
鉄道法規、ダイヤの見方(ダイヤ:運行図表)、発券方法など、こまやかなところまで学びます。
学んだあと、配属先の発表があって、若者たちの集合記念写真の絵が93ページにあります。その絵を見ながら思ったことです。いい写真の絵です。若々しい。これからスタートする人生の未来があります。
歳をとってみるとわかるのですが、いつかは、働きたくても働けない立場になる時がきます。しみじみします。あのときは、よくがんばったと思えるのです。
接客商売はたいへんです。へんな相手もいます。とくに電車にはいろんな人が乗ってきます。
みんなでお金(乗車券等の代金)を出し合って、共同出資で乗車するというやり方の鉄道の継続を考えるなら、いわゆる社会的弱者の乗車を優先するという姿勢が大事になってくるでしょう。こどもや、お年寄り、障害者にとって利用しやすい鉄道は、健常者にとっては、より利用しやすい鉄道システムです。
そんなこともあって、この本に、小学三年生のひとり旅のエピソードが入れられているのかもしれないと考えました。
育てるとか、教育する、チームワークで仕事に取り組むというようなことが書いてあります。
人の乗降客数が多い『駅』というところは、ホテルのようなものだろうと思っています。
従事者が仮眠する部屋があって、食事をとる部屋があって、入浴とかシャワーができる施設もあるでしょう。会議室や研修室もあるでしょう。まあ、テレビが置いてある娯楽室もあるかもしれません。
従事者はみんなで共同生活です。
鉄道会社の労働についての特徴として、同じひとつのポスト(役割)を複数の人間で担当するという交代制勤務です。24時間交代制勤務が勤務の基本です。勤務に穴が開かないように、勤務予定表がつくられていて、調整がなされています。
不規則勤務ですから、自分で自分の心身の健康管理をする気持ちが大事です。鉄道ですから、時間厳守に厳しい職場でもあります。
鉄道会社はまた、制服職場です。制服職場というのは、上下関係がきついところでもあります。上司の命令に部下は従います。ただ、電車が好きだということだけでできる仕事ではありません。お互いに、協調性と思いやりが必要です。
そんなこんなを、本を読みながら思いました。
じょうずにまとめてある本です。
順風満帆(じゅんぷうまんぱん)の流れです。努力があるので、願いが素直にかなっていきます。
終身雇用制の安定感がありました。年功序列もあるでしょう。そのような形態の職場は減ってきているとはいいますが、職種によっては、これからも維持継続されていく職場もあります。制服職場の特典でしょう。
仕事選択の世界には、大学に行かずに、高卒で大企業の技術畑に入って、終身雇用で定年退職まで生活していくということが安定した生活を送る手段のひとつになります。定年後の再就職とか年金受給でも安定しているでしょう。
『第3話 研究者』
異質な内容です。
単純な職業紹介物語ではありません。
中学生の時に登校拒否になった女子が、最終的には東京大学に入学して、研究者として働いておられます。事実の出来事です。
以前、テレビ番組『家、ついて行ってイイですか?』で、東京大学の女子大生が、ある部分ではすごく学力が高いのに、それ以外のことは何もできない。彼女が暮らす部屋は汚部屋(おべや)というものがありました。
一芸に秀でた人は(ひいでたひとは)、一芸以外のことはできなかったりもします。
ご本人は、(自分が専攻している分野について)ほかの人にとっては難解な問題でも、自分にとっては、たやすい問題ですと答えられていました。
人間の頭脳は多種多様です。天才の脳みそをもつ人がごくまれにいます。そのかわり、言動が奇異だったりもします。フォロー(めんどうをみる)をする人がまわりに必要です。
さて、こちらの本の女性です。
大学院の研究室で、『人の意識』を研究する研究者です。
『匂い(におい)の記憶が運動の学習を助けている。これはリハビリなどに役立つかも!』(独特な研究です。凡人には、発想できません)
マンガは、女性のこども時代にさかのぼります。
『数字』に異常なほどの強い興味を示す女性です。
以前読んだ『正欲(せいよく) 朝井リョウ 新潮社』を思い出しました。
扱うのは『特殊性癖』です。世の中には、ほかの人から見れば、不思議なことに気持ちが集中する人たちがいます。この物語に出てくるその人たちは、水道から強い勢いで出てくる水を見ることが快感なのです。男性も女性も性的な快感があるそうです。でも、ただ見るだけです。そのような同じことを好む、人類としては希少(きしょう。まれな。数少ない)な人たちが集まります。かれらは、地球以外のところ、自分たちが正常と思われる生活ができる世界(星のようなもの)に行きたいという希望をもちながら、ここに(地球に)いてもしかたがない。死んでしまいたいというような気持ちをもっています。
こちらのマンガの内容に戻ります。この物語の協力者女性は、いわゆる勉強ができる子、勉強することが好きなこどもです。
学校で、だんだんひとりぼっちになっていきます。さみしいときは、図書館で、図鑑を見ながら植物のスケッチをします。
中学1年の終わりから、完全な不登校になって、ずっと家でテレビゲームをして過ごします。
先日読んだ『さみしい夜にはペンを持て 古賀史健(こが・ふみたけ) 絵・ならの ポプラ社』を思い出しました。学校に行きたくない中学生少年の話でした。
母親が寛容です。中学校には行きたくなったら行けばいいとアドバイスします。
中学生だった女性は、父親が買ってくれた科学雑誌に強い興味を示します。(本の力があります)女性は、物理学に目覚めます。
中学校に行けない女性は、『フリースクール』に通い始めます。仲間がいます。10人くらいいます。
高校に行きたいと思い始めます。
不登校でも受験できる学校を探して、個別指導の塾に通って受験勉強を始めて、高校受験に合格します。
(親御さん(おやごさん)のご苦労が、自分も親としてわかります)
女性の宇宙に対する興味が強い。
高校の女教師から、宇宙のことを研究するために東京大学に行きなさいと勧められます。
成績が、学年で下から4番目だった女性は、予備校で猛勉強をしました。一浪して、みごと東京大学に合格されています。
東京大学入学後、女性の志向が変化します。宇宙から、『人工生命の研究』に心が傾きます。
人間の心の中にある感情を科学で解明する研究を行うそうです。
お金がいる話ですから、女性はかなりがんばります。
共感覚(きょうかんかく):数字に色や性格を感じる現象
28歳の春にイギリスへ留学する。
うつ病になる。(小説家夏目漱石みたいです)
帰国して、ひたすら寝る。
波がある人生を送っておられる方です。
重度障害児を支援する技術を開発する研究者として要請を受ける。
東京大学で研究員になる。
読んでいて思ったことは、仕事の選択とは、自分の居場所探しだということです。
3話全部を読んでみて、不思議な成り立ちの本だという感想をもちました。
ただの職業紹介本ではありません。続編が出ているので取り寄せて読んでみるつもりです。
2023年12月06日
おとうさんの ちず ユリ・シュルヴィッツ
おとうさんの ちず ユリ・シュルヴィッツ作 さくまゆみこ訳 あすなろ書房
同作者の『よあけ』を以前読んだことがあります。気持ちがしみじみとする絵本でした。
作者は、1935年(日本だと昭和10年)ポーランド生まれで、第二次世界大戦を経て苦労をされています。ポーランドから、パリ、イスラエル、アメリカと転々と住居を変えておられます。
きれいな表紙の絵です。少年が空中を飛んでいて、眼下に街(まち)があります。
それは、空想の世界です。
事実に基づいているのでしょう。
お父さんの思い出です。
この絵本は初版が、2009年(平成21年)で、2022年(令和3年)で19刷の発行です。
ページをめくって、ウクライナとか、パレスチナガザ地区のような絵です。戦争があります。
現代日本人の大半は体験したことがない戦争のことです。
『ぼくの かぞくは なにもかも うしなって、いのちからがら にげだした』とあります。
逃げのびた先の国の絵は、中東、サウジアラビアのような風景です。ラクダのいる国です。砂漠です。(作者の実際の体験は、旧ソ連現在のカザフスタンらしい)
土でつくられた低層の家が並んでいます。北アフリカの光景のようでもある。
ぼくの家族は、戦争難民のようです。
あるひのこと、
おとうさんは、パンを買いに行ったけれど、パンを買ってこなかった。
パンの代わりに、大きな『世界地図』を買って来た。
地図を食べることはできない。家族はがっかりしたが、お父さんは大喜びだったそうな。
当時、『紙』がなかったことが、こどものころの作者の言葉で語られます。
紙がなかったから、同じ紙に書き続けた。紙は真っ黒になった。当時、白い紙は、てもと(手元)になかった。
お父さんの手で、家の壁にとても大きな地図がはられました。
不思議な絵本です。
地図に書いてある地名がJAPAN(ジャパン。日本)の地名なのです。日本人用に翻訳してあるのかもしれません。
『フクオカ タカオカ …… フクヤマ ナガヤマ …… オカザキ ミヤザキ ……』
オムスク:ロシア中南部の都市
トムスク:ロシアシベリアにある都市
ピンスク:ベラルーシ―にある都市
ミンスク:ベラルーシ―の首都
少年は、壁にはられた地図を見ながら空想にふけります。
地図の中に入って旅をします。
何もないところに何かをつくる。
少年は空想をしながらいろいろな国に行くのですが、とにかく絵がきれいです。
少年は幸せそうです。
ひもじさも、まずしさも忘れることができたとあります。
そういうことってあります。
実際にできないことは、想像することでできたという気持ちになれることはあります。
戦争を背景にして、人間のありようを表現した作品でした。
とにかく、もうこれ以上人が死ななくてもいいように、戦いをやめてほしい。
作者はあとがきに、ソ連で6年間暮らした体験があると書いておられます。現在のカザフスタンだそうです。現在は88歳で、アメリカ合衆国のニューヨークにお住まいです。
同作者の『よあけ』を以前読んだことがあります。気持ちがしみじみとする絵本でした。
作者は、1935年(日本だと昭和10年)ポーランド生まれで、第二次世界大戦を経て苦労をされています。ポーランドから、パリ、イスラエル、アメリカと転々と住居を変えておられます。
きれいな表紙の絵です。少年が空中を飛んでいて、眼下に街(まち)があります。
それは、空想の世界です。
事実に基づいているのでしょう。
お父さんの思い出です。
この絵本は初版が、2009年(平成21年)で、2022年(令和3年)で19刷の発行です。
ページをめくって、ウクライナとか、パレスチナガザ地区のような絵です。戦争があります。
現代日本人の大半は体験したことがない戦争のことです。
『ぼくの かぞくは なにもかも うしなって、いのちからがら にげだした』とあります。
逃げのびた先の国の絵は、中東、サウジアラビアのような風景です。ラクダのいる国です。砂漠です。(作者の実際の体験は、旧ソ連現在のカザフスタンらしい)
土でつくられた低層の家が並んでいます。北アフリカの光景のようでもある。
ぼくの家族は、戦争難民のようです。
あるひのこと、
おとうさんは、パンを買いに行ったけれど、パンを買ってこなかった。
パンの代わりに、大きな『世界地図』を買って来た。
地図を食べることはできない。家族はがっかりしたが、お父さんは大喜びだったそうな。
当時、『紙』がなかったことが、こどものころの作者の言葉で語られます。
紙がなかったから、同じ紙に書き続けた。紙は真っ黒になった。当時、白い紙は、てもと(手元)になかった。
お父さんの手で、家の壁にとても大きな地図がはられました。
不思議な絵本です。
地図に書いてある地名がJAPAN(ジャパン。日本)の地名なのです。日本人用に翻訳してあるのかもしれません。
『フクオカ タカオカ …… フクヤマ ナガヤマ …… オカザキ ミヤザキ ……』
オムスク:ロシア中南部の都市
トムスク:ロシアシベリアにある都市
ピンスク:ベラルーシ―にある都市
ミンスク:ベラルーシ―の首都
少年は、壁にはられた地図を見ながら空想にふけります。
地図の中に入って旅をします。
何もないところに何かをつくる。
少年は空想をしながらいろいろな国に行くのですが、とにかく絵がきれいです。
少年は幸せそうです。
ひもじさも、まずしさも忘れることができたとあります。
そういうことってあります。
実際にできないことは、想像することでできたという気持ちになれることはあります。
戦争を背景にして、人間のありようを表現した作品でした。
とにかく、もうこれ以上人が死ななくてもいいように、戦いをやめてほしい。
作者はあとがきに、ソ連で6年間暮らした体験があると書いておられます。現在のカザフスタンだそうです。現在は88歳で、アメリカ合衆国のニューヨークにお住まいです。
2023年12月05日
てんごくのおとうちゃん 長谷川義史
てんごくのおとうちゃん 長谷川義史(はせがわ・よしふみ) 講談社
母子家庭のお話です。絵本です。
思うに、家族のメンバーがそろって暮らせる期間というのは、家族形態によっても異なるのでしょうが、それほど長期間でないお宅もあります。ご主人が仕事人間で、単身赴任や長期の出張が多いお宅だと、父親がいない時間帯がとても長かったりもします。熊太郎の父親も出稼ぎに出たりしていたので、親子きょうだいがちゃんとそろって暮らした期間は自分の人生の内で5年間ぐらいしかありません。父親は熊太郎が12歳のときに病死してしまいました。
いろんな家族の形があります。
『はいけい てんごくの おとうちゃん、げんきに してますか。』から始まります。
『ぼく』から亡くなったおとうちゃんに対するお手紙形式です。
絵本に描いてあるご家庭には、おとうさんの姿はありませんが、ねこちゃんの姿はあります。
仏壇があって、むかしの箱型テレビがあって、夕食のおなべを囲むお母さんとおねえちゃんがおられます。
亡くなったお父さんとキャッチボールをした思い出が残っています。
むかしは、どこの広場でも野球をする少年たちや父と子の親子がいました。いまどきは見かけません。
自分の体験だと、自分の息子が小さいうちは、受けるボールの力は弱くて、投げる自分のボールの勢いは強いのですが、だんだん息子が成長するにつれて、自分の肩の力は落ちてきて、息子が中学生になるころには、息子が投げてくるボールが強すぎて、グローブの中の手のひらが痛くて、『もっとゆるく投げくれ』と立場が逆転していくのです。
絵本のなかの『ぼく』は、まだ小学三年生で、キャッチボールはまだへたくそです。泣いています。
絵本の中のお父さんは、『ぼく』が強いボールを投げることができる前に亡くなってしまいました。お父さんは、さぞや無念だったことでしょう。
『ぼく』がうれしかったことのもうひとつの思い出が、お父さんに『ウクレレ』を買ってもらったことです。
人生は思い出づくりです。思い出のランドマーク(記憶のめじるし)をつくるためにお金も使います。
『ぼく』は、お父さんに買ってもらったウクレレをうっかり壊してしまって、セメダインでくっつけてごまかそうとするのですが、血のつながった親子の間でウソをついたり、隠し事をしたりすることは、熊太郎は、必要のないことだと思います。こどもは、自分の分身です。親の立場からいうと、ウソはつかなくていいよ、なのです。
『ぼく』は、一度だけお父さんに怒られて、げんこつを一発頭にもらったことがあるそうです。
熊太郎も生きていた父親から一発もらったことがあります。びんたも一発くらったことがあります。熊太郎のほかのきょうだいはそんな体験はありません。よーく考えると、たたかれた体験が、自慢に思えたりもするのです。
ちびっこに物を買ってあげるということは、おとなの大事な行為です。とくに、食べ物を買ってあげることは大事です。『ぼく』とおねえちゃんは、お父さんにホットドックを買ってもらいました。ホットドックを買ってもらった思い出が、お父さんが亡くなったあともこどもたちの記憶に残っています。
お父さんが亡くなった日は雨だったとあります。
熊太郎の父が亡くなった日は雨ではありませんでしたが、火葬場に行ったときは雨でした。
まだ、こどもだったころ、母子家庭の日というのがあって、母子家庭のこどもが招待されて、ステージに並んで、『里の秋』を歌う企画がありました。熊太郎は行きませんでしたが、下のきょうだいが行って里の歌を歌って、何か物をもらったことがありました。熊太郎は、そのことについて、非常に腹がたったことをおぼえています。同情されるのはまっぴらごめんです。『同情するなら金をくれ』とまでは言いませんが、そっとして触れないでおいてほしい。おとなの気持ちとこどもの気持ちは違います。
絵本には、『ぼく』の気持ちが書いてあります。
『ぼくより おとうちゃんが かわいそうなんと ちがうやろかって。』
絵本では、万引き少年になりそうになった『ぼく』は、万引きを思いとどまります。
大昔の話ですが、片親家庭のこどもはワルになると、まことしやかなまちのうわさがありました。ゆえに、そうならないようにがんばったという心意気はあります。
そうか、『ぼく』の気持ちの中では、おとうちゃんは、生きているのか……
『はいけい、てんごくのおとうちゃん、ぼくは もうすぐ よねんせいになります。』(がんばれよ!!)
母子家庭のお話です。絵本です。
思うに、家族のメンバーがそろって暮らせる期間というのは、家族形態によっても異なるのでしょうが、それほど長期間でないお宅もあります。ご主人が仕事人間で、単身赴任や長期の出張が多いお宅だと、父親がいない時間帯がとても長かったりもします。熊太郎の父親も出稼ぎに出たりしていたので、親子きょうだいがちゃんとそろって暮らした期間は自分の人生の内で5年間ぐらいしかありません。父親は熊太郎が12歳のときに病死してしまいました。
いろんな家族の形があります。
『はいけい てんごくの おとうちゃん、げんきに してますか。』から始まります。
『ぼく』から亡くなったおとうちゃんに対するお手紙形式です。
絵本に描いてあるご家庭には、おとうさんの姿はありませんが、ねこちゃんの姿はあります。
仏壇があって、むかしの箱型テレビがあって、夕食のおなべを囲むお母さんとおねえちゃんがおられます。
亡くなったお父さんとキャッチボールをした思い出が残っています。
むかしは、どこの広場でも野球をする少年たちや父と子の親子がいました。いまどきは見かけません。
自分の体験だと、自分の息子が小さいうちは、受けるボールの力は弱くて、投げる自分のボールの勢いは強いのですが、だんだん息子が成長するにつれて、自分の肩の力は落ちてきて、息子が中学生になるころには、息子が投げてくるボールが強すぎて、グローブの中の手のひらが痛くて、『もっとゆるく投げくれ』と立場が逆転していくのです。
絵本のなかの『ぼく』は、まだ小学三年生で、キャッチボールはまだへたくそです。泣いています。
絵本の中のお父さんは、『ぼく』が強いボールを投げることができる前に亡くなってしまいました。お父さんは、さぞや無念だったことでしょう。
『ぼく』がうれしかったことのもうひとつの思い出が、お父さんに『ウクレレ』を買ってもらったことです。
人生は思い出づくりです。思い出のランドマーク(記憶のめじるし)をつくるためにお金も使います。
『ぼく』は、お父さんに買ってもらったウクレレをうっかり壊してしまって、セメダインでくっつけてごまかそうとするのですが、血のつながった親子の間でウソをついたり、隠し事をしたりすることは、熊太郎は、必要のないことだと思います。こどもは、自分の分身です。親の立場からいうと、ウソはつかなくていいよ、なのです。
『ぼく』は、一度だけお父さんに怒られて、げんこつを一発頭にもらったことがあるそうです。
熊太郎も生きていた父親から一発もらったことがあります。びんたも一発くらったことがあります。熊太郎のほかのきょうだいはそんな体験はありません。よーく考えると、たたかれた体験が、自慢に思えたりもするのです。
ちびっこに物を買ってあげるということは、おとなの大事な行為です。とくに、食べ物を買ってあげることは大事です。『ぼく』とおねえちゃんは、お父さんにホットドックを買ってもらいました。ホットドックを買ってもらった思い出が、お父さんが亡くなったあともこどもたちの記憶に残っています。
お父さんが亡くなった日は雨だったとあります。
熊太郎の父が亡くなった日は雨ではありませんでしたが、火葬場に行ったときは雨でした。
まだ、こどもだったころ、母子家庭の日というのがあって、母子家庭のこどもが招待されて、ステージに並んで、『里の秋』を歌う企画がありました。熊太郎は行きませんでしたが、下のきょうだいが行って里の歌を歌って、何か物をもらったことがありました。熊太郎は、そのことについて、非常に腹がたったことをおぼえています。同情されるのはまっぴらごめんです。『同情するなら金をくれ』とまでは言いませんが、そっとして触れないでおいてほしい。おとなの気持ちとこどもの気持ちは違います。
絵本には、『ぼく』の気持ちが書いてあります。
『ぼくより おとうちゃんが かわいそうなんと ちがうやろかって。』
絵本では、万引き少年になりそうになった『ぼく』は、万引きを思いとどまります。
大昔の話ですが、片親家庭のこどもはワルになると、まことしやかなまちのうわさがありました。ゆえに、そうならないようにがんばったという心意気はあります。
そうか、『ぼく』の気持ちの中では、おとうちゃんは、生きているのか……
『はいけい、てんごくのおとうちゃん、ぼくは もうすぐ よねんせいになります。』(がんばれよ!!)
2023年12月04日
スモウマン ぶん・なかがわひろたか え・長谷川義史
スモウマン ぶん・なかがわひろたか え・長谷川義史(はせがわ・よしふみ) 講談社
表紙の絵が力強い。『スモウマン』の土俵入りです。
ちょうど、この文章を書いている日が、九州場所十四日目で、優勝争い中の『霧島VS熱海富士』の対決が本日予定されています。楽しみです。(熱海富士は負けてしまいました。熱海富士くん、応援するからこれからもがんばってね。先場所(9月秋場所)千秋楽(せんしゅうらく。最終日)にテレビ映像で観ましたが、お母さんと妹さんが、さじき席に応援に来ておられたのが印象的でした)
熊太郎は、長らくすもうファンでしたが、途中、いやけがさして、すもう中継を見ることに距離を置いていた時期があります。すもうがとても好きだったときは、名古屋場所の稽古場を早朝、見に行ったこともあります。
すもう賭博(とばく)に八百長(やおちょう)、コロナ自粛中にキャバクラ遊びなどの不祥事が続きました。理事会を巡る内部紛争もありましたし、見苦しい取り組みの連続もありました。もうあきれはてました。
されど、まじめにコツコツやっているちゃんとした若手が伸びてきました。小柄な力士のすばやい動きも魅力的です。今後に期待している今日この頃です。
絵本では、表紙をめくったところ、それから裏表紙の裏に、すもうの決まり手(きまりて。技(わざ))がたくさん絵付きで紹介されています。
相撲は腕力だけではありません。相手のバランスをくずして勝つ格闘技です。狭い土俵の中を動き回りながら、相手を外に出したり、手を土俵に着かせたりして勝ちます。大きい体だから勝てるとは決まっていません。だから、おもしろい。技が(わざ)がだいじです。小さな力士が、大きな力士を倒すことはよくあることです。
熊太郎は、まだこどもだったころ、母方祖父の横におちゃんこをして(座って)、NHKの相撲中継を祖父といっしょに見ていました。当時、テレビはまだ白黒テレビでした。
この絵本に出てくる自称スモウマンの男の子は、小学二年生ぐらいに見えます。
熊太郎が小学二年生のころ、いじめのようにして、同じクラスの男の子ふたりと、女の子ひとりが、熊太郎のことを『汚い』と言ってばかにしていました。
ある日、小学校の運動場にすもうの土俵(どひょう)があって、その日の体育は、すもうでした。
熊太郎は、いつも自分をばかにしてくる男の子ふたりと女の子ひとりと対戦して、三人とも土俵の外に投げ飛ばしてやりました。なんだ、お~れは、けっこう強いじゃないかと自信がつきました。そんなことを思い出しながらの読書が始まりました。
大相撲の名古屋場所は、二度見に行ったことがあります。
すもうは、朝からやっていて、自分たち家族は、お昼ごろに行って、したっぱのおすもうさんたちも来ている愛知県体育館内の食堂で、若いおすもうさんたちと混じりながら、お昼ご飯を食べました。なかなかいい雰囲気でした。定食はふつうの値段です。高くはありません。
先日亡くなってしまいましたが、会場内の通路と階段がまじわるところで、朝潮太郎さんがぼーっと立っておられたのを見たことがあります。そのころはもう体重も落ちておられましたが、テレビで見るのと同じ雰囲気の方だと感じました。
絵本は、『ぼくは スモウマン せいぎの ために たたかうぞ』から始まります。(かっこいい!)
長谷川義史さん(はせがわ・よしふみさん)の絵は、いつものように素朴で気持ちがこもっています。
『ドスコーイ』
どういうわけか、スモウマンは東京都内の空中をスーパーマンのように飛んでいます。
女の子をいじめている覆面悪役プロレスラー(ふくめんあくやくプロレスラー)みたいな男を見つけてプロレスラーに大量の塩をぶちまけました。
『つっぱり、つっぱりーー』ふたりの闘いが始まりました。
内掛けだーー(うちがけだーー) 上手投げ(うわてなげ)だーー
覆面レスラー(ふくめんれすらー)は、「おぼえていろよ」の捨てゼリフを残して逃げて行きました。
スモウマンと女の子は、おなかがすいたので、ちゃんこなべを食べます。
なつかしい、昭和四十年代(1965年代)の木造家屋が続く街中の道の絵です。平屋建ての家が並びます。そういえば、そのころの道はまだアスファルト舗装(ほそう)がされていなかったところもありました。
ちゃんこなべを囲んでお食事です。
食堂の中には、いろんなへんな掲示物があります。『わたしをすもうにつれてって』『チャンコでマンボ』『モンゴルには歩いて帰れない』(昔は、ハワイとかトンガ出身の力士が多かった。モンゴルはその後出身力士が増えました)ふざけているみたいだけれど、楽しい。
最後はさわやかでした。
おなかいっぱいになったら、畳の上にひっくりかえってお昼寝です。体をもっと大きくするのです。
2002年(平成14年)初版の絵本です。2017年(平成29年)で8刷されています。
名古屋場所が開催される7月あたりになると、地下鉄の中とか、高速道路のサービスエリアで、したっぱのおすもうさんたちといっしょになることがあります。うちのおくさんは、おすもうさんのおなかにさわることが好きで、声をかけてさわらせてもらっています。そのうちのひとりは、出世して、今もテレビの中で、すもうをとっていますが、負けることもよくあります。それが、だれかはないしょです。
本のカバーの絵で、『おまけ』がおもしろい。
『おおいちょう(あたまのちょんまげのこと)』→『胃腸』→『あ ちょう(アチョー 香港映画のブルー・スリーです。高校生のころ、郷里の映画館で彼が出ている映画を観ました。満員でした。なつかしい)』
表紙の絵が力強い。『スモウマン』の土俵入りです。
ちょうど、この文章を書いている日が、九州場所十四日目で、優勝争い中の『霧島VS熱海富士』の対決が本日予定されています。楽しみです。(熱海富士は負けてしまいました。熱海富士くん、応援するからこれからもがんばってね。先場所(9月秋場所)千秋楽(せんしゅうらく。最終日)にテレビ映像で観ましたが、お母さんと妹さんが、さじき席に応援に来ておられたのが印象的でした)
熊太郎は、長らくすもうファンでしたが、途中、いやけがさして、すもう中継を見ることに距離を置いていた時期があります。すもうがとても好きだったときは、名古屋場所の稽古場を早朝、見に行ったこともあります。
すもう賭博(とばく)に八百長(やおちょう)、コロナ自粛中にキャバクラ遊びなどの不祥事が続きました。理事会を巡る内部紛争もありましたし、見苦しい取り組みの連続もありました。もうあきれはてました。
されど、まじめにコツコツやっているちゃんとした若手が伸びてきました。小柄な力士のすばやい動きも魅力的です。今後に期待している今日この頃です。
絵本では、表紙をめくったところ、それから裏表紙の裏に、すもうの決まり手(きまりて。技(わざ))がたくさん絵付きで紹介されています。
相撲は腕力だけではありません。相手のバランスをくずして勝つ格闘技です。狭い土俵の中を動き回りながら、相手を外に出したり、手を土俵に着かせたりして勝ちます。大きい体だから勝てるとは決まっていません。だから、おもしろい。技が(わざ)がだいじです。小さな力士が、大きな力士を倒すことはよくあることです。
熊太郎は、まだこどもだったころ、母方祖父の横におちゃんこをして(座って)、NHKの相撲中継を祖父といっしょに見ていました。当時、テレビはまだ白黒テレビでした。
この絵本に出てくる自称スモウマンの男の子は、小学二年生ぐらいに見えます。
熊太郎が小学二年生のころ、いじめのようにして、同じクラスの男の子ふたりと、女の子ひとりが、熊太郎のことを『汚い』と言ってばかにしていました。
ある日、小学校の運動場にすもうの土俵(どひょう)があって、その日の体育は、すもうでした。
熊太郎は、いつも自分をばかにしてくる男の子ふたりと女の子ひとりと対戦して、三人とも土俵の外に投げ飛ばしてやりました。なんだ、お~れは、けっこう強いじゃないかと自信がつきました。そんなことを思い出しながらの読書が始まりました。
大相撲の名古屋場所は、二度見に行ったことがあります。
すもうは、朝からやっていて、自分たち家族は、お昼ごろに行って、したっぱのおすもうさんたちも来ている愛知県体育館内の食堂で、若いおすもうさんたちと混じりながら、お昼ご飯を食べました。なかなかいい雰囲気でした。定食はふつうの値段です。高くはありません。
先日亡くなってしまいましたが、会場内の通路と階段がまじわるところで、朝潮太郎さんがぼーっと立っておられたのを見たことがあります。そのころはもう体重も落ちておられましたが、テレビで見るのと同じ雰囲気の方だと感じました。
絵本は、『ぼくは スモウマン せいぎの ために たたかうぞ』から始まります。(かっこいい!)
長谷川義史さん(はせがわ・よしふみさん)の絵は、いつものように素朴で気持ちがこもっています。
『ドスコーイ』
どういうわけか、スモウマンは東京都内の空中をスーパーマンのように飛んでいます。
女の子をいじめている覆面悪役プロレスラー(ふくめんあくやくプロレスラー)みたいな男を見つけてプロレスラーに大量の塩をぶちまけました。
『つっぱり、つっぱりーー』ふたりの闘いが始まりました。
内掛けだーー(うちがけだーー) 上手投げ(うわてなげ)だーー
覆面レスラー(ふくめんれすらー)は、「おぼえていろよ」の捨てゼリフを残して逃げて行きました。
スモウマンと女の子は、おなかがすいたので、ちゃんこなべを食べます。
なつかしい、昭和四十年代(1965年代)の木造家屋が続く街中の道の絵です。平屋建ての家が並びます。そういえば、そのころの道はまだアスファルト舗装(ほそう)がされていなかったところもありました。
ちゃんこなべを囲んでお食事です。
食堂の中には、いろんなへんな掲示物があります。『わたしをすもうにつれてって』『チャンコでマンボ』『モンゴルには歩いて帰れない』(昔は、ハワイとかトンガ出身の力士が多かった。モンゴルはその後出身力士が増えました)ふざけているみたいだけれど、楽しい。
最後はさわやかでした。
おなかいっぱいになったら、畳の上にひっくりかえってお昼寝です。体をもっと大きくするのです。
2002年(平成14年)初版の絵本です。2017年(平成29年)で8刷されています。
名古屋場所が開催される7月あたりになると、地下鉄の中とか、高速道路のサービスエリアで、したっぱのおすもうさんたちといっしょになることがあります。うちのおくさんは、おすもうさんのおなかにさわることが好きで、声をかけてさわらせてもらっています。そのうちのひとりは、出世して、今もテレビの中で、すもうをとっていますが、負けることもよくあります。それが、だれかはないしょです。
本のカバーの絵で、『おまけ』がおもしろい。
『おおいちょう(あたまのちょんまげのこと)』→『胃腸』→『あ ちょう(アチョー 香港映画のブルー・スリーです。高校生のころ、郷里の映画館で彼が出ている映画を観ました。満員でした。なつかしい)』
2023年12月01日
すずめの戸締まり 邦画アニメ 2022年公開
すずめの戸締まり 邦画アニメ 2022年公開 2時間01分 動画配信サービス
有名な映画ですが観たのは初めてです。
う~む。わかりにくい。
防災の映画だろうか。
人類に地震の発生を止める力はないわけで、そのような状況があって、この映画は何を訴えたいのかがわかりません。
お互いにどんな人格と魅力に惹かれるのかが(ひかれるのかが)わかりませんが、岩戸鈴芽(いわと・すずめ)と宗像草太(むなかた・そうた)という若い男女の愛情のお話なのか。
それとも、岩戸鈴芽と叔母である岩戸環(いわと・たまき)の疑似親子関係の難しさを表現してあるのだろうか。
鈴芽の過去の記憶が蘇ります(よみがえります)。津波で亡くなったらしき実母との記憶です。
あるいは、神さまの話なのか。宗教映画のようでもありました。
製作者のメッセージがわかりにくい映画でした。
話の要点があちこちに飛ぶのでした。
絵はきれいでしたし、懐メロ(ナツメロ曲。なつかしい昔の歌・曲)は自分たち前期高齢者の世代にはなつかしく、若いころの思い出にはひたれました。
九州の宮崎あたりから、東北の岩手あたりまで移動するロードムービーです。(移動しながら心が成長していく発展映画)
大地震が発生する理由が、『ミミズ』というものが現れるからということです。
『ミミズ』を押さえるためにふたつの扉に鍵をかけるそうです。(別世界にミミズを閉じ込めておく)
災いが出てこないように、鈴芽が開けてしまった扉を鈴芽が閉める。
『扉』は、ドラえもんの『どこでもドア』のようでした。
白い猫と黒い猫が出てきてしゃべります。
『ミミズ』を別世界に閉じ込めるのに『要石(かなめいし)』がいるそうです。
白猫の名前が、『ダイジン』で、黒猫の名前が、『サダイジン(左大臣のつもりなのでしょう)』です。
ずいぶん極端な話のつくりの出だしです。
感情移入ができる人は、よっぽどこの映画の製作者の信奉者です。
『ミミズ』は、赤い柱のようでもあるしドラゴン(竜)のようでもある。煙のようにモクモクと空へのびていきます。
ネバーエンディングストーリーのような雰囲気もありました。
ミミズは、ヒミズ(モグラ)のようでもある。(昔、『ヒミズ』という邦画がありました。とても良かった)
BGM(バックグラウンドミュージック)では、オペラのような荘厳な歌唱が響き渡ります。観ている者の意識が誘導されます。
『かしこみ、かしこみ…… 謹んで(つつしんで)……』のセリフは、宗教のようです。
信仰とか霊魂の世界です。洗脳(マインドコントロール。観客の意識操作)があります。暗示の世界です。
ネコはしゃべります。
人がこども用のイスになります。(NHKのEテレビの番組を思い出します)。イスもしゃべります。
ネコは魔法使いみたいです。魔法が使えるのでしょう。
常世(とこよ):死者が赴く(おもむく。行く)場所
東京『お茶の水駅』あたりの絵が出ます。つい先日自分が電車を乗り換えた駅なのでちょっとびっくりしました。
おろかだなあと思ったシーンが、喫煙シーンです。日本映画は、アニメでもタバコを吸うシーンをいれるのかとあきれました。
たばこ税を徴収するために、映画の助成金を受けるときは、映像には、極力喫煙シーンを入れることという契約上のきまりでもあるのだろうか。しかも車を運転しながらの喫煙シーンです。登場人物は3回もタバコを吸っていました。国民の生命を守るためには、とにもかくにも、本人とまわりの人たちの健康が第一です。もう映像において、喫煙シーンで感情を表現する時代は終わっています。
クライマックスだけど、なんだかわからない。自爆テロを想像、推奨するようなシーンです。いくら目的を達成するためであっても自死はだめです。
最後は、なにげない日常生活を送ることが幸せというような締めでした。
『いってきます』という言葉が大事なのです。必ず『おかえりなさい』につながらなければならない一日なのです。(このあと観た邦画『線は、僕を描く』も同様の主題でした)
海外も含めて、おおぜいの人たちに好評だった映画だそうですが、わたしには合いませんでした。
有名な映画ですが観たのは初めてです。
う~む。わかりにくい。
防災の映画だろうか。
人類に地震の発生を止める力はないわけで、そのような状況があって、この映画は何を訴えたいのかがわかりません。
お互いにどんな人格と魅力に惹かれるのかが(ひかれるのかが)わかりませんが、岩戸鈴芽(いわと・すずめ)と宗像草太(むなかた・そうた)という若い男女の愛情のお話なのか。
それとも、岩戸鈴芽と叔母である岩戸環(いわと・たまき)の疑似親子関係の難しさを表現してあるのだろうか。
鈴芽の過去の記憶が蘇ります(よみがえります)。津波で亡くなったらしき実母との記憶です。
あるいは、神さまの話なのか。宗教映画のようでもありました。
製作者のメッセージがわかりにくい映画でした。
話の要点があちこちに飛ぶのでした。
絵はきれいでしたし、懐メロ(ナツメロ曲。なつかしい昔の歌・曲)は自分たち前期高齢者の世代にはなつかしく、若いころの思い出にはひたれました。
九州の宮崎あたりから、東北の岩手あたりまで移動するロードムービーです。(移動しながら心が成長していく発展映画)
大地震が発生する理由が、『ミミズ』というものが現れるからということです。
『ミミズ』を押さえるためにふたつの扉に鍵をかけるそうです。(別世界にミミズを閉じ込めておく)
災いが出てこないように、鈴芽が開けてしまった扉を鈴芽が閉める。
『扉』は、ドラえもんの『どこでもドア』のようでした。
白い猫と黒い猫が出てきてしゃべります。
『ミミズ』を別世界に閉じ込めるのに『要石(かなめいし)』がいるそうです。
白猫の名前が、『ダイジン』で、黒猫の名前が、『サダイジン(左大臣のつもりなのでしょう)』です。
ずいぶん極端な話のつくりの出だしです。
感情移入ができる人は、よっぽどこの映画の製作者の信奉者です。
『ミミズ』は、赤い柱のようでもあるしドラゴン(竜)のようでもある。煙のようにモクモクと空へのびていきます。
ネバーエンディングストーリーのような雰囲気もありました。
ミミズは、ヒミズ(モグラ)のようでもある。(昔、『ヒミズ』という邦画がありました。とても良かった)
BGM(バックグラウンドミュージック)では、オペラのような荘厳な歌唱が響き渡ります。観ている者の意識が誘導されます。
『かしこみ、かしこみ…… 謹んで(つつしんで)……』のセリフは、宗教のようです。
信仰とか霊魂の世界です。洗脳(マインドコントロール。観客の意識操作)があります。暗示の世界です。
ネコはしゃべります。
人がこども用のイスになります。(NHKのEテレビの番組を思い出します)。イスもしゃべります。
ネコは魔法使いみたいです。魔法が使えるのでしょう。
常世(とこよ):死者が赴く(おもむく。行く)場所
東京『お茶の水駅』あたりの絵が出ます。つい先日自分が電車を乗り換えた駅なのでちょっとびっくりしました。
おろかだなあと思ったシーンが、喫煙シーンです。日本映画は、アニメでもタバコを吸うシーンをいれるのかとあきれました。
たばこ税を徴収するために、映画の助成金を受けるときは、映像には、極力喫煙シーンを入れることという契約上のきまりでもあるのだろうか。しかも車を運転しながらの喫煙シーンです。登場人物は3回もタバコを吸っていました。国民の生命を守るためには、とにもかくにも、本人とまわりの人たちの健康が第一です。もう映像において、喫煙シーンで感情を表現する時代は終わっています。
クライマックスだけど、なんだかわからない。自爆テロを想像、推奨するようなシーンです。いくら目的を達成するためであっても自死はだめです。
最後は、なにげない日常生活を送ることが幸せというような締めでした。
『いってきます』という言葉が大事なのです。必ず『おかえりなさい』につながらなければならない一日なのです。(このあと観た邦画『線は、僕を描く』も同様の主題でした)
海外も含めて、おおぜいの人たちに好評だった映画だそうですが、わたしには合いませんでした。